声の神に顔はいらない。

ファーストなサイコロ

118 長い戦いには何が一番大切か

 はっきり言おう、あいつ――浅野芽衣は天才なんかじゃなかった。寧ろなんかドジっ子というか……いや、多分あれはドジっ子を演じてるんだろうが、かなりイライラとしたとだけ言っておこう。第一回のラジオ収録を終えて、私はキッチンで水を飲んでる。

 実を言うと、今日は一気に三回くらいまで収録する予定だ。なのでまだまだある。次はキャラを変えて私は望む事になる。

 流れとかもまだなれてないし、複数のキャラが映像なしに出てるわけだから、誰が誰かわからないなんてなったらしい失格だ。

 そういう訳で私はかなり神経質になってる。みんなアニメのキャラだからって特徴的な喋り方してるわけでもないし、語尾も変なのは一部のキャラだけだ。

 そうなると違いは声や喋り方、それとイントネーションとかになる訳で、それを調整するのに細かな打ち合わせがね……アニメ見たり、勿論それは遊びではない。とても大切な事だ。

 愛西さんもあれからこのアニメを沢山見てくれてるようでおかしな所はそんなにない。ないけど、キャラを完璧に把握するってのは生み出した本人でも難しいものだ。

 ――と監督も言っていた。私だってそれぞれのキャラを演じてるけど完璧だと思う事はない。
 モブばっかりやってたときならキャラを考える事はそんなになかった。モブはキャラというよりはその時の感情が大事というかね。それでなんとか私は声の違いを細かくしたりしてアピールしてたわけだが、モブなんて制作陣もそんな聞いちゃいないのだ。

 色々と声を変えていても、それを一人の声優が出してるとはモブでは思われないというね。なにせモブって単体で喋る事はそんなにない。てかない。ただのその場の雰囲気を出すための要素……でしかない。だからガヤとなって他の人たちと一緒に声を出すことが多い。

 ガヤとはその名の通り、ガヤガヤした声である。教室の喧噪とか町中の喧噪とか、ライブの喧噪とかまあいろいろである。あの頃に比べたら、一つのアニメでキャラを全部やるなんて夢の様な事である。まあ欲を言えばクソアニメじゃなかったら……と思うが、そこら辺は私ではどうしようもない。

 私はキャラに命を吹き込むことは出来るけど、作られたシナリオから外れることは出来ないんだ。そして私たち声優は綴られてるシナリオでキャラを把握して、想像しなくちゃいけない。そしてそれにも色んな人たちのイメージがあって、収録の時にちょっとずつキャラを作り上げて行くわけだ。
 だから微妙な表現とかがあったりすると迷う。これは……このキャラ言うんだろうかってね。アニメの収録なら、監督とかいるし、音響の人たちも深くアニメに関わってくれてるし、なによりも台本がある。けどこのラジオで喋る言葉は愛西さんと私で作ってる。それが難しい。流石にキャラの事となると、私も引けないから、愛西さんと話す時間は自ずと長くなる。

 水を飲んだらまた愛西さんとすりあわせと、流れの詳細とか話しておきたい。そう思って廊下にでて、収録してる部屋をチラリと見ると、浅野芽衣がなんか自撮りしてた。イラッとしたのはいうまでもない。

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