ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

狂犬に首輪は付けられない

 翌日。まだ誰も起きていない、その筈がない時間帯に『闇衲』は部屋を出た。三人には学校があるが、それを言えば連れていけと煩いに決まってる。物分かりが良いのはシルビアくらいなもので、元に戻った『赤ずきん』でも同じ事を言うだろう。それが鬱陶しくて仕方がないから、こうして時間帯を選んだ訳だ。有無を言わさずに外出すれば、あのリアと言えど納得してくれるだろうし。
 ただし、決して一人では無い。『闇衲』の左手を掴む……本来はリアの位置に居る少年こと『狂犬』が一緒だ。舌を噛み千切られ、喋る事が出来なくなった少年は、しかしながら自分を恨んではいない。単純にそれをしたら叩きのめされるからだろうが、彼が理性を無くして暴れるのは、女性を見かけた時だけである。出会った時もそうだった。
 では、一体どうして、女性を憎んでいるのか。今までは飽くまでリアの練習相手として生かしていたに過ぎないので、そこまで興味は無かった。しかし、練習相手にしては力不足になり、リアは学校へ。かつての価値のままでは老朽化が激しすぎて、いずれは無価値になってしまう。そう思ったから、『闇衲』は一転、調べる気になったのだ。この少年の名前さえ聞いていればもう少し容易に調べられたのに、リアの言った通り、舌を噛み千切ったのは早計な判断だったか。お蔭でどんなに脅しても、彼は彼の情報を喋れない。特殊な手段でも使わない限り、彼はもう一度まともに言葉を話す事も出来ないのだ。
 そんな風に彼を作り直したのは自分。なのでこの調査も、自分一人で行うつもりだ。彼女達を置いていこうと決意したのはそういう理由もあるし、割合としてはこちらの方が多い。これから赴く所はあまりに危険が多いので、彼女達を連れていくのはあまりに危険すぎるのだ。仮に連れて言った所で、捕まって、何らかの事柄に利用されるに決まっている。学校に通っていないのならばまだしも、通っているのならそちらに行った方が良いだろう。何の為に入学したのか分からなくなるのも、それはそれで困るだろうし。
 今度ばかりはナイフ一本で出向く訳にもいかず、狂犬の他に連れ立つモノがあるとすれば、それは食料袋である。この宿屋に居る限り、中の食料が消費される事は無い。万が一にも腐っている物があった場合にはリア達に食べさせる事が出来ないので、ここで消費する腹づもりだ。目的地では武装開発も捗るだろうから、トストリスまでに持っていた武器を全て装備していくのも忘れない。
 投擲用の短剣全八六本、鎖鎌、洋弓銃、片刃の剣、飛び出しブレード、防刃手袋、対魔術コート、数種の毒針が仕込まれた篭手、トストリスで見せたあれとはまた違った仕込み靴、盾、対物仕様のナイフと愛用のナイフ、それと棍棒に、火薬玉五つ、槍は折れ曲がってしまったが、一応持っていく事にする。最後はやはりイクスナと、魔物の粘液から作り出した瞬間接着起爆剤。幾ら何でも持ちすぎだと言われたら確かにそうだが、閉鎖都市レガルツィオで生きるにはこれくらいしないとやっていけない。新しい武器を開発したい気持ちもあるので、やり過ぎて駄目という事はあるまい。何かを消費しきれば、そこが埋めていた枠に新たな凶器を仕込める。
 特に仕込み靴が重いので、多少動きは緩慢になってしまう恐れがあるが、それを抜いてもこの仕込み靴は外せない。不意を突くにはこの上ない武装でもあり、仕込む為の厚さは、ともすれば防具ともなり得るからだ。動きを縛る為に足を狙うのは当然の事であるから、この靴はそんな輩に対して非常に効果的である。
 何が仕込まれているかについてはお楽しみだ。使う時が来なければそれでいい。仕込み物は、見せていない時が一番能力を発揮しているのである。正体不明の物体は、それ故に恐ろしい。
「うーあああああああああ!」
「うるせえ。アイツ等が起きたらどうするんだ」
 守るべき者を置いていけば遠慮はいるまい。『闇衲』はイクスナを自分に向ける。
「――――――」
 またミコトに迷惑をかけるのは申し訳ないので、『  』には触れない。だが、この状態のままではレガルツィオを生きるにおいてあまりにも実力不足だ。リアもシルビアも居ないのなら、遠慮する必要はない。幾ら彼女達に過保護とも言える様な能力を掛けているとは言ったって、死ぬ時は死ぬのだ。
 それを買い取った後、『闇衲』は暴れる狂犬の腕を引っ張って階段を降りていく。食料袋の底が背中に触れて、妙に心地が悪く、背負い直した。食べ物しか積まれていない割にはやけに重いが、それだけ食料が溜まっていたという事なのだろう。何年も野宿をする事になると見越しての準備だったが、こうなる事が分かっていたのなら、もっと切り捨てておくべきだったかもしれない。宿屋の扉に手を掛けた瞬間、背後から視線を感じた気がしたので、振り返る。
「…………」
 誰も居ない。気のせいだったか。
「悪いな。まだまだ未熟なお前を連れて行く事は、俺には出来ない。良い子に学校へ行っていてくれ。それじゃあな」
「うあああああああああああああああああ!」
「うるせえんだよ。さっきから何なんだ」
 顔面を一発叩いてやると、狂犬はそのままノックアウト。気絶してしまったので、腹を蹴り上げて
器用に肩で受け止める。向かうは北西に存在する都市、通称『黄金無法都市』のレガルツィオだ。













 リアを置いて行ってしまった事を後悔はしていない。文句を言われるという事は予想出来ているが、端から覚悟の上だ。それに彼女を連れて行った場合、足手まといであれそうでなかれ、奴隷王に利用される可能性が非常に高い。自分があのクソ売女にリアを渡すなんて血迷いがあるとは思えないが、単純に数の暴力で奪取される様な気がしてならない。そして良い様に『闇衲』を利用するのだ。そして捨てるのだ。
 それを防ぐためにも、彼女は連れて行かない。狂犬であれば別に攫われた所で、最悪どうでもいいし、目の前で殺されようが知った事じゃない。こんな少年一人で『闇衲』の行動を縛れる筈もないのだ。 
 だからか、『闇衲』の精神は、徐々にかつての頃に戻ってきていた。そうなってみると、改めてリアと居る時の自分は、温くなっていたのだなと思う。彼女の頭お花畑な行動に毒されたのか、それとも彼女と触れ合っていて、久しい記憶を思い出したのか。別に良い。愉しければそれで良い。この身体に信念などある筈もなく、只愉しければそれで良い。それによって己が不安定になろうとも、構わない。
 この身の果てに汝が罰あり。破滅までの道のりは、まだまだ険しい。
「……はあ」
 腹に力を入れて、呼吸を整える。『イクスナ』で距離を一部買い取って無理やり到着したが、それでも二時間は掛かった。少しくらいの溜息は、どうか許してもらいたい。自分で言うのも何だが、目の前の都市は見ているだけでも息がつまりそうなくらい、建物に溢れているのだ。
 それも豪華絢爛をちりばめた様に煌いていて目に優しくない。遠目に見える人々も、入り口に並ぶ人々も、皆が皆身なりが豪華で、これも目に優しくない。みすぼらしい格好をしているのは自分だけだ。渡すモノだって、本来は無い。本来は。
「お前の事は、誰よりも知っているつもりだ。仕事ぶりを信じているぞ、ミコト」
 躊躇うことなく『闇衲』は列に並ぶ。彼女がちゃんと仕事をしてくれているのであれば、何の問題もなく通れる筈である。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品