ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

父と娘、或いは姫

 リア達が現場に辿り着いた時、その現場には一人の女性が立っていた。女性だと分かったのは、その胸の膨らみ方が男性ではあり得ないモノだと思ったからだ。しかしフードを深く被っている事、そして現在の時間帯が深夜である事も相まって、その顔はあまりよく見えない。口元でさえ、笑っているのか怒っているのか分からない。彼女が唯一の生き残り……という線も無くは無いが、あそこまで血の付いたナイフを持っていて、どうにかこうにか生き残りましたは筋が通らない。女性の足元に広がる死体の中には高名な冒険者も居たのだが、彼女はそんな冒険者すらも殺してしまったらしい。たった一人であの人数を殺した事はにわかに信じがたいが、死体の中で佇む者が彼女一人しか居ないのであれば、そう思うしかあるまい。
 女性はこちらの足音に気が付いて、ゆっくりとこちらを振り向く。自分達とは段違いの殺意にギリークは思わず足を止め、表情こそ変わらないがイジナも足を止めた。恐れた、という言い方は良くないだろう。自分達は先程まで殺し合っていたχクラスの人間だ。そして全員一度は死んだ人間だ。殺意に怯む事が今更あってはならない。ならないのだが……この微妙な殺意の違いを、果たして何と説明すればいいのか。
 ギリーク等が先程まで感じていた殺意は、所謂淡白な殺意だ。動きの上、または殺すという事になっているから殺す。そういう『色の無い殺意』は、殺しを愉しんでいない証拠であり、一般的に人間が持つべき殺意はこの手の類だ。しかし目の前の女性が持っている殺意は『色のある殺意』。殺しを愉しみ、その蜜を限界まで吸い尽くしたいという欲望に始まり、終わる。それが前者の殺意とどう違うのかを説明するのは、実際に二つの殺意を受けてみなければ分からないが、強いて言えば相手にしたくない。人を殺す事を至上快楽とする者と殺し合いなんて、やる気にはなれなかった。本来は問答無用で攻撃する予定だったのだが、二人の保護を考慮してフィーも停止。只一人飛びかかっていったのはリアだけだった。
「え…………お、おい!」
 素早く取り出したナイフが引き抜かれると同時に『吸血姫』……と思われる女性の喉めがけて放たれる。相手が素人であればまず躱せない不意打ちだったが、女性は首を軽く曲げて、フードを軽く切られる事に被害を留めた。その動きの鮮やかさと言ったらとても慣れていなければ出来ない芸当なので、この時点で女性が『吸血姫』である事は間違いない。間違いないのだが、それが分かったのはリアの攻撃であり、それではリアが最初から『吸血姫』を見破っていたのかというと、そういう事ではない。
 最初に女性を見た時、リアは彼女の持つナイフに着目していた。他人から見れば何の変哲もない普通のナイフ、彼女以外に違和感を持つ事は無かっただろう。
―――パパのに似てる。
 血液の中に沈みながらも、確かに輝きを放つあのナイフが『闇衲』で無いとしたら一体誰のだと言うのか。あそこまで磨き抜かれたナイフを自分は知らない。まさか彼が殺されたとは思わないが、少なくとも彼が関与していない以上、あのナイフは奪われたという事になる。
 そう思ったら無性に腹が立ってきて、気づけばリアは駆け出していた。自分の父親からナイフを奪うなんて言語道断。彼の全ては自分のモノであり、彼を殺すのはリアで、つまり彼の持つナイフとはリアの物だ。それを奪うという事は……自分に対する宣戦布告に他ならない。
 と考えれば、容赦をする訳にはいかなかった。最初の一撃を透かされた力を殺す事無く体を反転させて次の攻撃へ。『吸血姫』と断定した残りの三人が戦闘に乱入してくるのを警戒していた女性がリアに気を払っている筈が無いのだが、女性は見もせずにその剣戟を防御。巻き込むようにリアの手首を掴んで、フィー達の方向へと投げつける。が、リアが魔術を学んでいたのは何も怪しまれない様にするからではない。空中へと放り出された彼女は、突如として物理法則を無視するように空中で体を反転。慣性を無視して『吸血姫』へ飛び蹴りを叩き込んだ。青い外套が翻り、女性が体勢を崩す。フィー達はもうすぐそこまで迫っていた。あの状態からフィー、ギリーク、イジナの三人を相手に抵抗出来る相手は居ない。これで狩りは終了だ―――
「感心しないな。複数人で一人を叩く等」
 夜に響き渡る男の声。それは冒険者とはとても思えない程暗く、だが一般人とは思えない程に鋭い。『吸血姫』を捕縛せんと三人が接近した直後、その三人を全く同時に後退させたのは、横道から割り込んできた大柄な男だった。身長こそリアに見覚えのあるモノだったが、そのナイフが違う。そして声も、殺意も違う。何より『闇衲』が自分に刃を向ける理由が見当たらないので、彼とは別人であると考えても良いだろう。
「大丈夫か、『吸血姫』」
「ええ。有難う」
 後、彼はあそこまで優しくない。まるでお姫様の手を取るように優しく『吸血姫』の手を導く男。背を向けているにも拘らず、その立ち姿には一切の隙が無い。攻めようと思っても返り討ちにあう未来が目に見えている。男は彼女の体勢が整った事を見送ると、こちらに背中を向けたまま、静かに問うてきた。
「―――こんなに可愛らしい冒険者が三人も居るとは聞いてないが、新米か?」
「そう見えますか? 私はともかくとして、他の三人は制服を着ていますよ」
「……そうだな。愚問だった。して、愚かなる学生諸君とフィー。お前達は何故ここに居る? 今宵は学生諸君の出る幕は無いぞ」
 完全に舐めている様な発言だが、その程度の実力であればあの時三人が後退するとは思えない。何より『闇衲』は正面戦闘に弱いと自覚していた。もしも目の前の男が彼ならば、こんな正々堂々とした形で戦わないだろう。今度こそリアは確信を持って彼を別人と判断する。
「私達は……少々、特別な扱いを受けていてね。学生諸君の出る幕が無いからと言って、引き下がる訳にもいかないんですよ。『吸血姫』を捕縛するまではね」
 フィーは男を導くように脇へ逸れると、男もそれに従って脇に逸れる。お互いに、自分で無ければ相手が務まらない事を分かっていた故の判断だった。しかしその判断は悪手であったと言わざるを得ない。フィーは確かに圧倒的な強さだが、彼だけを負担すれば『吸血姫』がリアを含めた二人を相手する事になる。共に殆どの面でリアを上回る強者であり、先程の飛び蹴りも躱せない様な女性が勝てるような勝負とは思えない。それは先程蹴りを喰らった女性が一番良く分かっている筈なのだが……彼女男に不満を漏らすような真似はせず、無言で『闇衲』のナイフを構える。言葉は不要、この先の語り合いは刃でのみ行われる。
 先陣を切ったのは先程と同じくリアだ。彼女の刃が払われる先は首ではなく、腕。少しでも機動力と対応力を失わせる目的があるのだろうが、『吸血姫』は敢えて前進してリアのナイフを掌で防御。そのまま彼女を掴んで背後から放たれた光を背中で防御すると、痛みに喘ぐ少女の声が夜に紛れる。
「ウッ!」
 それを見た背後の少年が動揺したのを見逃す『吸血姫』では無かった。盾代わりにした少女の脇腹をナイフで突き刺してから解放。家屋の壁に叩き付ける様に投げると、少年の動揺は一層顕著に。こちらが目前まで迫ってようやく気付く程度には心を乱していたようだ。慌てて対応しようとするが間に合う筈もない。『吸血姫』はナイフの持ち手を切り替えて首筋に刃を叩き込むが、それを止めたのは彼の傍らに居た少女だった。少女はその銀閃を指で挟みつつ『吸血姫』の腕を取る。その際の掌底で無理やり関節を曲げてから素早く懐に潜り込んで体を捻ると、気づけば『吸血姫』の身体が宙に投げ飛ばされているではないか。その方向に合わせて間髪入れずに少女が拳を突くと、その直線状においてのみ爆発が連鎖。『吸血姫』を吹き飛ばすが、微かに聞こえた舌打ちから察するに、威力を減殺されたらしい。どうやってかは分からない。
 彼女が魔術を使えなければこのまま空中で一方的に蹂躙されるだけなのだが、どうやってか落下地点を変えた『吸血姫』は家屋の屋根に着地。視線を切るように家屋を飛び降りて姿を消した。二人は急いで後を追ったが、彼女が飛び降りたであろう場所に『吸血姫』は居ない。
 彼女が居たのは二人の背後だった。それに二人が気付いた時には既に背中を貫かれており、即死。痛みに喘ぐ暇すら無く二人は絶命した―――少なくとも、『吸血姫』はそう思っていた。そしてそれが勘違いである事に気付いたのは、彼女がナイフを引き抜こうとした瞬間。何やらとても大きな力がナイフを掴んで離さない。
 見ると―――二人は出血する事もお構いなしに、刃を握りしめていた。
「ハアッ!」
 ナイフが抜けない事に意識を取られていた『吸血姫』はリアの放った蹴りに反応しきれず、無様に直撃。地面を転がりつつ体勢を立て直すが、脇腹を刺されているとは思えない程の速度で距離を詰めてくるので、次の攻撃も受けられない。放たれた刺突は、吸い込まれる様に『吸血姫』の肩口へ突き刺さった。痛みに歪む体勢。リアはそれを楔として『吸血姫』の上半身に組み付いて床へ。その四肢を駆使して首を絞め込み、意識を狩りとらんと全力を注ぐ。
 対処法を知らなければこれで意識が落ちて『吸血姫』狩りは成功だ。そして『闇衲』が関わっていない以上、それを『吸血姫』が知る道理は無い。これで終焉か……そう思った次の瞬間、『吸血姫』の雰囲気が変化すると同時に、彼女は一瞬でその拘束から逃亡。逆にリアの片足を掴んで、力の限り家屋に叩き付けた。
「ア゛グッ!」
 幸運なのはこの家屋が偶然にも廃屋という事か。こん棒の様に振り回される少女は壁を砕く勢いで叩き付けられて出血。それだけに留まらず、『吸血姫』は彼女の足を持ったまま鉄柵の近くへ。徐に彼女を振り下ろし、その背中を鉄柵に叩き付ける。
「―――ッグ゛ャ゛アアアアアアアアアアアアアアアアア!」
 感じた事のない痛みに、リアは我慢する事もなく絶叫した。街中に轟く叫び声は人々を叩き起こし、この夜にどんな事があったかを無意識の内に悟らせる。
 流石にそれを不味いと感じた『吸血姫』は反撃される事も考慮せず、暗闇の中へと全力で逃亡。χクラスの三人は三人ともまともに動ける状態には無く、唯一無傷だったフィーも曰く『動けなかった』らしい。もう一人の男もフィー曰く『逃げた』様で、騎士団が派遣されて死体が回収された瞬間を以て、第一回目の『吸血姫』狩りは、返り討ちの結果に終わったのだった。

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