声の神に顔はいらない。

ファーストなサイコロ

48 目ん玉が零れるかと思った。

  俺はしがない音響監督だ。なんとかこの業界でやってきたが、音響なんて誰も聞いちゃいない端役だ。情熱を持ってやることに何の意味があるんだか……まあそれでも監督なんてものになったが、それはただ単に所属してる会社で年数が経ったにすぎない。

 家の会社はなかなかに酷い。勤務体系もだが、福利厚生ももちろん、そもそもなにか訳アリの仕事しかプロデューサーとかがとってこやがらない。まあそもそもが生きてるだけでも不思議な弱小スタジオだ。この会社はどんな仕事も受けるという事で、存続してるだけの会社なのだ。

 そしてどんな仕事でも受けるという事は、現場にしわ寄せがくるわけで、いつだって俺達はカツカツだ。クオリティだぁ? それはここに来る前に求めるべきであって、来た時点で、音なんて録れればなんだっていいんだ。一応形を取ってるだけに過ぎないんだからな。
 リテイクなんてまずしない。大丈夫大丈夫、最近の声優は学校でちゃんと習ってるからある程度のクオリティはある。まあ面白味もなくて嫌味ばっかり言ってたら来なくなったりするんだが……普通なら新人声優とかにそんな事許されるはずないんだが、ヤバイ仕事はなんでもありなんだ。寧ろ……真面目にやってる奴ほど損を見る。

「ほんとうあいつの様にな……」

 バタンと、ブースの扉が閉まった。今出ていったのは最近家のブース来るようになった冴えない声優だ。声優としてさえないし、更に見た目的にも女として冴えてない奴だ。ああいうのはいじるネタに尽きない。なのに毎回ああやって背中を丸めてかえって行ったかと思うと、ちゃんと来る。

 既に何回か収録してて、気づいたのは、あれはとても馬鹿真面目という事だ。受けた仕事だから……そして回りが困ってるから……そういってどんどんと余計な事を引き受けて行ってる。実をいうと既にこのアニメ。全ての声が彼女になってる。

 そんな事あり得るのかって? 現実は小説よりも奇なり……現実はくそったれな事は大抵起きるんだ。声優が逃げて、けど代わりは決まらなくて、今来てのは彼女だけで、一応形にしたのを出さないといけないから、彼女に頼んだ。

 本当にそのまま放送に流す気があったわけじゃない。だが、今はそれもありかもしれないと考えてる。なにせ中々にうまいんだ。クレジットでばれるだろうが、案外わからないんじゃないだろうか? 久々に昔ながらの声優らしい声優。

 声だけで勝負してる奴をみた。まあだが、それだけではどうにもならないから、声優だって色々とファンを増やす方向に行ってる訳だがな。何回もあいつを肴に酒を飲んだ。あいつ以上に面白い奴なんかいないからだ。いつもはただ延々と愚痴を垂れるだけの酒だが、最近は違った。

 だがそれもこれまでかと思ってた。何せ直近のあいつはかなりヤバそうだったからだ。いつも以上に背を丸めてたし、歩くたびに左右に体が揺れてる始末。だが、それならそれで……とおもってた。なにか俺に影響があるわけじゃない。

 いや実際は本当にあれが来なくなったら、作品が完成しなくなる。だが、もう現場は色々と限界だったと感じてたのかもしれない。だから……すべての破綻を見てみたい……なんて。

「よろしくお願いします」

 だから次の収録の時の彼女を見た時、何があった? と思った。どんどんとここに来るのが嫌だというのが伝わってくる様だった彼女が背筋を伸ばしてた。いつもは長い前髪が目さえも隠してたのに、今日は片側だけでもみえる。それになんだか、血色がよい様な? 

「まあテンションの違いなんてよくある事か……」

 そう納得して始まった収録。その日、俺は何か嫌味を言えてただろうか? 実をいうと自信ない。なぜなら収録中の事をあまり覚えてないからだ。その口が声を発した時から、俺の頭はガツンとはたかれた様な衝撃があったと思う。

 まるで麻薬の様な声だった。滑らかに動く口からは開くたびに違う声が紡がれる。そして感情を持った声は温もりと冷たさまで、キャラの表情を伝えてくる。どれだけの情報量を声に込めれるのか……きいていて、耳がワクワクしたのは始めてだった。

 収録が終われば直ぐに酒。それが日課だったのに……今回俺はブースにこもってる。あの声を一番のクオリティで届けたいと俺の中の何かが震えたから。年甲斐もなく……な。

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