ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

それでも私はパパが好き



 この戦い、邪魔な要素が多いだけで、その実態は至って単純なものだ。これは王と娘による男の争奪戦。互いに彼を自分の物にする為に、どっちが彼の隣に相応しいかを競う戦いだった。

 奴隷王だとか、戦争だとか、そんな事はどうでもいい。たとえ実力の差が開いていようとも、リアは白黒つけなければならない。わざわざこんな時機を用意してくれたミコトには感謝しなければならない。自分では彼に勝つ事は敵わなずとも、この女子力の欠片もない女性には敵う敵わない以前に勝たなければならない。

 今まで彼の下で教育された娘として。殺人鬼としての矜持を以って。

 マグナスは暫く玉座にめり込んでいたが、リアの決意を聞き、自らの顔を引っ張り出す。ミコトの言った通り、確かに死んではいない。ただし鼻がへし折れており、鼻血は止まるところを知らない。

「コウ。お前はフォビアのところにまわれ。あの女只者じゃねえ。是非俺のコレクションに加えたい」

「仰せのままに」

「無理な話ね。あんた達を相手にするには、小指一本すらもったいない。それでも良いっていうなら相手してあげるわ」

 あちらでは既に戦闘が始まっており、リアでは捉えようもない領域で殺し合いが行われている。しかしミコトにはまだ余裕があるらしく、『闇衲』の攻撃を往なしながら、コウの方をきちんと向いて喋っていた。彼女の馬鹿力も大概だが、彼の本気をどうしてああも簡単に受流せるのか、自分には不思議でたまらなかった。彼女の威圧も大した効果はなく、コウは彼女と『闇衲』の殺し合いに介入していった。


「―――さて、俺達も始めるか。どうやらクソガキは、決着がお望みらしい」


 マグナスは玉座から重い腰を持ち上げて、リアの前に立ちはだかる。身長差は自分がもう一人居なければ埋まらない程度にあるが、だからと言ってその気迫に負けるつもりは全くない。彼女と違って、自分には彼と培ってきた時間がある。

 あちらに得物は無い。大してこちらは持っている。幾度となく血を吸ってきた何の変哲もないナイフ。されどここには『闇衲』との縁が詰まっており、リアにとっては彼本人の次くらいに大事な代物だ。このナイフを使って勝利する事で、リアは初めて『闇衲』を取り返せる。目の前に立ちはだかる女の心臓を一刺しでは済まさない。顔を、手を、足を、子宮を。女性としての尊厳も、人としての尊厳すらも踏み躙らなければ気が済まない。

「アンタ、私のパパに何すんのよ。色目使っちゃって、覚悟は出来てんの?」

「それはこっちの台詞だ、クソガキ。アイツがどこぞの女とパコって出来たガキかと思いきや、只の孤児だとはな。だとするなら俺が先に唾つけてた男だ。勝手に分捕るんじゃねえ」

「勝手にって。私はパパの娘だから、パパが欲しいのは当然じゃない。それにパパは巨乳好きなの。アンタみたいな筋骨隆々の男女みたいな気持ち悪い奴なんて好みじゃないの、分かる?」

「関係ねえ。アイツは俺のモンだ」

 最初から分かっていたとはいえ、お互いに欲しいモノが一致していると、やはりというべきか取り合いが生まれる。代替品があれば妥協も出来るが、今回はそれも出来ない。

 先手を取ったのはリアだった。刻創咒天を発動して、人知の及ばぬ範囲にまで自身に流れる時間を加速。肉体に掛かる負担は停止すれば一時的にゼロにはなるものの、この戦いが長期戦になると読んだリアは敢えて最初の使用ではそれをしなかった。反応の遅れている奴隷王の背中に回り込むと同時に蹴りを叩き込み、吹き飛んだ所で更に前面へ回り込むとその首にナイフを突き立てて力の限り跳躍。岩石の様に重たい身体は極限の加速で以てしても中程度にしか持ち上がらなかったが、リアはその状態から空中で体を一回転し、彼女の頭頂部に踵落としを叩き付ける。

「ぐッ…………!」

 時間の加速から二次的に発生する身体能力の向上を利用した強引な攻撃方法だった為、まともに受け身も取れず、リアは地面に叩き付けられる。一方の奴隷王も顔面を地面に叩き付けられているので、容易に立ち上がる事は出来ない……と思われていたのだが、

「痛えじゃねえか…………」

 あっさりと立ち上がってしまった。頭を確かに割った筈なのだが、現に流血しているのだが、奴隷王は気にも留めていない。

「う、嘘…………」

 あれだけの連撃を叩き込んで骨の一つも折れていないなんて。首筋に突き立てられた事で生まれた傷も、痕のみを残して塞がっていた。シュタイン・クロイツもそうだが、どいつもこいつも並外れた耐久力を持っているから困る。彼にはちゃんと仕掛けがあったが、この女は見る限り根性で立ち上がっている。流石にあれだけ身体が鍛えられていると、自分如きの攻撃では傷すら入らないらしい。頭が割れているのは、あの踵落としが結果的に彼女の自重とやけに表面の柔らかい地面による衝突に繋がったからだろう。

 ……柔らかい?

 そういう事だったか。最下層を上がった時からやけに地面が柔らかい気がしていたが、どうやらこれによって幾らか衝撃を緩和する事で被害を減少させているらしい。頭を地面に叩き付けたにも拘らず、彼女がピンピンしているのは、きっとそういう理由がある。シュタイン・クロイツは己自身に仕掛けを施していたが、マグナスは己の城自身に仕掛けを施している。

 立ち上がりたいが、碌に受け身も取らなかったせいで鋭敏になった痛覚がリアの身体を縫い留めている。動けるようになるには暫くの時間が必要だ。

「じゃあ今度は―――こっちから行くぜ!」

 マグナスが足を振り上げた瞬間、刻創咒天によって体内の経過時間を加速させたリアは恋敵の足元に突進。片足立ちになっていたマグナスは体勢を崩し、前につんのめる。元々こうして虚を突くのが本来の使い方だ。腕に刻まれた魔法陣が無くなるまでは使える、というタネが割れていないのは幸いだった。

「シルビア!」

「え―――うっそお!」

 打ち合わせなどする間もなかったので、こればかりは彼女の対応力に任せるしかない。掛け声から間もなく聞こえてきた音は、骨と骨が強烈にぶつかり合う硬質な音。

「ガォアッ!」

 どうして良いか分からなかったシルビアは回避する事も出来なかったが、それが功を奏した。マグナスの鼻先に彼女の頭がぶつかり、この時点でマグナスは勢いづいた自身の体重分の威力で鼻を殴られた事になる。シルビアの方も無傷とまではいかなかったが、直ぐに離れられるくらいには軽傷だった。

 さて、鼻頭を抑えてぴくぴく痙攣しているマグナスを放置していてもいいのだが、わざわざ敵の休憩を赦す程、今のリアは甘くない。直ぐに駆け出して、脇腹を思い切り蹴り上げる。マグナスの身体が反転した。さあ、後は心臓にナイフを突き立てるだけである!

 そう考えて一歩踏み出した所で、リアは逡巡した。様子がおかしい。ちっとも息が上がっていないのだ。いや、それ程動いた訳でもないが、痛みを忘れる為に落ち着こうと思えば、それなりに呼吸の回数が増える筈。

 何なら奴隷王は、一度たりとも明確な呼吸をしていなかった。

「……アンタ、まさか」

 その予想は、果たして的中していた。瞬間、リアの首を鋼鉄の塊が縛り付け、未成熟な彼女の身体を軽々と持ち上げる。

 否、それはマグナスだった。鋼鉄の塊は彼女の両腕。リアはものの見事に背後を取られ、羽交い絞めにされていた。

「俺がてめえ如きの攻撃で倒れると思ったか? 残念だったなあ。このまま死ねや―――!」

 足をバタバタと振って抵抗を試みるも、これ程の剛力に抗う術はない。『闇衲』の様な馬鹿力か、理合に基づいた力でもない限り、力を緩めさせる事も敵わない。未成熟な自分の首なぞ、後数秒もあれば完膚なきまでに粉砕されるだろう。刻創咒天でこれまた限界まで時間を引き延ばすが、それでも後数分と言った所。それまでに、どうするか。

 一般的なのは背後にあるであろう相手の顔面に頭突きを叩き込む事だが、これだけ太い腕に絞められると首が完全に固定されてしまうので、下手に動かすだけ首が折れる時間を縮めるだけである。


 段々と意識が薄れていく。視界は徐々に閉塞し、呼吸が細くなった。


 それに伴い末端が徐々に麻痺していく。操作出来る力は徐々に弱くなり、やがて指が動かなくなった。シルビアが何とか助け出そうとマグナスの身体を蹴ったり叩いたりしているが、まるで効いている様子が無い。


 いよいよ意識が完全に断たれる寸前、背後のマグナスが不意に喘ぎ、リアを解放した。


「てめえ!」

「ぎゃッ!」

 何が起きたかも分からない。距離を取ると同時に振り返ると、右目を抑えたマグナスが、苛立った様子で壁に力なく垂れるシルビアを睨みつけていた。瞳を抑える手からは流血しており、程なく彼女が自分の救出に際して行った事を知った。

「役立たずだと思ってりゃいい気になりやがって…………まずはてめえから殺す。何から何までぶっ壊してやるよ!」

 マグナスは痛みから動けなくなっているシルビアまで接近。抵抗のない身体を地面に倒し、徐に少女の服を引き裂いた。

「……世の中を教えてやるよクソガキ。俺みたいに女を犯す女もいるって事をなあ!」

 羞恥から意識が覚醒。シルビアの双眸から涙が零れると共にその頬が紅潮するも、マグナスはお構いなしに彼女の身体を愛撫する。助けに言ってやりたいが、辛苦の残滓がリアの首に絡みついて離さない。どれだけ心が救援に向かっても、その肉体は、只、目の前で嘔吐と呼吸の再調整をするしかなかった。

「い、いや……やめ……ひぐッ!」

「おいおい、生娘にしたって感度の良いガキだなあ。嫌いじゃないぜ、そういうの」

 手で手を遮るだけの抵抗も意味は無い。早い所立ち上がらなければ、彼女の強姦される様を眺める事になってしまう。

 刻創咒天は先程から使っている。使っているが、全然治らないのだ。


―――ならば方法は一つだ。


 幸い、手は動く。得物はナイフ一本。外せば手段はない。ミコトも先程は余裕があるとは言ったが、コウと『闇衲』二人を相手に、こちらへ気を回す余裕はないだろう。やるしかない。分が悪かろうと、シルビアを助ける為にはこの手段しかない。

 乾坤一擲。

「それ以上……ざわ゛る゛な゛ぁ゛!」

 リアの投擲したナイフは螺旋を描きながら手を離れ、見事マグナスに命中した。しかし当たりどころが悪く、そこは彼女の腕だった。これでは一瞬愛撫の手が止まるだけで、何の効果もない。それだけならば確かにその通りだった。リアの行動に変化を示したのはシルビアだった。彼女はマグナスの腕にナイフが刺さったのを認識すると、すかさずそのナイフを引き抜いて、マグナスの喉元に力強く突き刺した。

 驚いたのはマグナスだ。喉を塞がれた彼女は声を出す事もなく横に倒れて、自分の身体からゆっくりナイフを引き抜く。その間に、リアは素早くシルビアを救出した。

「大丈夫ッ?」

「う、う゛ん…………!」

 涙声でそう言われても、説得力はない。強姦されかけた上に、そもそもあの剛力で蹴飛ばされているのだ。シルビアには辛い一撃だったろう。彼女を壁の隅まで運ぶと、リアは振り返りもせず言った。

「ありがと。私はもう大丈夫だから……休んでて? 大丈夫、もう不覚は取らないから」

 そろそろナイフを抜き終わった頃だろう。リアが振り返ると、そこにはもう既に傷の完治した様子のマグナスが立っていた。

「随分早いのね」

「はッ! これくらい出来なきゃ奴隷王は務まらねえのさ。俺はフォビアに相応しいメスになる為に鍛えてきた。ナイフが首に刺さった程度じゃあ……死なねえよ」

 流石にあれだけの近距離で刺されて根性で生き延びられるとは思わない。あの男と同じ様に、何かカラクリがありそうだ。無かったとしても…………その時はその時。根比べで勝利するまでだ。


 


 

 あれだけ刻んでいたのにも拘らず、既に準備されていた刻創咒天は残り五つ。出し惜しみは無しだ。全力で行く。

―――刻創咒天。     

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