命改変プログラム

ファーストなサイコロ

願った記憶

 明らかに学校備品ではないクッション性の高そうな椅子に彼は座ってこちらを向いていた。回転機構もあるようで、顔だけじゃなく体半分くらいこっち向いてる。そしてその顔が……明らかに若い。
 僕がLROで何回か会った時、そのいずれも無精髭を生やしてやつれた感じで、まだ若そうなのにちょっと老けてるな……なんて思ってた。だけどこの目の前の当夜さん? は生気が満ち満ちてる様に見える。
 なんか肌が瑞々しいというか……そもそも髭の跡さえ見えないし。まだ生えてない? それに見た目だけで言えば、僕とそう変わらなそうに見える。これは予想外だな。僕は普通に、今まで会った時の当夜さんが居るものだと思い込んでた。
 だけどそれは甘い考えだったようだ。思うことが実現されるほど甘くはない世界。それはどこだって同じだ。


「やっはろはろ〜」
「また君か……いくら来ても……ってそちらは?」
「え?」


 そちらって僕の事……だよね? まさかだけど……知られてない? 何故に? 何回か会ってるよ! 何か特殊な事情があるのか? 外見が戻ってる事を考えると、記憶までこの外見までの物しか無いのかも。
 でもじゃあ、時々会ってた当夜さんは何だったんだって事になるような……くっそ、こっちは色々と急がないと行けないのに、分からない事が次から次へと……マジで勘弁して欲しいよ。一つの謎を提示する前に前の謎は解決させて欲しい。それが良心的って物だろう。
 まあそんな生ぬるくこの世界は出来てないって分かってるけどさ……別に普通の日常ならそれでも構わないよ。寧ろ出てきた謎を絶対に解明する必要もない。だけど今はそんななぁなぁな日常とは違う。
 見落とすなんて事出来なくて、見逃す事も出来ないのが今だ。僕のその甘えで、誰かが救えなくなるかも知れないんだからな。いつだって頭を動かし続けないといけない。だからこの状況も流して済ます事はしちゃいけないんだ。
 とりあえずどういう事かしってそうな苦十にでも聞くか。


「おい、これって一体どういう事だよ?」
「まぁまぁ狼狽えるには早いですよ。とりあえず自己紹介してあげてください」


 小声で話しかけたらあっさりとそう言ってかわされた。くっ、とりあえず今はこの状況を受け入れとけって事か。後で必ず理由は教えてもらうからな。


「僕はスオウです。……えっと」


 これ以上伝える情報が……いや、言いたいことも聞きたいことも山程ある。だけど、それを言っていいのか? って気がするんだ。だって彼は僕の事を知らなさそうだ。って事は、LROの現状を把握してない可能性が高いわけで、それどころか学生時代に丸ごと戻ってるのだとしたら、LROの存在事態を彼は認識していないって事になる。どうするんだよホント……


「スオウね……なんだ彼氏か? 僕を毎日誑かしに来ておいて凄いな君。しかも紹介までさせるとか、どういう神経をしてるのか疑うよ」
「あれ? ヤキモチ焼いちゃいましたか? ふふ、でもご安心を。別に彼は彼氏ではないですよ。そして貴方を口説いてた気持ちに嘘はありません。だからここは三人で彼氏・彼女の関係になると言うのはどうでしょう?」
「どうでしょう……じゃねーよ! なんだそれ!」


 ホント何言ってるくれてるんだこの女。否定だけしとけよ。なんで両手に花状態に持って行った? すると当夜さんも同じ意見なのか、メガネを上げて目頭を押さえ出す。


「そこの彼の言うとおりだ。君のハーレムに加わるつもりなんて無いよ」
「そんな、ハーレムだなんて築いてませんよ。そんなに他人に興味無いですからね私。私が興味を持つのはよっぽどの変人か変態くらいです!」


 なにその力説……まったく嬉しくない。だってつまりはこいつに興味持たれたら変人か変態認定されてるって事じゃないか! 一番の変態性醸し出してるくせに……類は友を呼ぶ的に、友を求めてるのかこいつ。
 まじ同類になんか見てほしくない。


「それはつまり僕達は変態ということなのか?」
「う〜んそうですね〜往々にして?」


 日本語に成ってるかそれ? まあ肯定したんだろうけどさ、僕と当夜さんは不満顔だよ。


「だって二人共面白いと私思ってますので。さぁさぁこれから三人でダイクラ頑張って行きましょう!」
「三人でって、そこの君は入りたくてここに来たのかい? 何をする場所か知ってるのか?」
「いえ、全く」


 知るわけない。ダイバーなんちゃら会の活動を僕が知るわけない。天道さんにもっと聞いとくべきだったか。でもここでの日々がフルダイブやら、LROの礎にはなってる……のかもしれないという予想はある。だってここは、当夜さんが戻ってきたくなる場所なんだろうからな。
 そう思ってると、少し考える素振りをした後に、真面目そうな顔で当夜さんはこういった。
「やっぱり君も変態か?」


 大変失礼な事を言われたぞ。なんだよ変態って、僕はノーマルでありたい! 


「わざわざこんな訳の分からない所に来ようと思うのはそこの女と同じ変態しか居ないからな」
「その女は確かに変態だけど、僕も同列に語るなよ。僕にはちゃんと目的が有ってだな」
「目的とは? 僕って事かな? ここに来る目的はそれ意外にありえないし」
「まあ……そうなんだけど……」


 言っていいのか? けど、今の当夜さんはなんかおかしいしな。僕の目的を言ったところで理解はしてくれないだろう。悩みどころだな……掴めないし……どうすれば……僕は悩みながら視線を動かす。
 部屋の中は彼が一人で使ってる感じで猥雑というか……散らかってるようで、実は必要な物だけ周りに集めてます的な感じを受ける。自分も油断すると直ぐにこんな感じになるからな。まあどうせ日鞠に片付けられるから、見られて不味いものは積極的に片付ける癖は付いてるけどな。
 だけどパッとは普通に男子ならあり得る部屋の感じだけど、良く見るとなんかおかしい。積んである本とか、散らかってる紙とかが普通じゃない。なんか英語だし、分厚いし、そこら辺の紙も文字ビッシリ……おいおい、そこは普通漫画で散らかった紙は雑誌のポスターとかの筈だろ。
 こいつ本当に思春期真っ盛りの男子なのか? するとそんな中、棚においてある写真立てに気付いた。そこだけはなんか整理されてるっぽい。無骨な……というか普通の質素な写真立てに折り紙で作った様な花がくっつけてある。


(なんだあれ? 当夜さんがアレを?)


 イメージに合わないな。アレか? 摂理の奴が作った物とか。それなら納得だな。この頃はまだ摂理だってリアルに居たはずだしな。だけどそこで更に僕は気付いたよ。あの写真……両親と当夜さんは見えるけど……摂理の姿が無いぞ。


(たまたま……かな?)


 だよな。そうとしか思えないけど、そうとも思えない気もする。だって僕の知ってる当夜さんは摂理の事をとても大切にしてた。それなのにハブるかな? いや、この写真を撮った時にはたまたま摂理が居なかったとしよう。
 けどだ……けど、わざわざその写真を当夜さんが飾るとは思えない。僕の知ってるこの人なら、絶対に摂理と一緒の奴を飾るだろ。そもそも家族写真ならわざわざ一人ハブられてるのを使うなんてしない。
 多分な。実際は僕にはよく分からない。だって家族写真なんて……いや、一応あるか。日鞠の家族との写真なら。本当の親との写真はない。欲しいとも思わない。嫌悪してたらそうはなる。だけど、当夜さんの場合はそんな訳無いはずだからな。––って事は、これはどういう……ホント訳わからないな。いつもの当夜さんがただ待っててくれるだけで良かったのに……なんでこんな頭痛くなる事だらけなんだよ。
 迷っててもしょうがないよな。こうなったら直球だ。


「なあ、あんた妹いるか?」
「不思議な事を聞く奴だな君は。それが目的か? アンケート調査でもやってるのかい?」
「いいから、妹いるよな?」


 僕のその質問に当夜さんは静かに考えこむ。別に考えこむ必要なんて無いはずだけど、わざわざそういう間を取った。そして勿体つけて彼は言うよ。望んで、そして望まれてない方の答えをだ。


「妹か……残念だが君の期待には答えれそうにないな。僕に妹はいない」
「なに?」
「はは、そんな驚愕そうな顔してもらっても困るよ。世界中の誰もが妹を持ってる訳じゃないんだから。その反応ではまるで僕に妹が居ないなんてあり得ないとでも言いたそうな顔じゃないか」
「あり得ない……筈なんだけどな……」
「生き別れの妹が見つかった報告は無いんだが?」


 当夜さんは僕の言葉が冗談だと思ってるようだ。だけどそうじゃない……こっちにはかなりの衝撃だぞこれ。妹が居ないって……なんでそんな事に成ってしまってるんだよ。当夜さんの行動原理は妹の為だろ。ソレがないって……


「当夜は妹が欲しいのですか? なら私が立候補しましょうか? 可愛い妹を演じる気概はありますよ」
「お前を妹なんて思えない。そもそも同い年とも思えない」
「魅力的な女は男には計れない物ということですね。どうりで私には友達が一人も居ないわけです」
「それは女にも分かってもらえてないだろ」


 悲しい事実を胸を張って言うなよな。まあでも確かに苦十だっけには友達がいそうじゃない。てかこいつ実年齢とかないだろ。存在が怪しいし、友達と楽しく談笑してる絵が浮かばない。


「だけど二人は違いますよね。私と同じです。友達居なくて、孤独で、そして痛みを知ってます」
「だから勝手に同類にするなよな」
「全くだ。それに同じなんて無い。この世界、誰もが違うんだ。それを内包できる物こそ世界だ」


 いきなり当夜さんが哲学を語り出したぞ。まったく頭いいと話が飛躍するよな。どうしてそこで世界に飛ぶんだよ。別に同じ人なんて居ないで良いような気するけどね。それに苦十だって全く同じだなんて言ってないと思う。自分達は似てる––そう言いたかったんだろう。それはそれでどうかと思うけど。


「世界?」
「全てを内包できる場所を作るって言うのは難しいんだ。お前達は俺が何をしてるかも知らないんだろ?」
「興味無いですから」


 おい! そこは興味出せよ。なんで興味ないんだよ! 執拗に迫ってたんだろ? 彼の研究目当て……とかじゃなかったのか。


(あれ? でも待てよ)


 考えてみたら、ここの当夜さんは何をやってるんだ? そもそもLROやらフルダイブやらを生み出したのは摂理の為だったはずだ。それなら、今ここに居る彼がそれらを生み出す事はあるのだろうか? 当夜さんの体に隠れてるPCを覗き込んでも、きっと僕にはそれを理解する事はできないだろう。
 それなら悶々とするよりもすっぱり聞いてみる方がきっといい。


「あの……じゃあ聞きますけど、ここは……当夜さんは何をやってるんですか?」
「当ててみるのはどうだい? こっちは忙しい所を妨害されて迷惑してるんだ。それならそっちにも迷惑を掛けないと気が済まない。精々そのチンパンジー並の脳で考えてみてくれ」


 ムカッ––だな。チンパンジー並とは言ってくれるな。こんな嫌味言う人だったのか。まあ逆に嫌味を言わない人なんかいないか。今まで接してた当夜さんは、僕にお願いする側だったから、そう言う態度を取ってただけかも知れない。
 でも考えてみたら今までも別にそれ程態度が良かった訳じゃないか。いつも背中越しだったしな。けど妹思いって部分だけしか見えなかったから、これがやっぱり普通の状態の時の当夜さんなのだろう。制服来てるし、悲壮感もないし、肌も瑞々しいし、髪も別段ボサボサじゃない……こうやって見てると、普通の学生だな。
 僕と別になんら変わらない、大人と子供の間に居る感じ。だけどどうなんだろう? 何をやってたのかと問われて、僕が答えられる答えは一つしか持ち合わせてないぞ。だから僕はそれを口にする。


「えっと……アレじゃないっすか? 完全なバーチャルリアリティの実現……とか?」
「……………………………ほう」


 なんか目を丸くしてこっちを見てる。まさかそうなのか? 摂理が居なくてもそこは変わらないのか? 


「どうして分かったんだい? もしかして全くに偶然……って訳じゃないだろう?」
「それは……まあ……」


 う〜んなんて言おうか? 流石に大人に成った貴方がそれらを作ったから––とは言えないよな。いや、ある意味それを言って反応を見るのもいいのかもしれない。ぶっちゃけ、未だにこの状況はなんか信じられないというか……だって当夜さんは開発者だぞ。
 それなのに、こんなシステムに飲まれたみたいな状態で居るのだろうか? まあ実際目の前にいるけど……それなら今まで僕が会ってきたあの人はなんなんだということになる。一年前からずっとここにこうやって篭ってたのなら、僕と接触するなんて出来ないはずだ。
 やっぱり何かがおかしい。僕は真っ直ぐに当夜さんを見つめて口を開く。


「それは、僕は知ってるからです。当夜さんがそう言うシステムを作り上げることを。完全なるバーチャルリアリティであるフルダイブを当夜さんは完成させるんだ」


 心を燃やして、だけどそれを静かに内に収めながら僕は言葉を紡いだ。これはかなり大胆に迫ったはずだ。この後の反応で見定める。彼が演技してるのか、それとも完全に忘れた別人に成ってるのか。


 するとその時、開け放たれてた窓から強風が入り込んできた。クリーム色のカーテンは激しく靡いて、床に散らばってた紙は浮き上がり、本の山が崩れ去る。それは一瞬、この部屋に嵐がやってきたかのようだった。
 僕は咄嗟に踏ん張りを効かせたけど、苦十の奴は細いからか強風に煽られて、こっちに倒れてきた。それをなんとか支えてやる。嵐のように荒々しい風が、視界を奪って部屋全体がガタガタと揺れてた。巻き上がった大量の紙は僕達と当夜さんの間の障壁となってしまってた。
 そして突然に体中に渦巻いてた風が消えて、部屋が一気に鎮まりかえる。今の風邪は一体どこに消えたのか……残ったのは散らかった部屋に舞い落ちる大量の紙だ。


「今のは……」
「見られたくないものでもあったんでしょうかね?」


 そう言った苦十の奴は僕に支えられたまま、真っ直ぐに見つめてる方向がある。それは紙が降り注ぐ中、姿が途切れ途切れに映る当夜さんの方向だ。今の言葉……まさか意図的に彼が風を招いたって事か?
 確かに不自然ではあったけど……僕も当夜さんの方を見据える。紙は粗方落ち終わって、僕達を隔てる物はなくなってた。さっきまでとは随分部屋の印象が変わった様だけど、今は部屋の汚らしさなどどうでも良いんだ。今重要なのは彼がもしもこれを意図的にやったのだとするのなら……彼はやっぱり忘れ去ってなんか居ないんじゃないかって事だ。もしもそうなら、この世界の全てを支配できたっておかしくはない。
 なんせここは……彼の世界なんだからな。


「ふっ……はははははははは!」


 何故か突然響き渡るそんな笑い声。この悪役っぽい笑い方はもしかして、正体を明かす気になったとかそういう事か? だけどなんか当夜さんを見ると、普通に爆笑してるように見えるからな……悪役の笑い方はもっと高笑いっぽいかも知れない。


「当夜さん?」
「いや、すまない。君の発言からタイミング良く吹いた風がおかしくてね。だけど今の発言はどういう事なんだろう? 君は未来から来たとでも言う気かい?」
「未来っていうとちょっと違うかもしれないですね。だって僕は今を生きてるから。だから戻ったのは世界じゃなく、貴方の方ですよ当夜さん」


 僕の言葉に今度はあからさまに眉根がピクッと動いたのが見て取れた。だけどそれだけじゃな……それに今の発言も、誤魔化そうとしてる感じじゃなかった。目の前の当夜さんは本当に知らないのかも知れない。だけどここは当夜さんの世界だ。それなら……この世界は僕の言葉を分かってるのかも知れない。


「面白い事を言う。だけど興味ある発言だ。それに君は当ててるしね。僕は確かに最終的に今の研究をフルダイブにまで持って行きたいと思ってる。その先駆けがダイクラだよ。誰にも言ってない筈の……僕の頭のなかだけの構想を君は言い当てた。
 興味が沸いたよ。入部を認めようじゃないか。今の話が真実であれ、偽りであれ、そういう発想は嫌いじゃない」
「よし! じゃあこれで会員№3も決定ですね。これから賑やかになりそうで何よりです」
「いや、お前を会員№2にした覚えはないがな」
「甘いですね当夜。私は誰かに指図されたりしません。だから私はなんでもなりたい物になれるのです。ですから私は今はダイクラの会員№2番なんですよ」


 意味がわからない理屈を並べ立てる苦十。そしてどういってもどうせ居座るつもりだと判断したのか、当夜さんは肩を竦めて「仕方ないな」と言った。すると僕の近くに居た苦十の奴が僕にこそっと耳打ちをしてくる。
 微かに香る花の匂い……そして耳を擽る声がこそばゆい。


「さてと、なんだか上手く行きそうですね」
「は?」


 何を言ってるんだよ。そもそも何が上手いのかがはっきりわからない状況だぞ。ダイクラに入れた事が僕の目的達成に繋がるがどうか……てか、呑気に部活動なんかやってる場合じゃないんだよ。


「上手くなんか……僕は部活動しに来たんじゃないんだよ」
「まぁまぁ、どうせもう逃げられませんよ」
「どういう––––ん?」


 その時僕に不思議な感覚が襲ってくる。自分自身はこの場に居る……それなのに、僕が、そこにもあそこにも居て、そして当夜さんと苦汁の二人も……時間が物凄く速く進んでるように、入れ替わり立ち替わりにいろんな自分や彼らが見えた。
 そしてその現象が落ち着いてきたと思ったら、部屋には夕暮れの明かりが差し込んで、影を長く伸ばしてた。床に散らばってた筈の紙や本は無くなってて、増えた本棚や棚に収まってる。ど……どういう事だこれ? 


「何を呆けてるんですかスオウ? 写真上がってますよ」
「写真?」
「放課後なのに寝ぼけてるんですか? 先月の体育祭の写真ですよ」
「ああ……あ?」


 あれ? 今何月だよ。てか記憶がある? だけどやってる訳はない。なんだこの記憶だけを埋め込まれた様な感覚。


「私達の作戦もあって白組が圧勝でしたね。当夜もなかなか俗物的に楽しんでたじゃないですか」
「ふん、僕はインドア派だけど、別段体動かすのが苦手と言う訳じゃないからな。やればなんでも出来るタイプだ」
「うっわ〜、嫌味ですよそれ」


 確かになんかやな感じだな。そう思ってると再び世界は動き出す。僕が認識出来ない速度で記憶が……思い出が蓄積される。そして今度はいきなりズガン––と頬に当たる衝撃が僕を扉まで吹き飛ばした。
 マジで一体何事だ? 血が滲む味を確かめながら僕は前方を確認する。するとそこにはメロドラマみたいな現場が……


「お前はどうなんだよスオウ! 僕に敵わないからってそれでいいのかこの負け犬!!」


 ムカッ……と来る言葉。いきなりだけど、記憶はあるから、それが追いついてくればこの状況も理解できる。どうやら僕達は……超不本意だけど、何故か苦十の奴を巡ってトラブってるようだった。一体全体どうしてこうなるのか? ここに居る僕自身には分からない。記憶の中の僕は何をやってるんだ? どつきたいな、いやマジで。その苦汁はこの場には居ないようだ。男同士のタイマンみたいな物だな。


「どうしたスオウ? お前の気持ちはその程度かよ! それなら一生二番手やってろ!!」
「うるっせぇ!!」


 ズガンと今度は僕がかましてやった。まあ、苦十の奴を取り合う気なんかサラサラないけど、何故か体が動いた。そしてまたまた何故かこみ上げてくる。


「お前に何が分かるんだ! なんでも出来るこの天才が!! 本当に好きだから……身を引くんだろ。僕よりもお前の方が……アイツだってずっとお前の事を……」


 そんな時、ガラッと開く扉。そこには苦十の姿があった。いつもの何考えてるか分からない顔じゃない。耳まで真っ赤にして、モジモジするその姿は乙女だった。僕達はその姿を見て固まってしまう。そしてなんとか苦十が声を振り絞る。
 けどそこで……また世界は加速した。




 窓の外は冬景色だった。どうやら僕はあんな事があった後でもまだこの部室に居るようだ。記憶を思い起こすと既に進級してるっぽい。って事は二年の冬? 暖房が効いてる部室にはいつの間にかPCが人数分増えてた。
 そして当夜さんのデスクはなんかマルチモニターにランクアップしてる。そして壁に飾られた賞状や盾の数々。思い起こすと、あの天才が様々な大会での優勝した記憶が蘇る。やっぱ凄いなあの人は。
 そう思ってると廊下側から声が聞こえてくる。それはいつの間にか耳に馴染んだ二人の声。あの二人はなんだか上手くやってるようだった。完全に僕は邪魔っぽいけど、そこはそこらしい。よく分からない所で納得させられて、まだ僕は会員№3をやってるようだ。
 扉が開くとコンビニ袋を持った二人が僕を見てこういった。


「お待たせしましたね。泣きました?」
「んな訳ないだろ。それよりも今日もやるぞ。三年になったら、一世一代の花をあげるんだから。二人共ついてこいよ」


 そんな当夜さんの言葉に、僕達は二人して「「おーー!」」と言った。そして再び世界は廻る。その間に、僕はなんとなくわかりつつあった。そして多分、最後の瞬間が来る。




 窓の外に雪はなく、代わりに緑がチラホラと見えて、彩る花達も芽吹き始めてるそんな時期。この部室には卒業証書が入った筒が三つテーブルに重なってた。そしてそれぞれの胸には在校生が付けてくれたリボンがある。
 最後はやっぱりここしか無い。卒業式の日。三年間の終わりの日。部室には一際大きなカップと立派な額に入れられた賞状が増えてる。そしてその下には三人で映る写真がある。あの作業は実を結び、僕達はこれらを勝ち取ったんだ。
 三年間を振り返るように、僕達はそれを見てる。すると苦十の奴の肩が震えてるのに気付いた。柄でもない癖に泣いてるようだ。だけど……何故か僕も目頭が熱くなる。速攻で過ぎ去ったのに、記憶だけはあるから、何故か熱くなるんだ。するとポツリと当夜さんがこういった。


「終わったな」


 その言葉を噛みしめるように続く沈黙。確かにきっとそれでいいんだと思う。普通は……それでいい。だから僕はこう言うよ。


「もう、十分ですか?」
「スオウ? どうした急に敬語になって? まあ十分と言えば十分だけどな。充実した三年間だったし……楽しかったよ」
「そうですか」


 それは良かった。そう思う。だからもう、こんな夢は終わりにしよう。


「当夜さん……いや、目の前のじゃなくて、この世界その物とでも呼ぶべき当夜さんの方に言うよ。こんな事をしてたって、何の意味もない。苦十の奴は天道さんじゃないし、僕も戸ヶ崎さんじゃない。
 結局、当夜さんが願った時間をやり直すなんて事は出来ないんだよ」
「何をいっ–––––––そんな事、分かってるよ」


 突然口調が変わった? いや、声が今の感じに成った気がする。重苦しい物が乗ってるような声だ。多分、今目の前の彼は、完璧な当夜さんなんだろう。


「軽蔑するかい? 妹を無かったことにして、幸せな青春を僕は送ってみたかったんだ。妹の事は大切だ……だけど時々思う事がある。もしもアイツが居なかったから、もっと普通の道もあったんじゃないかと……」


 当夜さんはずっと摂理の為に頑張ってきたんだもんな……そう思うのを責められる人なんかきっとこの世に誰もいないだろう。いつの間にか、彼の姿が高校時代から、今現在へと変わってた。まあ痩せこけてなきゃ今でも結構若い部類だと思うけど……いきいきしてた時を知ってると、かなり老けて見える。


「いいんじゃないですかね? 自分の生きたいように生きるのが人生ですよ。当夜、貴方は妹の為にして来たことを後悔してるんですか?」
「……してない。結局僕は、妹の為にしか生きれないのだから」


 そう言って彼はいつもの如く背中を向ける。そして静かにタイピングの音が綴られ始める。妹のためにしか––か。それはきっと摂理にとっては幸せだよ。これ以上ない愛なんだろう。だけどこの人は知るべきだ。貴方の幸せを願う人だった居ることを。貴方だって幸せになっていいんだって……哀愁が漂うその背中に僕は語りかける。


「過去は……どう足掻いたって取り戻せない。だけど、未来は違う。取り戻してみせます。摂理と……それと貴方の未来も! だから前を見ることをやめないでください。一緒に帰りましょう。連れ帰ってみせます」


 差し出す手。当夜さんはゆっくりとだけどこっちを向いてくれる。そして重なる三人の手。真っ白に染まってく世界の中で、僕の耳に確かにこの言葉が届いた。


「君で良かった。可能性を掴んでくれ」


 流れこんでくる何か……そして目の前にはボロボロに成ったはずの法の書があった。それは前と変わって白い装丁に金の装飾が施されてた。自然に開くページの一つ一つが、僕に語りかけるように内容を伝えてくる。
 可能性……それを僕は確かに受け取った。



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