ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

彼との約束

 最後の刻創咒天を使用し、一世一代の大勝負に出たリア。その一方でミコトは、『闇衲』と熾天使コウを相手に、余裕を持ちながら戦っていた。それもその筈、彼の全力を保管しているのは自分であり、如何に洗脳されていたとしても、彼が使えるのは全力を奪われた状態での上限のみ。自分が負ける道理は無かったが、裏を返せば確実に勝利出来るのは自分のみ。なので彼との戦いは自分が引き受けなければならないが、熾天使の能力が微妙に面倒(自分には効かないが、リアに使われた場合が困る)なので、彼女の相手はこの場に居ない事になっているもう一人に頼む事にした。

―――頼んだわよ、『暗誘』。

 戦っているのは自分だが、彼には何としてでも能力の発動を止めてもらわなければならない。『闇衲』の手を取り、一度力の方向に流してから、即座に腕を捻って反対側へ。勢いのついた物体の軸を崩せば、物体が鈍重であればそれ程容易く崩れるが、『闇衲』は片腕で受けを取り、掌底で跳躍。ミコトが掴んでいるにも拘らず最下層の天井まで跳ぶと、天井を足場に今度は床目掛けて跳躍し、ミコトを地面に叩き付ける。

 リアは知らないだろうが、彼が本気で殺そうと思ったらこれくらいの事はしてくる。正面戦闘が苦手だとか何とか言っていたみたいだが、その話は大嘘だ。むしろ彼は、正面戦闘こそ真に得意としている……厳密には、得意としていた分野である。

 彼の腹を蹴ってこちらの頭上側に吹き飛ばし距離をとってから、懐に隠していた蛇腹剣を解放。不規則な軌道が彼の身体に回避を許さず、正に体勢を立て直さんとしていた片足に絡みついた。引っ張り上げて片足を掬わんとするが、どれだけ力を込めても、まるで地面に突き刺さった杭をそのまま動かそうとしているみたいに動かなかった。蛇腹剣の絡みついた彼の足元には無数の罅が入っている。馬鹿力がどうして馬鹿力と呼ばれているかなんて決まっている。馬鹿みたいな対処法を力だけで成し得てしまうから馬鹿力なのだ。確かに自分の用いている武器は特別性で、通常の手段では傷一つ付けられない代物だ。拘束を断ち切ってしまえばいいという発想は通用しないので、『闇衲』の行った対処法はある意味正しい。しかし彼以外に出来るかと言われると首を傾げるので、賢いやり方とは言えない。

 そう言えば『闇衲』はこんな奴だったと、ミコトは自身の認識を改め直す。あちらの取り柄は何と言っても凄まじい膂力だ。普通の考えで動いてはいけない。ミコトは蛇腹剣の柄から手を離して持ち手を調節。刃の取り付けられた部分を握りしめて、背後から不意を打たんとしていたコウを見もせずに柄で殴りつける。しなやかな一撃に吹き飛ばされたコウは彼と同じく直ぐに体勢を立て直すも、思う様に体が動かないらしく、そのまま地面にひれ伏した。三半規管を狙って攻撃したので当然だ。暫くは平衡感覚が狂って動けないだろう。

 ミコトはこの場に居る全員に『暗示』を掛けている彼に視線を向けた。彼は今、己の能力を活用し、およそ全ての認識から存在を消している。彼だけがここに干渉しながら、誰にも干渉されないでいる。『神すら欺く瞳』の所有者は伊達ではない、という事だ。

 拘束の緩まった内に、『闇衲』が肉迫。腰に納められた片刃の剣を抜刀し、ミコトの胴体を両断せんと切り払った。只後ろに下がるだけでも良かったが、幾ら手加減しているとはいえ相手が相手だ。下手に押し込まれるとこちらも重傷を負う可能性があるので、攻撃に転じる事の出来る行動をした方が良いだろう。蛇腹剣を離すと膝蹴りで刃を受け止め、彼の身体が硬直したと同時に額を押して、彼の顎を僅かに上向きに。すかさずもう片方の足を上げて股間を蹴っ飛ばした。

「―――ッ!」

 男という生き物にはこうも情けない弱点があるから、倒しやすい。あちらもその事を承知しているだろうから、普通に狙えばまず当たらなかった。命中したのは、ミコトが彼の視線を上向きにする事で、結果的に下の死角を大きくしたからだ。洗脳状態という事もあり油断は出来ないが、これは彼が洗脳状態だからこそ出来る事である。

「いい加減、目を覚ましたらどう? アンタを助ける為に、アンタの娘が命張ってんのよ」

 その場に蹲る『闇衲』の襟首を掴み、強引に身体を起こす。互いの視界に互いが映るや『闇衲』の拳がミコトの頬にめり込むが、彼女は全く痛がった素振りも見せず、確かな間をおいてお返しの一撃。『闇衲』の身体が三回転して、地面に転がった。

―――弱い。

 油断や慢心をするつもりは更々無いが、それでも圧倒的に弱い。奴隷王は何を思って彼を洗脳状態にしたのか分からないが、戦力として使いたかったのなら、彼を洗脳するべきでは無かった。

 洗脳というものは、その人間の意識を無視する事で、潜在能力を限界まで引き出せる便利な手法だ。そこに欠点など無い様に思えるが、実はメリットと思われていた意識の無視こそ、洗脳の何よりのデメリット。

 例えばその意識が実力の大部分を負担していたのなら……意識の無視は実力の低下に繋がる。最初から低下している状態で潜在能力が出たとしても、微妙に本来を上回っているかどうか。また、その潜在能力をどう使うかはやはり意識の無視によって考慮されていないので、引き出せている筈の潜在能力すら低下している可能性が高い。総合的に見ると以前より弱くなっている場合が殆どだ。前述してはいるが、これは意識が実力の大部分を負担していたらという前提の話だ。そうでないのなら単に覚醒しているだけなので強いに決まっている。そしてそこに当てはまるのは大多数の魔物なので、もしもマグナスが人間を魔物と同程度であるとみなしていたのなら、こんな愚かな事をしてしまうのも無理からぬ事である。

「こんな下らない洗脳をわざと受けた理由は何? アンタ、あの子から逃げようとしてるの?」

 『闇衲』はその豊富な知識によって実力を補っていた。それを無理やり狂わせて化け物にしてしまったのは馬鹿である。もしも彼の意識が少しでも残っていたのなら、今頃はミコトも腕の一本は使えなくなっていただろうに。

 立ち上がりつつ彼がこちらに駆けてきた。刀は邪魔にでもなったのか置いているが、利口な判断かは一概には言えないが、初速から最高速に達していた彼の動きを捉えられる人間は限られているので、やる事は変わらない。突っ込んでくる彼に対して拳を合わせる―――その刹那。

 彼の動きが僅かに変わった。反射的に拳を突き出すが、彼はその拳を脇を空ける事で流し、至近距離での掌底をミコトの胸に打ち込んだ。

「ぐ…………ッ」

 体内で魔力を循環させて衝撃を分散させなければ、上半身を吹き飛ばされていたに違いない。彼の腕を抑えようとしたが、それよりも早くミコトの顔面に何発もの殴打が加えられ、彼女の身体を吹き飛ばす。

「…………そう。それでこそ、私の知るアンタ。女性だろうが男性だろうが、一切の容赦なく殺しに掛かってくるのが、アンタ」

 右眼窩を完全に砕かれたが、腕も足もまだ動く。彼の幼馴染として、彼を愛している者として、少なくとも正気には戻してやらなければならない。今の動き……間違いなく、洗脳が薄くなっている証拠だ。あんなフェイントを掛けられたのは、彼が自分の攻撃の癖を知っているから。長い付き合いなのだ、むしろ知ってくれていないとそれはそれで殺したくなる程腹が立つ。ミコトが立ち上がった。

「『暗誘』。既に欺かれている男を、もう一度欺くわよ。手伝って」

 自分を除き、この場に居る誰にも認識されていない男は、声を出さずして頷いた。


 では、現在の戦況を整理しよう。


 三半規管をやられたコウは未だに地面で伏したままだが、そろそろ立ち上がってもおかしくはない。彼女の能力は『暗誘』によって完全に無力化されているから、むしろ立ち上がるまでは無害な障害物だ。

 自分の煽りのお陰か否か、『闇衲』の洗脳は微妙に解けている。お蔭で実力が急増し、ミコトも初めて手傷を負う事となったが、解けていくにつれてこの傾向は強くなり、最悪は自分を殺すだろう。安全に彼の洗脳を解くには、連れの助力を受けるしかない。

「合図は出さない。タイミングはアンタが見極めて」

 冷たい言い方だが、彼が本来の実力に戻るのならそんな暇がある筈ない。魔術によって蛇腹剣を手元に引き寄せ、ミコトは精神を研ぎ澄ませる。舐め腐っていたのは悪かった。どうも好きな人が相手となると手を抜いてしまう傾向があるらしい。徐にミコトが手を動かすと、彼女の手元で垂れていた蛇腹剣が一瞬にして『闇衲』の首へ。



「―――行くわよフォビア。お互い久々じゃない? 本気で殺し合う―――ってのは」



 抵抗の間もなく『闇衲』は引っ張られた。蛇腹剣から首を素早く離すも体は伏したままのコウと激突。筋肉の塊みたいな彼に圧し潰されコウは遂にピクリとも動かなくなった。彼を緩衝材として使った『闇衲』に目立った手傷は無い。彼は直ぐに立ち上がり、何と動かなくなったコウを片手で軽々と持ち上げた。刀では埒が明かないと理解しての事か。ならば熾天使の不幸と来たら計り知れないものがある。

 瞬間、彼が踏み込み、コウを横にして投げつけた。視界が彼女の背中によって大きく遮られる前にミコトは剣で叩き落とし、向こうに居る筈の彼を見据えようとしたが、その時には『闇衲』は既に跳び蹴りの最中であり、こちらにしてみれば二重に視界を遮られた様なものだ。せっかく落としたのに、これでは彼自身の身体で視界を突然覆われてしまうので、こちらの一手は完全に無駄なものとなった。鎖骨付近に蹴りを叩き込まれ、ミコトが大きく仰け反る。反動で『闇衲』もその場で宙返り、地面に落下した。

―――数秒の空白。

 先に復活したのはミコトだった。仰け反っただけなのと尻餅をついたのとでは、どちらが先に動けるか。語るまでもない―――



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