異世界での喫茶店とハンター ≪ライト・ライフ・ライフィニー≫
ヴァルスシステム
第八十七話 ヴァルスシステム
雪先たちが元居た世界。
その世界で、雪先沙織の友である少女、ルトワ=エルナが命を落とした。
それは誰も予期しなかった運命による悲劇だった。
だが、何もルトワ=エルナだけが被害者ではなかった。
あの時、あの場所で命を落とした者は、もう一人いたのだ。
その者の名は―――――焔月火鷹。
彼もまた、その時命を落とした者の一人だったのだ。
本来、死んだ者が生き返ることはない。
それが世界の原則として等しき現実だ。
しかし、そんな中で彼は生き返った。
その命を救ったのは自身の相棒とも言える使い魔、フラルだった。
正確には彼の父が作り上げたとされるフラル、その個体に密かに組み込まれていた特別なシステムのおかげもあって彼は再び命を灯し、そして、新たな力を手にいれることが出来た。
そう、彼は命をもう一度取り戻したのだ。
たった一つの現実。
あの悲惨な出来事によって、命を落とした少女を残して……
魔法都市アルヴィアン・ウォーターに建造された、魔法使い達の本拠地とも呼べる城、ルーシュ宮殿。
数ある部屋が備えられた宮殿の一室に、椅子に座った一人の女性の姿があった。
肩にかかるほどの青髪を持ち、横壁にもたれ掛かるような姿勢で座る。彼女の名はアチル。かつて魔法都市アルヴィアン・ウォーターの中でもっとも優れた魔法使いと呼ばれていた者だった。
数週間前。
龍人とかした禁忌の魔法使いダーバスとの闘いの末、魔法を使えない体になるまでは………。
「………………」
あの激しい戦いの後、アルヴィアン・ウォーターに帰ってきた彼女の体は酷く憔悴していた。魔法使いが住む都市であったことも幸いして、数カ所に渡った傷はそう時間も掛からないうちに回復していった。
だが、そんな体の傷など些細なものに過ぎなかった。
何故なら、優秀な魔法使いたちがいくら集まろうと、魔法では治すことのできない大きく傷をアチルは自身の身の内に負っていたからだ。
そう、それは―――――心。
あれ一件以降、まるで壊れた人形のようにアチルの口の声を聞いた者はいない。
というのも彼女はあれから一度として言葉を発することはなく、その瞳はまるで命を失った物ように光を灯すことはなかった。
一室に置かれた椅子の上で、焦点の合わない瞳で正面を見続けるアチル。
そんな彼女を姿を開きかけた扉の隙間から、静かに見つめる一人の女性の姿があった。
魔法都市アルヴィアン・ウォーターで炎の魔法使いと呼ばれ、また『混ざり人』とも呼ばれる獣人、アチャルだ。
彼女は変わり果てた友の姿を見つめながら、強く歯を噛みしめていた。
あれからというもの、何度とアチルを知る者が声を掛けたかわからない。色々な事を魔法使いたちが調べ、彼女の笑顔を取り戻そうと皆必死に頑張ってきていた。
もちろん、アチャルもそうだ。
しかし、対するアチルはというと一度として反応することはなかった。
最初の頃は数多くの魔法使いたちがアチルの身を案じ、集まっていた。だが、時間が経つにつれその数は減少し、今では数人の者たちしか集まらなくなってしまった。
本当に今、彼女は生きているのか?
そんな言葉を呟いてしまう者達も出てくるようになっていた。
(……確かに、そうだ。あれでは、…死んでいるのと変わらないじゃないか…ッ!)
アチルのいた部屋から離れたアチャルは、胸の内に苛立ちを溜め込みながら宮殿の廊下を歩く。行き交う中で周囲の魔法使いたちが驚いた表情を見せていたが、それが自身の表情に対してなのか、それとも近寄りがたい雰囲気に対してなのかは定かではない。
だが、それでもアチャルの心には確かなる怒りによる苛立ちがあった。
一つは、自身の娘があんな変わり果てた姿をして帰ってきたにも関わらず、何も手を打とうとしなかった、この都市の女王レルティアに対して。
そして、もう一つ。
それは――――
「…っ、と」
目前の通り角に差し掛かった所で出くわした、この世界とは違う別の世界から来たとされる肩に子狐を乗せた少年、焔月火鷹と雪先沙織に対してだ。
「……………」
アチャルと火鷹。
共に一定の距離を取りながら視線を交わし、その場に重い沈黙が落ちる。
だが、先に目を反らした火鷹は小さく頭を下げるとそのままアチャルの横を通り過ぎ、その場から離れていく。
素っ気ない対応もそうだが、我が物のように宮殿の中を歩く。
その姿に、
「ッ!!」
アチャルの唇は、動いた。
「お前…たちは…」
「…あ?」
「……お前たちは、アレで本当にアチルを助けられたと思っているのか?」
「………」
その言葉に対し、進めようとしていた足を止める火鷹。
対するアチャルはそんな少年に振り返りながら、音の籠った声で言葉を続けていく。
「良い身分だな、お前たちは。アチルを助けたと評され、この都市で何もせずただ時間だけを過ごしている。その間にもアチルの心は一向に回復せず、今では何を考えているのかさえもわからない、それほどまでにアチルは壊れてしまった」
「…………………」
「お前たちにわかるか? 自分たちの大切な友人の変わり果てた姿をみて、何も出来ない者達の気持ちが! この苦しみが、悔しさが、お前たちにわかるかッ!!」
声を荒げ、荒い息に共に怒りを露わにするアチャル。
その瞳は険しく、一度牙を剥けばその者を殺してしまうかもしれない。
それほどに彼女の怒りには殺気が籠っていた。
だが、そんな彼女を前にしても、火鷹は一度たりとも怯えたりはせず、言い返すこともなく、じっと背を向け続けていた。
無反応のような少年の反応にアチャルは更に牙を剥こうとした。
だが、
「…………ッ」
数秒の沈黙の後で、アチャルはまるで疲れ切ったかのように頭を俯かせ、そして、大きく息を吐いた。
「……もういい、お前たちに何を言おうと、こっちが疲れるだけだ」
「…………………」
「お前たちはもう自分の仕事をやり終えたから…………だから、もう何もしない。そう言いたいのだろう?」
真意を尋ねるように、語るアチャル。
だが、以前と何も言おうとしない火鷹にアチャルは奥歯を強く噛み締めた。
「ッ!! なら、勝手にすればいい! お前はそうして私たちが苦しむ中で、気にせず過ごし」
アチャルはそう声を荒げながら、火鷹に背を向け、
「もう一人の女は部屋でオメオメと泣いていればいいんだからなッ!!」
もう一人の存在、雪先沙織に対しても侮辱めいた言葉を吐いた。
眉間に皺をよせながら、アチャルは見るに堪えない火鷹から離れるようにその場を後にしようとする。
しかし、その時だった。
「待てよ」
初めて。
離れようとするアチャルに火鷹は言葉をつく。
「……なん」
「言いたい放題言うのは勝手だけどなぁ……。勝手に溜め込んだもんを、こっちに振ってんじゃねえよ」
「ッ、貴様ッ…」
挑発めいた言葉に再び怒りを露にするアチャルは視線を火鷹へと振り向けた。
だが、その瞬間。
彼女は初めて少年の表情を、いや、その感情を目の当たりにする。
肩の上で唸り声を出すフラルを従え火鷹は、その顔に険しく眉間に皺を寄せ、更に言葉を続けた。
「そんなに不満があるってんなら俺が発散の相手になってやる。だから………さっさと表に出ろよ」
「……貴様ッ」
異なる魔法使いたちの戦い。
こうして二つの術士同士による死闘ともいえる戦いの一端。
そこへと繋がっていく―――――
アチャルの魔法、イフリートから力を得たかのように、より荒々しくなった炎のコートを翻す焔月火鷹は、小さく息を吐いたと同時に颯爽と地面を駆け出す。
迫る敵に対し、アチャルは再び背後に憑くイフリートに指示をとばし、その巨大な手の周囲に作られた炎の球体を弾丸のよう火鷹目掛けて放つ。
「フラル!」
相棒にそう一声を掛ける火鷹は向かってくる数個の炎弾を視界に捉えつつ、片手を大きく伸ばした。
すると、肩に乗るフラルの口から炎が吐かれると同時にその炎は彼の手に纏わく、まるで大きな鈎爪のようにその形状を変化させる。
「フッ!」
振り上げた炎の鈎爪は真横へと振り下ろし、迫る炎弾を切り裂く。
だが、全てを潰せたわけではない。
残りの炎弾は俊敏な動きで、回避し、着実にアチャルへと近づいていく。
(あれぐらいではダメかッ、なら――――ッ!!)
アチャルは両腕を大きく広げる。
それと同時にイフリートの背後に数多くの炎が生み出され、それは小さな球体になった瞬間、空から降り注ぐ槍の雨のように、マシンガンのごとく連続として炎弾は連射される。
「ちっ!」
火鷹は舌打ちを吐きながら、思考を巡らせる。
そして、攻撃は悪手と判断した火鷹は地面を蹴飛ばし、今度は打ち向かうのではなく、全神経を回避にへと集中させた。
その動きは俊敏かつ、どこか人間離れしたまるで獣のような動きで本来なら掠ってもおかしくない攻撃を全て避け、更にアチャルに迫る。
攻撃を防ぎ、更には回避するといった動きは、それら全てが並の魔法使いではない事を証明している。
だが、強敵とも呼べるその動きを前にする中、アチャルは不意に頭に浮かんだ疑問に強く眉を潜める。
(何だ…)
アチャルに対し、フラルによる炎のブレスが跳んでくる。
だが、背後に憑くイフリートによる振りかざした炎の手によって、その攻撃は難なく防がれ、飛び散った炎は地面を着火されていく。
(何なんだっ…この…)
炎の攻撃では倒せない。
今の攻撃でそれが分かっているにも関わらず、火鷹の肩に乗るフラルは以前と続けて炎を吐き続け、周囲は火の海になりつつあった。
動きは大した物だ。
しかし、攻撃といった手段はあまりにも未熟過ぎる。
これでは、ただ周囲に被害を広めているだけで、何も戦況は変わらない。
その現実を前にして、アチャルの疑問はより確実なものへと変わっていく。
(何なんだ、その…………………お前の弱さはッ!!)
魔法使いなら誰もが知る、禁忌の魔法使いダーバス。
そんな最大悪とも呼べる相手と渡り合えた、アチャルはそうレルティアに聞かされていた。
だが、その言葉が本当にそうなのか?
対峙する火鷹を見て、その疑問が何度と彼女の頭に過ぎる。
そして、同時に鬱陶しいまでに動き回る火鷹に対し、苛立ちがピークを越える。
「鬱陶しいッツ!!! かき消せ、イフリート!!」
「ッ!! フラル、最大火力だ!!」
アチャルの言葉によってイフリートのかざされた手のひらから放出された紅蓮の大炎弾。対するフラルの口から吹き出される広範囲の炎。
二つのブレスが激突する。
だが、その勝敗は既にわかりきっていた。
「っが!?」
イフリートの炎がフラルの攻撃を押し返し、小さな爆破と共に火鷹の体を後方へと吹き飛ばされた。
ドンッドン!! と地面を数回跳ねる形で転がり倒れる火鷹。
だが、その体には打撲といった傷はなく、どうやら炎のコートが大きなダメージを吸収しその身を守っているらしい。
荒い息を吐きながら大きく舌打ちを吐くアチャルは、更なる追撃へと移ろうと考えた。
圧倒的な攻撃で相手を潰す。
血走った瞳を見開き、再び立ち上がろうとする火鷹に迫ろうとした。
だが、その時だった。
(……いや、待て)
怒りに我を忘れかけていたアチャルがふと、頭に浮かんだ疑問に動きを止める。
(いくらなんでも……弱すぎる。例え、ダーバスと渡り合えた、といこと情報が嘘だったとしても、動きと攻撃があまりにも釣り合っていないのではないか?)
ダーバスとの話は嘘だった。
そう考え、いやそうだと判断していた。
だが、そうだったとしても余りにも弱すぎる。
まるでそれは弱みを見せて、隙を窺うような………
(まさか………何かを誘って、いや、何かを待って……)
と、そこまで考えた。
その時だった。
「どうした、さっさと掛かってこいよ」
「ッ」
その場所から立ち上がった火鷹が誘うような口ぶりで言葉をつく。
だが、警戒を強めたアチャルは正気を取り戻したように動きを止め、観察するかのように瞳を細めていた。
荒々しい攻撃から一転して、ただ攻撃するのではなく停止と同時に『冷静に相手を見極めようとする』その動きが彼女の本来持つスタイルなのだろう。
流石にそろそろ気づいたか…、と呟く火鷹は小さく息を吐き、
「やっと頭の血が退いたみたいだな」
「貴様、やはり…」
「ああ、お前が今思った通り、俺はお前の動きを誘っていた。だけど、何も罠を張っていたわけじゃない。それ以前に俺の魔法……いやコイツはそもそも戦いを目的として作られた使い魔じゃねぇからな」
「……どういう意味」
「ヴァルスシステム」
「?」
「それが俺の魔法だ。そして、俺の相棒、フラルにはその雛形でもあるシステムの一つ、人の命を生き返らせる、蘇生システムを受け継がれている」
レイズシステム。
それは、焔月火鷹の父が造り上げ、フラルに組み込んだとされる蘇生を目的としたシステムの名でもあった。そして、雛型とされ作られたそれは本来全てのヴァルスシステムに組み込まれるはずでもあった。
しかし、ある事件をきっかけにそれは未完のまま闇へと葬られ、そのシステムはフラルという一個体にしか存在しないものになってしまった。
だが、そのシステムのおかげもあり、焔月火鷹は一度の死から蘇ることが出来た……、
「だから、フラルは戦うために作られた存在じゃなく、人々を生かすために作られた、たった一つの存在なんだ」
「…………………」
戦うための使い魔ではない。
その事実が本当であれば、この戦いは本当の意味で茶番に思えてならない。
アチャルは声を荒げようと、口を開きかける。
だが、火鷹は語る。
「だけど、そのレイズシステムの副産物によって、俺のヴァルスシステムはもう一つの段階に進むことが出来る」
「!?」
その言葉が出た時、異変が起きた。
周囲に散らばっていたはずの炎が不可思議な動きを見せた。それは本来起きるはずのない、まるで一つ一つが意志を持つかのように、独自に炎は丸い球体へと形状を変化させていく。
「命を蘇生させるためには莫大なエネルギーが必要になる。そのシステムを補うために、フラルは無尽蔵に魔力を吸い取ることができる」
「…まさか。さっきのアレも」
「お前の炎を吸収したのもそれと同じ原理だ。…だけど、何も全ての魔法を吸収できるわけじゃない。……フラルが吸収できるのは、自分の炎で燃やした魔力のみ。今の段階じゃそれしかできない」
フラルはまるで大好物の餌を見つけたかのように大口を開く。
すると、周囲に出来上がっていた炎の球体はまるで吸い込まれるように次々とフラルの喉奥へと呑み込まれていく。
「だから、お前との戦いは。………時間稼ぎには十分な時間だった」
「ッツ!!」
火鷹の思惑にまんまと飲まされたアチャルは歯を噛みしめ、空いた拳を強く握り締める。
その間にもフラルは全ての炎を呑み込み、満足した表情を見せた。
火鷹は相棒の満腹を待っていたかのように、息を吸い込みながら、
「フラル」
「コンッ!!!」
フラルの鳴き声が放たれた。
次の瞬間だった。
火鷹の周囲に再び炎の柱が巻き上がる。
荒々しさとは一変して静寂な炎。
そして、その柱である炎が弾け飛んだそこには、
「さぁ、ここからが本番だ」
今まで羽織っていた形の炎のコートは更なる形状を固め、赤い生地の上きっちりとした装飾が施されていた。
そして、両腕にはまるで腕輪のように、赤い魔法陣が通る。
火鷹が語った『段階』その姿の名は―――――
「行くぞ。…………ヴァルスⅡ」
更なる姿を得て―――――
今、焔月火鷹の本領が発揮される。
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