ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

今日から冒険者

 人生に猶予の設けられた少女と別れてから翌日。『吸血姫』に会おうと思っていた予定が崩れて、少しだけ後悔しているが、リアと久々に二人きりの時間を過ごせたならあの判断も正しかったと勝手に納得出来る。しかしあの書類にあそこまでの集客力があるとは思わなかったので、早い所書類を出してしまおう。
「……で、何でお前が付いてくるんだ」
「リアに言われたんです。さつ……お父さんが変な事をしない様に見張ってろって」
「そのアイツはどうした」
「街中をぶらぶら歩き回りたいらしいです」
 どうせあの少女の様子でも見に行ったに決まっている。リアの実力があれば貧民街の野郎如きに捕まる事は無いと思うが、それにしても心配なのは親心故か。『暗誘』が居れば監視に付けたが、彼を追い払ったのは自分である。果たして大丈夫なのだろうか。以前に、一応催眠術の対策は教えておいたから、彼の『暗示』能力以外は彼女に通用しない。少女を攫い、強姦する事に手慣れている者と言えど、彼女には手も足も出せない筈だ。むしろ出そうとすれば返り討ちに遭い、死亡する恐れがある。リアは自分と違って気が短い、特に男性には。一度手を出せばたとえ許しを乞おうとも彼女は慈悲なく刃を振り下ろすだろう。
 そう分かっていてもやはり心配だが、今はこの書類を出す事が先だ。シルビアが付いてきた事には驚いたが、彼女を連れていれば自分に対する恐怖も和らぐだろう。自信に満ちた足取りでギルドへ入ると、必然の理として周囲の視線が降り注いだ。が、それが集まったのは『闇衲』ではなく、彼が連れている少女。
―――可愛い。
 視線の大半から、そんな気持ちが読み取れる。その視線に悪意はないにしても、悪い意味でその感情を向けられ続けたシルビアは胸の辺りが気持ち悪くなってきたらしい。胸部の辺りを擦りながら、自分の後ろに隠れた。彼女と違ってリアはこの手の視線にすっかり慣れてしまって、嫌悪こそするが段々と表には出さなくなったと言うのに、彼女はまだこういう視線に慣れないのか。あの貧民集団の中では普通に過ごしていたと思われるので、恐らく数の問題だと思われる。
「……大丈夫か?」
 振り向きもせず尋ねると、彼女は『闇衲』の腰にしがみついて、離れなくなる。その小動物的愛らしさが男達の感情を更に掻き立てて、視線は更に強くなった。どうしようもない。さっさと用事を済ませて帰ろう。
「いらっしゃいませ。今日はどんな御用で?」
「この書類を出しに来た。ギルド長に渡してくれるか?」
 背後から彼女を掻っ攫われたくないので、手を繋ぐのではなく、彼女の肩に手を回す。一度価値があると判断した以上、この少女は誰にも渡さない。どれ程の権力を持つ人間であろうとも、この少女の価値はリアの友人という時点で人一人の価値を優に超え、『時間視』の能力(本人は気付いていない様だが)を加味すれば一国をも凌駕する。下衆な男共の玩具にされる程安い存在じゃない。この少女を取ろうと言うのであれば、それ相応の度量を見せてもらわなければ。
 受付は書類を受け取って中身を確認。暫し奥の方へ姿を消してから、また別の書類を持ってこちらまで戻ってきた。
「それではこちらの書類に捺印をお願いします」
「捺印……拇印でも?」
「構いません。どちらにしても誓約書としての機能は発揮しますので」
 誓約書には幾つかの事項が記されている。例えば、重大犯罪者を除く民間人の殺戮を禁止。攻撃を加えられた場合に防衛は認められるが、武器や魔術を使っての防衛は認めないなど。『闇衲』には最初から守る気は無いが、そう言えばリアに絡んできたあの冒険者は、この誓約を一つも犯していないのだろうか。確認してみると、あの難癖の時点で『理由のない加害を禁止する』に抵触しかけているではないか。やはりまともじゃないというか、自分が手を出すまでも無く腐っている。
 懐に仕込んであるナイフの刃に指を通して皮膚を切ると、それを指の腹になじませて書類の端に強く押す。何の躊躇も無く己の血液を使用した事に受付の男性は驚いた様だが、印の形が何にせよこれで誓約は成立した。
「これでいいんだな」
「そういう書類ですから。……失礼ですが、お名前をお伺いしても?」
「―――フォビアだ」
「は?」
「フォビア。それが俺の名前だ」
 名前の綴りを机の上に指で書き潰すと、シルビアを連れて『闇衲』は踵を返した。突飛すぎる行動に今度こそ『闇衲』に視線が向けられたが、彼の尋常ならざる殺意の壁を前に、視線は簡単に屈折した。
「さつ……お父さん」
「何だ」
「良かったんですか? あんな目立つ事して」
 机に圧力で文字を書き記すなど一般人のする行動ではない。当たり前の様にやり、何事も無かった様にギルドを出たが、『闇衲』もあれはやり過ぎたかなと反省はしている。後悔はしていない。
「見られるのが嫌なんだろ。あれだけ俺が目立てばお前に視線が向く事は無い。感謝しろよ」
 決して善意の行動ではない。彼女を取られたくまいと考えた結果の行動であり、彼女への思いやりは欠片も存在しない。
 殺人鬼として当然のお願いだが、彼女には自分の事を善人と勘違いしないでもらいたい。人を殺した時点でそれは悪人であり、個人的価値観まで言わせてもらえば、善人などという存在はこの世に一人たりとも存在しないからだ。彼女は自分以上に分かっているだろうが男は性に忠実で、ミコトや『吸血姫』に欲情するならばいざ知らず、リアやシルビアや赤ずきんにまで欲情するのだから手に負えない。実際、リアやシルビアは煩悩の象徴である子供教会が選んだ子供。美人である事は本人も自覚しているが、だからと言って襲っていい理由にはならない。というか襲う奴がどうかしている。
 自分は半年程度彼女達と一緒に生活しているが、只の一度も欲情した事は無い。ミコトなどの成人女性にもやはり無いが、彼女達の方がまだ、自分を欲情させる可能性を秘めているだろう。
「有難うございます…………お父さん」
「……外だから仕方ないが、俺も大概だな。未だにその呼ばれ方をされると気分が悪い」
 このような時間帯に足を運んだのは、『吸血姫』と偶然的な遭遇を狙っての事だったが、彼女は一体どうやって冒険者になるつもりだろう。協力してくれるとは言っていたが、自分の様に強引な手段でも講じなければ即刻冒険者になるなんて不可能だが。
 書類の効力に基づいて自分はつい先程より正式に冒険者となった訳だが、彼女を抜きに依頼は受けない。リアは当分帰って来なさそうなので、シルビアと街でも回ろうかなと考えながら歩いていると、いましがた依頼を完了したばかりの冒険者とすれ違った。
「凄いなアンタ。まさかイージスタートルを一人で倒すなんて」
「弱点さえ突ければどうという事は無いわ。人間と同じよ?」
「この調子でドンドンこなしていこうぜ! 同じ新米としてさッ」
 三人の内訳は男二人、女一人。夜になったら女性を酔い潰して犯しそうだが、そんな比率でパーティーを組んでいるのだから、女性の方も満更では無いのだろう。
「え?」
 思わず振り返る。お互いに通り過ぎた後で、三人がこちらを振り返る事は無かったが、『闇衲』はその光景を理解する事を本能で拒んだ。見ず知らずの男性二人と仲良さそうに手を繋いでいる女性は……リリー。質素な恰好ではあるが、あの美貌を見間違える様な『闇衲』ではない。あの女性は間違いなくリリー・アンヘム……または『吸血姫』だ。一体どうなっているのだろうか。
「お父さん、どうかしましたか?」
「……いや、何でもない」
 詳細はまた後日。仮に今知った所で暇潰しにもなりはしないのだから、シルビアと過ごした方が有意義に決まっている。
「シルビア。お前、今日予定あるか?」
「特にないですけど」
「だったら俺と散歩しないか? それこそ、親子みたいにな」
 トストリス大帝国に居過ぎて染みついたか、動く時は夜であると自分の中でルールが作られている。昼の生活は夜の行為を円滑にする為の布石でしかなく、やはり『闇衲』に善意はない。
 所で、自分の事を善人と信じて疑わない人間に一つ尋ねたい。善意の存在しない発言で、人生を壊された一人の少女が笑顔になった時、それは善行と呼んでも良いのだろうか。それとも…………










 答えは言うまでもない。真に善人であるならば、直ぐにでも分かる筈だ。






























 合計金額、金貨六八枚と銀貨三二〇枚と銅貨五〇枚。これが何の金額か、当てられるだろうか。答えはシルビアとの散歩で費やした金額。より正確に言えば、度重なる買物の合計金額である。ナイフや魔導書ならば話は分かるから購入した。しかし彼女の買物は留まる所を知らず、遂に彼女は高価な装飾品にまで手を出してしまった。それもふざけた値段の首飾りだ。高価な宝石だか何だか知らないが、首飾りが欲しいなら『闇衲』のを譲ってやるのに。指の骨を繋いだ首飾りだから、宝石よかよっぽど希少で価値があると個人的に思っているのだが。
「殺人鬼さん、似合いますかッ?」
 気兼ねなく話したいという事で、二人は一旦貧民街の方へ赴き、人気のない所で話し合っている。彼女が購入したのは『人魚の涙』なる首飾りで、チェーンの先には涙の形を模した水色の宝石が垂れ下がっている。
「ああ、似合っている」
「ふふふ、有難うございますッ! そう言っていただけると嬉しいです!」
 彼女は無邪気な笑顔を浮かべて、目の前でくるりと一回転した。その裏に暗黒は無い。彼女は今、素直に褒められた事を喜んでいる。本来この年頃の少女が浮かべるべきはこう言った笑顔で、それを向けられる対象も殺人鬼ではなく、真の父親だ。リアばかり気にしていたが、シルビアの事も気にしなければ……いやいや。彼女は飽くまで道具だ。どんな思いがあれ、彼女の事を気にする必要は無い。
 そう思いなおしたが、一度喉を抜けた言葉は口をついて外へ漏れた。
「シルビア。お前、元の場所に帰れるとしたらどうする? こっちに居るか、それとも……本当の両親の下へ帰るか?」
 いつになく真剣な調子で尋ねられて、シルビアは近くの壁に凭れ掛かった。
「……私は殺人鬼さんの隣に居ると思います。元の場所ってのも思い出せないし、今の私は……殺人鬼さんの隣に居て、楽しいですから」
 ほんのりと頬を染めて、シルヴァリアは笑顔を傾けた。
 

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