ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

漆黒の御姫様

 シルヴァリアは、緊張していた。理由など言うまでもない。また妙な光景が見えたのである。即ち、黒くて素早い羽虫の様な存在に囲まれて、全身を貪り食われる光景だった。
 勘違いしないでもらいたいが、死ぬ事についてはどうとも思っていない。自分でも悪しき慣れであるとの自覚はあるが、殺人鬼やその娘と過ごしていれば、こうなるのも無理はない。死体も死ぬ事自体も、もう日常みたいに見慣れてしまったのである。たとえそれが自分の死に様であろうとも、今更とやかく言う事は無い。それに、自分が価値を持つ限りは、『闇衲』が守ってくれる。少し血の臭いがする事を除けば、とても頼りがいのある男性が、守ってくれる。そんな身分にありながら死亡の心配など、不信の表れでしかない。彼と寝食を共にしていれば、それがどれだけ失礼な事かはよく分かる。だからシルヴァリアは……シルビアは、信用している。
 問題について語る前に、シルビア自身の事について少し語ろう。シルビアは入学当初、その適性を『光』と断定された。この属性の魔術には殆ど殺傷能力が無く、唯一殺傷能力を持つのは悪しき者のみ。決してリア達の事ではなく、存在自体が穢れているモノに効果がある。それ以外は全て治癒、またはその場凌ぎの錯乱にしか使えず、殺戮にこそ価値を見出す者から見れば、ゴミにも劣る属性である。そんな適性を見出されてシルビアが喜んだのは、単純にこれから傷つく事になるであろう二人を治療出来る事が嬉しかったからだ。単純に価値を高められるのもそうだし、治療のどさくさに紛れて、『闇衲』に甘える事も……
 そういう事ではなくて。一々傷を物理的に治療するのは手間がかかるだろうから、きっと役立てるだろうと思っていたのである。ここまで言えば、どうして緊張しているのか理解出来ただろうか。分からない人間等ほぼ居ないとは思うが、一応答えを書こうと思う。
 有り体に言って、攻撃技が無い。
 これは模擬戦である。模擬戦とは殺し合いを想定した戦いであり、基本的には相手をどうにかする必要がある。気絶させたり、降参……は授業にならないか。或いは殺してしまったりするのも、リアは事故に見せかけてやってしまったが、バレなければありらしい。所が、シルビアにはどうしようもない。適性外の魔術は勉強していないし、仮に勉強していた所で模擬戦に勝てるとは思えない。そんな思いから、何もせぬまま遂にこの日が来てしまった。
 しかし、勝ちたい。何故ならば、『闇衲』が来ているから。
 これを恋愛感情だ何だと囃し立てる野次馬が居たとしても、シルビアはそんな理由から勝利を渇望している。何を言われたって構うものか。親に良い所を見せたいのは、娘として当然の感情だろうに。お前は果たして『闇衲』の娘であったかという突っ込みは全て無視する。何にしても彼は保護者だ。良い所を見せたい、褒められたい。そういう感情は当然の如く存在しているし、こんな感情は子供教会に居た頃は絶対に得られなかった。この感情を的確に説明するとなるともう少し教養と年齢を重ねる事になるが、今はこのくらいの認識で良い。とにかく勝ちたいのである。
 しかし、攻撃技が無い。
 気合いだけでどうにか出来る戦いではないのだ。これは魔術を互いに……いや、あんまりにも作製速度に差があるのなら先に打って、相手を叩きのめす戦いだ。この都市は魔術至上主義。魔術を早く作成し、より強力な魔術を撃てた方が価値を強める。そういう意味で言えば、リアの対戦相手は最高の価値を持っていた。ただし、死に勝る損失無し。死んでしまえばどんな優秀な人間も無価値だ。彼女の対戦相手は運が悪かった。彼女以外であれば、きっと勝利出来ただろうに。
 自分の対戦相手……ロレーヌはこちらに語り掛ける様な事はせず、試合が始まるや、黙々と魔法陣を書き始めた。それに対して自分も魔法陣を書く。ただし、出鱈目なものを。
 ロレーヌが程なくそれに気づく。見た事も無い魔法陣に驚いているらしかったが、作製速度を早めればいいだけの事と、また書くのに没頭し始めた。言い換えれば、それは動揺だった。こちらの魔法陣を見て、僅かに動揺したのだ。攻撃技を持たない自分が勝利する為には、そういう隙に付け込まなければならない。
 考えてもみれば、全く逆の事をしている。リアは明らかに反則染みた技だが、あれはあれで一つの魔術。ちゃんとこの戦いには則っている。しかし自分は、ちゃんとこの戦いに則っているように見えて、勝利する為には外れなければならない。シルビアにしか出来ないやり方で。
―――こんな事なら、殺人鬼さんに教えてもらうべきでしたね。
 生憎と、知らない。そのまま凡人である事が、『闇衲』にとって好ましいと言われたから。しかし、見様見真似をする事は出来る。自分で言うのも何だが、光とは純白である。何色にも染まるし、特に黒色には簡単に染まる。
 白の者でありながら、黒の中で生を過ごす。そんな人間は、この世界全体を見回しても数少ないだろう。リアが果たしてどちらなのかは議論の余地があるが、そんな事はどうでもいい。そんな稀有な存在であるシルビアにしか出来ない勝ち方が、ここにはきっとある筈だ。黒色に抱かれた純白の者しか出来ないやり方が。
 その瞬間、シルビアは幻視した。純白のドレスを身に纏い、迎えの馬車を待っている。迎えるのは白馬の馬車だ。この手を取るのは白馬の王子だ、何者にも代えがたく純真な、運命の人。
 本当にそれでいいのか?
 そんな自分を止めたのは、背後に立つ一人の貧乏人だった。いや、病人と言っても差し支えないのかもしれない。双眸を醜く滾らせて、こちらに向けて手を差し伸べている。
 お前は一体、どちらの側に居るんだ?
 そろそろあり方を決める頃だと。その病人は呟いた。白か黒か、ハッキリ線引きするべきだ。世界の一日には夕焼けという狭間があっても、白と黒の狭間には何も無い。いつまでもそんな所に立っていては、きっと自分で自分を見失ってしまう。
 さて、改めて問おう。お前は一体何者だ? その病人は呟いた。だらりと痣だらけの手を差し出して。こちらの心内を黒いランプで照らしあげ。
―――私は。
 言うまでもない。今の自分の立ち位置は、自分が良く分かっている。シルビアは病人の手を取り、その胸に身体を預けた。背後から聞こえる疑問の声。耳を塞いで、病人の胸に顔を埋めた。生きる為にこの身は捧げられた。今更自分が善人などと言える筈もないのだ。ふとドレスを見ると、いつの間にか深淵色に染まっていた。
 どこまでも深く、黒く。果てにあるのは奈落のみ。始まりに破滅、そして絶望。最後に残るものは何も無く、即ち喪失。
 それでも。シルビアはそういう判断をした。心を清く保ったまま、この醜く救いのない黒色に染まっていこうと思ったのだ。このドレスは、罰の現れ。悪と知りながら身を委ねる愚行の戒め。
―――見ていてください、殺人鬼さん。 
 自分だってやれる。伊達に殺人鬼の傍に居た訳ではない。魔法陣を適当に完成させて(と言っても出鱈目だが)、シルビアは対戦相手の少年を見た。既に少年は魔法陣を完成させており、後は魔術を発動させるだけといった所。ここでリアは蛇足を加える事で自爆させたが、自分にそんな芸当は出来ない。
 リアにあって自分にない物。それは、今まで見てきたものの違いである。リアは『闇衲』という殺人鬼こそ見てきたかもしれないが、シルビアは彼に加えて、そんな彼を見ているリアまで、しっかりと見ている。それこそ、シルビアが彼女に勝っている点である。
 目を瞑る。思い出せばいいだけだ。『闇衲』の姿を。自分が今まで見てきた殺人鬼のあるべき姿を。
 恐怖の対象を。死を。不穏を。恐慌を。脅威を。憂懼を。そして投影すればいいのだ。己の染まりやすさを利用して、己の曖昧さを利用して、たった今だけ境界を―――決める!
 少女の雰囲気が変化した事は、どんな鈍い人間も鋭敏に察した。それくらい、彼女の様子は変わっていたのだ。特にリアは直ぐに気が付いて、『闇衲』は感心した様に微笑む。何よりも彼女の気にてられたのは、対戦相手であるロレーヌだった。
「ひっ…………ひっ!」
 温和だった少女は、一転してどす黒い殺気を放っていた。魔法陣から一歩出ようとして、それをどうにか堪えた少年が詠唱しようとするが、歯が震えてまともな詠唱にならない。豹変した少女の殺気は時間を経つごとに増していき、やがてロレーヌから戦意というものを完全に剥ぎ取っていた。その矮躯に身に余る程の殺意は、レスポルカの城門の如く重厚であった。
 シルビアが手刀を作り、真正面に少年を見据える。ゆっくりと持ち上げて腕を動かしただけに過ぎないが、少年に圧迫感と焦燥感を与えるには十分な動作だった。
「……やらないの?」
「あ…………あ」
 少年の視界が捉えていたのは、見るからにひ弱そうな少女では無かった。少年の目には、全身を黒装束で纏めた死神の様な大男が移っていた。手には大鎌、もう一方の手には書物を持っており、理由は分からないが、その書物にはこれから死ぬとされる者の名前が記されていると直感した。
 殺される。
 そんな予感が頭の中を蠢いた。死神との間には距離がある。だが無意味だ。あの大鎌は直ぐにでもこちらの首を刎ね飛ばす。抵抗するだけ無駄であると、心の底からそう思わせられていた。或いは既に、大鎌は首筋に当てられているのだとさえ錯覚していた。
 目の前の少女が、刻印でも刻み付ける様に、ハッキリと言葉を彫りつける。
「貴方のミライ、見せてあげる」
 シルビアは手刀を肘で支えて、たった一言。言葉を投げかけた。
「―――バンッ」








 

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