ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

触れずも切れる殺人鬼

 彼女と抱き合っていたら、ここが魔物の体内だという事を忘れそうになった。自分達は依頼の最中にこの洞窟……というより洞窟に擬態していた魔物の体内に入ってしまい、魔物避けの薬を使用しなかった事で魔物に存在を感知されて、体内の何処かに落とされてしまった。今は差し当たり脱出する為に依頼人及び同行者を見つける事を目標としているが、そういう状況にある事を忘れてはならない。ここは決して、自分達の隠れ家ではない。
 ……と、意識の装いも新たに、『闇衲』は早速状況の打開に動こうと思ったのだが、彼女に優しくした事が不味かった。彼女にどれだけ命じても、離れようとしないのだ。
「離れろ。重い」
「それが父親の重みってもんだ、『闇衲』。娘を持つ事の重大さぁ……身に染みて分かったんじゃねえのか」
「誰目線で言っているんだこのクソガキ。せめてくっつくなら背中に回り込め。動きにくくてかなわない」
 カメが背中では無く、胸に甲羅を持っていたら酷く滑稽な動物として世に知れ渡っていただろう。『闇衲』は前に重量がかかる事を、あまり好ましいとは思わなかった。自分は紛れもなく男性なのだから、妊婦の苦しみを知る必要は何処にもないのである。
「せっかく俺が譲歩してやってるのに、お前も妥協しようとは思わないのか。本来なら、突き飛ばしているんだが」
「ふふ、フォビア君、この私を引き剥がせるかな? ゼロ距離で接着している私は、山の様に動かないきゃああああああ!」
 誰の目線で言っているか分からないが、目下にそんな口を聞かれて黙っていられる程自分は器の大きい人物ではない。胸を突き飛ばすのが手っ取り早かったが、それで後に『パパに胸を触られた』だとか言われても面倒なので、彼女の太腿を握り込んで、強引に彼女の体を引き剥がす。
 そして振り回す。
「三秒以内に謝罪しないとこのまま叩きつける」
「ごめんなさあああああい! 謝るから許してえええええッ!」
 素直でよろしい。これだから子供は扱いやすいから助かる。乱雑に彼女を振り回すのを止める為にも、一旦真上に彼女を投擲。両腕を内側に向けて突き出すと、丁度そこに収まる様にリアの身体が降ってきた。形としては、横抱きである。
「パ、パパ? この体勢って……」
「何か不満でも? それなら落とすが」
 彼女の言葉を待たずして、『闇衲』は彼女の身体から手を離した。宙に放り出された彼女の体が重力に従って落下。相応の威力で叩きつけられるが、この手の暴力には完全に慣れてしまったらしく、痛がる素振りも見せないでリアは立ち上がった。
「返事くらい待ってってば」
「あんな所で喋った時点で不満があるのは確定だろ。それともお前は、俺に不満以外で言いたい事があったのか?」
「当たり前よ。それであの体勢の事なんだけど……パパなら、勿論知ってるよね? 今の抱っこが、どういう人にやるべきなのかを」
「略奪婚の名残って話か? 安心しろ、べつに俺はお前の事を異性として認識している訳じゃない。そういう認識が生まれた時点で、俺は男として終わるからな。お前の事を誰よりも大切な存在とはみなしているが、そこは勘違いするなよ」
 自分がおかしいだけなのだろうが、やはりどうやったらこんな少女に興奮出来るのかが理解出来ない。愛らしい、愛おしいと思う事はあっても、そのような感情を抱く事は、常人にはあり得ないと思うのだが。こちらにしてみれば悪意はなく、むしろ彼女を安心させようと思ってした発言だったが、彼女は大袈裟に口を尖らせていた。
「何で私を女性として認識できないのよッ! 私ってば可愛いでしょ?」
 どうやら、そこが納得出来なかったらしい。甚だ理解に苦しむ。
「ああ、確かに可愛いな。そんじょそこらの女には負けないくらい美人だ。流石は子供教会が選りすぐっただけはあると言いたいが、それと欲情とは話が別だ。自分でも性欲が薄い事は自覚しているが、それにしても最低限、成人してから言ってくれ。今のお前がどんな格好をしたって俺には響かない。まだミコトが同じ事をしてくれた方が欲情出来るだろうな」
 他意はない。単純に、子供か大人かという差について話をしたいだけだ。言い終わってから勘違いされてもおかしくない発言だったと気付いたが、リアの注意はそこに向けられておらず、発言は無事に流された。
「じゃあじゃあッ、私が成長して、パパを興奮させる事が出来たらどうする?」
「何でもする」
 即座に言い切って見せた事に、リアは目を見開いて仰け反った。好きなだけ願いを叶えてやると何が違うかは言うまでもない。願いを叶えるとは、その時のみの約束だ。一方で何でもするとは、無期限無制限の権限のようなモノ。彼が何でもすると言ったら、自分は何でも出来る。彼との勝負に勝ったら、自分は彼の全てを手に入れる事が出来るのだ。
「まあ無理だろうがな。出る所は出ているという言葉を難なくこなしているミコトでさえ無理なんだ。伸びしろどうのこうの以前に、只の美人では俺も興奮はしない」
 幸か不幸か、『闇衲』の女性の知り合いは実に極端である。やたらと恐ろしい雰囲気を兼ね備えているか、やたらと美人か。リアが知る由は無いが、奴隷王と呼ばれている女性は、本当に女性なのかと疑いたくなる程の男っぽさを持ち合わせている。そんな奴に欲情しないのは当たり前として、自分が言いたいのは、様々な女性と知り合っていても尚、他の男共と同じ様な興奮はしないという事だ。
 つまりこの勝負、絶対に勝てる。合法的なイカサマだ。
「言ったわね! じゃあもし興奮させる事が出来たら、私を元居た世界に帰した上で、パパにも来てもらうからッ」
「構わない。どうせこの勝負、最初から俺の勝利は決まっているんだ。それじゃあもし、俺が勝つ事が出来たら、そうだな。一日中夜の相手をしてもらおうか」
「え」
「冗談だ。それだと本末転倒だからな。そんなバカげた報酬は要らない。……思いつかないから、俺が確実に勝ってから決めるとしようか。どうする、今なら引き返せるが、やるのか?」
 引き返すのが利口な判断だ。どういう手段を使っても、自分を本来の意味で欲情させる事は難しい。殺人鬼とは人でなし、人の感情を持たぬ怪物だ。そのような感情すらも、殺している内に、何処かへ忘れてしまっている。リアは暫く考えた様子だったが、やがて元気よく頷いた。
「やるわ!」
「―――そうか、まあ、頑張ってくれ」
 盛大な負け試合の始まりだが、既に終わってもいる。彼女に勝てる可能性など万に一つもないのに、一体どんな戦術で来るのか楽しみで仕方ない。まあ、だからこそ。勝てる見込みのない戦いで勝利を得ようとする彼女には、一つ忠告しておきたい。
 自分からは誘ってくるくせに、いざ少しでも責められると身を退くのはどうにかした方が良い。如何にも生娘といった感じが出ている。あの反射が治らない限りは、そもそも勝負の舞台にすらいないと言っても良いだろう。この事からも、『闇衲』には絶対に負けない自信があった。
「…………さて。どうでもいい賭けが始まった所で、いい加減二人を探すぞ。消化されてたりしたら目も当てられん」
 リアの手を引っ張り、『闇衲』は歩き出した。


 












 女性の美しさはどうすれば上がるのか、と。リアはいつだったかフィーに尋ねた事があった。どうして男性であるフィーに尋ねたのかは分からなかったが、とにかく美しくなりたかった。世界最高の美女になって、『闇衲』を驚かせたかった。
「女が美しくなる方法……? そんなものを俺に聞いてくるなんて、お前も変わった奴だなあ」
「何か知らない? 出来れば確実に美しくなれる方法!」
「そうは言ってもなあ……まあ、一つ言えるとすれば、あれだな。恋をすれば人は美しくなるって言葉と同じで。良いかリア? 誰か一人、特別な誰かの為にって思いがあれば、人は結構、変わってくモノだぞ。お前が絶対に振り向かせたい相手、見返したい相手、何でもいいさ。同性でも異性でも、関係ない。ソイツの為だけにって相手を見つける事が出来たら…………まあ、努力の方向性はさておいて、美しくなるモノだと思うぞ?」

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品