ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

刻は無限なり

 それにしても、不思議だ。あれだけ激しく戦っていたのに、リリーやあの依頼人がちっともこちらの様子に気が付かないなんて。この魔物の体内は一体どうなっているのだろうか。単純に広すぎて気が付かないだけなのか、それとも何らかの特性により音が聞こえなかったのか。リリーは数少ない『闇衲』の信頼できる人物でもある為、最低でも彼女だけは連れ戻しておきたかった。『闇衲』はあの男が指した方向に漠然と歩き続けたが、一向にリリーの気配を感じ取れない。この魔物の体内とやらは一体どうなっているのだろうか。あの男が派手にドンパチやってくれたのに、誰も気づかないなんて。仮に音が聞こえない特性だったとしても、ならばあの巨大な魔物が倒れた事にさえ気づかないのはおかしいというモノだ。
 まさかとは思うが、死んでしまった? いや、そんな筈はない。これは信じる信じない以前の話、当たり前なのだ。自分はこんな所で簡単に死んでしまうような女性と交流は取らない。依頼人はともかくとして、彼女だけは絶対に生きている。彼女であれば日頃の行いは良いだろうから、自分の様な不運には遭っていないだろうし。
「リア、何処かにどっちか見えるか?」
「んーこっち側には見当たらない。パパの方も見当たらないの?」
「見当たってたらお前には聞かねえよ」
 イクスナを使ったお蔭で視界に問題は無い。どれだけの暗闇であろうとも、暗闇を買い取ってしまえば通常の視界とほぼ変わらない。それなのに見つからないという事は……ん? 自分達の視界が普通だからあの時は分からなかったが、あの男は視界も碌に働かない状況で自分達と戦っていたの。改めてあの男がどれだけの異常存在かを思い知った。そりゃあ、勝てる訳が無い。猶更容認は出来なくなったが、今の自分では実力不足も甚だしかった。無策で突っ込んだ事は後悔している。
「ていうかこの中、すっごく広いわね。もしかして落ちちゃったのって私達だけなんじゃないの?」
「それはないだろう。あの男が嘘を吐く意味があるとは思えないからな」
「嘘を吐く意味がない事を意味にしていたら?」
 聞き流すにはあまりに複雑な言葉を聞いて、『闇衲』の足が止まった。振り返って、リアを見る。
「どういう事だ?」
「だからさ、嘘を吐いて私達をこうして戸惑わせる事を目的にしてるって事。嘘を吐く事に意味は無いけど、意味のない嘘を吐く意味はあるというか……あれ? 分からなくなってきちゃった」
「ああ、もういい。言いたい事は大体分かったからな。取り敢えずそのおめめぐるぐるをやめろ」
 歩みのおぼつかないリアを連れて、また歩き出す。
 しかし、あの男がそんな愉快犯的な行動を取るとは思え……るか。あの短時間で男の事を何もかも知り尽くした訳じゃ無い。それに、わざわざ『闇衲』の殺し合いに付き合ってくれるくらいの余裕は持っていたのだ。これくらいの事をしてきても、彼にとっては悪戯の範疇だと考える事は出来る。
 またはリアに背中を切られた事を根に持っているかだが、だとしたら相当陰湿なやり方である。
「しかし、嘘にしても俺達はそれを手掛かりにしなきゃならない。リリーだけでも見つけられたら、最悪帰還するんだがな……どちらも見つからないとは驚いた」
「あ、私いい方法思いついちゃった」
「碌な方法じゃ無さそうだ。やめろ」
「聞いてよ!」
 横腹に強烈な一撃が加わる。特に痛みは感じなかったが、こちらの動きを止めるには丁度良い拳だった。『闇衲』は振り返り、少女の頭を撫でた。まだ何かを発言した訳では無いが、少女の頬は上気して、声は分かりやすく上機嫌になった。
「一応、聞いておこう」
「えっとね、大声を出して呼ぶの。もしも二人が、またはどっちかが生きてたら、返してくるでしょ?」
「成程」
「名案だと思わない?」
「思わん」
 『闇衲』は直ぐに歩き出して、引き続き二人の捜索に意識を戻した。何かと思えば、実にくだらない案じゃないか。少しでも期待した自分が愚かだった。
「何でよ! 完璧でしょッ?」
 どうやら本人が納得出来ていないらしく、このままだとワーワーうるさいので、『闇衲』は再三にわたり立ち止まる事になった。
「まず一つ。お前が戦った奴以外に魔物が残っていない保障は何処にもない。仮に残っていた場合、大声で叫んだらバレるだろ。次に二つ目。ここは魔物の体内だ。下手に大声を出して、それで刺激させてしまったらどうする? 今度は俺達も離れ離れになるかもしれないぞ。最後に三つ目。見つかる確証がある訳でもないのに、無駄な体力は消費したくない。以上だ」
「何よそれッ! 私が信じられないって言うの?」
「クソガキ。俺を非難するのは勝手だが、自分でそんな事を言って惨めに思えないのか? 俺が言っているのは可能性の話だ。一つ聞くがお前、この体内に魔物はもういないって証拠、出せるか?」
「え? …………む、無理だけど。それがどうしたのよ!」
「じゃあこの可能性は否定出来ないな。どうしても否定して欲しかったら、もういないという完全な証拠を出せ」
 悪魔の証明とは、何かが存在しないという証明は、何かが存在するという証明よりも難しいという考え方の事であり、『闇衲』はこれを少しばかり悪用したに過ぎない。彼女にはこの考え方を話した覚えがないので、この理屈を切り崩される事はあり得ないだろう。彼女は否定する側であり、証明する側だ。その立場に居る限り、そして悪魔の証明を知らない限り、この口論において『闇衲』は無条件に勝利している。
 勝ち誇ったような笑みが出てしまった気もするが、表情の違いは些細なモノだ。リアは気にも留めていない。
「怒らないで聞いて欲しいが、お前の事を信じていない訳じゃない。でなきゃ殺人鬼が指輪を渡したり、こうやって手を繋ぐ筈が無いだろう。相変わらずのクソガキだとは思っているが、そこは分かってくれよ」
「……じゃあ、信じてくれたっていいじゃない。私が居ないっていうんだから居ないんだってッ」
「守るのは俺で、被害に遭うのはお前だ。お前の安全の為にも、そんな不確かな事は出来ない。刺激は確かに人生を面白くするけどな、お前は直ぐ決着を付けようと魔術使って動けなくなるんだもんなー」
「あ、あれは仕方ないでしょ! まだ慣れてないのよ身体がッ。後もう一年使ってればそんな事も無いって!」
「碌に体力もついてねえお前があんな魔術使った所で倒れるのがオチに決まってるだろ。重要なのは地力だ、魔術じゃない。俺は素人だからその辺りは分からないが…………一つ言うとすれば、魔術師ほど殺しやすい存在は居ないんだぞ?」
 わざわざ足音を盛大に立てているのに、二人の姿が見えない。あまりに体内が広すぎる。もしかして、彼女の言った通り叫んだ方が良いのだろうか。だがそれだと……うむ、あまりにもリスクが大きい。
「何で? いちいち詠唱するから?」
「それもあるが、魔術師はやたらと自分の魔術に自信を持っている。この世で最も殺しやすい奴はな、自分の事を強いと思い、自分には誰も敵わないと思っている奴だ。そういう奴が一番、足をすくえる。お前はそんな奴になってくれるなよ」
「分かってるわよ、そのくらい。要はお淑やかで謙虚ならいいんでしょ?」
「お前にお淑やかは求めてないから、削除してくれて構わん。それは多分、シルビアに任せる」
 彼女の性格はお淑やかというより、お転婆だ。長くは無いが決して短くない期間付き合ってきたから、彼女にそれを求めるのは間違っていると、流石に分かってきた。それに、自分は世界最高の女性になれとは言ったが、完璧な女性になれと言った覚えはない。だから、彼女に淑女の気品を求める様な事はしない。
 それがどうやら遠回しに過小評価されたと感じた様で、リアは暫くどんな言葉を掛けてもむくれているだけだったが、視界に入った物を見て、直ぐにそんな強情は緩んだ。
「パパ、あれ!」
 リアが指さしたのは、男が銃をぶっ放した方向から僅かに逸れているが……それでも、そこにはリリーが居た。こちらの足音に気付いた彼女は、直ぐに駆け寄ろうとしてきたが……己の身体を抱きしめて、直ぐにそれを中断した。
 仕方がないので、こちらから近づいてやる事にする。
「…………リリー」
「ふぉ、フォビア。あんまり、見、見ないでよ…………凄く恥ずかしいじゃない…………」
 こちらは全く恥ずかしくないので視線は逸らさない。今はそんな事よりも、誰が彼女をこんな風にしたのか。それが問題だ。
 『闇衲』は上半身の服を脱ぎ、乱雑に彼女の顔へ投げつけた。
「取り敢えずそれを着ろ。全裸のお前を見ていて、後でこいつにギャーギャー言われるのも面倒だ」
 言われるがままに『闇衲』の服を着たリリーは、襟を両手で引き籠るように握りしめた。





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