ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

対奴隷王攻略戦   scene1

 地図によると、従来の入り口からは少し離れた位置にあるらしい。シルビアの描画能力に問題さえなければ、隠されたもう一つの入り口とは正しく…………

「ここね」

 目の前の壁が壊れていた。瓦礫がこちら側に転がっているので、内側から圧力がかかった事で壊れた様だ。今までもこんな状態だったならば、誰よりも先にリアないしは『赤ずきん』辺りが気付いているだろうから、誰かがこの道を開いたのだと思われる。

 そしてその誰かは…………

 いや、信じよう。大丈夫だ、彼女の身体は人形だ。ちゃんとした処置さえすれば本来死亡する筈の傷であろうと復活出来る。他でもない自分がその光景を目の前で見たではないか。リアは誰かが理由もなく居なくなっていないかを確認。それからゆっくりと、虚空と共に自分達を出迎える階段を下りていく。

 地下に降りたリア達を待ち受けていたのは、車輪付きの台に乗せられた女性の死体だった。シルビアが声を上げそうになったが、イヴェノがすかさず遮り、事なきを得る。一体いつになったら彼女は死体に慣れるのだろうか。幾ら彼女の方から人を殺す事は無いと言ったって、彼とずっと一緒に居ただろうに。

 そんな事を考えながら、リアは台を蹴っ飛ばして、部屋に足を踏み入れる。そこには老若男女様々の皮が天井に吊るされており、骨の抜かれた―――生気処か碌に原型も保っていない瞳が、悲しそうな瞳でこちらを見つめている様に見えた。正確には瞳というより、眼窩に沿って張り巡らされた皮膚がしぼんでいるだけで、瞳に見えるそれは只の穴に過ぎない。ざっと吊るされた皮を見てみるが、そこにゼペットの姿は無かった。

 いや、どれがゼペットなのかは正直分かっていない。そもそもリアが出会った時点から、彼は彼自身が授かった体を放棄している。知らないモノを見分けろなんて無理な話だが、あの見知らぬ狼……恐らく、ゼペットのペットだろうか……が腕を持って来た時点で、彼が生きているにしても死んでいるにしても、片腕が無くなっている筈なのだ。だが、吊るされている皮の中に片腕の欠損した身体は無い。男性型にも女性型にも無かった。

「凄い部屋だなー」

 この悍ましい部屋を、イヴェノは大層感心した様子で見て回っている。『闇衲』の知り合いには変な奴しか居ないらしい。今は頼もしい限りだが、こんな部屋を感心しながら、心なしか嬉しそうに見て回る人間とは友達になりたくない。

「あの、イヴェノさん」

「んー分かってるよ。今行くから……行く、行く」

 このメンバーの唯一の良心であるシルビアが声を掛けるも、返されるのは生返事の一つだけ。置いていきたい衝動に駆られたが、彼の所有する爆弾は何かと有用なので、そんな事をするだけ自らの首を絞めるだけである。



「待っていたぜ? 俺の大好きな幼女達」



 地下に響く男の声。全員が身構えるよりも早く、その男は姿を現して、手を挙げた。

 その―――直後。

 足元に張り巡らされていた糸が収束。その過程で固まっていたリア、フェリス、シルビアの三人を拘束し、三人が抵抗するよりも早く、その身体が柱に縛り付けられた。

「きゃッ!」

「……ッ!」

「ちッ!」

 成程、一種のミスディレクションか。天井に吊るされた皮で注意を引かせる事で、足元に張り巡らせた極小サイズの糸に気付かせず、範囲内に入った所を拘束。肌に食い込むこの感触は、恐らく鋼鉄製である事を示している。彼の様な馬鹿力でもない限り、強引に抜け出そうとする事は得策ではないだろう。

「……ハニーが居ないな? 別働って所か? まあいい。ここに入り込んだ時点で、お前達に命は無い。今すぐマグナス様の下へお連れしてもいいのだが……取引しないか?」

「応じるわきゃないでしょ。頭腐ってんの?」

「おっと口が悪いなあ。そういう事を言ってしまうと、まずはお前から四肢を切断してしまうぞ? 生意気な娘を極上の苦痛で虐める……その時の情けない顔ったら俺の情欲を何とも掻き立て……ん?」

 そこで男はリアの首に提げられている物に気が付いた。殆ど同時にシルビアも「あッ」と声を上げたが、身体を縛り付けられている彼女達に、抵抗の手段はない。男の下卑た笑みが、一層深くなる。

「人の物を盗っておきながら勝手に身に着けるとは感心しないな。これは俺が貰っておくぞ」

「誰がアンタ何かに渡すもんですか!」

「取引、だとさっき言った筈だが。その首飾りを渡してくれたら、俺はお前達を見逃がそう。俺の性奴隷としてなら庇護もしよう。どうだ?」

 誰がそんな取引に応じると言うのか。少なくとも女性として最低限の尊厳を持っている存在ならば、肯定する筈もない馬鹿らしい取引だ。まるでこちらに得がある様な言い回しだが、実際に得をしているのは目の前の腐り切ったお目目を放置し続けた事で腐食が脳にまで進み、遂には思考まで腐り切って物事の損得すら碌に考えられなくなってしまった可哀想な頭の男だけだ。

 男が近づき、リアの顎に手を触れた瞬間、後頭部に激痛が走る事もおかまいなしに柱へ頭を叩き付けてから、最大威力の頭突きを男に叩き込もうとした―――が。

「おいおい。この身長差でそれは無理だぜ?」

 男の身長はリア一人と半分程度。柱に身体を縛り付けられた状態では、頭突きが当たる道理はない。リアはらしくもなく感情を剥き出しに、歯を食いしばって男を睨む。その表情を、男は愉しそうに眺めていた。

「その表情……たまんねえなあ。俺を殺したいだろう? 俺を刻みたいだろう? でも無理だ。お嬢ちゃんには精々、俺のをしゃぶる事くらいしか出来ねえんだよ!」

「果たしてそうか?」

「あ?」

 男が振り返った瞬間、その身体は神速の一撃によって吹き飛ばされ、端の壁に蜘蛛の巣状の罅を作り、崩れ落ちる。男の背後に立っていたのは、先程は生返事しか返してくれなかったイヴェノだった。

 言いたい事はあるが、まずは解放を求める。じっと動かないでいると、男の制御下を離れた糸が緩み、自ずと解放された。

「おう。しっかし、良く惹き付けてくれた。俺だけだと不意を突ける気がしなかったから困ってたんだよー」

「おうじゃないわよ! 私が途中で気付いたから良かったものを、最後まで気付かなかったらどうするつもりだったの?」

「まあ、最悪自爆するし。お前達は何も心配しなくたっていいぞ」

 イヴェノは無様に吹き飛んだ男を見遣る。既に体勢が整っているので、大した傷は負わなかった様だ。ただし、逆鱗に触れてしまったらしい。立ち上がった男は、持ちうる感情の全てを彼に向けていた。

「……しょうがないなー。お前等は先に行けよ。この不潔な男は俺がきっちり倒してやるからさ」

「勝てる見込みはあるの?」

「無い」

 あっさりとそう言い放つ情けない存在に、リアは思わず目を丸くする。聞き間違いかと思って、もう一度尋ねる。

「勝つ見込みは?」

「無い」


 ………… 


「え、嘘?」

「嘘じゃない。今のは不意打ち出来たから勝ったんだ。命の奪い合いって話になると勝てそうもねえ。だが……一つだけ約束してやろう。俺がここで死ぬも死なぬも、お前達の下には行かせない。それだけは約束するぞ」

 何も心配しなくたっていいとイヴェノは言ったが、心配しなくていいと思う方が無理だ。ここまで自信なさげな大人をリアは初めて見た。ここは嘘でも『勝つ』くらいは言うモノだと思っていた。

「ほら、早く行けよ。敵はいつまでも待っちゃくれないぜ?」

「……でも」

「行けよ、良いから早く!」

 初めてイヴェノが声を上げたかと思うや、彼は全身の爆弾を取り外し、無造作に上空へ放り投げた、その総数、優に三〇を超えている。いつ火をつけたのか、いずれも導火線が煌いており、後数秒もすれば、この周辺は大爆発を起こすだろう。

「な、何してんのお!?」

「死にたくなかったら走れ! フェリスの事、宜しくな!」

「師匠! 絶対に死なないでくださいね!」

「あははは! この小娘は俺が死ぬと申しやがりますか。しかし安心なされ。この私、イヴェノがしぬなんて事は―――」

 声が途切れる。代わりに音を紡いだのは耳を劈く爆発音。階段の入り口が崩れたのはそれとほぼ同時刻。三人が階段の中腹まで上った瞬間の事だった。ここまで派手な爆発で崩れては、確かにあの男は自分達を追跡出来ない。

―――しかし。

 印象が崩壊する事も厭わずに露骨な強がりを見せた彼の事が心配でならない。それと、この爆発音で敵が寄って来ないかどうかも心配だ。前者はこの戦いが終わらなければ確認のしようがないが、後者は階段を上り切った瞬間に判明した。

「有難迷惑ってこの事ね…………」

 リアはナイフを逆手に持って、目の前の集団に対し交戦の意志を見せつけた。

「ダークフォビア  ~世界終焉奇譚」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く