ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

神々の黄昏

 男が使う武器を視認した訳ではないが、大体の見当は付いている。彼の使っていた武器は糸……恐らくは鋼鉄を繊維として鍛え直し、それを使ったのだろうが、あの武器には致命的な欠陥がある。確かにあれは暗器としてこの上なく優秀だが、切断目的の糸程使えないモノはない。ただし、これは何の魔術的補正も掛かっていない通常の糸の話で、もしもこれが魔力の込められた特殊な糸という事であれば話は大分違ってくる。

 が、それはあり得ない。特殊な糸という事であれば、あの時に自分が切られていた。普通に躱せたという時点で、男の使う糸は何の変哲もない切れるだけの糸くず。そう解釈しても良い。小屋の中で見事に受け身を取った『赤ずきん』は、たまたま小屋の中に巻かれた状態でおかれていた縄を発見。糸と比べると頼りないが、致命的な欠陥を持つ糸に比べれば使いやすい代物である。男が体勢を立て直す前にそれを取り、余った束を腕に掛け、残った部分を回転させながら構える。

「ほう~それはそれは。俺に対抗する必要はないんだぜ、ハニー。武器の熟練度では俺が遥かに上だからな」

「やってみなければわかりませんよ」

 回転を途中で切り崩し、横薙ぎに縄を飛ばすと、男は軌道から外れる様に屈み、爆発的な踏み込みで『赤ずきん』へ肉迫。縄の束ねられた腕に数本の斬撃が刻まれたが、そう思ったのは男だけ。縄を振り回していた『赤ずきん』は幻だった。

 その事に気付くや直ぐに踏み留まって転回しようとするが、束ねられた縄に僅かでも腕が通っていた事が仇となった。直後、男が転回するよりも早く男の片腕が締め付けられ、糸を操作していた指が蕾みたいに収束。糸は極小範囲を切り刻むに終わり、男は縄から伝わった遠心力で吹き飛ばされ、小屋の内壁に叩き付けられた。

 本物の少女は、飛ばされた縄の方を掴んでいた。

「その糸。切断には使えるかもしれませんが、防御に使う際は糸という物体の特性上、両手でしっかりと張らなければ使えません。糸を使っている手さえ封じれば、貴方は無力です」

 更に言えば、こちらは男を殺す事に何の手加減もする必要がない。男は力を込めて縄を引き、逆にこちらを振り回そうとした様だが、意にも介さず力を込めると、小石同然に男が浮き上がり引き寄せられた。それに合わせて『赤ずきん』は男の顔面に飛び蹴りを叩き込み、めり込んだ男を壁で削るように一回転。頭上を経由して床に叩き付け、縄を幾らか余らせると同時に跳躍。その顔面にしなりの入った一撃を打ち込み、男の長い鼻先を粉砕する。手繰り寄せた縄には、鼻血と思わしき血が付着していた。

「な、成程。やるなあハニー。今の攻撃は俺と言えども少しは効いた……少しだけな。糸を絡ませる暇もねえし、大したもんだよ」

 糸の長さは男の身長から逆算すればほぼ正確に推測出来る。武器という物は、得てして使用者の身体に合わせるものだ。例えば、身長の低い人間に取り回しづらい長槍を持たせても非効率的だ。身長には身長にあった武器の長さというものがあり、だから武器屋には購入者に合わせて調整出来るサービスがある。追加料金こそ掛かるが、それだけ自分に合った武器というものは使いやすいのだ。

 そういう意味で言えば縄はこの上なく扱いづらかったが、同じ線状の武器を扱えば男に精神的なダメージを与えられると思ったから使った。結果、大して効いていないようだが、男を一方的に叩きのめす事が出来た。

 気持ち良くない筈があるまい。効いていないのは業腹だが。

「このまま俺を叩きのめそうってのか? 勝負ってのはもっとこう、正々堂々やるもんだろ」

「殺せる内に殺しておくのは基本でしょうに」

 下手に距離を詰めて足を切断されるのも困るので、『赤ずきん』は破壊された屋根から剥きだしている骨組みに縄を引っ掛け、片腕を縛られながらも体勢を立て直そうとする男を飛び越える様に跳躍し、全体重を掛ける。立ち上がる寸前まで来ていた男はそのまま空中に釣り上げられ、だらしなくぶら下がった。男の体重と掛ける力から逆算すると、支点となる場所はそう長くもたないだろう。

「首に掛かってたら、ハニーの勝ちだったなあ?」

 男の会話に一々反応していたら掴み取れる勝機も掴み取れない。『赤ずきん』は足の筋肉を解して、最後の準備を整える。これ以上の戦闘は悪目立ちするし、下手すれば彼を殺しても情報の有利を奪われる事になる。次の一撃で彼を殺せなければ自分の負けだ。丁度、支点として利用している骨組みも悲鳴を上げている。いずれにしても、勝負は一度決着させなければならない。そして言動こそふざけているが、男―――座天使もそれは分かっている。今、彼を釣り上げている骨組みが折れた瞬間こそ、勝負の終わる時であると。

 失敗すれば身体を三枚に下ろされて死ぬだろう。しかし、殺し合いとは得てしてそういうものだ。緊張する必要はない。『良い子』だった時の様に、淡白に、そして確実に。

 骨組みがへし折れて男が落下した瞬間、二人は動き出した。先程から糸がどうのこうの言っているが、実際的に『赤ずきん』は未だにそれを視認していない。ただ、彼の持つ武器が引き起こす現象と間合い、それと手に付けられた指輪の様な装具から、糸ではないかと推定しているだけである。所有者である彼も糸の存在については認めているが、百聞は一見に如かず。少し意味が違うが、やはり見えているとないとでは全然違う。離れていればどうという事は無いと言いつつも、必殺の一撃を叩き込む為に彼女は接近しなければならない。座天使にしてみればそこが狙い目だった。

 糸はよく撓るし、軽い。重力に触れようものならば滝の様な曲線を描いて下に落下するが、その切れ味は他のどの武器と比べても一線を画している。触れる事さえ出来ればこちらの勝利だ。少女の動きから予測するに、彼女は跳躍して渾身の一撃を叩き込む腹づもりだろう。自分はそれに対して糸を撓らせていればいいだけだ。武器は防御出来ないが、少女が武器を使う様子はない。己の身体そのものを武器とするならば、ただ糸を撓らせるだけでも十分防御になる。座天使は勝利を確信した。どんな一撃を受けても自分は倒れない自信がある。後は急所を切られて動けなくなった少女を好き放題に弄ればいい。

 そんな座天使の思惑は、『赤ずきん』が滑り込んだ瞬間に破壊された。そうか、そういう事だったか。

 彼女は最初から決着を付けるつもりなどなかったのだ。これでは糸を垂らしていた所で向かって来ないのならば逃げる時間を与えるだけ。少女が座天使の足元を通り過ぎた瞬間、首だけでもと座天使は無理に顔を捻り、背後を見た。

 そこには、宙返った状態でこちらの脊髄目掛けて蹴りを叩き込む少女の姿が。その爪先からは、鋼鉄の刃が飛び出していた。













 脊髄を完全に離断させた。余程強力な再生能力を持っていない限り、あの男はいつまでも土嚢の山で埋もれていることだろう。しかし彼は、一体どれだけ武器を持っているのやら。お蔭で助かったが、座天使が自分達と遭遇する事を想定していなかったのも幸運だった。ああも簡単に殺せたのは、偏に座天使が糸などという不意打ちをした時くらいしか強みのない武器を使っていたという理由もある。あれが只の剣だっただけでも、攻略難易度は随分違っていた。

―――二分二〇秒。

 五分しか好き放題出来ない制約、どうにかならないものだろうか。多分どうにもならないのだろう。どうせあの男に全力で歯向かったとしても、容易くあしらわれる未来が見えている。あの男だけはどんな手段を使っても勝てないと思える。殺さなければ、素手でやればなど条件付きで敗北を感じる場合は多々あるが、自分の使えるあらゆる手段を講じて勝てないと感じたのは彼が初めてだ。そんな彼に課せられた制約を、自分が破れる道理はない。残り二分四〇秒だが、果たして『闇衲』を奪還するまでに猶予は残っているのか。

 一応男の方を見遣るが、男の叩き込まれた土嚢は崩れたままで、少しもその形を変化させる事はない。わざわざ近づいて、もしも生きていた場合に反撃されるといよいよこの場を動けなくなるので、『赤ずきん』は足早に小屋を出ていった。恐らく、シルビアはトストリスの入り口前で待機している筈。首飾りの無事を確かめるべく、走り出した―――

「…………シルビア?」

 直ぐに止まる。貧民街の入り口で、シルビアは黒髪の少女と話し込んでいた。




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