ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

連れ立つ者は影と……

目の前の行列は、次々と当たり前の様に配偶者ないしは恋人を渡している。意識があった状態では拒絶されたのか、大概の女性は意識を失っており、または男性も意識を失っており、只のお荷物同然の扱いを受けている。ここまで同じような列が続いていると、『闇衲』の恋人が狂犬というとんでもない事になってしまうが、この国は性癖に寛容である。殺人鬼とバレなければ誰にどう勘違いされても構わないし、その分には動きやすくなるだけだ。ただし、リアに巨乳好きと勘違いされる事は例外的に拒絶している。単純に面倒くさい。

 そんなリアを置いてきた以上、今の『闇衲』にストレスは無い。順調に列が消化されていき、遂に『闇衲』の番に差し掛かった時、門番の男が言った。

「あ、アンタは通って良いぞ」

「済まないな」

 彼女はちゃんと仕事をしてくれたらしい。或いは『暗誘』かもしれないが、どちらにしてもこの都市の検問に対して、こちらは無傷で通過する事は出来た。これもまた一種の反則技であり、秩序を守る気など更々ないと言わんばかりの立ち振る舞いだが、実際にその通りなので言い返す気は無い。ここは黄金無法都市だ。元々秩序なんてあってない様なモノなのに、一体何を守れと言うのだ。

 鎖や人の手などが絡みついた厚な扉を抜けると、黄金無法都市の名の通り、そこは煩悩煌びやかな文明の栄華が極まっていた。レスポルカと比べると住居の材質からまず違い、廃屋などという安っぽい建物は何処にも見当たらない。どこもかしこも灯りがついていて、何処もかしこも人が居る。

 『殺人鬼』が潜める様な場所は一見すると何処にもなく、日陰を歩く者が生きるにしては、ここは少々眩し過ぎた。幸運な事があるとすれば、それは『闇衲』がここを初めて訪れた訳ではないという事。ここには幾らか知り合いが居る。一人……奴隷王は明確にこちらの味方とは言い難いが、もう一人は利害関係の一致から明らかにこちらの味方である。此度は連れてきていないが、そのもう一人は、仮にリアが居たとしても彼女の殺害対象には含まれない事が予想される。リアの殺害対象はこの世界全てだが、殺せない奴、または山奥などに住んでいて出会い様がない奴は含まれない。そしてもう一人とやらは、前者である。補足しておくと、ミコトは物理的に強すぎるから殺せないが、それとはまた違った意味である。

 一つ気がかりな事があるとすれば、ミコト然り、また妙な流れに勘違いしてくれる可能性だが……先程も言った通り、リアは連れてきていない。その理由は単純に危険すぎるという理由から、自分の力では彼女を守り切る事が出来ないという理由が多くを占めるが、少なからずそういう意味合いも持っている。本当に、連れてこなくて正解だった。

 こんな目に優しくない街に彼女を連れて来ていたら、一体どんな文句を言われた事か。そういう街の特色にケチをつけたいのならば自分では無く、この都市を治める主、奴隷王に文句を言った方が良い。その方がずっと実現されると思われる。

 ただし、奴隷王に通じる法則は只一つ。何かを望むなら何かを差し出すべきだと。それに見合った物を差し出せと。要は等価交換の法則。あれに物を頼むならばそれを尊重しなければならない。一方で奴は己から動き出す分には、そんな法則など知った事ではない様に立ち回ってくる様な悪党だ。自分としてもそこは注意しなければならない。

「………………アイツは、まだ居るんだろうか」

 奴隷王に挨拶をする必要はない。そんな堅気な事をする様な殺人鬼が一体何処に居ると言うのか。自分が言っているのはもう一人の方。利害関係の一致から、妙な友情を結んでいる者の事だ。あれがまだここに居るのならば、恐らく今の時間帯でも出会えると思う。背後から押し寄せる人の波に気をつけつつ、『闇衲』はレガルツィオの都市へと足を踏み入れていく。

 進めば進む程、この街の煩悩は深くなる。門の直前なんかに見える場所なんかまだ良心的だ。何回か通り過ぎているが、そういう良心的な場所が、酒場だったり、娼館だったり、はたまた賭博場になっている。それも実に綺麗な。だから違法な手段を使って入ったものの、両極端な人生を背負いたくない者は、所謂『表層』と呼ばれる門近くで、毎日を過ごしている。

 大門から奥に聳える城まで続く大通りを進めば進む程、この無法都市はその本性を剥き出しにする。噴水広場を超えた辺りから、立ち並ぶ住居やお店に、怪しさが見えてきた。ここが『中層』と呼ばれる場所であり、多くの民衆がこの周辺で毎日を過ごす。住居はここに入った時点で割り当てられるので、野宿をする人間が見える事もない。違法な手段で入った『闇衲』は例外である。割り当てられた事にはなっているが、実際に何処か当てられた訳ではない。だから野宿をする様な惨めな人間が居るとすれば、それが自分である。

 噴水の噴き上げる音も聞こえなくなった頃、街の雰囲気は物理的に変化した。血の臭いが立ち込み、道端にはとうの昔に感情の無くなった達磨さんが転がっている。ここが『下層』で、いよいよ怪しいというよりは、危険と言った感じに変化している。ここより更に進めば『最下層』で、そこは奴隷王の居住区域となるので、ここが実質の行き止まり。一市民に過ぎない『闇衲』にとってはここまでが進める限界範囲だ。

 立ち止まって右を振り向く。看板は落書きや欠損などで一文字も読める気がしないが、ここは下層唯一の酒場であり、中に入る様な人間はすべからく危険な人間である。扉を押し開けると、カウンター越しに一人の男が頭を下げた。顔中に刻まれた傷跡の生々しい老年の男性は、この酒場のバーテンダーことアルラデウス。早朝に出発して到着した事もあり、客足はまばらというより全然居ない。強いて見えるとすれば、彼と向かい合う様に座っている客くらいか。

「いらっしゃいませ、フォビア様。ご注文はいかがいたしましょう」

「いつもので頼む。覚えているか?」

「フォビア様はお得意様でございます。このアルラデウス、一度顔を覚えたお客様の好みを忘れはしませんとも」

 力強い返事に軽く応じつつ、『闇衲』は先客と並ぶ形でカウンター席に座った。狂犬はまだ目覚めないらしいので、適当に放置しておく。

「……久しぶりだな、ゼペット。朝っぱらから酒ばかり飲んで、身体を壊すぞ?」

「―――お前が言うんじゃねえよ、お前が。俺に酒ばっか飲ませてる原因作ったのはぁ、お前なんだぜ?」

 そいつは……いや。少女は口元を卑しく釣り上げて、軽く首を傾げた。年端も行かぬ少女の見た目にして、まるで対等であるかの様なこの口ぶり。これは決してリアみたいに、自分の真似事をしている訳でも、過酷な環境下に居たが為にこうなったという訳でもなく、彼女……いや、彼の素だ。

 少々説明がややこしくなりそうなので今は省くが、ともかく彼がもう一人の味方。利害関係の一致から完全なる味方とみなしてもいい、数少ない友人である。

 時間もそう経たない内に、アルラデウスが直ぐに酒を差し出してきた。徐にカップを取ると、傍のゼペットとカップをぶつけ合い、久闊を叙する。

「どうして俺が?」

「勝手に出て行っちまいやがって。お蔭で俺ァ死体の調達もままならなくなっちまった。私、怒ってるからね?」

「間に合わせとはお前の口から聞いた言葉だが、随分とその姿を気に入っているんだな」

「へッ。幼子の身体っつうのは不便だが、これはこれで悪くねえ。誰も彼も、ガキだと思って舐めやがる。身体をぶっ壊されそうになったら簡単に逃げられるし、お前が居なくても何とか、生きていけるくらいには生活している。けどなあ、やっぱりお前が居ねえと、製作活動が捗らねえのよ」

 どういう利害関係かはもう分かっただろう。自分は彼に綺麗な死体を渡し、彼は自分に住居を与える。かつて滞在していた時期は、そんな関係がずっと続いていた。だからか、彼は実によくわかっている。『闇衲』が弱い表情というものを、実質的には男性であると分かっていても、怯んでしまう表情というものを。

「それで、こんな所に戻ってきてどうしたんだ? まさか俺にプロポーズか?」

「死ね。実はそこの少年について調べようと思ってな。少しばかり混んだ事情があるから詳しくはまた後で話すが、お前確か、人形を渡す際の取引相手に世界商業ギルドの重役とか、情報を持ってそうな奴が色々居ただろう? 出来ればそいつらに話を聞きたいんだ」

「成程。つまり俺は緩衝材って事か。へ、随分雑な扱いをする様になったもんだなあ相棒。これでも見た目は、美少女だぜ? それもお前好みの」

「誰が好みと言った誰が。美人なのは認めるが、そりゃお前の注文が『お前が美人だと思う少女の死体』だったからだろうが。俺は一言も俺好みの姿だとは言ってな―――」

 口を噤む。足元に下ろしていた袋が、確かに動いた。まだ生きている様な物体など入れていなかった筈だが、明らかに今の挙動は、中に生物が入っていた。

 二人で顔を見合わせるも、別に悪戯を仕掛けた訳ではないらしい。ゼペットは首を傾げて、『闇衲よりも先に、袋の口に手を掛けた。

 その直後。袋の中から飛び出してきた一迅の刃が、寸分の狂いもなくゼペットの喉元を切り裂いた。




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