ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

薄汚い記憶の底で

 あんなモノを押し付けられて、流石に何とも思わない訳ではない。自分で言うのも何だが、この身は既に腐り果てた故、性欲に関わる興奮というモノは『闇衲』の中に欠片たりとも存在しなかった。そんな自分だからこそ、なのかもしれないが、非常に迷惑極まりないと言うか、クソ迷惑だ。
「随分とご機嫌ななめね、『闇衲』ったら」
「分かるか?」
「ええ♪ 貴方の幼馴染程じゃないけれど、良く分かっているつもりよ」
 今回は特に何かをする事は無く、単純に彼女の家へ遊びに来ている。理由としてはあんまりにも期間を考えずに殺しをすると、今度こそ本当に追い詰められて彼女もろとも潰される恐れがあるからだ。『吸血姫』狩りが終了して二人が別れる際、それを説明すると彼女はとても不満そうにしていたが、こちらの言い分も分からない訳では無いので納得。その代わり、いつかの日にこちらへ来て、暫く家に居て欲しいとの事だったので、『闇衲』は翌日に早速訪れた。それも自分の活動帯ではない真昼間だが、リアが隣に居る訳でも無いから別に良いだろう。
 むしろ問題にするべきは自分の行動では無く、自分が『来るかもしれない』という根拠のない直感から学校を休んだ彼女の行動だ。人を殺すとか殺さない以前に、根拠のない直感を信じて行動するという事自体、『闇衲』には信じられない行動だった。ある一定の事実から推理し、可能性の高い事柄から行動を考える事は自分もやった事があるが、全く根拠のない自信から行動に移った事は一度も無い。彼女曰く『女の勘は当たるのよ♪』との事だが、その勘が外れた場合はどうなってしまうのだろうか。或いは当たった場合においてのみ女の勘と言うから、外れる事は無いとでも屁理屈をつけるつもりか。
 自分も話し相手が居るのは有難いからこれ以上は何も言わないが、少なくとも感心はしない。
「何かあったの?」
「……聞いてくれるか、『吸血姫』。実はな、俺の娘……ああ、あれな。一応言っておくと、お前が鉄柵に突き刺したアイツの事な。アイツからな……ファーストキスを貰ったんだよ。いや、貰わされたというのが正しいのか、はたまた押し付けられたと言うべきか」
「へえ。良かったじゃない♪」
「刻むぞ。欲しくも無いハジメテを無理やり押し付けられたこっちの身にもなってみろ。何やら重い拘束を掛けられたみたいで気分が悪い」
 元々彼女の隣を離れるつもりは無いが、あれのせいで尚の事離れる訳にはいかなくなってしまった。実際に拘束されている訳ではないだろうという人間は……多分、同じ目に遭えば分かる筈。そういう事じゃない。実際に拘束されている訳じゃないからこそ、この拘束は嫌なのだ。
 思い出すだけでも眉間にしわが寄る『闇衲』とは対照的に、『吸血姫』は変わらず表情を明るく保っている。差し出された紅茶に口を付けた事で、少しだけ落ち着いた。
「でも、それって父親としても嬉しいんじゃないかしら。私には良く分からないけれど、学校に入学する子でもたまに居るわよ。『自分の父親と結婚する~』って子」
「それは恐らく家庭に何かしらの問題があるか、父親至上主義の中で育てられたかのどちらかだな。俺の場合はどちらでもないし、そもそも嬉しくない。アイツに好かれてもな」
「あら、あんな可愛い子中々居ないわよ? そんな子から無条件で好かれてるなんて、普通なら泣いて喜ぶと思うんだけど」
「いつかはアイツも独り立ちするんだ。俺の事を好きになったら……そういう時に困るだろ」
 『闇衲』自身は気付いていないが、何だかんだで父親をしている事は『吸血姫』から見て明らかだった。先程の発言が特に顕著であり、『闇衲』は娘基準で物事を考えている。先程の言葉なんて、要するに『娘が損をするから嫌だ』と言っている様なモノだ。これ程まで素直じゃない父親が果たして何処に居るだろうか。殺人鬼である以上、その性根は間違いなく腐り果てているが、それでも彼の娘にとって、彼が愛しい父親であろう事は良く分かった。自分もまた、この不器用な優しさに惚れているのだから。
「まあまあ。『闇衲』が育ててるんだから、その辺りは勝手に解決するでしょ? 私だって、こうして独り立ち出来た訳だし♪」
「お前とは事情が違うから参考にならん」
「そうかしら。でもその悩みって結局、その子が自立出来たら解決するでしょ?」
「……まあな」
「だったら何も問題なんて無いじゃない♪ ファーストキスを貰ったんですもの、『闇衲』も張り切って娘を育ててあげなくちゃ。それが父親ってモノじゃないかしら」
 『闇衲』は始終気怠そうな表情を貫いたが、最後の言葉にだけは微妙な変化を見せた。彼を愛する者として、自分は彼と彼の娘を応援している。たとえ殺人と復讐から結び付いた歪んだ親子愛だったとしても、その結末に幸あれと望まずには居られない。
 これ以上この話題を続けると堂々巡りになる恐れがあったので、次の紅茶を注ぐのを機に、『吸血姫』は話を変える。
「そう言えば、冒険者ギルドの方がどうなったか聞いた?」
「どうなった……とは? 別にギルド本部という訳でも無いだろう。まさか潰れたのか?」
「ううん、基準が引き上げられたのよ。私達であれをするまではかなり簡単になれたみたいだけど、あの被害は流石にギルド側も重く受け止めたみたいね。著名な人物もどうやら殺してちゃったみたいだし」
 著名な人物とやらに興味は無いが、確かリアに絡んでいたあの男はその類に入る人物だった筈。であればざまあないか。
「で、どうしてそれを俺に?」
「…………この国を殺すのに崩しておくべき柱って知ってるかしら」
 『吸血姫』は指先に魔力を込めて空中に文字を書き、『闇衲』にも分かる様に反転させる。一つ目の柱は言うまでも無く学校長フィーだ。彼の存在ありきでこの国の防衛は殆ど成立していると言っても過言ではない。そんな彼を殺すというのもその人間離れした強さから現実的ではないが、一時的にでも遠くに行かせる事が出来れば、取り敢えず問題は解決する。
 二つ目は高等エリアに巣食う貴族達だ。彼等の内、一人でも逃がしてしまえばその財力と権力から強大な敵となる可能性が高い。その事は彼等自身も承知しているだろうから、殺そうと狙いを付ければきっと万全の体勢を以て迎撃してくる。『吸血姫』が高等エリア居住者である以上、侵入そのものは容易いが、殺すとなれば話は別。崩しておくべき柱としては最も難関であり、最後に立ちはだかる扉のようなモノであると思われる。
 三つ目を述べる前に、これら二つは非常に崩しがたい柱であり、一日や二日程度では到底崩せない柱であると理解すべきだ。崩しがたい場所から崩すのは一種の定石ではあるものの、その崩しがたさが尋常でなければ結局意味がない。ならばこの二つを少しでも崩しやすくするには……最後の柱を崩さなければならない。
「最後の柱はギルドよ。これを壊せれば二つの柱は一気に崩しやすくなるわ。ギルドが無くなったらフィー先生がどう動くかは未知数だけど、ギルド本部に出向いたりしてくれれば有難いし、上手い事責任を押し付けられたら追放出来るかもしれない。貴族の方も、腕利きの冒険者を警備戦力として雇われる事が無くなるから、少しは動きやすい。どう? この柱、崩しておくべきだと思わない?」
「……俺、国殺しの事言ったか?」
「いいえ。トストリス大帝国を壊したんだったら、どうせこの街も壊すんだろうなって。違ったかしら?」
 合っている旨を告げると、改めて『吸血姫』は話を再開する。
「だったら協力させてよ♪ そんな面白そうな事、仲間外れにされたら詰まらないわ」
「…………別に構わないが、その前にさっきの質問の答えを聞きたい。この国を殺すのにギルドを潰しておくのは分かったが、だからと言ってどうして基準が引き上げられた事を俺に教えたんだ?」
「まだ分からないの? だからね、冒険者としての基準が引き上げられたって事は、これからは実力者しか入れないって事。『闇衲』は間違いなく実力者の類に入るから、上手く動けたら実力者を一気に排除出来るんじゃないかって思ったの♪」
「……つまり、あれか。お前は、俺に一時的にでも冒険者になれと」
 冒険者……この世で最も理解不能且つ、『闇衲』が忌み嫌わなければならない存在だ。その事は勿論彼女も知っている筈なのだが、それを理解した上で発言したのなら尚性質が悪い。
 殺人鬼と冒険者は何が違う? 殺人者に変わりは無いじゃないか。なのに殺人鬼は悪とされ、冒険者は大概の見方として善とされる。何故だ? 人を殺す事が悪とされるならば、冒険者だって悪とされるべきだ。殺して利益を生むのが冒険者で、生まないのが殺人鬼なんて事は分かっているが、その割には人を傷つけない事を推奨するこの世界、一体どうなっている。それに利益を生むかどうかなんて立場に因るだろう。例えば『闇衲』の行う全ての行為はリアの糧、彼女が立派な殺人鬼となる為の糧である。それは利益を生んでいると言い換えても良いのでは無いか? ならば自分は善なのでは無いか?


『―――判決を言い渡そう。私だってお前の味方をしてやりたかったが、これも全ては皆の意向だ。悪く思うなよ』


 何かが脳裏を犯す。忘れられざる負の記憶が、二度と思い出したくもない過去が。直ぐに思考から消し去ったが、あれを起こしたのも、全ては冒険者。アイツ等さえ居なければ……身勝手な正義を振りかざす薄汚い人殺し共が居なければ。
「…………ああ、面白そうじゃないか冒険者。最高だよ。確かにお前の言う通り、崩しておく必要があるだろう。今回は好き嫌いで判断しちゃいけなさそうだ」
「…………『闇衲』?」
 『闇衲』はゆらりと立ち上がって、一気に紅茶を飲み干した。
「しかしアイツ等と同じ所に所属して、俺の正気が保てるとは限らない。お前にも勿論参加してもらうぞ『吸血姫』―――いや、リリー・アンヘム」



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