ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

世にも不思議な魔女と騎士

 森に一歩でも足を踏み入れた瞬間、『闇衲』の感じていた違和感が現実となって現れた。三歩先も見えない様な深い霧に包まれて、引き返しても元の道が現れなくなってしまったのだ。どれだけ後ろに戻っても、見える景色は霧と森。太陽の位置から方角を知ろうにも、霧は当然の如く上にもヴェールのように掛かっていて、それも出来ない。中間報告が一つもあがってこないのはおかしな話だったが、その訳とはこれの事だろう。恐らく結界の一種か何かであり、術者を殺さなければ一生解けないものと思われる。魔術方面はずぶの素人なので良く分からない。しかし、『闇衲』の様な人物が珍しいのは言うまでもなく、殆どの人物は魔術方面にもある程度の知識は持っている筈(余程貧しくない限りは学校に行っているだろう)。その殆どから報告が来ないという事は―――
「駄目だ……魔術がかき消される」
 そう。魔術も無力化されるという事だ。素人だからそもそも使えない『闇衲』にはあまり関係のない事だが、他の冒険者には魔術に依存した戦い方をしている者だって居るだろう。例えば魔術師は、この結界の中では一般人と大差ない。ゴブリンを相手取ったとしても、果たして勝てるかどうか。そしてそれが女性だった場合、強姦されずに殺してくれるかどうか。『闇衲』は懐から小瓶を取り出し、さりげなくリリーへと投げ渡す。かなり雑な渡し方をしても、深い霧に気を取られている二人からすれば盲点内での行動だ。
「これは?」
「解毒薬だ。この霧、軽い痺れ毒が掛かっている。あまり吸い込み過ぎるといつか指一本動かせなくなるぞ」
 あの冒険者達はどの道殺すのでどうでもいい。というか、この霧自体、『闇衲』にとってはとても都合の良いモノだ。この中にさえ居れば誰にも気づかれない。誰かが死んだって、ゴブリンのせいに出来る。自分達の出だしはかなり遅かったから、既に先客も居るだろう。そこまで考慮すると、最低二人以上は冒険者を葬る事になる。リリーも中々センスのある依頼を選んできたじゃないかと。先輩として『闇衲』は空の涙を流した。
「なあ、これからどうする? 方角も分からない、自分達の位置さえ掴めない。そんな状況で動くのか?」
「……いやあ、動かないといつまで経っても依頼は完了しないし。入ってみて分かったけど、そういう気持ちがあるから、他の冒険者も出てこられないんじゃないかな」
「ブラットの言う通りだぜ! 俺達が動かなきゃ何も始まらねえ! 時代を引っ張っていくのは、いつだって誰とも歩調を合わせずに前を歩く愚か者だ!」
 その愚か者を支える為に、一体どれだけの凡人が命を削って生きている事やらと。そう突っ込みたかったが、野暮か。このまま待機されていても面白くないし、『闇衲』も同調しておく。
「……度胸はあるんだな。良し、じゃあ動くとして……取り敢えず、直進してみるか」
 後ろに戻っても同じなら前に進む事あるのみ。この世の常である。後悔なんてしてもし足りなくて、した所で意味は無い。重要なのはそこから反省し前に進む事であって、後ろをいつまで振り返っていても足は止まり、自分が惨めに思えるだけだ。自尊心のない事は結構だが、だとしても不幸な人生を歩みたいと思う人間は居ない。ならば前だけを見据えて歩けばいい。人生が酷くても、何とかやっていけるから。急にこんな事を言っておかしいと思われるかもしれないが、こんな風に生きた結果が『闇衲』なので、あまりお勧めはしない。堕ちる所まで堕ちていく。今の状況と同じように。
 解毒薬を服用したリリーは至って平常だが、服用しなかった二人は身体の麻痺にも気づかないで歩き続ける。いつもより疲れやすいとでも思っているのかもしれない。残念ながら疲労よりも性質の悪い毒に掛かっているので、仮にここで休んだ所でその重みが取れる事はない。『闇衲』が解毒薬を渡せばその限りではないが、丁度最後の一つをリリーにあげてしまったので持ち合わせていない。
 それから一時間ほど経って、二人はようやく己の身体を蝕んでいるモノに気が付いた。
「な、なあ。もしかしてこの霧、毒でも入ってるんじゃないか?」
「そうか? 俺には特に異変は無いけどな」
「俺はあるぞ……! でもフォビアが無いってんなら、やっぱり気のせいか?」
 どんな根拠でその発言が出来るのか、神経が分からない。まだ出会って一日すら経っていないのに、その信頼は何だ? 自分が一体彼に何をした。リアの様に契約をしたのなら話は分かる。どんな形であれ契約は絶対だ。しかしそんな契約をした覚えは一度も……あり得ない。過去の記憶を全て鮮明に引っ張り出せと言われたら無理だが、リアと出会う前は殺し漬けの日々を送っていて、誰かと交流なんて取っていなかった。その遥か前はミコトからの逃亡。この辺りでリリーや人間馬車などの異端者とも交流を持つようになって、更にその前は思い出したくもない。少なからず言えるのは、こんな平凡な人間と交流を持った事は只の一度も存在しない事くらいだ。発言者がリアならともかく、こんな男一人に信じられてもあまり嬉しくない。まだクソ生意気とはいえリアの方が可愛い。それ以前に彼女だったら普通に解毒薬を……いやそれだとリリーが解毒出来ないのか。やっぱり渡さない。仮にリアが動けなくなったら、動けるようになるまで背負うだろう。
 リリーの御蔭かもしれないが、まさかの信用に動揺しつつも、四人はそのまま迷いなく突き進んでいく。人影も見えず、ゴブリンも見えず、誰かの声も聞こえる事は無い。鳥の鳴き声一つ、耳を澄ましても届かない。まるで放置されてしまったみたいに。結界の中だから当たり前かもしれないが、こんな異常空間に長居すると、人は段々と正気を失う。二人の方から遂に会話がなくなり(リリーは二人の調子に合わせているので喋らない)、そろそろこの足手まといを殺害しようかと考えた頃、場違いな足音が霧の中で木霊した。
 コツン。コツン。
 足元は草むらなのに、まるで洞窟でも歩いている様な硬質な足音。そもそも足音がどうかも怪しく、よく聞いてみると、それは木に何かを打ち付けているような音だった。
 コツン。コツン。
「な、何だ?」
 痺れ切って重いだろうに、何処からともなく音が聞こえてくる恐怖には耐えかねたようだ。重い体を必死に振り回して、周囲を見渡していた。三歩先すら見えないのでは、それをしても無意味だろう。正体を解明したいのはこちらも同じなので、『闇衲』は手近な樹木に触れて、目を瞑った。
「何……してんだよ!」
「黙っていろ。気が削がれる」
 音がどのように反響しているか分かれば、大体の方向が分かる。本当は殺意が流れて来れば一番分かりやすかったのだが、殺意は自然物ではない。流れてきたら、それこそ何事か目を疑ってしまう。
「前だな」
「え? な、何言ってんだよ。これだけ進んでまだ前とか、有り得ないだろ」
「そう思うんだったら置いていくぞ」
 軽く脅してやるだけで、二人は渋々と付いてきた。ノリノリなのは、相変わらずリリーだけである。それから音の信じるままに歩き続けて五分。音源がかなり近いと思った瞬間、当たり前の光景になっていた霧が、スッと晴れた。
「……誰?」
 空間の中心には、足元にとんがり帽子を置いた、一人の少女が座り込んでいた。いつの間に木を切ったのか、丸太を椅子に、目の前で焚火をしている。ボロボロのコートで全身を覆っているが、下半身の、その適当な服を切って腰に束ねたようなスカートは作りこそ雑だが、そのせいで妙な際どさを醸している。格好からも分かる通り、彼女は只者では無さそうだった。
「き、君は?」
「私は……ドロシアッ。今は仮拠点を守ってるの。それで、貴方達は?」
「ぶ、ブラットだ。君、一体どうやって魔術を? この霧の中じゃ魔術は使えない筈だけど」
「私は使えるの。そういう人だから」
「連れは何処に居るんだ?」
「分からない。後数分で戻ってくると思う」
 少女は飽くまで他人である自分達に対して淡白な態度を崩さないが、やがて二人の異変に気づいたらしく、頭を傾けた。
「大丈夫? 結構毒喰らってるみたいだよ?」
「え、毒……? や、やっぱり毒があったんだ! な、なあ君、どうすればいいって―――あれ?」
 ブラットは不思議そうに自分の体を見回して、一体何があったのかを理解しかねた様子で挙動不審になった。脈絡なく動揺する男に、こちらは彼以上に状況が理解しかねる。脈絡なく光景を突き付けられても、分からないモノは分からない。その直後にハグジーも同じ様子を見せ始めたので、いよいよ毒の効いていないリリーと『闇衲』は訳が分からない。
「あ、あれ? 何だか体が凄く軽くなったぞ!」
「何か分からないけど有難うッ! 君に出会えて本当に良かったよ!」
 二人が深い感謝を告げると、少女は「良かった」と満面の笑みを浮かべて、また火の中に枝を突っ込み始める。予定外の治癒にこちらは速やかにこの場を離れようと思ったが、こんな安置を見つけて離れようというのは露骨すぎる。少女は別段こちらの事を邪魔には感じていない様なので、図々しくも四人はこの空間に居座る事にした。男二人には、この現実離れした少女と仲良くなろうという、邪な気持ちもあったかもしれない。だが少女は、杖を一纏めに自分の隣へ。無意識かもしれないが、断固として隣に自分達を座らせようとはしなかった。
―――妙な杖だな。
 そもそも長杖と短杖の二刀流なんぞ聞いた事がない。そんなので魔力の制御が出来るのか分からないが、目の前の少女には特に苦心している様子は見られない。杖自体も、それなりに長い年月を生きている自分でさえ見た事ないような、みょうちきりんな代物だった。
 幾重もの円環が中心で浮遊している球体を囲むように回転している、一見して枯れ木にしか見えない長杖と、凹凸の付いた円盤状の金属が柄として二重螺旋構造を繋いでいる、持ち手の部分はその金属が凹凸を噛み合わせながら動く事で成立している短い杖。そのあまりに複雑で緻密な武器を見ていたら、それはもう杖と言うより芸術品の一種では無いかと錯覚した。
 その気持ちはハグジーも同じだったようで、自分よりも先に彼が聞いてくれた。目立たなくて済むので有難い。
「なあ、その杖は何処で買ったんだ? 何だか見慣れない形だが」
「……この杖は買ってないよ、何処かは言えないけど取ってきたの。先生と」
「先生ッ?」
「あ、先生って言うのは―――」
 露骨に言葉の調子が上がった少女が、興奮したようにその説明をしようとした瞬間、深い霧の中から、人影が飛び出してきた。その人影のインパクトには、さしもの『闇衲』も暫くの間釘付けになってしまった。
「あ、カッシー君! どうしたの?」
 その男は、馬二頭分はあろうかという大剣を、軽々と二振り持っていた。この霧には軽い麻痺毒が含まれている筈なのに、男がそれを苦にしている様子は何処にもない。魔力で筋力を底上げしているという線も、この霧の中でそれが出来る人間が何人もいるとは思えないのと、その美麗な容姿からは想像もできない筋肉の付き方から潰れてしまった。ドロシアとは知り合いらしく、男はこちらに恭しく頭を下げてから、彼女に手を差し出した。
「先生から連れてこいと言われたので。ドロシアもこんな森の中じゃ暇してるだろうからって」
「先生は何してるの?」
「集落で決闘中ですよ。さ、その焚火は消して、早く行きましょう」
 少女は嬉々としてその手を取り、立ち上がった。その直後、誰が何をした訳でもないのに焚火が消える。
「うんッ、分かったッ。でも、ちょっと待って。この人達……どうすればいいと思う?」
 そこで男は改めてこちらに関心を向けて。取り敢えずはと、大剣を背後に突き刺して壁の代わりにした。
「失礼ですが、貴方達はどうしてここに?」
 男に尋ねられると、今まで口を噤んでいたリリーが、このパーティを代表して話し始めた。
「私達は冒険者よ。この森を抜けた先に居るゴブリン達がレスポルカに襲撃を仕掛けようっていう話があったから、未然に潰そうって事で向かってるの。貴方達の連れは、もう村の方に居るのね?」
「ええ」
「案内してくれない? 私達としても仕事だから、こんな所で道草は喰ってられないの」
 男はドロシアを顔を見合わせてから、快く頷いた。
「分かりました。それではついてきてください。しかしその仕事とやら、どちらにしても達成できないと思いますよ」
 男は踵を返し、首だけで同行を促した。


 




















「オ、オミソレ! アンタツヨイ!」
「いやいや、こちらも楽しませてもらったよ。それで、約束の品物は?」
「オマエラ、アレ!」
「ワカッタ!」
「モッテクル!」
 何事もなく霧を抜けて集落へ出ると、その中心では一人の男とゴブリンが、何やら忙しそうに会話していた。足元には大量の武器が砕け散っているが、その中で男は、仲良さそうに魔物と話していた。ドロシアが駆け出し気味に近づいて、男に飛び込む。男は急に飛び込んできた女性に驚くも直ぐに理解し、彼女を抱き留めた。後から大剣を持つ男が、ゆっくりと近づく。
「先生ッ!」
「ドロシア。何事もなかったようだな」
「うんッ。あの霧だから、他の魔物も住処に隠れちゃったんだと思う」
「まあ、そうだろうな。カシルマ、連れて来てくれて感謝する……が。そいつらは誰だ?」
 大剣を持つ男も、ドロシアも。この世の者かと疑うくらいには美人にも拘らず、その男の顔は酷く醜かった。顔の半分以上に広がる火傷の痕、それでなくても顔が美麗とは言えず、この師にしてこの弟子ありとはとても言えなかった。どうしてこんな男の弟子がここまで美人なのだろう。劣等感に苛まれないのだろうか。
「オンナ!」
「カワイイ!」
「オッパイサワラセロ!」
「私が許容しない。こいつと仲良くしてくれるのは結構だが、そこまでして触りたいなら私を倒してみる事だな」
 男はドロシアを守る様に身を翻し、彼女を抱きしめながら頭を撫でた。見ているだけで両者に深い愛情があるのが伝わってくる。あまり気分の良いモノじゃない。
「そこのゴブリン達を倒せと命じられてきた冒険者だそうで。取り敢えず連れてきました」
 その言葉を聞いた瞬間、ゴブリン達の敵意が露骨にこちらへ傾いたが、直ぐに先生と呼ばれる男が割って入り、互いの敵意を終結させる。
「初めまして、冒険者。まずは自己紹介からさせていただこう。私はアルドだ」
「僕はカシルマ。よろしくお願いします」
 二人の男から感じる臭い……特にアルドから感じる血の臭いに、『闇衲』は動揺を隠しきれなかった。どんな殺人鬼でも、この男を上回る血の臭いはくっつかない。
―――一体何人殺してやがる。
 何よりも不思議なのは、そんな男が血の臭いなど一切感じないドロシアに、好かれている事だったが。 
 

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