ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

人の皮を被った人

 本名を知らない人間に対して存在を偽る事が出来る技術。一見すると大した事の無い技術だが、これを甘く見るとどうなるかという事をお見せするとしよう。試合の方は丁度リア対プリスの組み合わせが始まった頃だ。彼女がどんな手段を用いてあの試合を切り抜けるか分からないが、彼女の事だからきっと何か策があるのだろう。そう信じて、『闇衲』は名前すら呼ばれる事の無かった生徒に変装した。
 名前すら呼ばれなかった、というのは語弊を生みそうなので訂正する。名前を呼ばれる前に殺されたので、もう彼の名前は彼を示すものではない。彼を示していた名前は、『闇衲』を示す名前となってしまった。
 彼の名を………………トワイト・プレセスと言う。直ぐに思い出せたので、決して今の沈黙は思い出せなかったとか、凄くどうでも良かったので忘れていたとか、そういう事ではない。断じて違う。確かにどうでも良いけど。
 自分の為に死んでくれた彼の名誉を守る為にも、一応言っておくが、このトワイトとやらに、恨みを持っていた訳では無い。リアが何かされたという訳でも無い。只、目に付いただけである。彼が殺された理由はそれだけ。単純に名前を呼ばれていない中で、たまたま目に付いただけである。
 本当にそれだけ。
 リアと出会う前から思っていた事だが、人間が死ぬ理由なんてそのくらいで十分である。一々感動的な理由なり、殺されても仕方ない様な理由なんて用意する必要はないのだ。大体がして、そんな理由が無くては人を殺せないのなら、この世に人はもっと蔓延っているに違いない。そうなれば、『闇衲』だってここまで血の臭いを被る事は無かっただろう。ともかく、彼は死んでくれた。只目に付いただけという容易な理由で、彼は命を捧げてくれたのだ。そんな彼には感謝しなければならず、そんな彼の亡骸に誓って、リアやシルビアに向けられた邪な目線は、何としても排除しなければならない。
 トワイト・プレセスとしての姿を貰い受けた『闇衲』は、早速視線の一つを掌握している男を殺しに向かうべく、気配を露わに歩き出した。彼の亡骸は校舎の裏側に放置したに過ぎないのでいつかはバレるが、視線を切るまでの僅かな時間を偽るには十分だ。今回は視線を向けている人物全員を殺す事が目的じゃない。飽くまで視線を切り……行おうとしている作戦も絡めて言えば、何処かに視線を集中させて、リア達からその糞みたいな視線を逸らす事が出来れば、こちらの仕事は完了である。
「という訳で、殺させてもらうぞ」
 予告。殺意を剥き出しにして魔導書を掲げると(彼の所有物は偽装できない物のみ拝借させてもらった)、壮年の男性は音もなく仕込み杖を引き抜き、驚いた様に剣先を突き付けてきた。
「と、トワイト君ッ。君は一体何を…………!」
 遅い。
 魔術に関して素人である『闇衲』に魔術は使えないが、魔導書を使う事は出来る。魔導書とは本であり、即ち投擲物だ。相手の顔に投げて怯ませるくらいは役立ってくれる。それにしても、仕込み杖とは中々お洒落な武器を持っているではないか。耐久力が無いのであまり好きではないが、今度作ってみるとしようか。
 魔導書が開かれたまま投擲されると、見開きが男の視界を覆った。その瞬間に『闇衲』―――もといトワイト・プレセスは踏み込んで、その鳩尾に掌底を叩き込んだ。
 するとどうだろう。どうやら服の中に防具を仕込んでいたらしい男の身体は、骨の粉砕音と共に折れ曲がり、街中へと吹き飛んでいった。あまりこの手の武術に精通はしていないものの、やろうと思えば真似る事は出来る。今のだって、防具がある事を見越して、敢えて最速を突き詰めた拳を打った。そして命中する寸前、その力を全て威力に回した。かつてトストリスを訪れた武術家が見せてくれた技で、微妙に汎用性が高いから気に入っている。同じ理由からあの紙芝居の男が放ってきた『鴻猟』も使えるが、今回は避けられる可能性があったので、不採用。
 突如とした生徒の蛮行に、見学していた保護者達が静まり返る。その騒ぎにはさしもの生徒達も振り返ると思われたが、どうやら校庭で行われている戦いに夢中で、気が付いていないらしい。こちらの騒ぎに気付いているのは、保護者を除けばフィーとその背後に居る生徒、及び『吸血姫』だけだ。何気なく振り向いてみると、何とリアの対戦相手である少女の上空に、致死量を優に超えた雷が凝集しているではないか。まともに受ければ、自分でも無傷では済まない。リアが無事でいられる道理は無い。
 彼女がどの様にしてそんな状況を覆すのかは見届けても良かったが、そんな事をしている内に捕縛されてしまうだろうから、一先ずは逃走を優先させる。『闇衲』が逃げ出すと、事態の異常性を完全に理解した保護者達が、全力でこちらの背中を追ってきた。その速度と来たら子供では到底逃げ切れない速度だが、『闇衲』は大人である。そして真正面勝負を得意としない殺人鬼である。
 彼等は不思議でたまらないだろう。自分達よりも足の速い子供の存在について。身長差から考慮したって、普通は考えられないのだから。『闇衲』はそのまま校舎をぐるりと一周回り、彼の死体を放置した方向へと逃げ込む。そして、彼の死体を横切った瞬間に変装を解除し、また元の女子生徒に姿を変えた。適当にCクラスの人ごみに紛れておけば、自分を追跡していた大人達はこの殺人のトリックを見破れない。
 程なくして彼等は、異常に足の速い少年を追っていたら何故か少年が死んでいたという、なんとも奇妙な光景を目にする事になる。
「お、おい! どうなっているんだっ!」
「このガキ、死んでいるぞ!」
「馬鹿、死んだならそれでいいだろ! それよりもエトワール公の治療を…………」
 あの男はエトワールと言うらしい。鳩尾越しに周辺の骨と、ついでに心臓を破壊したので、今更治療に向かった所でまず助からない。蘇生魔術でもあれば話は別だが、仮にあったとしても貴族如きが使える様な相場にはあるまい。生死の逆転は人には遠すぎる技能だ。そんなモノが使えるとしたら、そいつはきっと人間では無い。
 試合の方を見ると、勝利したのはリアの様だった。対戦相手が黒焦げ…………それも最早原型が無くなっていた。どうやって勝利したのだろうか。あの魔術は本来リアが喰らうべき魔術だったので……駄目だ、思いつかない。魔術的発想は欠落している。
 一方、彼女の背後では、教師達が保護者と一体になって、エトワールという男の不幸について悪戯に騒いでいた。現場を目撃した保護者達もどうやって説明するべきか困っている様だった。見たままを語るのなら、『それなりに名前の知れた貴族の息子が、急に殺意剥き出しにして襲い掛かってきたと思ったら逃げ出して』と言うべきなのだろうが、その説明はあまりにも分かりづらいというべきか、現場を見た人間には通じても、試合に意識を傾けていたせいで現場など知る由もない人間には端も通じやしない。様子を見ていると死体を見た、言い換えれば先程まで『闇衲』を追跡していた保護者達も加わったが、やはり教師達は納得のいっていない様子だった。教師達が言い争いをしている様子から見ると、どうやら『闇衲』が殺したあの男子は、それなりに模範生だったらしい。見覚えのある教師が、必死に彼を弁護している様に見えた。 
 それに助け舟を出す訳ではないが、どんな生徒だって、大人に殺意を持ってはいないだろう。『彼はそんな事をする人間では無い』とは月並みな言葉だが、この学校に入学している者の殆どが世間体に縛られた貴族達だ。であればどんな人間も『そんな事をする筈がない』のだが。そういう細かい部分は突っ込まれないのだろうか。試合を終えたリアは直ぐに周りが騒がしい事に気付いたが、露骨に首を傾げている。あれは何が起きたのかまるっきり分かっていない顔だ。随分と察しが悪い様子で。
 或いはそれだけ試合に集中していたのかもしれないが。
 シルビアと同時にやっているモノだと思っていたが、試合の運び方を見るに、違ったらしい。視線切りも終わってしまったし、次に戦う少女の試合くらいは、全て見届けるのも一興である。
 それはそうと、この授業中に人が二人も死んだのに、何事もなく試合を続けるフィーと、それを容認する保護者達の精神は個人的におかしいと思うのだが、これはどちらが異常なのだろうか。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品