ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

有色無明の迷炉

「こ、これってどういう事ですか?」
「見たまんまだ。この洞窟には法則性があり、只の道じゃない。そうだな……お前、パズルって知ってるか?」
「パズル?」
「娯楽の一種だ。この大陸には無いがな。そのうちの一つに、幾つかの欠片に分けられた一枚の絵を、ちゃんと絵が成立する様に組み立て直すものがあるんだが、この洞窟はそれと同じだな。迷路もパズルの一種とも言えるから、この洞窟は二つのパズルが混ざったものという事になる」
「……全く意味が分からないんですけど。殺人鬼さん」
「つまり、この洞窟。特定の道を特定の順番に進まなければ目的の場所には辿り着けないという事だ。きっとそこに到達すればこの異常な寒さの原因も分かるだろう……分かったら絶対にはぐれるな。はぐれたが最後、俺はお前を迎えに行けない」
 シルビアの表情が恐怖に固まる。寒さに強い少女と言えども、恐怖から続く形無き恐怖までは耐性が無い様だ。もっとも、同じ『寒さ』で括れる程単純ではないので、耐性が無いのは当たり前なのだが。その証拠に、『闇衲』の方はこちらに絶対的な耐性がある。
「まあ、この憎たらしい性質のお陰で今の所魔物も見えないし、お前は俺の隣に居る。俺が置き去りにするつもりで動かなきゃ、はぐれる事は無いだろう。良かったな」
「……あの。リア達は、どうなるんですか?」
「ん?」
「私達とは別の道に行ったじゃないですか。あの二人は……もう、迎えに行けないんですか?」
 『闇衲』の理屈で行くと、リア達は迎えに行けないという事になる。彼女の友達として、シルビアは自分の事よりもそれが気になった。勿論、彼女の父親として『闇衲』がリアを放っておくとは思えない。考えが浅いのかもと一瞬思ったが、それは本当に一瞬の事。考えるよりも先に尋ねていた。
「……ふむ。あの二人か。確かにアイツ等では、俺達と同じ場所には来れないだろうな」
「じゃ、じゃあどうするんですかッ?」
「落ち着け。これはパズルであって、洞窟だ。パズルの正解は一つだけだが、パズルの様に作られた洞窟ならそうはいかない」
「…………助かるって事ですか?」
「いいや。俺達とは違う正解に辿り着くのではと思っている。リアだけなら俺も不安だったが、あっちには赤ずきんが居る。安心しろ。アイツは俺が見込んだ商品だぞ」
 商品。その言葉自体は残酷なれど、『闇衲』の言葉からは慈愛の気持ちが漏れていた。彼は敢えて商品という言葉を用いている。それは彼女―――『赤ずきん』を己の物と認識する事で、娘であるリアや自分と同じくらい大切に扱おうとしているからだと、シルビアは考えている。恐らく本人に事の真偽を問い詰めた所で答えてはくれないだろうが、自分には分かっている。
 
 『闇衲』は約束に忠実で、面倒見が良い人間であると。

 客観的に見ても主観的に見ても、彼が善人であるとは思わないが、少なくともそれは事実であろう。
「さて、お前がこの洞窟の構造を理解してくれた所で、引き続き歩いていくぞ。どれくらい時間が掛かるか分からないからな。出来れば沢山歩いておきたい」
「やっぱり、総当たりなんですか?」
「いや、さっきも言ったが特定の道を特定の順番で進む事を以て正解になる。総当たりなんてしてみろ。それこそ一生出られなくなるぞ。安心しろ。その順番とやらは分かっている。お前は、只黙ってついて来ればいい」
 こちらの判断を聞くよりも早く、『闇衲』は再び歩き出した。言いたい事はあったが、置いて行かれたくはないので、シルビアは慌てて彼の後ろについていく。寒さで死にはしないが、こんな所で一人ぼっちは一番嫌だ。
 リア達の事はどうしても気になってしまうが、今は自分の事を優先しよう。考え事をしている内に目の前の彼を見失った日には……まず見つけ出せないのだから。
「ああそうそう」
 歩き出した矢先に、『闇衲』は立ち止まる。


「―――疲れたなら、おぶってやらなくもない」


「え?」
 それ以上何か言う事もこちらを気に掛けてくる素振りも無かったが、僅かな瞬間、垣間見えた気がした。殺人鬼という素性の衣の先。
 『闇衲』という人間が本来どういう人物だったのか。リアや自分達と出会う前の彼が。
「………………」
「………………」
 当面の行動は歩く以外に何も無いので、話に花が咲く事はない。沈黙は決して心地よいものではなかったが、それでもシルビアは歩き続けた。只、黙ってついていけばいい。それは何よりも、どんな高尚な言葉で飾るよりも、彼を信じている証明になる。『余計な事は言うな』という奴だ。
 ―――ん?
 この世界に来る前の記憶など無い筈だが、妙な感覚を得た。このやり取り、初めてには違いないのだが、何か……前にも一度、似た様なやり取りをした事がある? 確実に言えるのは、前の世界でも『闇衲』と面識がある訳ではない、という事。でも彼と似た様な人物と、同じようなやり取りをした覚えが……
 駄目だ。かなり漠然としている。やり取りをしたかもしれないという感覚はあっても、その具体的な内容、やり取りをした人物、元いた世界の状況。全てが曖昧というよりは不明。端からそんなものは無かったと言われた方が全然信じられるくらいだ。

 しかしそれはあり得ない。

 自分が『イチ番』と呼ばれていた以上、たとえ記憶がなくとも異世界から攫われてきた事実は疑いようがない。子供教会はそういう場所だと、記憶を奪い返したリアがそう言っているのだから、それを疑う訳にはいかない。 
 じゃあこれは、気のせい?
 そうとも思えない。気のせいがあり得る様な感覚ならば、今までに何度か得ている筈だ。当てにしすぎるのもどうかと思うが、全く当てにならないと言い切るのも、それはそれでおかしい。
「私の居た世界って、どんな所だと思いますか?」
「……急にどうした」
「いえ。ちょっと気がかりな事があって。聞きたいなあと思って」
「―――俺はこの世界の住人だ。他の世界と言われても、全く想像が付かない。だがそうだな。お前とリアが同じ世界に居たとは限らないが、お前達の様な馬鹿が生まれるくらいだ。さぞや平和で、何にも怯える必要のない世界だったんだろう。俺みたいな存在は御伽噺の中にしか存在しなかったのかもしれないな」
「…………殺人鬼さん。それは」
「それ以上は言うな。別に自虐しようってんじゃない。事実を言ったまでだ。俺みたいな存在に需要があるとすれば、それはこういう腐った世界―――世界としての秩序も無く、誰も彼もがスケールのデカい自分勝手をやる様な世界だけだ。平和な世界に殺人鬼の居場所はない。生まれる余地すら無い。分かるか?」
「いえ、全然」
 前の世界の事など覚えていないのだから、頷きようがない。とはいえ即答は予想外だったらしく、『闇衲』は鼻で己を嗤った。
「ふん。そうかい。じゃあそんなお前に、一つ頼みごとをしても良いか。俺と二人だけの約束だ。出来るか?」
「リアにも言えないんですか?」
「アイツに関わる事だ。それにこんな事言ったら、今のアイツは駄々を捏ねるだろうからな」
「……駄々、ですか」
 まるでそれが珍しい事の様に言っているが、こと父親との絡みに関してはとにかく甘えたがるリアは、それがたとえくだらない事だったとしても子供っぽく振舞う。駄々を捏ねない時なんて無いとうのだが。

「…………俺はリアの世界殺しに付き合うつもりではいる。だがもし、戻れる事が可能になったのなら、その時はシルビア。お前も一緒に、アイツの世界へ行ってやれ。アイツが、俺から離れたくないと言ったら―――強引に、連れていけ」








 







  


「ハックションッ!」
「くしゃみなんて珍しいですね。寒いんですか?」
「ううん。パパが服くれたから温かいけど……何か、あっちで噂されてる気がする」
「では狼さんですね。大方貴方の事を鬱陶しくて、シルビアの事を良い子だと褒めているのでしょう」
「私のが良い子だもん!」
「いや、張り合う必要は無いと思いますが。私達は自由奔放な悪い子でいましょう」
 などと談笑しながら一時間。何の進展もない。洞窟の違和感には二人共気付いていたが、その正体にはやはり二人共気付けず、彷徨い続けているのが現状である。
「ちょっと。アンタ何とか出来ないの? 試行回数がどうとか言ってたでしょ」
「盗み聞きなんて趣味が悪いですね。しかしそれについてはもう試しています。ですが不思議なんです」
「不思議ってどういう事よ」
「それを言う前に―――私の力について説明しましょう。私が狼さんに頼まれて行った調査には、ちょっとした力を使いました。その力というのは現在の私をこのままに、多数の私を分岐させて―――」
 まだ出だしにも拘らずリアが首を傾げたので、『赤ずきん』は一旦言葉を止めた。
「…………ここにリンゴがあります」
「ないじゃない」
「あるとします。これを食べるか否か。普通の人であればどちらかしか選択出来ません。しかし私の力は、両方を選択する事が出来るのです。食べた未来と食べなかった未来。選択しないまま選択する……それが私が使った力です」
 可能な限り分かりやすく説明したつもりだったが、リアは一割も理解出来ていない様だ。口を開けっ放しにして呆けている。馬鹿っぽい。口に石でも突っ込みたくなってくる。
「試行回数というのはその力を使った回数の事です。取り敢えず千回程やってみましたが、何処にも辿り着けない……これはおかしな事です。この洞窟が只の洞窟ではない事は分かっていましたが、まさか脱出不可能の迷宮だったとは」
「え……じゃあパパ達も迷ってるの?」
「どうでしょう。試行回数の中では会えませんでしたが。案外私達だけ迷っているのかもしれませんね」
「迷っているのかもしれませんね、じゃないわよ! じゃあ早く戻らないと!」
「まあ落ち着いて。道は覚えているんですか?」
「当然! この私を誰だと思ってるのッ?」
「クソガキ」
「そりゃ私の台詞だよ」
 実は来た道など一つか二つくらいしか覚えていないが、残りは勘で何とかしようなどとリアは考えていた。とはいえそれだけで不安は打ち消せるものではなく、自信満々に見えるその足取りは、その実、動揺に満ちていた。 
「リア。待ってください」
「ん、何よ。行っとくけど、引き留めたって私は行くから―――」
「違う」
「え?」
「道が、変わっています」
 言われてリアも道を細部まで見渡したが、違いが分からない。道が変わったって……どう考えてもこれは土である。自分を揶揄っているのかとも考えたが、こちらの様子や反応など文字通り眼中になかった。『赤ずきん』は壁や地面を触っている。
「何も変わってないじゃない」
「道の材質が変わった訳ではないですよ。変わったのは道の続き方です……まあそんな事だろうと思いましたが、やっぱり道順覚えてなかったんですね」
「ぎくッ!」
「……別に怒りませんよ。ただ、これで謎が解けましたね。道順がこうして変わるのなら、いつまで経っても出口に辿り着けないのは納得です」
「ど、どうするの?」
「簡単な話です。出口が無いなら作ればいい。小難しい仕掛けは狼さんの側が勝手に解いてくれるでしょう」
 『赤ずきん』は早々に思考を放棄した素振りを見せると、身を翻した。
「という訳で行きましょう。出口はすぐそこです」
「え、え、は? ちょ、ちょっと…………ぜんっぜん意味分からないんだけどおッ!」
 置き去りにされかけた事に気付いたリアは、慌てて彼女の背中を目指し、駆け出した。

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