ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

親子喧嘩



 フェリスとイヴェノは、先に戻ってきていた。二人が何をしていたかは知らない。特に目立つような変化は見られないので、何かを持って来たと言われてもそれは埃だらけの部屋を見て、『掃除した』と言われるに等しい。

「おお、戻ってきたかー。催眠術には引っかかっていない様で」

「あの程度の催眠に掛かっては名折れというもの。私的にはむしろ、そちらが引っかかっていない事に驚きを隠せないのですが」

「ああーそりゃ当然だ。俺達に催眠は掛からない。いや、掛かった所で俺達の行動に変化はないと言うべきかな。まあ、意識の持ちようだよなあ」

 言っている意味が分かる様な分からない様な事を言ってイヴェノは笑う。理解出来ない事はないが、シルビアが首を傾げるくらいには難しい事を言っており、それを理解するにはある程度人の意識に対する知識が無いと無理である。リアを介して出会った間柄という都合上、特に会話する事もなく二時間。やる事も無かったので、シルビアの頬を抓って遊んでいると、ようやくリアが姿を現した。

「お待たせー! いやあ、ごめんね。説得に時間が掛かっちゃって」

 ただし、その片手には魔法陣が全体に刻まれていて、袖に隠れているが、恐らくは二の腕まで刻み込まれている。本人に隠すつもりもない以上は、皆がその事に気が付いた。

「リア、それ……」

「え、ああこれの事? パパを正気に戻すのは娘の役目だし、その為の準備よ。別にお洒落とかじゃないから安心して?」

 何を安心しろと言うのか。元々不安がってもいないのに。しかし、彼女が誰よりも『闇衲』を取り返したいと思っている事は分かった。イヴェノとフェリスはどうか知らないが、リアの様に誰が見ても分かる形で準備を整えてきた人間は誰も居ない。

 『赤ずきん』もシルビアも、本気であれ加減であれ準備する様な事が何もないので当然だが、気合いの入れ方とでも言えばいいのか。まだ対峙しても居ないのに彼女の瞳には殺意が宿っている。自分の父親を奪った奴隷王に対して、これ以上ないくらいの憎悪と嫉妬を向けている。

 彼女を怒らせるとどうなるかという質問については、今のリアを見せれば誰もが納得してくれるだろう。

「それじゃあ、行きましょうか」

 辿り着く頃には、夜になっているだろう。














 ゼペットの家に通ずる地下道の便利さは語るまでもない。入り口から入ろうとすれば一々物を渡す必要があるのを、ここを使えば無償で侵入出来るのだ。五人が地下道を抜けると、丁度身体を製作していたらしいゼペットが、床の開く音に気付いてこちらを振り返った。

「おう。帰ってきたか」

 狂犬はかつての暴れっぷりを潜め、大人しく彼の助手を務めていた。製作途中の人形を抑えて、揺れない様にしている。狂犬は一度自分達の方に視線を向け、暴れるかと思いきや、どうやらそれは一瞥以上の意味は無かった。彼は再び人形へ目を向け、それから生きる事をやめたと言わんばかりに動かなくなった。

 こんな光景を見られる日が来るとは、世の中分からないモノである。あれだけ何度も痛い目に遭いながら暴れる事をやめなかった彼が、大人しく助手としての務めを果たしている光景なんて。リアは少し感動してしまった。ゼペットは一体、彼に何をしたのか。人形に目を向けると、その人形があまりに精巧だったものだから、甲冑かなにかと見間違えてしまった。しかし彼の手に置かれているのは人間の皮膚だったり骨だったりするので、あれは間違いなく人形である。と言っても、皮膚は皮膚で見た感じ柔らかさを感じないし、骨も骨で、金属光沢が見える。只の部位では無さそうだ。

「どうして人形を作っているの?」

「いやあ、俺って人形師だし。まさか自分が戦う事になるとは思ってなかったもんでな。特別な素材を使って、一から戦闘用の身体を作ってるんだが。これが中々難しくてな。人間の身体って脆いんだなあってつくづく思うぜ」

「手伝おうか?」

「いや、いい。それより情報だ。あっちはどんな風になってた?」

 気を利かせたシルビアが机を用意してくれたので、五人は囲んで座り、ゼペットは作業をしながら会議に参加する事になった。会話しながら人形制作に取り組むとは器用な芸当だ。人形に命を吹き込んだ人形師には造作もない事なのだろう。

 気を使う必要は無さそうなので、一度視線で全員に確認を取ってから、リアは話を切り出した。

「レスポルカ……どうなってた? 私はクラスメイトと出会って暫く一緒に行動してたんだけど、学校は秩序が崩壊してた。盛った男と女だらけで、結構気持ち悪かった」

「さりげなく個人の意見を混ぜないでください。私は宿屋に行き、現在リアが掛けている首飾りを取りに行きました。特に変わった事は……ああ、座天使と呼ばれる奴隷王の幹部を殺しましたが、それ以外は特に」

「街中に催眠術が広がってましたよね」

「ああ。それは俺達も確認したぞー」

 全員の意見に差異は無かった。レスポルカには催眠術が広がっており、それのせいで対策を施していない住民達は盛りの動物になり、今も尚無意味に交尾をしているだろう。面識もない人に憎悪を抱ける程リアは短気ではないつもりだが、あの状況が改善されない限りは、自分も殺意を振りまきながら町中を歩くだろう。奴隷王さえ潰してしまえば事態は収束すると思うので、自分としては一刻も早く彼を取り戻しに行きたい。

「街中に催眠術? どんな状態だよ」

「そっちはどうなってた?」

「大した変化はないぞ。ただ、街全体の動きを見る限り、この間にも奴隷王はちゃんと商売してやがるらしい。ちょいと耳を澄ましてみろ」

 言われた通り全員が耳を澄ましてみると、大通りの方から女性の泣き声の様なものが微かに聞こえた。そこから更に意識を集中させると、会話らしき音も拾える。


『離して! いや、嫌よ! なんで私が売られなきゃならないのッ? こんな……こんなのって!」

『全てはここに来た貴方の責任では? 恨むなら貴方の恋人を恨みなさい』

『うぐ……ぢぐじょう! ロケムスを、アイツを絶対に許さない! お前達も、全員、全員、ぶっ殺してやる!』

『やってごらんなさい。そのお腹で無理をすればどうなる事やら、身を以て思い知るでしょう』


 馬具の音が遠ざかっていく。怨嗟の声を漏らしながら、女性の声は段々と聞こえなくなった。

「……今のは」

 人形の関節部分を弄りながら、ゼペットが淡白に言った。

「聞けば分かるだろ。ありゃ孕まされたんだな。奴隷っつうのは売りに出された状態での価値が全てだが、マグナスまで規模がデカいと、幾らか特別注文ってのもされるんだ。それをされると、売る側は取引相手の望む状態、望む性別、望む年齢、望む目的に合わせて奴隷を手に入れなきゃいけない訳で……ちょっと待ってろ。言葉だけじゃ説明しづらそうだ」

 一度作業を中断したゼペットは、家の隅に立てかけてあった木の板を引っ張り出して、玄関側へ。ペンの代わりにナイフを持ち、言わんとした事を図解する。木の板に、商人、顧客、品物の単語が刻まれた。

「そもそも奴隷商人ってのは違法な手段を使っている場合が多いんだ。品物が手に入らないからな。殆どの奴隷商人が悪とされているのは、奴隷になる謂れの無い女性や男性を攫って品物にするからだ。しかし奴隷が居なくちゃ社会は成り立たない。どんなに酷使してもいい労働力ってのはそれだけ貴重だ。違法とは言うが、取り締まっている国は少ない……っていうのは、奴隷の本来の使用方法で、且つ顧客が国……まあ都市を相手にしていた場合だ。この顧客が個人ってなると話は変わってくる。ここまではいいな?」

「うん。続けて」

 顧客が国と個人に分けられ、商人から二本の線が引かれる。横に対応方法の違いと刻まれた。

「国相手であれば、とにかく労働力になれば構わないから商人としては楽だ。けど個人だと、その個人がどんな奴隷を欲しているか。その要望に応えられなきゃ商売なんて成り立たない訳で。けども無理やり攫われた上に好き放題改造される奴は居ないだろ? 死んだら終わりだし、万が一奴隷に逃げられたら? どっちみち商売あがったりだ。だから小規模な奴隷商人って言うのは、基本的に特別注文は受け付けねえんだよ。そういう奴は基本、夜に開かれてる裏市場の方に商品を流して金銭を受け取ってるんだ。でもマグナスみたいに大規模になると、市場に流すより個人との取引をした方が金が入ってくるんだなこれが。商人としての信用が大金を動かしてると言ってもいい。けれどもそれは、アイツにとってもある意味危ない橋なんだよ」

 商人から顧客に線が引かれる。上に信頼関係と刻まれた。

「個人との取引でいい加減な事をしちゃいけない。一回するだけでも信用を大きく失い、その個人は二度と顧客になってくれないからな。しかし商売に不測の事態は付き物だ、怯えてばかりじゃ商売が出来ない。マグナスはそれの対策として、要望に応えられる確証のある者以外を顧客としなかった。だから以前は、妊婦の奴隷を求める奴と取引なんてしようとはしなかった」

「何で…………あ、そうか。奴隷王の部下って女性しか居ないから……!」

「そういう事だ。妊婦なんて求められたら応えようがないだろ」

「あれ? でもさっき運ばれてたって事は、その要望に応えられてるって事だか………………………………………………ら」

 その事実が何を示すか、リアに遅れて、残りの者も理解した。その事を示したゼペットの顔も薄ら笑いすらなく、人形の様な真顔を貫いている。

 つまり、そういう事。

 この一言に集約される事実が、リアにとってどれだけの絶望を秘めているのか。それはこの場に居る全員が容易に想像出来た。瞬き二回に三分。忘れられた呼吸が再開されるのに十五分。瞳が動くのに一分。錆び付いて動かなくなった口が強引に動かされ、その反動で震える。治るのに三十分。

「う………………………………そ」

 答えられる人間が何処に居よう。彼女の求める言葉を言う人間が居たとしても、それが嘘である事を彼女自身が何より知っている。ゼペットが丸っきりの虚言を言っていない限り、この結果が覆る事がない。

「嘘。嘘嘘嘘。嘘だって。ねえ、嘘でしょ? 他の人がやってるんでしょ?」

「アイツが相棒以外の男を商売に絡ませるとは考えられないな」

 眼の周囲に白目が目立つ程、大きく見開かれる。飽くまで冷静に徹するゼペットとは反対に、リアは両手で自身の頭を抱えて、その場に蹲った。彼女の事が心配になってシルビアが駆け寄ろうとした瞬間、リアは全身を震わせて、絶叫した。

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「り、リア! 落ち着いて……」

「嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 発狂して顔を上げたリアの双眸からは、滂沱の涙が流れていた。顎の先まで流れて、大粒となって零れても、感情の爆発に伴って、彼女の涙は流れ続けた。たったそれだけの真実に、腐っていた少女の精神は、僅かな抵抗も見せる事無く破壊された。人間の出せる音域とは思えぬ金切り声に、ゼペット以外は揃って耳を塞ぐ。それはリアが初めて見せた悲しみの涙だった。

 彼女が攫われて、そして連れ戻された時、確かに彼女は泣いた。けれどそれは、安堵から来る喜びの涙だった。そうと理解していたから、シルビアは彼女を受け止めた。自分に向けられた感情では無いと知っていても、感情のぶつけ先は必要だと思ったから。だがこの感情はどうする。自分にも向けられていなければ、ぶつけ先も必要としていない。純粋に彼女は悲しんでいた。

 大好きなパパを奪われて。その身体を好きに扱われて。同じ男性を愛する―――いいや、彼女には二人目など必要なかった。『闇衲』を好きになって良いのは自分だけだと、彼女は心の底からそう思っていた。シルビアも、『赤ずきん』も、ミコトも、フェリスも。彼を好きで居れば居るだけ、彼がどれだけ魅力的かを教えてくれる証明になる。同じ人を好きな者同士、リアにも仲良くする気はあった。

 けれど実際には独占を求めていて、それ故、リアは悲しみ、そして怒っていた。彼を独占出来るのは『娘』である自分だけと信じているから、彼の生殺与奪を握れるのは『娘』である自分だけと信じているから。『娘』でも無ければ『幼馴染』でもない、何処の馬の骨とも分からない女に『闇衲』を渡すなんて、考えられなかった。

 世界への復讐。それが彼と自分とを繋げる縁。そして過去の清算として、それを途中で放棄する事はあり得ない。だが今は、今だけはどうでもいい。世界への復讐はリアの目的だが、リアは彼と一緒にそれをしたいのだ。彼が隣に居ない『目的』には何の意味もないのだ。

 彼が居ない『世界』には、埃程の価値もないのだ。

 今、リアが世界殺しをする理由は二つある。一つは今までの人生を滅茶苦茶に壊してくれた事への仕返し。そしてもう一つは―――










 何もかも皆殺しにして、誰にもパパを奪らせない様にする為。 

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