ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

所詮はエゴの代行者

 催眠術が街中に広がっている事に真っ先に気付いたのは『赤ずきん』だった。理由について納得のいく説明は付けられそうもないが、強いて言うならば天使如きの能力が曲がりなりにも神様である自分に通じる筈がない、とでも言えば分かるだろうか。熾天使は神に合一しているとも言われているが、ならば効く筈があるまい。人工とはいえ神は神。この身に宿された権限は他の如何なる存在よりも高位である。この権限と全く同一の権限を持つ者は、知る限りミコトかフィーくらいである。

 リアには言っていないが、『赤ずきん』は一度だけマグナスと出会った事がある。あの時は父親が一緒に居て、自分はまだ『良い子』だったが、その時に聞いた事がある。彼女の部下は天使の階級に沿って存在していると。

 最上位の部下であり、彼女から勅命を受ける立場にある熾天使。

 全体の状況を把握し、下級天使に指令を下す智天使。

 あらゆる破壊活動に秀で、主に最前線で活動する座天使。

 他にも天使は居るが、彼女の隣に居る三天使は別格の強さを持つとされており、この催眠術の強さから考慮すると、恐らくは三天使の内誰かがレスポルカの中に居ると思われる。お蔭で、向かってくる男達を既に二百人程無力化する事になった。自分の手でする事になっていたら手間がかかり過ぎてボヤキの一つでも残していたが、『赤ずきん』は一人で行動していない。相方と呼んでも差し支えない様な人物が、全ての人物を無力化してくれた。

「ありがとう、シルビア。貴方が居てくれたお蔭で助かりました」

「気にしないで。それより、宿屋に行くんでしょ」

 殺気のみ『闇衲』を完全再現出来る少女が居てくれるお蔭で、並の人間は彼女の放つ殺意に耐え切れず昏倒する。彼女が居てくれなければ自分も催眠の中和に意識を割けなかったので、割と冗談抜きに彼女には助けられている。彼女が居なければ、自分自身はともかく、彼女を護る事が出来なかった。この催眠術は人という種の尊厳を極限まで辱める上に、理性を失わせ人を低俗な獣へと変貌させる恐ろしい催眠術なので、散々三人に迷惑を掛けてしまった以上は助けていきたい所存だ。リアは何らかの対策法を持っているらしいので放っておくとして、残り二人はどうでもいい。催眠にでも何でも掛かってくれ。あの二人はあれを持っているみたいだから、どうせ掛からないだろうが。

「そうですね。夜になるまで時間を潰していても仕方ないので、さっさと取りに行きましょうか」

 全くリアも詰めが甘い。リアを護る為に『闇衲』が己自身を差し出したのならば、マグナスはその際に洗脳を掛けているに決まっている。まがりなりにも奴隷商の大手。離れる可能性のある物を維持するならば離れない様に細工してから維持するだろう。催眠術を解く手段はともかく、洗脳を解くには二つの手段……厳密には三つしかない。

 まず一つ。物理的な力によって激痛を与えられて目覚める。要はぶん殴れという話だが、これは軽い洗脳状態でなければ通用しない手段だ。特に『闇衲』は物理的な方面で異常に強い人間なので、本気を出された自分でも……いや、自分ならば勝てるが。その場合殺す事になる。殺さずにという事になると、殺されるのはこちらだ。あまりお勧めできないというか、やるべきではない。まともにあの怪力と戦うとなると、それは最早人間には務まらないのだから。

 二つ目。洗脳前の人間が理性を取り戻すきっかけになる物体を認識させる。現在、自分達が取ろうと思っている手段はこれだ。リアが彼についていく際、彼女はうっかり忘れていた様だが、あれだけ奇怪な魔力を放つ装飾品は早々存在しない。ここからでも自分が感知できるくらいだから相当である。あれを使ってどうなるかは分からないが、『闇衲』の無力化を図るとなれば一番可能性が高い方法だ。

 三つ目。催眠術以上の特異能力を用いて秩序を強引に捻じ曲げる。恐らくフィーか自分にしか出来ない芸当で、前者は参加する筈がなく、自分については加減が利かないので、最初に二つといった訳だ。さっきも言った通り、彼を洗脳から解こうと思えば幾らでも解ける。ただし、その直後に彼が死ぬ事になる。彼にほれ込んだ雌としても、それは勘弁願いたい。

 宿屋へと足を踏み入れ、いつもの繰り返しをするかの如く階段を上り、『闇衲』の部屋に向かう。が、扉を開けようとすると前面に巨大な魔法陣が出現。扉の操作を拒絶してきた。

「……今回は、脳に負担がどうのこうの言っている場合では無さそうですね」

「え?」

「フィー先生に負けてから、妙な制約を課せられましてね。それによるとどうやら、私は五分間しか好き放題に暴れられない様です。しかし……」

 『赤ずきん』は扉に触れて、魔力を放出した。

「この程度の扉を相手に一秒も使う程、私は弱くありません」

 放たれた魔力は魔法陣にゆっくりと滲み、やがてその魔法陣をバラバラに破壊した。試しにノブを捻ると、通常通りの動きが出来る様になっている。シルビアと切り離されてはたまったものではないので、彼女の手を掴みながら、『赤ずきん』は枕元に置いてあった水晶の首飾りを手に取った。うっかり忘れるなんて事をしでかすくらいだから、リアはこの水晶が持つ魔力に気付かなかったらしい。これ程彼の正気を取り戻すに最適な物体は無い。直でシルビアに手渡すと、彼女は不思議そうにそれを見つめる。

「不思議な水晶だね」

「シルビア。絶対にそれを手放さないで下さい。いいですか? 一度それを手放せば、恐らく『狼』さんは二度と元には戻りません。分かりましたか?」

「分かってる。殺人鬼さんを救う為に、使うんだよね」

「そうです。絶対に失くさない様に。リアみたいに殴って済む様な話ではなくなりますからね」

 幸い、マグナス達はこちらの存在に気が付いていない様だ。気づかれていると居ないとでは雲泥の差。先にこれを抑えられたら手の打ちようが……それこそ自滅覚悟で自分が動かなければどうしようもなくなっていた。

 一番にレスポルカへ入ったのはリアなのだが、彼女は何処へ行ってしまったのやら。装備を整えるならば宿屋に来るのが自然だと思ったが、彼女の気配が残っていない。武器袋を漁ってみても中身は殆ど空だった。少し面白い物を見つけたからそれは拝借するが、それ以外は殆ど『闇衲』が持っていった様だ。

「夜までやる事もないので、リアを探しましょ―――シルビア、伏せて!」

「―――!」

 駄目だ。本人にだけ任せていては間に合わない。不可視の力で彼女の頭を沈め、同時に自分も素早く身を屈める。見えはしなかったが、自分達の頭上を何かが横切った事は二人共理解した。それが避けられなければ等しく首を刎ねられていた事も、理解していた。

「ヒュ~♪ マグナス様に回収を命じられたと思えば、俺の攻撃を躱せる奴と出会えるなんて。しかも俺好みの幼女だなんて、つくづく幸運だぜ」

 後ろへ流した金色の髪は、良くも悪くも『赤ずきん』と同じくらい手入れが行き届いており、異母兄弟か何かと勘違いされても不思議はない。金髪と一括りにしてもその色合いは千差万別だが、不幸にも二人の髪色は殆ど変わりなかった。全く不愉快な偶然の一致である。

 もっと不愉快なのはその言動だ。『良い子』の時でさえ、性的な目線で見てくる輩は居たが、ここまで明確にオンナ扱いされたのは初めてである。リアの気持ちが少し分かった。確かにこれは非常に気持ち悪い。

「貴方は?」

「俺か? まあ、座天使様とでも覚えておけよハニー。お前達、あれだろ? マグナス様のお気に入りのアイツを取り返す為に動いてんだろ?」

 何も言っていないのに、まるで最初から全てを見てきたような口ぶりだ。決して目配せはせず、『赤ずきん』は徐々にシルビアを不可視の力で背後へ押し出す。暗に逃げろと言っているつもりだが、二度目で伝わってくれた様だ。男が手を広げたり目を瞑ったりしている内に、一歩ずつシルビアは宿屋から離れていく。先程、この男は『回収を命じられた』と言っていた。こんな所にまで来て回収する物があるとすればその首飾りしかない。そして、首飾りを持っているのは彼女だ。彼女さえ逃がせば後はどうとでもなる。何よりもやっちゃいけないのは、ここで大人しく彼に首飾りを引き渡す事だ。

 次に彼はこう言うだろう。

「『 大丈夫だ、言いやしねえよ。ただし、首飾りを俺に渡してくれたら、だがな』」

 彼は首飾りを回収しにここへ来た。この首飾りが何なのか、自分でさえも奇妙な魔力を放っている事しか分からない。只一つ分かるのは、マグナス側は恐らくこの首飾りがどんな物であるかを知っており、それ故にこれを欲しがっているという事。よく考えて欲しい。これを渡せば報告はしない。裏を返せば、これを渡した時点でこちらに勝ち目はないから、報告をするもしないも一緒という訳だ。如何にも公正な取引に見せかけているが、騙されてはいけない。要は、負け筋を完全に潰す為に、彼はここへ派遣されたのだから。

「渡さないってんならそれはそれで構わねえよ? 幼女二人連れ帰って達磨にしちまって、死ぬまで俺のをしゃぶらせるだけだ。その綺麗で肉付きの良い足、切ったらどんな音がするんだろうなあ?」

 床板が震える音がした。シルビアが階段に足を掛けたらしい。どんな武器だったとしてもあそこまで距離を取っていれば殺される事はない。後は自分がどうするかだが……正直な所、逃げる訳にはいかない。

 もう一度男の発言を思い出して欲しい。首飾りを渡してくれたら報告はしない。即ち、渡さないまま逃走すれば、彼は自分達の存在を報告するつもりなのだ。それもまた困る。水面下で動けている有利はこんな所で捨てるにはあまりに惜しい。難しく考える必要など無かった。この男と遭遇してしまった時点で、『赤ずきん』は端からこの選択肢しか残されていなかった。

 握りこぶしを持ち上げて、限界まで引き絞る。弓を引く様に、狙いをつける様に。

「お? その構えはもしや……渡さないって事で、いいのかなあ?」

「……当たり前じゃないですか。渡せと言われて渡す馬鹿が何処に居るんですか。さっさとあの糞女の所に帰りやがれ、と言いたい所ですが。帰す訳にもいきません」

「へえ? というと?」

「貴方をここで殺すという事」

 目の前の虚空を全力で殴りつけると同時に、不可視の力に吹き飛ばされた男は、宿屋の壁をぶち破って、隣の小屋に沈み込んだ。男が体勢を立て直さない内に、『赤ずきん』もまた小屋の方へと跳躍した。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品