ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

時に寂しさは胸を埋める

 パパが帰って来ない。
 聞いてみたが、シルビアも分からないらしい。『赤ずきん』は論外。あの男の子は一応問い詰めてみたけど、馬鹿みたいに暴れるだけで何も知らない。どうやらあの男、かなり本気で居場所を悟られたくないらしい。リアは心の中で悪態をついた。
―――何で帰って来ないのよあのクソジジイ。
 彼に本気で隠れられたら居場所が分からないというのに、遂にやりやがった。せっかく合同授業に誘ってやろうと思ったのに、当人が居ないのでは何も出来ないじゃないか。彼としてもわざとやっている訳では無いのだろうが、だとしたら猶更酷い。彼は自然体になるだけでリアを放置する様な外道だという事なのだから。
「……ねえリア」
「何?」
 このままふて寝してやっても良かったのだが、それだと何だか『闇衲』の思い通りになる気がして、気に食わなかった。だから自分はこうして―――外に飛び出している。シルビアを連れて。
「そろそろ戻ろうよー。殺人鬼さんが本気で隠れたらもう見つからないって」
 シルビアの発言は実に賢明な判断である。この手の行為を本気でされたら、それを教えられている立場にある自分達が見つけられる道理は無い。そもそも自分達は飽くまで彼の庇護下に置かれている存在だ。彼をどうこうしようなんて権利は自分達には無い。
 しかしそんな理屈が、リアに通じる訳が無かった。
「うるせええええええええええええええ! あのクソオヤジ、私の話も碌に聞かないで勝手に寝て、挙句の果てには帰って来ないとまで来やがったッ。一発ぶん殴らないと気が済まねえんだよ!」
 この感情を単純に憤怒で片づけるのは少し違う気がする。何なのだろう。分からない。娘という立場に対してあまりに経験がなさ過ぎて……または忘れてしまって、言葉が見つからない。唯一言葉に出来るのは、あの男をぶん殴りたいという衝動だけ。何ならぶっ殺したい。それが出来たならば満足だが、それが如何に難しいかをリアは知っている。それでも一発ぶん殴りたい。
「シルビア。パパの居場所に心当たりとかある?」
「え、ええ……心当たりって言われても」
 彼が普段どういう動きをしているのか全く把握していないから、そんな事を尋ねられても困る。取り敢えず想像してみるが、見た事が無いモノを思い出せという無茶は何者にも出来る芸当じゃない。静かに目を伏せてそれとなく意思を伝えると、何となく彼女の方から舌打ちが聞こえた気がした。びっくりしたが、幻聴である。していたのは舌打ちではなく歯軋りだった。
「くっそ。もうちょっとパパに張り付いておくんだったかなあ。学校を休む訳にはいかなかったけど、休日にχクラスへわざわざ遊びに行く必要はなかったかも……」
「リア?」
「…………え。ああごめん。うーん、本当に何処へ行きやがったのかしら。パパの交流網を調べておくんだったわ」
 合同授業の存在さえ知らなければこんな思いは抱かなかったかと言われたら、それは違うだろう。遅かれ早かれリアは爆発していた。彼が自分の事を邪険にする限りは、少なからずその可能性を孕んでいた。
 この感情をどう表すかも分からない。リアは未だ、『娘』の何たるかについて答えを得られていない。かつて自分はトストリス大帝国で父親としての在り方を悩んでいた『闇衲』に色々と宣ったが、どうやら自分もまた同じ悩みにぶち当たってしまった様だ。今更気付いた事だが、リアは『闇衲』と接する事で感情を勉強していた。彼との交流が、リアの人生を豊かなモノにしていたのだ。その彼と交流出来ないという事は、リアもまた感情を勉強できないという事。この複雑な感情を正確に表せないのもそのせいだ。
 怒っているだけではないのに、殺意だけではないのに。見えない部分をどうしても言葉に表せない。頭では分かっていても、これを他人に説明するとなると固まってしまう。何気なくシルビアの方を一瞥すると、彼女は心配そうな顔つきで、胸の前で指を組みながらこちらの様子を窺っていた。思いつめた様子を浮かべているつもりは無いのだが、多分おそらくきっと、険しい顔をしていたのだろう。
 彼女に心配されるとは、情けない。
「……リア、大丈夫?」
「―――うん、大丈夫。全くパパったら何処に行ったのかしら。娘をこんなに心配させて! 帰ってきたら…………ぶち殺してやるんだから」
 最愛の娘をほったらかして何処で遊んでいるんだか。女性の臭いがついていたらどうしてやろう。次に会った時にでもミコトに相談して、二人で彼をどうにかするのだって視野に入れる覚悟だ。彼はどうやらミコトを苦手としている様だから、そんな風に脅しをかけてやればきっと通用するだろう。しなかった場合は、実際にやるしかない。別にそれでも、リアは構わない。
「あーあ! 何だかもう疲れちゃったッ。そろそろ帰りましょうか」
「殺人鬼さんはどうするの?」
「知らないわよあんな馬鹿。どうせ明日になったら帰ってくるんでしょ。この怒りはその時まで取っておく事にするわ!」
 リアは踵を返して、そのまま宿屋の方へと戻り始める。シルビアがついてこない事に気付いたのは、数十歩程度歩いてからだった。
「―――どうかした?」
 足を止めて、振り向きもせず尋ねる。彼女が言いたい事が何となく分かっていたから、面と向かって尋ねたくなかったのかもしれない。何処か様子のおかしいリアに対して、シルビアは遠慮がちに言う。
「えっと……無理、してない?」
「無理? 何が無理よ。そろそろ戻ろうって言ったのはシルビアでしょ」
「そ、そうだけど……さ」
 分かっている。彼女の感覚は決して間違っていない。出来る事なら自分だって彼を見つけたいし、その場で何時間も説教をしてやりたい気分だ。しかしその一方で、自分にそんな事をする権利はあるのかと考えてしまう。さっきの思考と矛盾してしまうが、『闇衲』だって人間だ。何処で何をしていても、自分に口出しなんか出来るのだろうか。むしろ今までが自分にとって幸せだっただけで、『闇衲』も羽を伸ばしたいのではないだろうか。そう考えたら、探す事自体、何だか彼に悪い気がしてきた。
 この選択はリアの本意ではない。だが彼の事を思えばこそ、ここでリアは引き下がらなくてはならない。自分の要求ばかり一方的に貫いていたら、きっと彼だって疲れてしまう。彼にだって羽を伸ばす時は必要だろう。だから敢えて……この想いは伏せておく。出来る事なら永久に。
「ねえシルビア。一つだけ尋ねてもいいかしら」
「え。何?」
「父親は娘に愛情を持って接するのが仕事だとするなら、娘は一体、父親にどんな事をするのが仕事なのかしら」
 シルビアは、困っていると言わんばかりの表情を浮かべた。




























 朝になって、朝日が差し込むより遥か以前。『闇衲』は彼女の家を出て、宿屋へと向かった。実に楽しい一日を過ごせた。家から色々と物が無くなって彼女も困っていたようだが、それは嬉しい悲鳴という奴だ。またいつか今回の形で行う事を約束したので、次に同じ事が起きるとすればそれは冒険者ギルドを討ち滅ぼした時。帰ったらリアに何を言われるか分かったモノじゃないが、どうせ彼女の事だ。罵詈雑言を浴びせかけて、ナイフでも投擲してくるに違いない。そうなったら大人しく投擲を受けてやるが、流石に心臓を狙われていた場合は避ける。自分だってまだ死にたくない。せっかくこの手で忌々しい物体を排除できる機会に恵まれたのだ。死を以て無駄にする何てあり得ない。酒の事を突っ込まれるのは嫌だったので、自傷で誤魔化しておく。血の臭いが酒より強いとは限らないが、これで少しはマシになる筈だ。
 宿屋の扉を開けると、時間帯的に早すぎて誰も居ない。これを狙って戻ってきたので、予定調和である。そのまま階段を上り、自分の部屋の扉に手を掛けた所で……中から人の気配を感じた。狂犬ではない。彼の気配はもっとこう、ちんちくりんだ。こんな濃厚な気配、心当たりは一つか二つくらいしかない。
 確認の為に部屋へ押し入ると、案の定、自分の部屋で待っていたのは二人だった。
「あ。殺人鬼さん」
 シルビアは起きているようだが、リアは何かから目を背けるように蹲って眠っている。その顔に笑顔は無く、気のせいかもしれないが、泣いているようにも見える。彼女の様子を不思議に思って観察していると、背後の方でポツリ。シルビアが呟いた。
「……私がこんな事を言うのはおかしいかもしれません。けれども、殺人鬼さん。リアの事は大切にしてください」
「え?」
「本人は気付いてなかったですけど、リアは泣いてたんですよ。ここ最近、殺人鬼さんとまともに会話出来てないから」
 そう言えば。シルビアをダシにして逃げた事もあったし、その時も戻った際は碌に取り合わず眠ってしまった様な気がする。しかしそこまで放置しただろうか。それなりに彼女は優先順位を高く保っているから、そこまで彼女を傷つける様な事は―――
「……合同授業ってのがあるんですけど。リア、殺人鬼さんに来て欲しいんです。でも昨日は殺人鬼さんが帰って来なかったから、凄く悲しそうでした」
 シルビアの方を見ると、彼女は渋面を浮かべて少し俯いている。今は眠るだけの少女の顔は、見るに堪えられなかったと言わんばかりに。いつの間にか、『闇衲』の思考からは『赤ずきん』や狂犬の事なんて消え去っていた。二人の所在などは、本来『闇衲』が気にするべき所の筈なのに。シルビアからその話を聞いている内に、すっかり考えから外れてしまった。あるのはリアの事だけ。彼女が昨日、自分が楽しんでいる間にどれだけ傷ついたかの、推測だけ。
「寝る直前ですけど。リア、ついさっきこんな事を言っていたんですよ」
 記憶の再現をするように、シルビアはゆっくりと言った。








「パパと触れ合えなくなるなら、冒険者になんかしなきゃよかった。パパには私だけを見て欲しかったって」

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