ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

無垢な求愛への嫌悪

 少女に才能がないのか、それとも少女の後ろ向きな思考は既に極まっていたのか。夜明けを迎えても、殺意のコントロールを完全に習得する事は出来なかった。高く見積もっても七割程度で、少女が殺意のコントロールを覚えるには、もう数時間は必要である事は明白だった。
「……もう夜明けか。そろそろ貧民街を出ないと、怪しまれるな」
「怪しまれる? パパの顔が怪しすぎるからでしょ」
「違う。いつまで血だまりの中で過ごしたと思っているんだ。お前、今日は登校するんだろ。だったら誰かに目撃される前に、着替えなくちゃな」
 登校するか否かで、彼女に服装の変化があるのは、存外に有難かった。これでもし、彼女が学校の制服のままここに居るのだったら、この血についてどうやって説明すればいいか、考えなくてはならなかった。度重なる暗示のせいですっかり精神の摩耗してしまった少女を一瞥してから、『闇衲』はリアを抱き上げた。
「宿屋に戻るぞ。シルビア達を心配させるのも面倒だ。一言くらいなら待ってやるが、言っておくか?」
「うん。それじゃあねテロル! また三日後、生きてたら会いましょッ?」
 テロルが言葉を返す事は無かったが、リアの中で、このやり取りは完結した。思い残す事は無いとばかりに、『闇衲』の胸の中に顔を埋める。
「それでは、また三日後。この場所とは言わないが、何処かで会おう」
 あの少女の事は心配いらない。七割とはいえ出来るようになったのなら、多分生き残る事は出来るだろう。それよりも問題なのは、果たして荷物の中に、替えの服があったかどうか、という事である。


















 








 リアが来ない日程、退屈なモノは無かった。学校を卒業すれば死ぬ事に代わりは無いし、もう助けてほしいとは思っていない。けれど、だからこそ生きた証、というモノが欲しい。極端な話、子供を作りたい。
 けれど年齢的に、それは無理がある。この年齢で子供を作れない、というのは逆に問題だがそういう事では無くて。多くの人に嫌われている自分と、まぐわろうという存在が居るのかという話だ。結論から言うと、絶対に居ない。だから子供云々は、どうでもいい。
 そこでギリークは考えた。生きた証とは、別に形が無くても良い。つまり記憶である。自分が生きていた、確かに楽しかった記憶。それだけでも、ギリーは残したかった。そこまで思い至ったのは結構だが、次の問題がそれを阻む。
 誰とその記憶を作るか。
 イジナは基本的にこちらへ興味が無いから、誘った所で来るとは思えない。そもそもギリークが好きなのは彼女では無く、もう一人の少女だ。つまり、リア。生きた証を残すのなら、彼女と一緒に何かを作りたい。彼女は優しいから、きっと応じてくれる筈だ。
 一つ問題なのは、どうやってその事を悟らせずに、彼女をデートに誘うかという事。自分の下手な芝居では彼女に気付かれてしまう……いや、別に気付かれてもいいのだが、変な意識を持って欲しくないから……
 考えても、いつもこんな感じで思考が止まってしまう。だから閃きを得るべく、朝に校長室を尋ねたのに、フィーの姿は無かった。代わりに居るのは、何やら不可思議な食べ物を美味しそうに食べるイジナだった。扉を開けた音でこちらには気付かれたが、彼女は一瞥のみで、また食べ始める。
「……フィー先生は?」
「さあ」
 何だって校長の癖に、生徒よりも校長室に来るのが遅いのか。始業前に来る自分達も自分達(そしてその中で飲食を始めるイジナ)だが、フィーもフィーである。χクラスだって、リアが居ない日は成立しないというのに。
 諦めて帰ろうとすると、いつの間にか背後に立っていたイジナに、手を掴まれた。彼女を視界から外したのは扉に向き直った瞬間だけなので、その間に彼女は距離を詰めてきた事になる。
―――本当に人間かよ。
 思わず冷や汗を掻いたが、彼女は仲間だ。何も恐れる必要はない。
「……一緒に、食べない?」
「え?」
 意外な申し出に、ギリークは男らしからぬ間抜けな声をあげてしまった。恥ずかしさに頭がどうにかなりそうだったが、イジナの表情は、石の如く変わらない。
「……一人で、食べるより、二人で食べた方がいい」
「そりゃ、そうだけど。俺なんかでいいのか?」
「同じ、χクラス」
 それはそうだが。まさか彼女にそんな事を言われるとは夢にも思わず、ギリークは暫くの間、意味もなく硬直してしまった。どうしようか考えているのではなく、思考停止したのだ。何度も言うが、それくらいに意外な申し出だった。願ったり叶ったりとはいかないまでも、断る理由なんて見当たらない。
「……駄目?」
「い、いや。駄目って訳じゃ……い、いいけど」
 気のせいだと信じたい。イジナの表情は全く変わっておらず、自分の目が唐突に狂ってしまったのだと思いたい。表情の変化しない彼女を、可愛いと思ったなんて。そんな馬鹿な筈がない。リアが来るまで、どれくらい過ごしてきた。フィーと一緒に都市の治安維持として、様々な事をしてきた。そんな時に、一度だって彼女を可愛いと思った事はあるか? いや、無い。無かった。お互いに、そういう対象では無かった。
 なのに…………
 そこより先の思考は、イジナに手を引っ張られた事で中断。ギリークは無理やり着席させられて、口の前に食べ物を差し出された。
「…………え、こんな風に食べるの?」
「一つしかない、し」
 口を大きく空ければ、所謂あーん状態だ。言いたい事は色々あるが、特に言いたい事は、恥ずかしいという事。食べ物越しに彼女はこちらを見据えているが、それも相まって、非常に食べづらい。もしもこれを口にした瞬間、フィーにでも目撃されてしまったら……
「あ、あー…………ん?」
 意を決してギリークは口を開けた。足音は聞こえない。良く考えてみれば、フィーがタイミング良く来るなんて物理的にあり得ないのだ。つまり大丈夫。そう、大丈夫―――
「もう、待てないわ! ねえ、フィー先生。いい加減ナナシを戻してよ。ていうか何で人格変えちゃったの?」
「何だ何だ。藪から棒にどうしたんだ。今までそんな事言ってこなかっただろ」
「もう限界。もー限界! あんなヤバい奴になるなんて思ってもみなかったわよッ! ねえ早く戻してッ! 戻してってば!」
「一体何があったんだよ。そこまで言うからには、何か起きたんだろうな」
「よくぞ聞いてくれたわね! 実は、今朝の事なんだけど―――」
 そんなギリークの推理を全否定するかのように、二人が言い争いをしながら部屋に入ってきた。足音がしないからあり得ないなどと言ったが、撤回しよう。二人共、どういう訳か完全に足音が消えている。これでは、察知しようがなかった。
 部屋に入ってきた二人は何やら揉めていた様だが、目の前の光景を見て、同時に目を丸くした。
「…………」
 彼女から差し出された食べ物を咥えながら、ギリークも硬直する。自分がスプーンを咥えて離さないので、イジナも硬直している。時間は正常に流れているが、校長室内部は、一時的に世界が停止してしまった様だ。
「……………………リア。その事については後で考えてやるから、今は帰れ。クラスにも友達は居るんだろう」
「し、仕方ないわね。今回の所は大人しく退いてあげるけど、戻さなかったらまた文句付けに行くから」
「ああ、廊下は気をつけて走れよ」
 フィーの見送りが言い終わる前に、リアは足早に校長室を去っていった。見たくもない光景を見てしまって、耐えられないとでも言わんばかりの速度だ。ようやく口が開いたが、フィーに見られてしまった以上、ギリークに明るい未来は用意されていない。
「……話は、たっぷり聞かせてもらいますよ? ギリーク君」
 その下衆な笑顔は、見る者を確実な失禁へと至らしめる。女性の前でそんなはしたない事は出来ないので、代わりに涙が出て来てしまったが。  




 

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