ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

斯くして殺人鬼は、罠に気が付く

 可能性の考慮として、一つ大事なモノを忘れていた。彼は魔物避けの薬を忘れたと言っていたから、そして魔物の正体が、洞窟そのものだったから発想から外していたが、仮にそうだったら、依頼主が見つからないのも頷ける。そしてそうだった場合、リリーの作戦が一部壊れて……いや、別に壊れないか。彼女は何という名将だろうか。多少の事ではびくともしない作戦を練り上げるなんて。
―――しかし、そうなんだとしたら。
 確かめなければならない事がある。それと、疑問が。
「リリー。蛇の体の中からはどうやって出れば良いと思う?」
「え? どうして蛇?」
「洞窟に擬態出来るくらいだから、蛇なんじゃないかなと。で、分かるか?」
「うーん、蛇の生態には詳しくないのよねえ。身体の何処かに穴があるとは考えにくいし、洞窟に擬態してたって事は、周り土だし。仮に穴があっても、脱出するのは無理かしら」
 『闇衲』が懸念している事とは、実はこの蛇が、依頼主ないしは依頼主の村で飼いならされている魔物だとしたら、という可能性である。もし、そうだとしたら、依頼主を探す事には何の意味もない。飼いならされているという事は、誤って飲み込まれてしまった場合の事も考えられているに違いない。体内にいつまで居たら消化が始まるのか知らないが、そうなのだとしたら、酷く時間を消費してしまった。時間を買い取れば遅らせる事が出来るが、今の『闇衲』はそれに見合うモノを持っていない。何にしても、早い所脱出しなければ全てが手遅れだ。最低限、リアだけでも外に出せてやればそれでもいいが、一体どうやればいい。
 悪戯に進み続けても無駄なのは、この一時間の間に良く分かった。魔物との戦闘はリアに任せているが、予備の短剣も切れて、後は直接戦闘のみである。魔物自体は弱いからそれはさほど問題では無いのだが、ここに至るまでに遭遇した魔物の全てが、著しく視界を穢すと言ってもいい程の醜さなのは問題だ。最初こそリアも殺る気だったが、数を重ねるにつれて徐々にやる気が無くなり、終いには返り血でさえ、『闇衲』の服で拭い始めた。
「汚え」
「いいでしょー少しくらい! 私だってあんなの殺し続けるのは御免よッ」
 幸いにも感じるのは獣の臭いだから彼女も怯えないが、これがもし精液だったらと思うと、彼女はどうなっていた事やら。至らない部分はリリーに補助を任せているので、万が一があるとは思えないけども。
「うう……体がべとべと。これじゃお嫁に行けないわ……」
「行く気もねえ奴がほざくな」
 彼女のボケに付き合っている暇は無い。今はこの退屈な時間帯をどうにか打開しなければ。魔物との戦闘も、駆け引きがないから実につまらない。する事は無いでは無いが、言ってもナイフを投げて進路を決めて、その方向に魔物が居たらリア達に任せ、たまに介入するくらいだ。その介入する時とやらも、二人が生理的に無理と言っている魔物と遭遇した時くらいなモノだし。
「ひっ! ぱ、パパ。後は任せた!」
「ん?」
 飽きたと言っても、まだまだボケる余裕のあったリアが、突如として自分の背後に隠れた。前方を見ると、全身が触手で構成された気味の悪い魔物が、触手を束ねて作ったとみられる不安定な足取りで、こちらへと肉迫してきていた。触手の長さは……一々測っていないが、『闇衲』を挟まなければ、リアまでは余裕で届く。
 こいつだ。この触手の集合体こそ、二人が無理とされる魔物。自分が瀕死の重傷を負っていた時にリアも戦ったが、その際は空中にいたがばっかりに拘束されてしまい、危うく呑み込まれてしまう所だった。あの男が助けに来なければ、きっとそういう未来が待っていただろう。
 それが分かっているからこそ、『闇衲』はこの魔物に対して、一切の容赦をしない。彼女は自分の娘だ。一般常識的に考えて、娘をいい様に蹂躙されて気分の良い父親は存在しない。魔物には知性が無いので仕方ないと言えるかもしれないが、それにしてもこの魔物には、前科がある。まともに動けなかった自分の前で、リアを蹂躙しようとしたのだ。
 そんな奴を許せる程『闇衲』の器は広くない。終わりよければ全て良しという言葉もあるが、彼女の人生には始まりも中継ぎも終わりも全て良しで居てもらいたい。この魔物と交戦する事になるのは道中を含めて四回目くらいだが、それまでに一度も、自分は手加減をしなかった。する気も無かった。
 魔物の触手圏内に入る前に、『闇衲』は片刃剣を抜刀し、その不安定な足を切断。魔物は勢いあまってつんのめるが、それでもどさくさに紛れてリアを巻き込もうとする事は分かっていたので、抜刀の勢いを残したまま剣を投げ捨て、魔物の中へ手を挿入。触手だけで全身が構成されていると言っても、必ずその根元は集合する必要がある。こうして掴んでしまえば、幾ら触手と言ってもこうして掴み切る事が出来る。触手一本が些細な重さでも、数百も掴めば大した重さになる。とても重かったが、投げ飛ばす事を阻止するには重量不足だ。
「ふんッ!」
 宙高く投げ飛ばされた魔物は、それでも尚、触手を『闇衲』へ―――正確には、その背後に居るリアへ伸ばしたが、それよりも早く『闇衲』は鎖鎌を取り出し、その場で一回転。勢いの付いた鉄球を放り出して、魔物を薙ぎ払う。
「ピギャアアアアアアア!」
 耳が犯されてしまったような錯覚を受けても、それは恥ずべき事ではない。魔物の叫び声は、そう思っても仕方ないくらいの高音だった。あの体の一体何処に声帯があるのか。気になる所だが、解剖したってどうせ触手しか出てこない。素早く鎖を手繰り寄せてから、今度は壁に叩きつけられ、ゆっくりと滑り落ちる魔物に、振り下ろしの要領で鎌の方を投げつけた。半月の刃は想定通り魔物の中心に突き刺さり、引っ張ると、魔物の身体も一緒に動いた。
 周囲を見回すと、魔物の発した高音に引き寄せられた他の魔物が、数にして二十三匹も集まっている。
「……リア、俺の背中に乗れ。リリー、頑張って付いて来い」
「え、付いて来いって―――」
 魔物が立ち上がろうとした瞬間、有無を言わさず『闇衲』は走り出した。体勢の整いかけていた魔物は勢いに負けて転び、鎖鎌に繋がれたまま、引きずられる。
「ひゃー早い早いッ。パパって、こんなに早く走れたのねッ」
「悪いが走りを止める暇は無いぞ。しっかり背中に乗っておけ」 
「はいはーい! 所で、どこに向かってるの?」
「知らんッ。触手野郎はどうなってる?」
「まだ生きてる。けど、全然こっちには伸ばせてないかな」
 触手の魔物は自身の身体を守る事に精一杯で、全くこちらへ触手を伸ばせていなかった。『闇衲』の全速力は、魔物も動揺してしまうくらいに素早かったのだ。
 勿論、それに並走するリリーも、そんな勢いで引っ張られているにも拘らず千切れない鎖も凄いが、その使用者である『闇衲』は、殺人鬼などという卑しい枠を遥かに超えていた。
 まさかここまでの力を持っていたとは、リアも予想外だった。彼が馬鹿力なのは知っていたが、おまけに持久力まであるとは。こんな男に暴力を振るわれ続けて、良く自分も生きていたモノだと、何だか自画自賛までしたくなった。
「…………一つだけ、言い忘れた事がある」
 誰に向ける訳でも無く、『闇衲』が不意にそんな事を言い出した。
「良く聞けクソッタレの魔物ども。俺の娘、俺の友人を蹂躙したいってんなら―――まずは俺を殺してからにしろ。話は―――それからだあああああああ!」
 『闇衲』は予兆も無しに足を止め、それと同時に上半身を捻転。鎖を持っていた腕の筋肉が、瞬間的に異様に膨らむと同時に、怪物が投げ飛ばされた。
 鎖の長さと、魔物の重量を考えれば、力の伝わり方から言って、まともな筋肉で出来る芸当とは思えない。魔物はまたも壁に叩きつけられたが、今度は『闇衲』の洋弓銃によって身体を縫い留められて、機能を停止させた。まだ息はあるらしく、必死に触手を女性陣へ伸ばそうとしているが、残念ながら距離が遠すぎた。
「……あまり魔物に詳しくは無いが、どうやらあの魔物、女性にしか興味がないらしいな」
「その通りよ。あの魔物の名前はブラックナーサリー。幾つもの魔物の種を持っていて、苗床にした女性を、その種が対応出来る様に改造、開発して、自分自身の種と一緒に産ませるの」
「……成程。という事は、寄生虫の一種みたいなモノか。他の魔物も繁殖して、自分も繁殖して」
「で、他の魔物が成長したらその肉体を乗っ取るらしいの。それで、徐々に肉体を食べていって、最終的には触手だけになるって訳。後、苗床にされたら死ねない体になるらしいから、より優秀なのが手に入るまで、その女性は死ぬまで苗床って話も聞くわね」
 リアの場合は最初からそういう体質なので、開発の手間が省けて、あの魔物には都合が良さそうだ。この体質のせいで、どうやらこの少女は、種族に拘らず雄に好かれやすい体質になってしまったらしい。可哀想に。あんな気味の悪い魔物にまで狙われるなんて。
「何だか、聞けば聞くほど寄生虫染みているな」
「それにしてはデカすぎるけどね。男性でも苗床にする事は無くもないらしいけど、その場合は即座に全身を食い潰されるらしいわ」
「ゾッとする話だな。そんな奴がどうしてこんな所に居るかは、一考の余地がありそうだ。俺が知らないという事は、基本的に人里近くには出ないんだろ?」
「まあね。こんな奴が出てきたら問題になってるし」
「だろうな。じゃあどうしてこんな洞窟……魔物の体内に居るのかって話だが、今は気にするだけ無駄だな……ふう」
 これを無視しろという方が難しい。会話を適当に切り上げてから、『闇衲』は背中に乗っている少女を見遣った。
 平静を取り繕っている様に見えるが、その心拍も、手の震えも、平静と言うにはあまりに加速していた。魔物の名前が判明した下りからおかしくなっていったが、やはりこの手の魔物には、心理的恐怖を抱いているらしい。
 自分もその生殖活動を聞いた際には、女性であるならば恐ろしいだろうと感じたが、特に子供教会という前段階を踏んでいる彼女ならば、このくらいの恐怖は抱いても無理はない。
「…………リア」
「な、何ッ?」
「お前が怖がる必要は無い。俺が父親である限りは、お前をこんな魔物には与えないさ……たとえ、どんな禁忌を犯す事になったとしても、どんな危機的状況になったとしてもな。だから安心しろリア。お前が不安になる必要は何処にも無いんだ」
 同一人物とは思えないくらいに優しい声で、諭すように『闇衲』は言った。背中に乗っているのでしてやれないが、本来ならば抱擁の一つでもして、安心させるべきである。
「……信じられないか?」
「べ、別に、そういう訳じゃ。只、パパも普通の人間だから……その。死んじゃったら―――」
 どうやら彼女は、不老不死でない者に何を言われても、最低限の不安はどうしても残ってしまうという事を言いたいらしい。ならば不老不死になれば良いのか、と。そんな発想で、そして簡単に不老不死になれたら、世の中に死は蔓延らない。殺人鬼も、商売あがったりだ。言いたい事は分からなくも無いが、彼女のやり方に従ってしまうと、その不安を完璧に消す事は実質不可能である。
 ……そういう気分になる事は、今後確実に存在しないが。リアを安心させる為にも、少しの嘘は必要経費か。
「言いたい事は分かった。だが何度でも言おう、安心して欲しい。俺はあの魔物に付いて知らなかったが、この手の魔物に対する対処法ならば心得ているからな」
「な、何?」
「それより先に誰かの奴が着床していればいい。もっと言えば、既に妊娠していればいい。そうすれば妊娠は、物理的にあり得ない。流産とかは、この際置いといてな。だから、どうやってもお前を助ける事が出来ないんだったら、俺がお前を孕ませる。それでお前は、確実に助かる」
 齢十五も超えぬ女性にするべきではない問題発言だが、こうでもしなければ彼女も安心してくれないだろう。一時の気の安らぎを得る為の姑息な嘘でしかないが、それもまた、娘が安心して育つ為には必要な嘘だ。
「まあ、もしもそこまで絶望的な状況になっていたら、俺は死んでいると思うがな。仮に生きていたんだとしたら、お前が生んだ子供も、お前もまとめて面倒を見る事を約束する。あの魔物への不安は、この言葉で払ってくれないか」
「…………言葉だけじゃ信用できない」
「なら、俺の体にナイフでも刺すか?」
「それも足りない。信用して欲しかったら―――!」
 リアが何かを言い掛けようとした時、その言葉を大袈裟に遮る形で、周囲の空間が脈動した。遠くに見える魔物も、その脈動に体勢を崩してしまう者も少なからず居た。恐らく、外に出るんだったらこういう方法が一番だ。魔物にまで通用するかは怪しかったが、通じたならば何より。
「リリー! 俺の体に掴まれッ」
「え?」
「いいから早く!」
 鈍過ぎる。こちらから彼女の手を握りしめると、それから間もなくして、三人の人間など軽く吹き飛ばしてしまえる強風が、何処からともなく吹き込んできた。



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