ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

護る為に

 ギリーク・ブライドスは親殺しの罪を背負っている。しかしそれが実質的な無罪である事を知っているのは、彼自身とフィー、それと―――。

 その他の人々は決して彼が無罪である事を知らないし、疑った事もない。それもその筈、ギリークは自ら出頭し、罪を認めたのだ。自首したのにも拘らず自身の無罪を主張する人間が何処に居る。それは彼にとって最も都合が良い認識であり、その認識を受け入れたから彼は死刑囚となった。そんな彼が今まで学校生活を送れていたのは部外者で唯一事情を知るフィーの計らいがあったからであり、そのお蔭で彼は、生まれて初めての恋をした。リアという不思議な少女に、初めて想いを寄せた。

 けれど、それもこれまで。本来少年が居るべきであった暗がりにこうして放り込まれて実感した。自分は生徒ではない。死刑囚だったのだと。楽しい学校生活を送れていた今までがおかしかったのだと。寝ても覚めても脳裏に浮かぶのはあの頃の生活。下らないと言えばそれまでだが、そのくだらなさが何よりも愛おしかった。今更遅いが、かつてフィーが言っていた言葉が脳裏を過った。

『愛なんて紛い物だとか薄幸ぶるのは構わないけどな。お前の顔を見ていれば分かる。お前は孤独には耐えられない人間だ。まだ愛に飢えてる。その程度で薄幸ぶったって、先輩にはお見通しなのだよ、君。うん?』

 曰く、彼も子供の頃は同じような時期があったという。加えて日々の暴力があったらしく、いっそ死んでしまおうかとさえ思ったという。そんな彼を唯一見てくれたのが、『先生』と呼ぶ存在らしく、その素性は全く言及されないが、とにかく彼はその存在に救われた。ギリークに対して世話を焼くのは、同じ事をすれば彼の気持ちが分かるかもしれない、という理由から。その理由はともかく、彼の言葉は今になって、杭の様に深く心に突き刺さった。

 寂しい。

 鉄格子と石壁に仕切られた、光の全く存在しない場所。鉄格子と石壁というのも触った感触でそう思っているだけで、実際には違うかもしれない。一寸先すらも見えぬ暗闇は、恐らく自分の魔術を警戒しての事だろう。あの魔術―――名前は知らない―――は僅かな光さえあれば行使出来る代わりに、完全な闇に置かれてしまうとたとえ魔力を練ろうが魔法陣を描こうが行使出来なくなる。誰かが少しでも部屋を照らしてくれさえすれば、鉄格子程度ならば余裕で吹き飛ばせるのだが。自分を捕らえただけはあり、魔術属性までしっかり把握されている様だ。やり辛くて仕方ない。両手足に枷を嵌められてはいるが、光を封じ込められた時点でギリークは殆ど封殺されたと言っても過言ではなく、この枷は悪戯にこちらの動きを封じているだけだった。体勢も非常に悪く、満足に眠る事すら許されない。一度か二度は眠ったような気もするが、身体に溜まった疲労が少しでも取れたかと言われるとそんな事は全くない。両手足が不自由な分、余計に溜まっているのではとすら思える。

―――リア。

 いつだったか、いや恐らくは出会った時から。彼女の妖しい魅力に惹かれていた。最初こそ妙な存在だとしか認識していなかったが、彼女と過ごしている内に……好きになっていた。おかしな話である。自分は彼女の事を何も知らない。彼女がここに来るまでにどんな道を歩んできたのか、彼女はそもそも何なのか。χクラスに入る時点で普通の生徒でない事は確かだが、彼女の事を好きでありながら、ギリークはその事情を知らない。

 人を好きでいるとは、その人の事を深く知っているという事だ。それなのに自分は、良く知りもしない少女を好きになってしまった。理由なんて分からない。好きという感情なんてそんなものだ。具体的な理由をつけられる程彼女の事を知らない。

 ここに彼女が居るならば、どれだけ幸せだったか。もう、この場で死刑を執行されても構わない。死ぬ直前に口づけでもしてくれれば、もうこの世に思い残す事はない。残す一人が気になるものの、死刑囚としてこの町に知られる自分が死ねば過ごしやすくなるだろう。出来れば誰かに託したいが、託せる程友達が居る筈もない。そればかりは諦めるしかなさそうだ。

 ここに放り込まれて何時間経ったか。その感覚すら今となっては曖昧である。眠っているのか起きているのか、それも分からない。フィーも何処かへ行ってしまったらしいから、誰かが救助に来る事も無い。ギリークは意識を放り出し、考える事を放棄した。こんな暗がりに差し伸べられる手などない。

―――せめて。もう一度アイツの手を握れたら。

 それは少年が夢に思い描いた、幸せな恋の末路。


















 学校に行っていたせいか、レスポルカの王城に足を踏み入れるのはこれで初めてである。国殺しのみを重点に置くのならば早めに足を運んでおくべきだったかもしれないが、如何せん学校生活が楽しくて、ついつい国殺しの事を忘れていた。殺人は彼と自分を繫ぐ唯一の縁なのに、それを忘れるなんてあってはならない事だ。心の中で深く反省をしつつ、リアはイジナの背中を追う様に城内へと足を踏み入れた。正門から入れる筈がないので、城壁をイジナの魔術で一部分を破壊してもらい登攀可能な形に変形。作られた穴を掴んで城壁を上り、二人は渡り廊下から城の中に潜入した。唯一ここで騎士と出くわす事が不味かったが、そこまで不幸ではなかった様だ。

「ギリーは何処に居るの?」

「多分、地下牢。誰かを捕らえられる場所はそこぐらいだと思う」

「良く知ってるのね」

 何気なく言ったつもりだったが、イジナはリアの手を引いて城内へ。適当な部屋に駆け込むと、自身の懐から一枚の紙きれを取り出した。彼女が入った部屋は誰かの個室らしく、碌な確認もせず入った割には、安全性の高い部屋だった。

 外の音を確認しつつそれを受け取ると、それは王城の地図だった。手書きらしく、所々線の書き直しが行われている。

「フィー先生の、机の中にあった」

「…………ひょっとして、フィー先生は、今回の事を全て予見してたって言いたいの?」

 厄介なのは、あり得ないとも言い切れない事だ。彼は人を完全に蘇生する魔術を行使出来る。未来を見る魔術が使えても何ら不思議ではない。むしろ、人を生き返らせられる様な男がそんな事も出来ない筈がない。しかし、仮にそうだとするとリアは彼の事を殺さなくてはならない。

 もし。もしも彼が未来を見ていて、『闇衲』が捕まる未来まで知って動いたというのならば、彼が捕まった真の原因は未来を変えようとしなかったフィーにあるという事だ。そうだとするならば許しておけない。

―――パパは……私の物なんだから。

「俺がお前の物とはな。甚だ不愉快だ。いつから俺はお前の物になったんだ?」

 事態が全て終われば問い詰めるのも視野に入れているが、今はギリーを助けるのが先決である。地図曰く、ここから右方向にある階段を降りていけば地下牢らしい。だが、階段周りを警戒していない騎士が一人も居ないなんて事はあり得ない。少なくとも一階から地下牢までを巡回する騎士が二人や三人は居る筈だ。甲冑を脱いでいるとも思えないので急所は狙いにくい。しかしイジナに任せっきりにすると大惨事が巻き起こる。出来れば誰にも気づかれず救出したいのだが、リアの脳みそでは名案が思い付きそうもない。

「簡単な話だろ。どちらかが囮になって別の階に引き付ければ良い。そうだな、イジナの方が適任だと思うぞ?」

「……あ、そっか」

「……どうした、の」

「イジナ、一人で何十人もの人から逃げられる自信ある?」

「―――フィー先生よりは」

 垣間見えた彼女の表情からは、どことなく絶望の臭いを感じた。一体何をされたのだろう。気になる。

「じゃあ、階段まで辿り着いたら上に行って暴れてきて。滅茶苦茶に暴れたら幾ら巡回中の騎士と言えどもそっちに来るだろうから、その隙に私がギリーを救出する」

「何処で、集合する?」

「え…………うーん。学校は危ないし、貧民街でどう? あそこだったらわざわざ探しに来る人も居ないだろうし」

 本当は二人も奴隷王との戦いに加えたいのが本音だが、全く『闇衲』と接点のない二人を作戦に加えるのもどうなのかと思った。そもそも、二人はリアの父親が現在ロクデナシのあばずれによって奪われた事を知らない。そんな人間を参加させたって、動かしづらくなるだけだ。奴隷王との戦いは飽くまで少数精鋭を貫くべきだ。こちらは一度でも動きを勘付かれたら終わりなのだから。  

「……じゃあ、信じる」

 イジナは唐草模様の指輪を薬指に嵌めてから、一足先に部屋を出ていった。さあ、夜にならない内にさっさとクラスメイトを救出しようか。  

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