ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

世界最強の男

 ……銃?
 腹に大穴開けられて動けないが、視界だけは問題なく機能している。リアに渡す前に『イクスナ』で視界を機能させておいて良かった。お蔭でおかしな光景が……奇妙な男をしっかりと認識する事が出来た。何らかの魔術を使用した事で人外じみた動きを獲得したリアも十分に見応えはあったが、そんな彼女は代償からか無様に倒れてしまっているので、もう興味はない。あったとしても、今の自分にはどうしようもない。それよりも気にするべきは、文明に対して著しく理解の無い、場違いな雰囲気の男である。楽に人を殺せるからと思われては困るから教えなかったのに、この男が銃の存在を教えてしまった。まだこの大陸に来るには十五年程早いというのに、どうして文明の発展を急ぎ足で行う必要があるのやら。
 おまけにあの男、銃の癖に弾を一度も装填していない。それはそうだろう、何せ一度も弾切れしていないのだから……ってそういう事じゃない。どうして銃なのに弾切れしないのだ。巨大な魔物を何らかの手段で殺害したリアは、その直ぐ後に倒れて、それきり動かなくなった。周りに居た他の魔物は、例外なく男に弾を浴びせられて死亡している。一人で自分と同じくらいの仕事をしようとした少女の手助けをしてくれたのは感謝しているが、それと信用は別の話。男は両腰に銃を差すと、リアを無視してこちらへと近寄ってきた。男の肉体年齢は顔より十歳程度離れている様に見えたが、鼻筋に沿った逆さ十字がお洒落の一種だとするならば、男の実際年齢は肉体と相違ない。顔より、というか、単に老け顔なだけか。返り血一つ浴びていない純白のコートが、男の密かな実力を示している。
「お前、あの少女の父親か? 顔が似てないな」
「放っておけ…………お前は、どうしてここに居るんだ?」
「一応、体裁は洞窟なんだ。いちいち居る事に理由は要らないだろ。強いて言えば、旅の途中だったって所だが」
 話を聞いても大した収穫は無さそうだ。男は冒険者でも何でもなく、只の放浪者だった。ここに居るのも、洞窟を通り抜けようとしたら喰われただけと、その下りはこちらと全く同じらしい。男から異様な雰囲気を感じたのだが、それは気のせいだったのだろうか、だとしたら自分の勘も随分鈍ったモノだ。こんなしょうもない放浪者から異端の臭いを感じ取るなんて。いや、だが。
 只の放浪者だとするならば、どうして銃を持っているのか。しかも、弾切れしない銃を。
「にしてもお前、随分と運が悪いなあ」
「……分かるか」
「ああ。どんなにもっても後一時間が限界に見える。これじゃあ、あの少女が目覚めた時には、お前の死体が映ってしまうな」
 男はケタケタと腹の立つ笑いを浮かべている。瀕死の身と言えど、この男の笑い方は欠片も許容出来なかった。せめてものお返しに殺気を放つも、生気の抜けかけている身では、殺気など雀の涙に等しき冗談に過ぎなかった。
 男は突然笑う事をやめて、傷口に銃口を押し当てた。
「楽にしてやろうか?」
「…………そうしてくれると、助かる。が、まだあのガキが大人になってねえのに死ぬのは御免だ。端から無理だと分かってはい……るが。助けては、くれないか」
 命乞いなど愚か者のする事だと思っていたが、成程。彼らの気持ちが良く分かった。彼等は本当にどうしようもなくて、自分の力じゃ切り開けない事を悟ったから、せめてもの思いで手を伸ばしていたのだ。生の縁を掴もうと、死の淵から這いあがって。何とも醜い生き様と自覚しているが、リアも気を失って、今の『闇衲』に出来る事はこれしかなかった。
 彼女の父親たる自分がすべき事は、とにかく生きる事。それ以外の事を考えるのは後回し。
 男が銃口を逸らした。
「……命乞いか? お前はそう言った人間を、何人見捨ててきたんだ」
「……お前は、一体」
「血の臭いが全然落ちてないからな、幾ら何でも分かるさ。しかし、お前を見捨てるのは簡単だが、それをすると余計な人物が悲しむ事になる」
 男が視線を逸らした先には、無様に倒れ込んだリアの姿があった。
「俺には、あの少女が罪のない人間に見える。そんな奴を悲しませるのは俺の仕事じゃない。だから俺は―――お前を助けてやろう。あの少女の為にな」
「……罪が無い? そいつは、人殺し……だぞ。無罪処か大罪人だ…………それを、お前は容赦するってのか」
「俺の眼には綺麗なモノしか映らない。汚い世界を見るのはもううんざりだ」
 果たしてそれが答えたり得ているのかは甚だ疑問だったが、男は懐から小瓶を取り出して、それを強引に『闇衲』の口へ突っ込んだ。乱暴なやり方に、咳込んでしまいそうになったが、不思議とその液体は喉に優しくて、呼吸を全く阻害しない。
 ……傷が、塞がっていく。
 一分も経過しない内に、『闇衲』の身体は万全の状態まで回復した。試しに一人で起き上がってみるが、造作もない。手を握ってみる。造作もない。
「あの少女が起きたら、抱きしめてやれよ。あの未熟な子にはそれが必要だ。それじゃあな―――」
 男が背を向けて歩き出す。次の瞬間、『闇衲』は音もなく肉迫し、その背中にナイフを突き立てようと手を伸ばした。
「何だよ」
 軽薄な人間だと思っていたのだが、銃を使いこなしているだけはあって、近距離戦に持ち込まれる事に警戒心を抱いている様だ。基本的に銃とナイフでは後者が強い。僅かに手を伸ばせば男の心臓に手が届くが、それをすれば『闇衲』の頭がぶち抜かれる。膠着状態は必然的だった。
「お前が何者か分からないが、今の一撃に対応したんだ。それなりの実力はあるんだろう?」
 一応、全力のつもりだった。目的や思想の読めない人間ほど、放置してはいけない存在は無い。自由に掌で転がせるから人間相手は愉しいのであって、どう対応したって反応の読めない人間は淘汰されるべきだ。たとえそれが、命の恩人だったとしても。
「それが命を助けてやった恩人への態度か。不器用を通り越して、いっそ凶暴だな」
「体は万全の状態まで回復したが、少々鈍っているかもと思っている。少しばかり、踊らないか?」
 言葉の上では単なる組手でも、両者は良く分かっていた。これより先に広がるのは、お互いの視力を尽くした殺し合いという事に。男は悲しそうに眉を曲げてから、二っと口の端を釣り上げた。欠けていたり発達していたりする非対称的な歯が、『闇衲』の誘いを肯定する様にギラリと輝いた。
「…………いいだろう」
 一発の銃弾が、戦いの火蓋を切って落とす。それは同時に命の終焉を告げる銃弾だったが、指の動きから先んじて『闇衲』が動いていたので、銃弾は無事に逸らされ、目の前には隙だらけの前面が広がった。素早く逆手に持ち替えて、かまいたちの如く駆け抜けて腕を切り裂いた。視界の端で男の動きが鈍ったのを見て、勢いの乗った体を強引に停止。逆手にしたのはこれをする為でもある。人間は、前からの攻撃は防げても後ろからの攻撃は防げない事が多い。真の狙いはこちらの攻撃だが、一度目で怯んでくれたのなら都合が良い。見もせずに突き刺しているが、自信を持って言える。この刃は、確実に心臓を貫くだろう。
 『闇衲』のナイフが、想定通り男の背中へと突き立てられる寸前、間隙を横切る黒い物体が彼の手首を貫いた。激痛から、思わずナイフを放してしまう。
「くッ!」
 素早く身を翻して後退。目の前では先に振り返っていた男が、『闇衲』の眉間に照準を合わせていた。『イクスナ』を利用すれば銃弾を掴めたが、敢えて見逃されている彼女を危険に晒そうとは思っていない。腰に納めてある剣も、抜刀した所で正直間に合わない。この状況に唯一対処できるとしたら―――
 『闇衲』は腰から素早く短剣を抜き、同時に投擲。正確に投げられた短剣は引き金に掛けられていた男の指に突き刺さり、終焉までに僅かな猶予が生まれる。
 近づくならば今しかない。
 かつて消費した武装は宿屋等の落ち着いた場所で随時補充しているが、その癖が自分を助けてくれた。使い慣れていない片刃の剣を抜いた所で状況が好転するとは思えなかったので、掌底を叩き込まんと接近。もう一丁の銃が素早く構えられる。掌底だけであれば、男の発砲が一歩速かっただろう。だが、こんな男を相手に体術で戦おうとは思っていない。ちゃんと武装があって、この男とは初めて勝負が成立する。
 男の銃弾がこちらの太腿を撃ち抜くよりも早く、『闇衲』の袖から飛び出した刃が、男の腹に突き刺さった。純白のコートが初めて血に染まり、男の明確な負傷を示す。ひょっとしたら彼のコートには何か秘密があったのかもしれないが、対物飛び出しブレードにそんな小細工は通用しない。加えてあれの刃先には猛毒が塗り込んであるので、数分もすれば―――常人であれば二分で動けなくなる。
 だが、エインは違った。彼の想定通りこちらの太腿が撃ち抜かれると、同時に『闇衲』の左肩が撃ち抜かれた。
「おッッッゥ!」
 火薬音も発砲動作も全く見えなかった。銃相手に距離を取る事の愚かさは分かっているつもりだったが、近距離からの発砲も相応に危険だった。組み付いて物理的に発砲を防ごうと手を伸ばすが、現実は繰り返す。『闇衲』の五指が吹き飛ばされて、伸ばした手は何も掴めない。
 実力差が違い過ぎる。
 落ち着け。片腕が使えなくなっただけの事だ。まだ殺せる。腕が一本あれば、或いは刃物が一本あれば、人っ子一人の殺害は難くない。使い物にならなくなった腕を振って重心を操り、同時に身体を捻る事で転倒を回避。防弾手袋を作っておくべきだったと後悔したが、今更な話だ。何にしても、トストリス大帝国以来、新たな武器の開発を怠っていた自分には、逃れられる筈もない失敗である。
「そろそろ調子は戻ったんじゃないか? それとも、まだ続けるのか」
 上半身を捻った際に、上手く抜刀出来たのは良かった。これでもう一方の腕が為す術もなく破壊される事は無い。
「続けるに決まっているだろう。俺はま―――ッだ!」
 またも動作無く腹を打ち抜かれた事に、『闇衲』は違和感を覚えた。幾ら出鱈目な銃と言えど、銃である以上発砲しなければ弾は出ない。だのにこの男は、銃という武器の大前提を無視して攻撃を仕掛けてくる。一体どうやって弾を…………そんな事を考えた時、集中が削がれたからか、『闇衲』の耳に岩の砕ける音が断続的に聞こえてきた。音の跳ね返りからおおよその位置を算出し、次に音の鳴る方向を想定。左に首を傾けると、先程まで額のあった位置を、何かが通り過ぎた。
―――跳弾か。
 跳弾が続いている事自体驚きだが、今はその技術を手放しに賞賛している場合ではない。彼の放つ銃弾が無限とは言わないまでも、それなりの回数跳弾するならば、実際に存在する彼の隙は殆どそれで埋められていると言っても過言ではない。素人でも分かる様な露骨な隙は、攻め込んでしまえばかえってこちらが不利になりそうだ。
 何より気になるのは、仮にそうだとしてこの男、どういう思考方法をしているのか。
 敵の攻撃を見極め、躱し、次の攻撃を想定しつつ、どの方向に撃てばどの方向に跳ね返り、それは何手先に相手へ命中するか。直ぐに思いつく限りでもこれくらいは並列に思考しなければならない。死ぬ気で戦っているならばともかく、まだまだ男は余力を残しているらしい。
「…………そう言えば、名前を聞いていなかったな」
「……望むなら、力づくで来い」
 言われなくてもそうするつもりだ。次に『闇衲』が踏み込んだ時、足元の地面が割れた。


 









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