ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

実に久しき世界

 顔を斜めに横切る傷跡は、付いてまだ日が経っていないらしい、包帯を巻いて止血はしているようだが、上に滲む血の跡は未だ新鮮さを感じる。腕に巻き付いたように付いた傷跡と比べると、ついさっき負った傷の様にも見えた。人の事を言えた身では無いが、何をどうやったらそんなに傷だらけになるのか分からない。殺人をしている訳でも無いだろうに、どうやったら二の腕辺りまで傷跡が広がるのか。幾ら職人と言ったって、二の腕に物理的な傷を負う職種などあるとは思えないのだが、果たしてそれは『闇衲』の知識不足が要因にあるのか。それともまた、別の事? こんな平和な街でわざわざ問題を起こそうとする奴なんて自分達以外に居るとは思えない。そんなモノ好きがいるのなら一度会ってみたいモノだ。
「お前達が、僕の依頼を受けてくれた冒険者か?」
「はーい! そうでーす!」
 元気よく返事をするリアに、男は困ったような表情でこちらに尋ねてきた。
「何だ、このちびっこは」
「気にしないでくれ。喋る人形みたいなモノだ」
「はあ……そうかい」
 それにしても顔に似合わぬ一人称だ。思わず吹き出してしまいそうになったではないか。あれだけ凶暴な顔つき……まあ傷のせいでそうなっているだけで、それを抜けばかなりの美形なのだが……にも拘らず、僕などと温室育ちの男子が如き口調とは。流石に偏見が過ぎるのでこの辺りでやめておくが、やはり彼の様な顔つきの人間の一人称は俺に限ると思う。
 こちらの失礼な考えなど見えている筈もなく、会話は進行する。
「それで、どうしてあんな依頼を? 依頼書に書いてなかったから、興味で聞いておきたいんだが」
 依頼書には『とにかく護衛が欲しい。至急要件では無いが、実力に自信のある者だけが来て欲しい』と書かれていた。あれでは何の事だか分からないので、今まで残っていたのかもしれない。もしかしたら凶悪な魔物を討伐する事になるかもしれないし、死にたくないのなら受ける冒険者は居ないだろう。そういう刺激にこそ生の実感は眠っているというのに、なんてもったいないというのは私見だが、死ぬのが怖くて冒険者になる奴の神経は理解出来ない。それでは一体何の為に冒険者という職に就いたのか―――ああ、女か。これは失礼。自分には到底理解出来ない領域の話だった。
 男の視線が一瞬だけ逸れたのを三人は見逃さなかったが、話も聞かずに突っ込むのは幾ら何でもという事で、敢えて流す。男はやがて、途切れ途切れに話し始めた。
「ここからずぅーっと遠くの村にな、家があるんだよ。まあ、僕の家なんだけどさ。で、そこに僕の妻が居るんだけど、随分前に届いた手紙でな、病気になっちまったって言われたんだ」
「直ぐには行かなかったのか?」
「僕だって行きたかったさ、でも無理だった。距離の問題もあったし、僕の村に辿り着くには洞窟を抜けなきゃいけない。そこには凶悪な魔物が居て、いつもは魔物避けの薬を使って通るんだけど……誰かに盗まれてしまってね。僕一人じゃどうやったって行けなくなったのさ」
 何か面倒な臭いがする事この上なし。不運がそこまで繋がるとは思えなかった。仮にそんな奴が居たとしたら、そいつは不幸の星の下に生まれ、不幸に愛されていると思われるが、『闇衲』の人生の中でそれと思わしき人物は一人として居なかった。何が言いたいかというと、この男の不幸はあからさますぎる。やはり何かしらの思惑がある可能性が非常に高い。『闇衲』はリリーに一瞥する。彼女は口の端だけ持ち上げて、また視線を彼へと戻した。リアはとっくに分かっているだろうから、十分に気を引き締めてかからなければ。
「成程、お前の事情は良く分かった。しかし話を聞く限りじゃ、かなり遠い様に思える。馬車の用意はしてあるのか?」
「自前の馬車がある。大丈夫だ。お前達が良ければ直ぐにでも出発したいんだけどいいかな?」
「逆だ。俺達が依頼人の都合に合わせている。そう言った前置きは要らんから、さっさと出発してくれ」
 早く出れば出る程仕事も早く終わるに違いない。この依頼が自演であれそうでなかれ、出だしくらいはさっさと終わらせなければ仕方あるまい。お互いに、時間の無駄は何より嫌う立場にあるだろう。
























 馬車に乗った回数なんてそれこそ片手で収まる数でしかない為、まだリアは愉しんでいる。子供はこれだから羨ましい。何事にも感動出来て愉しめるなんて、年齢を重ねるとそうはいかなくなるというのに。
「ねえフォビア。洞窟に住む魔物ってどんな奴なのかしらね」
 馬車を引いてもらっている手前、表立ってこの依頼にとやかく言う事は出来ない。体を揺すられる事に苛立ちを覚えながら、『闇衲』はさも気を緩めている様な姿勢を取った。実際は全く緩んでいないが、形だけでも休まないとあちらも警戒心を解いてくれないだろう。
「並の大きさならば敵ではない。が、洞窟の魔物というくらいだから、もしかしたら小さい奴等の集団かもしれないな。吸血鳥みたいな大きさとは思いたくない」
 例に挙げた吸血鳥とは、その名の通り生物の生き血を吸って生きる夜行性の鳥の事である。ただし吸血鳥は飽くまで例であって、あれ自体が洞窟を縄張りとしている訳では無い。吸血鳥の縄張りは深い森の中だ。洞窟なんて狭い場所にあんな奴らが居たら物理的に通れなくなってしまう。
 何せあの鳥、立派に成長した個体は『闇衲』の腰ぐらいまで成長するのだ。それが普段は一〇〇から二〇〇程度で群れているのだから、洞窟なんかに住んでいたら物理的に誰も通れなくなるのは当然である。そしてそんな奴等と遭遇したら、幾ら『闇衲』でも勝てる見込みは薄いだろう。滅多な事では使いたくないが、問答無用で『イクスナ』を使用させてもらう。本当に、滅多な事には使いたくないのだが。
「しかし依頼人が詳細を言わなかったって事は、依頼人自身も魔物の正体は知らない可能性がある」
「どういう事?」
「例えばその村で、古くからそう言い伝えられているとしたらどうだ? そしたら依頼人は対抗手段である薬を使いはするも、魔物の正体を知らないまま育つ事になる。そう考えたら、俺達に魔物の詳細を言わない事にも合点がいくだろう」
 もしくは虚言で、洞窟に入ってからこちらを襲うつもりか。出来れば後者の方がいいのだが、前者だった場合は場合で楽しそうな駆け引きが望めそうなので、個人的には構わない。唯一気にするべきはリアの安否只一点であり、それ以外は知った事ではないのだ。リアへ視線を移すと、彼女は馬車に残っている物を利用して遊んでいた。『要らない物ばかりだから自由にしていい』と言われたのは事実だが、それは何をしても良い訳じゃない。一種の社交辞令であると考えた方が良いだろう。彼女はその言葉を知らないらしく、藁で編まれた人形を掴んで、何やら空を飛ばせていた。
「本当に面白い娘さんね♪」
「皮肉にしか聞こえんな」
「そんなつもりで言った訳じゃないわよ。だってあの子、フォビアに少しの警戒心も抱いていないじゃない♪ 子供は大嫌いって言ってたのに、随分と信頼されてるのね」
「そういう契約だからな。とはいえ、この契約もいつになったら終わるのやら。適当に終わらせてくれないと、俺はアイツの父親という任から離れられないのだが」
 それこそ世界殺しが完璧に終わるまでこの契約からは逃れられなさそうである。彼女が一度切り出してさえくれれば、自分は喜んで離れるのだが。例外的に、『暗誘』が居た場合は別である。彼の暗示で言わされている可能性を考慮すると、彼の前でだけはリアのどんな発言も受容しない。リアに好意を抱く者の中では紳士な部類に入る彼がそんなことをするとは思えないが、基準として。
―――そう言えば、リアと離れた後、俺は何をすればいいんだ?
 何もやり残している訳じゃない。何かを待たせている訳でも無い。自分は只、逃げただけ。その最中にリアと出会っただけの事。彼女との別れが訪れた後は、何をすればいい。リリーの求婚を受けたのだから、彼女と一緒に何処かで暮らすの選択肢の一つだ。しかし、リアと別れたという事はそれなりに世界は渾沌としている筈だから、壊してもつまらない。別の国に待たせている知り合いと静かに障害を全うするのも選択肢の一つだ。しかし純粋につまらない。自分はもっとこう、面白く生きていたのに。彼女と別れた後の事を考えるとちっとも面白くない。
 もしかして、このまま彼女と一緒に居た方が楽しかったりするのだろうか。
「……いや」
「何?」
「ああ。この依頼がどんな結果に終わるのかと思ってな」
 それはあり得ない。彼女には何が何でも元の世界に戻ってもらわなくては。幾ら強いと言ったって、所詮は殺人鬼。誰に恨みを与えているかも分からない不安定な存在だ。このまま彼女と一緒に居ても、いつ彼女を悲しませてしまう事やら。ならばせめて、それまでに彼女を元の平和な世界に―――ん?
 今、何と言った。自分は、リアの身を案じているのか? そんな馬鹿な。この道を選んだのはリアであり、その末路が何であれ責任は彼女にある。それなのに、彼女を悲しませてしまう事を不安に思ったのか? 今に始まった思いでは無いが、だからこそ不思議でならない。いつの間に脳みそを改造されてしまったのだろうか。冷酷な殺人鬼は、一体いつから子煩悩な人間になってしまったのか。
 何だか自分が自分で無くなってしまうような気がして、『闇衲』は自分自身を抱きしめた。怖い。怖い。自分が自分でなくなる感覚が、恐ろしくてたまらない。どんな存在にだって物怖じするつもりは無いが、自分が無くなってしまう事だけは恐ろしくて仕方ない。
 そんな自分の内側に引き込まれ続ける意識を取り戻したのは、他でもないリアだった。
「……パパ、どうかしたの?」
 あまりにも様子のおかしい父親に、リアも遊ぶのやめて、顔色を窺っている。四つん這いになって近づいてきて、力の入った『闇衲』の手を優しく握りしめる。連鎖するようにリリーも、こちらの異変に気が付いた様だ。
「どうかしたの?」
「―――気持ち悪くなっただけだ。気にしないでくれ」
 殺意を込める事でリリーを引き下がらせても、娘である彼女には通じなかった。
「気にするよ! パパが動けなくなっちゃったらどうにも出来ないでしょッ? ほら横になって。少しでも休まないと!」
 半ば強引に身体を横にされて、更に気持ち悪くなった。咄嗟に出た発言だが、自己喪失感に伴う吐き気が体を犯していたのは事実。これ以上気持ち悪くなるといよいよ何処かしらに嘔吐してしまいそうだ。そう思った直後、乗せ心地の良い枕が、自分の後頭部に敷かれた。
「仕方ないから、膝枕したげる。パパの為なんだから、文句は言わないでよ?」
「…………吐いて良いか?」
「駄目に決まってるでしょッ―――え? 本当に吐くの、ちょっと待って。今吐かないでってちょっと―――!」
 枕に頭を持ち上げられたからと言って、吐き気が薄くなったとは一言も言っていない。彼女の好意に甘えて、遠慮なく吐かせてもらった。


 

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