ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

殺人幽欺 殺

 男が目覚めた時、その両手は背凭れに作られた穴を通して縛られていた。逃げる為の足は当然の如く縛られていて、僅かに宙で浮いている。というのは、その足元にトラバサミがある事を配慮したのだろう。少しでも拘束を解く為に足を下げたらトラバサミを踏む。そういう事だろうか。
「あら、お目覚めになったのね♪」
 こちらの覚醒に合わせるように、物陰から一人の女性が飛び出してきた。彼女の名前はノーヴィア。この状況が夢か何かでない限りは、自分は彼女とまぐわっていた筈である。その完璧なる美貌に己の劣情を壊れるくらいに叩き付けて、存分に楽しんだ筈である。だが眼前の女性は見る限り何処も汚れた様子など無く、性行為後の息が切れた様子もない。何をどう、何回見たって変わらぬネグリジェ姿である。
「の、ノーヴィア! これは一体何のプレイ……なのかな? 仮にこんな事をするにしても、は。入るのは君だろうッ」
「何を仰っているのやら良く分かりませんわ♪ まだ何かを勘違いしているようであればここで申し上げておきますけど、私は巷で話題の『吸血姫』。これから貴方にする事は性交では無く拷問♪ お分かりいただけましたか?」
「え―――」
 自分が命の危機に晒されていると言うのに、己の欲望の何と罪深い事か。こんな状況になっても尚、彼女の笑顔を見た下半身が興奮でいきり立った。彼女が『吸血姫』? そんな事はどうでもいい。取り敢えず彼女を犯したい。先程飲んだ媚薬のせいだろうか、男の思考はその考えに支配されていた。
「構わない! 君が『吸血姫』だろうと何だろうとッ、私は君と一つになりたいのだ!」
 こんな思いが間違っている事は自分の理性も良く分かっていた。しかしこの興奮はどうしようもなかった。男は性欲に勝てない生き物だ、もしもそれに打ち克てる奴が要るとするならば、そいつはまず人間じゃない。
 そんな考えを否定するかのように、彼女の背後から大柄な男がゆらりと飛び出してきた。顔も醜く、その全身は痣や切り傷だらけ。容姿の面で言わせれば、自分の方が明らかに上だ。しかし彼女は、そんな自分をあざ笑うかのように男の腕に絡みついて、その豊満な胸で男の汚らしい腕を挟み込む。男は特に変わった反応を見せようともしない。
「ごめんなさいねッ? 私、貴方なんかよりこの人の方が好みなの♪」
「そ、そんな! そんな男の何処が良いんだッ、私の方が、私の方が何もかも上回っていると言うのに」
「それは聞き捨てならないな」
 沈黙を保っていた男が、腐り切った殺気と共に口を開く。
「お前の様な下半身でしか物事を考えられないような男が私の上を行ける訳が無いだろう。私は人間としても男としても、確かに最低の部類に入るだろうが、それでも貴様らの様な川底のゴミみたいな存在よりは上である自覚を持ち合わせている。お前の様な知性があるようで無い獣以上人間未満の人間もどきが世界に跋扈してるから俺の娘は『男嫌い』になってしまったんだ。このクソ野郎が。その大罪は、死んで詫びて生まれ変わってまた死んだ所で帳消しにはならないぞ」
「き――――――貴様ッ! 誰に向かってそんな口をッ。私が一言口を添えるだけで、貴様の様な下賤な民は住む場所も生きる権利もうしな……アッ」
 男が言葉を中断させたのは、自らの太腿に突き刺さったナイフを見たからだった。最初は驚嘆が上回った故に痛みを感じなかったが、やがてその怪我を認識すると、本来ある筈の痛みは現実のモノとなって男の思考をかき乱した。
「ぐあああああああああああああああああッ! 私、私の……足、あひいいいいいッ!」
 休む暇は与えられない。大柄な男の手が自分の頭部を掴んだ。そしてそのまま、男の方へ引き寄せられる。
「誰に向かってそんな口を聞いている、か。そっくりそのままお前に返してやろう。今のお前は殺される側、俺達は殺す側だ。その辺りをしっかりと弁えないと……死ぬぞ、お前」
「ぐうううううううううううああああああああ! き、貴様こんな事をし、し、て……がああああああああああ!」
 最早まともに会話が出来る状態では無くなってしまった。正体不明の男が自分の頭部から手を離してきたかと思いきや、そいつは出し抜けにこちらの髪を掴み、無造作に引き抜いたのだから。
「いたいちあいたちあいたいあちあじゃいたいたいたいいいいいいいいいいいぅぅぅぅぅうぅぅううう!」
 痛いのは髪を抜かれた瞬間では無く、抜かれてからの数十秒だ。感じた事も無いような激痛が感覚を侵食し、犯し尽くしてくる。男はこちらに見せつけるかのように、目の前で引き抜いた髪を捨てた。
「やめてよ『闇衲』ッ♪ これじゃあ私の番になった時に悲鳴が聞こえないじゃないッ♪」
「と言いつつもご機嫌だな」
「だって、結構綺麗な泣き声だし♪」
 狂っている。この二人の存在は男にとって、明らかに常識を逸脱していた。こんな奴等と関わっていたら命がいくらあっても足りない。早い所脱出を図りたい所だが、身体を揺らす程度の事しか出来ないのではどうしようもなかった。更に言えば、『吸血姫』はこちらの動きを決して見逃しはしなかった。
「あら、逃げる事は無いんじゃないかしら♪ 私を犯したくて犯したくて、たまらなかったんでしょう?」
 前傾姿勢になって『吸血姫』が微笑むと、その豊満な胸部がこちらを誘うように軽く揺れた。反射的にそちらへ視線を遣ると、更に彼女は蠱惑的な笑みを浮かべる。
「触りたいのですか?」
 流石にこちらも正気だ。首を大きく横に動かすと、その笑みは首の捻りを加えて一層深みを増した。
「それとも挟まれたいですか?」
「あ、う……う……い、いや要らなぐもぉッ?」
 こちらの返事を聞くまでも無く、『吸血姫』はその胸部をこちらへ押し付けてきた。瞬間、性欲に直結するような至高の柔軟性が男の顔を包んだ。ネグリジェ越しなのが残念だが、それでも十分に柔らかさを感じ取れるぐらい、彼女の胸部は一級品だった。己の妻なんかとはまるで違うその感触に、男は永久にして一瞬、天にも昇る心地よさを味わった事だろう。
 そんな男を突き落としたのは、天からずっとこちらを狙っていた刃だった。
「ひぐぁもふがあああやかあかあああごごごごご!」
 その激痛が何なのかは直ぐに理解した。背凭れの後ろで縛られた手から指が落ちたのだ。体の命令に従って、可能な限りの叫び声を出そうとしたが、それは『吸血姫』の胸部でのみ反響して、周りには響かない。ヤケになってネグリジェへ噛みついて一部を引き千切ると、驚いた彼女は一歩引き下がった。自分が食いちぎった場所はどうやら胸の谷間が形成されている部分だったようで、そこが千切られた事で彼女の双丘が織りなす谷間がどれ程の深さかがより分かるようになってしまった。
「俺だったら乳房を引き千切ってる。あまり油断はしない事だな」
 自分の指を切ったのはこの男だったようだ。椅子の裏から出てきた男を可能な限りの殺意を籠めて睨みつけたが、痛みに喘ぐ男の殺意なんぞ意にも介す筈が無かった。
「えへへ♪ 気を付けまーす。でもこれって……やだこの人、まだ興奮してるッ♪」
「興奮……ああしてるな。しかしいつもの事だと思うぞ」
「でもでも~こんな事までしておいてまだ私に興奮してくれてるのはちょっと嬉しいかな~♪ あ、ちょっと待っていてくださいね。少し小腹が空いたものですから」
 そう言って『吸血姫』が突然跪いたのを、自分は疑問に思った。小腹が空いたのなら侍女を呼ぶなりすればいい。何もこの場で跪かなくたって……そんな常識的な考えは、ここでも打ち破られた。彼女が上を向いて限界まで舌先を伸ばしたのを見てから、傍らの男はなんという事だろうか、血の滴る片腕を、丁度彼女の舌先に当たる様に伸ばしたのだ。重力に従って腕に絡みついていた血は、腕が伸ばされた事で然るべき場所に集約。やがて自らの重さを支えきれなくなって滴となり、彼女の舌先へと降り注いだ。彼女はそれを確かに受け取って、口内へ。たった数滴程度の血液でも良ーく舌の上で転がしてから、呑み込んだ。
「美味しいッ♪ 『闇衲』もどう?」
「いらん。それより鮮度が落ちたら不味いだろ、まだ後ろの方で流れてるから、飲みに行ったらどうだ」
「そうするッ! それじゃ拷問よろしくね♪」
 『吸血姫』が背後に回り込むまでに胸が揺れた回数、およそ五回。
 自分の血が、何とも言えない方法で摂取されているにも拘らず、何故だろうか。どうしても彼女に興奮してしまう。これはあの媚薬の力か? それとも―――
「ひぐッ! あ、ああ…………うぎいいいいいいいいッ!」
 血液の抜ける感触が直に伝わってきた。彼女が血を呑みつくさんと吸い付いているのだ。卑しく、醜く、無様にも。その気概と来たら中々の大きさで、まだ一分も経っていないだろうに、手の温度と言うモノを感じなくなってきてしまった。
「本来であれば、お前の不運を嘆くと共に拷問する事を謝罪するべきなのだろうがな。面倒だからそんな事はせん。所で一つ聞きたいが、今はどんな気持ちだ?」
 それ処じゃない。血が。血が吸い尽くされる!
「ひいいいぐうはうあああああひぐぐぁあああ!」
「……無視とは感心しないな。だがここまで来てショック死しないのは見事だ。その返礼として、少しばかり良い思いをさせてやろう」
 『闇衲』と呼ばれる男が不意にこちらの局部に手を突っ込み、何やら繋げ始めたが、今はそれを気にしている余裕は無かった。とにかく血が消えていく。感覚が無くなっていく。自分という存在が犯し尽くされている。その感覚が何よりも……恐ろしかった。その恐怖は既に興奮を上回っていたので、自分の局部は興奮しているとは言い難いくらいに萎えている。当然と言えば当然なのだが、最早自分でも何に興奮して何に萎えているのか分からなくなってきたので、念の為である。
「…………ッはー♪ 一旦休憩にしましょうか」
 耐えた。耐えてしまった。さっさと死ねたら良いのに、この体は変な所で頑丈だ。椅子の後ろから『吸血姫』が出てきて、また嬉しそうな表情で『闇衲』に抱き付いているのを見ると、男として負けたような気がしてとても不愉快だった。あんな醜い顔の男に、こんな美女が取られるなんて信じたくなかった。
「ひいぐううえいいえううううう…………ああああうえい!」
 苦痛と絶望で頭の中は染まり切っているのに、どうしてこんな事を考えてしまう、どうして性愛に関わる事を想像してしまう。一体自分はどうしてしまったのだ今は生きる事ないしは死ぬ事を第一に考えるべきだのに自分と来たら『吸血姫』の一挙手一投足に興奮ばかりしてまるで自分が自分でなくなってくるような……
「『吸血姫』。胸を揉ませろ」
 そんな自分の理性に止めを刺したのは、遠回しにする気の感じられない真っ直ぐな言葉だった。その言葉一つで一応正気を保つために活動していた理性が停止。後に残ったのは、目の前の女性を犯し尽くしたいと言う欲望だけである。
「…………………………あ?」
 理性が無くなってしまった影響は非常に大きく、痛みと苦痛に支配されていた思考は何処へやら、瞬く間にその脳内はあらゆるシチュエーションで女性を犯す妄想に切り替わっていた。しかしそんな事どうでも良かった。気になるのは只一点。『闇衲』の発言だけだ。女性に対して要求をする際は、可能な限り上品にするのが常識だろうに、この男の何と無礼な事か。そんな無礼な頼み方で彼女が応えてくれるわけが―――
「喜んで♪ 気が済むまで揉んでくれていいわよ♪」
 ――――――――――――え?
 その次に『闇衲』は小声で何かを呟いたように見えたが、聞こえなかった。程なくして『闇衲』は彼女の前面をこちらに見せつけるように移動して、背面から彼女のネグリジェの中に手を入れた。そして彼女への配慮も無く、激しく揉みしだき始めた。
「んッ……もう、そんなに激しくしなくても、私は逃げないのに♪」
「…………」
 頬を染めて微笑む女性の顔、こちらの想像を掻き立てる事を手助けするかのように黙り続ける『闇衲。そして自分の目の前で激しく形を変える豊満な胸。それを見続けていて興奮しない男が、果たしてどこに居るのだろうか。自分の下半身は再び興奮し始めたが、そこで『闇衲』が何をしたかったのかようやく気付いた。
「いぎゃあああああああああああッ! お、おいぎいいううううッ!」
 彼が装着したのは局部に大きさの合わせられた拘束具だった。それも合わせられた大きさは萎えている時の状態が参照されているので、このように膨張すると、非常に痛い。初めからそれを狙っていた事は、この拘束具の内側に棘が仕込まれている時点で理解した。
「……さて。これが俺の返礼だが、どうだ。少しくらいの夢は見れたか?」
 いつの間にか『闇衲』は彼女から手を離し、太腿に突き刺さったナイフを引き抜いた。それが再び痛みを掘り返し、理性の死んだ男の興奮を更に引き立てる。
「夜が明けるまでまだ時間はあるぞ。そしてお前を痛めつける道具もたくさんある。何だか知らないがお前は随分としぶといようだな。俺は気に入ったぞ。ああ、珍しく加虐意欲が湧いてきた。延命措置をしてでもお前は痛めつけるつもりだから、精々今の興奮を頭の中で反芻しながら息絶えていく事だな―――さあ、次はナイフで唇を切り落とすか、それとも肩に一本ずつ釘を打ち込んでお絵描きか? まだ喋る事が出来るのなら選ばせてやらなくも無いが…………」
















































 朝になって発見された男は、微笑んでいるかのように口元の部分に釘を打ち込まれて、局部の先端に眼球を捻じ込まれて、鼻からは毒薬を垂れ流していたという。 


 



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