ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

三竦み 後編

 刻創咒天は、リアが唯一持ちこんだ刻属性魔術。対象者の体内時間を自由自在に操作出来る魔術だが、欠点として三分間だけ。そして三分間が過ぎると時間を弄った代償が全身に広がり、数時間はまともに動けなくなる。この代償があるから一つしか持ってこれなかったと言ったって、一つで十分だと言いたいが、本来はこの様に自分へ使うつもりは無かった。本来は二人が接近した所に本を投げ込んで二人の体内時間を操作。限りなく停止の状態まで時間を遅くして一方的に攻撃を加える。そしてその本を確実に当てる為に、ブラフの本を幾つも作製していたのだが……どうしてあの時、戦いの様子を窺ってしまったのだろう。あんな情けない顔を見てしまったら、助けない訳にはいかないではないか。それがたとえどれ程完璧な作戦を台無しにする事になったって、もうどうでもいい。やってしまったモノは仕方がない。大事なのは今で、過去は振り返る余裕がある際に振り返るべきだ。自分の行動の馬鹿さ加減をこんな所で嘆いている暇があったら一人でも多く殺す。今回の場合は、出来るだけ早くイジナを突破する。願わくは、『刻創咒天』の切れる前に。
 ギリークがリアの手を取って立ち上がる頃には、吹き飛ばされたイジナも体勢を整え終わっていた。相変わらず彼の獲物は手放していないが、それは実に都合が良い。リアが不利なのは魔術戦においてのみ。こと近接戦においては、ここに来る前からやっていた殺しと似たようなモノだ。
「ギリー。魔術で援護宜しく」
 声が明らかに遅れて発され、次にリアの姿が見えた時、彼女はイジナの首を持ち上げて、一階の硝子窓に全力で投げつけた。最初に中庭へ叩き落した時は出血したのに、今回はしていない。事前に魔術で防いだか。イジナは素早く起き上がって校舎内へ逃走を図ろうとするも、進路をギリークの魔術が妨害。一瞬の躊躇が遅延を生み、遅延は隙を生み出す。そして殺人鬼は、決して対象者の隙を逃さない。
 直ぐに窓を飛び越えて放った一撃は、確実に彼女の喉元へと突き立てられただろう。後ろから刺しても良かったが、やはり一度前に回り込ませた方が相手からすれば恐怖感が強い。確かな肉の手応えを感じて、リアはナイフから手を離して、確かな勝利を感じ取った―――
 普段の自分であればそうしただろうが、今回のリアは『刻創咒天』を使用している最中。体内時間を極限まで加速して感覚を研ぎ澄ませば、前面に回り込んだ刃が受け止められている事なんて直ぐに気付く。彼女の首根っこを掴んでこちらが馬乗りになる様に引き倒すと、案の定イジナは自らの掌を犠牲にナイフを止めていた。すかさず持ち手を替えて強引に圧していくと、少しずつだが刃が掌を貫通し、ゆっくり喉元へと近づいていった。互いに女性だが、そこには鍛えているかいないかの違いがある。χクラスの生徒だったとしても、力においてイジナがリアを上回っているなんて事は万に一つも有り得なかった。
 勝てる。ギリークがこの場で裏切らない限りは勝てる。そう思ってどんどんナイフを圧していくと、不意にイジナが微笑み、してやったとばかりにリアの手を掴んだ。相手を捕まえているという事は、言い換えれば自分も相手に捕まっているという事である。そんな基本的な話を思い出した時にはもう遅かった。
 次の瞬間、リアの五指は派手な音を立てて炸裂。維持する事が出来なくなったナイフが床に落ちて金属音を響かせると共に、その想像以上の痛みにリアは反射的にひっくり返った。
「ァ゛゛゛゛゛゛ッ―――! ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛―――ッ!」
 ショック死してもおかしくない痛みだが、そこで意識を失わないのが彼女の長所であり、短所でもある。なまじ痛みに慣れてしまったがばかりに、彼女は未知の痛みの全貌を知る事になってしまったのだ。そんな少女をあざ笑うかのように、イジナは不敵な笑みを浮かべてナイフを拾って、お返しとばかりにリアの胸元へと突き立てる。ギリークの魔術は間に合わない。間に合った所で彼女は怯む事なく攻撃を続けてリアへ止めを刺しただろう。そしてこの戦闘が三分以上経過していたのなら、彼女の想定は正しかった。
 ナイフが突き刺さる寸前、やたら的確な蹴りがナイフを弾き、続いて起き上がりの動作に組み込まれた回し蹴りがイジナの顔にぶち当たる。平衡感覚を揺らされてよろめく少女を見て、片手を破壊されたはずの少女は、舌をベーっと伸ばして、あからさまに彼女を挑発していた。
 『刻創咒天』は対象者の体内時間を自由自在に操る事が出来る。早くすれば動きは速くなるだろうし、遅くすれば動きは遅くなる。止めれば―――全てが停滞する。
 リアの片手が全く動いていない事に気付くモノは、今の所本人だけだった。とっさの判断で腕の時間を止めて痛みを疑似的に消失させたのは良いが、三分間が過ぎれば痛みが襲ってくる。残り時間が一分として、さて。どうしたものか。
 起き上がりの動作に組み込む為には流れを重視する必要があった為、あの蹴りは牽制程度にしか効いていない。このまま戦闘を遅延させられるとこちらとしては勝ち筋が無くなる為、次の攻撃で決着をつけたい。一番効果がありそうなのは首をへし折る事だが、十中八九止めに入られると思ったが、ギリークの足元を爆発させたり、リアの手を爆破したり。イジナの行動に容赦がなさ過ぎる。本当に死んでしまいそうだからギリークも避けて、リア自身も時間を止めて誤魔化した訳だが、もしかして彼女―――敢えてやっているのではないだろうか。決して殺意があるとかではなく、フィーが復活させてくれる事を知っているから、ここまで容赦なく攻撃できるのではないだろうか。
 一つ気になるのは、彼女が知っていて、ギリークが知らない道理があるのかという事だ。彼の攻撃は必殺のモノであると、先程は見ていてそう言ったが、必殺は必殺でもそれはこの闘いにおいて重傷により気を失ってしまう程度のモノだ。あの射出される光の殺傷力は不明だが、それでもイジナ程あからさまな殺傷力は無い様に思える。彼女と来たら、爆発だ。誰がどう想像したって悲惨な事にしかならない爆発だ。
―――試してみる価値はあるわね。
 これで本当に彼女を殺してしまったら、その時は仕方ない。だが。あちらに明らかな殺意があるのにも拘らず、明らかな殺意で迎え撃たないのはむしろ失礼に当たると思う。
 その証拠として、彼女は現にリアの片手を炸裂させる等という手段に訴え出た。『刻創咒天』があったから良かったが、普通はショック死していて当然。つまりあちらには殺意があったという事になる。
 ならば首をへし折られる事になっても文句は言えない。こちらは残り一分の命だ。それを過ぎれば先程の痛みの再現によりショック死、無事敗北。それ以外の手段が無いのであれば、その手段を取るしかない。問題があるとすれば、片手が使い物にならないので、顎を捻る際にちょっと工夫をしなければいけない事だ。
 リアは両手を挙げて、ゆっくりと歩き出した。何かを警戒しているのか、イジナは攻め込む様子を見せず、横から入ってくるギリークの魔術を捌き続ける。それすらも無視して歩き続けると、増え続ける光弾が遂に鬱陶しくなったのか、リアのナイフを彼に投げつけてから、彼女も大きく接近して手をリアの胸に当てて爆破。心臓もろともその身体を吹き飛ばし、その命を確実に吹き飛ばす。
 力なく垂れたリアの手が顎に触れた―――彼女の上半身は、欠片も吹き飛んでいない。
「人を殺すのに爆発なんて大袈裟ね? 二本の手があれば人間なんて、簡単に死んじゃうのよ」
 こんな風にね。
 もう一方の手で後頭部を掴まれた瞬間、イジナは己の敗北を悟った。
























 瀕死になるまで止めるつもりは一切ない。フィーは確かにそう言った。しかしそれは嘘で、それを見破っていたからイジナは学生らしくも無い魔術を多用した訳だが、一体何をどうすればこうなるのだろうか。
 ギリーク・ブライドス。投擲されたナイフが喉に突き刺さり死亡。
 イジナ・ラルロフ。首をへし折られて死亡。
 リア。上半身が炸裂した事で死亡。
 自分の力を見られないから都合が良いとは言ったって、まさか全員が全員死体となって戦いを終了させるとは思わなかった。自分が居る限り取り返しがつくから良いようなモノを、これからは何かの間違いでも死んでもらう訳にはいかない。
「『癒穢アイスクラーピウス』」
 意外……というより想像以上の結果に驚きつつも、フィーは満足そうに微笑んだ。 

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