異界調整官外伝 吸血鬼×外交官

水乃流

時間を稼ぐ

「お目覚めかな? ミスター・サコタ?」
「ご覧の通りですよ、ミスター……?」
「ワン。私のことは、ワンと呼んでください」
 お琴は私の問いかけに、名を名乗った。それにしてもワンねぇ。あからさまに偽名っぽい。

 ようやく目隠しが外されたので、周囲の様子をうかがってみる。やはり倉庫のようだ。輸出用だろうか、大きな木箱が雑然と置かれている。視界に入っているのは、ワンと男二人だが、その他にも何人か隠れているのだろう。私は黙ったまま、視線を巡らせ周囲の様子を探った

 そんな無言の時間にしびれを切らしたのは、相手の方だった。
「質問はないのですか?」
「何も。どう見ても、あなたが誘拐犯でしょう? それで十分ですよ」
 私の返事は、相手の思っていたこととは違ったようだ。ワンは、小さくため息をついた。
「……変わり者と聞いてはいましたが。解放の条件とか、私が何者であるかとか、聞くことはたくさんあるでしょう?」
 その言葉を、私は首を振って否定した。
「私は外交官であって、犯罪捜査のプロではないのでね」
「犯罪ですか……確かに、あなたにしてみれば誘拐でしかありませんね」
 ワンと名乗った男が合図をすると、物陰から現れた男が椅子を持って現れ、その椅子を私の二メートルほど前に置いた。ワンが、その椅子にゆっくりと腰を下ろす。

「私としてはね、大切なビジネスの提案だと思っているのですよ」
 ビジネスだって!? はっ、笑わせる。
「それこそお門違いですね。私はしがない公務員ですよ」
「いやいや、ご謙遜を。あなたは、ご自分の価値をご存じないようだ」
 ワンは、おどけたように手を広げてみせる。

「価値? そんなもの、私にはありませんよ」
 外からどう見えるかは知らないが、私自身には何の権限もない。
「まぁいいでしょう。本題に入りましょう」
 顔の前で手を組み、ずいっと前に乗り出す男。その顔には、にやけた笑いが貼り付いている。
「ミスター・サコタは、“ザ・ホール”から莫大な利益が生まれていることを、もちろんご存じですよね」
 もちろん知っている。というか、世界中で知らない人はいないだろう。
 ただ、ホール1からは、これまでのところあまり利益は上がっていない。魔石の売買に関しては、安全保障上の問題から取引は制限されており、ほとんど流通していない。そもそも魔法による術式の書き込みを行ってしまうと、他に利用できなくなる。車のように中古を転売、なんてことはあまり意味がないのだ。そのうえ、日本が魔石を売るのは西側諸国のトップだけだ。外交という面では利益があるが、金銭的な利益はない。ほかに農作物の輸出も始まっているが、それも非常に規模が小さい。ホール1で一番利益を生んでいるのは、その自然を映した動画くらいのものだ。

 それに対してホール2では、ホール1で起きたような勘違いによる悲劇は起こらず、非常にスムーズにファーストコンタクトが行われたことから、ホール1よりも異界との交易実績は長い。そんなホール2世界からアメリカに送られた恩恵が「再生医療技術」だ。
 遺伝子レベルでの肉体の変化や、長寿、肉体強化といった、ホール2世界の特徴をアメリカの研究者が研究し、それを我々に適用している。たとえば、片腕を失えば義手を付けるしかなかったが、ホール2からもたらされた再生医療技術を利用することで、自分の腕を新しく生やす・・・・・・ことができる。しかも低コストで。
 アメリカ政府は、全世界から非難を浴びつつも、ホール2利権をほぼ独占している。国内では高く支持されているからだ。その支持母体は、軍人だ。元々、アメリカ政府は、洗浄で負傷した軍人を厚く保護してきた歴史がある。負傷した兵士を使い捨てにしてしまっては、後に続く者の士気に関わる。たとえ負傷しても、政府が面倒を見てくれると分かっているからこそ、兵士は国のためにがんばる。それは間違っていないし、そのお陰で義手や義足の技術が発展したのも事実だ。
 だからといって、全人類に恩恵を与えうる再生医療技術を独占していいということにはならない。アメリカ政府が大きな影響力を持つDIMO内部でも、問題になるくらいだ。そうした批判を躱すため、アメリカ政府は少しずつ情報開示を始めているが……。

「要するに、あなたは“ザ・ホール”利権に食い込みたいと?」
「おぉ、とても飲み込みが早い方だ。そう、利益の独占なんて酷いと思いませんか? 全世界で共有すべきでしょう?」
 全人類が異界の恩恵を共有できれば、それにこしたことはない。しかし、現実には難しい。異界からの恩恵を、平等・・に与えることは不可能だ。

「私はねぇ、何もアメリカや日本に取って代わろうというのではないのですよ。彼らが独占している利益の、ほんの少しを分けていただき、それを世界に分配したいのですよ」
 ワンが饒舌に語る。この男は、こうやって人を丸め込むのか。
 たいていの人は、正論を否定しにくい。否定できないこということは、全部ではないが相手の言い分を認めたことになってしまう。そして、いつの間にか相手に取り込まれてしまう。詐欺師の手口だ。

「それこそ、私には関係のない話ですね。あなたの国からアメリカ政府に働きかければよいことでしょう?」
 実際、DIMOに加盟していない(できない)国々は、“ザ・ホール”利権について猛抗議をし続けている。アジアでは、中国韓国がその代表だ。ロシアも北方領土返還をちらつかせて交渉しようとしているが、中国韓国は脅迫や嫌がらせで日本に譲歩を迫っている。
 おそらく、このワンという男の背後にもそこらへんが絡んでいるのだろう。しかし、私に何をさせようというのか? それがまだ読めない。

「国? いえ、私はビジネスのお話と申し上げたはずです。そんな大げさなことではないのですよ。簡単なことです」
「簡単なことなのに、拉致まで?」
「その点は、謝罪させていただきます。もっと穏便な手段を執ろうと思っていたのですが、なかなかその機会が見つけられなかったのです」
「ビジネスなら、引き際も肝心だと思いますが」
「私はまだまだ機会があると、考えているのですよ」
 男が手を振って指示すると、背後にいた男たちが動いて、私の手足を縛っていた結束バンドを切り離した。急に血流が戻って、手首がズキズキと痛む。武闘派主人公なら、ここで敵をばったばったとなぎ倒すのだろうが、あいにく私は肉体派ではない。だまって、ワンを睨み付けるくらいしかできない。

 以前、クレアにICチップの体内埋め込みを進められたことがある。DIMOの特別製で、いざとなればGPS発振機にもなるというものだったが、ホール1でも2でも異界では役に立たないと思い、その申し出は丁寧に断った。素直に従っていれば、と思ってももう遅い。

「あなたの考えているビジネスが、一体どのようなものかは分かりませんが、それは上手くいかないと思いますよ」
 私の言葉に、ワンはニヤリと笑う。
「それほど大それたことを考えている訳ではありません。なに、ほんの少しだけ我々にあなたの力を貸していただければそれでいいんですよ」
「そこが分からない。さっきから言っているように、私は一介の公務員でしかないのですよ?」
「あなたは本当に自己評価が低い人だ。やはり、日本の公務員は能力に見合った給与を得ていないようですな。いかがです? 我々であれば、あなたの貢献度に見合った報酬を用意することができますよ。なに、簡単なことです。情報一件に付き、重要度に応じてインセンティブをお支払いします。また、ホール2の再生医療に欠かせない血清なら十ccあたり二万ドル、ホール1の魔石であればどのような効果であっても、一個に付き五万ドルお支払いします。とりあえず、準備金として十万ドル差し上げましょう。もちろん現金キャッシュで」

 驚いた。
 他国の政府関係者を拉致誘拐しておいて、買収の申し出だと? こいつは気でも違っているのか? 私が唖然として黙っていると、ワンは勝手に勘違いをしたらしい。
「金額にご不満ですか? であれば、準備金は二十万ドルにしましょう。いかがです? 好条件だと思うのですがね」

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