ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

殺人幽欺 誘

 最初に彼女の家を訪れた時、こう思った。中々良い趣味であると。「殺人鬼」である自分は殺す事自体に意味を見出しているので、こういう道具は持ち合わせていないが、『吸血姫』である彼女は、何とまあ惨たらしい拷問器具を所有しているか。釣り鐘のような形をしている、内側の針によって対象者を傷つける『鉄の処女アイアンメイデン』。熱伝導の良い金属で作られた馬の中に人を閉じ込めてあぶり殺す『グラシオスの馬』、棒と縄と柱を使って人を締め上げる『絞殺機ガロット』、恐らくは自作である車裂き用の木、パッと名前の出る限りではこの程度だが、この他にも様々な拷問器具が多数存在している。自分と違って魔術も嗜んでいた筈なので、魔力を使う拷問器具も存在しているのだろう。さもインテリアのように飾ってあるが、夜の帳によって視界が誤魔化されていなければ真っ先に気付いたっておかしくない程の異様さ、明らかに人を寄せ付けないような場所に建ててある理由はそういう事だろう。何にしても、彼女に釣られる獲物は少しくらいの違和感すら覚えないモノなのか―――とも思ったが、『吸血姫』の妖しさに惹かれて正気を保てる人間は恐らく居ない。居るとすれば自分の様にまるっきり興味が無いか、同性愛者かのどちらかである。それ程の美しさを持つ『吸血姫』の事だから、後五分もすれば男の一人や二人、容易に引っ掛けて連れてくる筈だ。
 先程は正気を保てる人間が居ないとまで言ったが、それは『吸血姫』の経験豊富ぶりを表しているモノではない。むしろ彼女は自分と同じで経験ゼロ、所謂処女という奴だ。『吸血姫』と呼ばれる所以は、その処女性をも含んでの通り名。そこは決して勘違いしてはいけない。
 さて、仮にも『殺人鬼』たる者、『吸血姫』如きに負けていてはいけない。こちらもさっさと隠れる準備を済ませなくては、彼女にも申し訳ないというモノだ。『闇衲』は彼女が使っているだろうベッドまで近づき、傍らのタンスを見遣る。大きさ、開けやすさ、外の見やすさ、どれを取っても素晴らしいが、隠れ場所としてはそれ程価値の無い場所だ。開けてみると、彼女の服と思わしき衣類がたくさん入っている。男がこの部分に手を掛けないと仮定するのなら、この服の裏に隠れていればバレなさそうだ。男をまともに思考すら出来ない興奮状態にさせる為、『吸血姫』はきっとベッドで男を待たせながらこの場で着替えるのだろうが―――果たしてその時に自分は音を立てずに過ごせるだろうか。彼女の裸をじっと見なければならない事はどうでもいいが、彼女は悪戯好きだ。バレるリスクを考慮しても尚何かしらの悪戯をしてくる事は想像に難くない。自分は彼女に一度も手を出した事は無いが、それでも罵声くらいならばそれなりに浴びせる。反射的にそれが出ないとも限らない。
 悩みに悩んで、『闇衲』はタンスの中に入る事を決意した。自分が入るにおいて邪魔になりそうだった液体型の媚薬は一本だけ飲み干しておく。体の芯が焼け付くような感覚以外には何も無いが、自分でさえ少なくない影響を受けている事から、相当強力な媚薬の様だ。常人が飲んだら目の前の女性を壊す事しか考えられなくなりそうである。まるで自分が異端者であると自覚しているような物言いだが、実際他の男性に比べて著しく性欲が無い事はおかしいだろう。それはつまり、男としての機能が殆ど死んでいるようなモノなのだから。
 だからこそリアやシルビア、はたまた『赤ずきん』や『吸血姫』と交流が出来るとも言い換えられるが、それはそれでこれはこれ。目立たない事が『殺人鬼』として何よりなのに、こう性欲が無いんじゃ少数派として目立たざるを得ない。自分に只一つの課題があるとするならそこだろう。
「さあさあ、お上がりになって♪ 今宵出会えたのも何かの縁。たった一夜の関係になろうとも、お互いを貪りつくしましょうッ?」
「たった一夜? ま、まさか。其方の様な高貴なる美貌を持ち合わせている者と出会えた事がそのような過ちであって良い筈が無い! 今宵と言わず、永久に……私の妾となってはくれないかッ!」
「あら、嬉しい事を言って下さるのね、でも貴方には妻子が居るのでしょう? そんな事を言っても良いのかしら」
「関係あるモノかッ! 私は真実の愛に気付いてしまったのだ、もう其方の存在なしには生きていけない!」
 扉を閉めて、音だけの世界が『闇衲』の聴覚を刺激する。『吸血姫』はまだベッドにも至っていないのに早速愛の告白をされてしまっているようだ。『暗誘』に惚れられたリアもそうだが、美人とは何と面倒な特性なのだろうか。
「……嬉しい事を言って下さるのね♪ 貴方もとっても素敵な男性よ? 他の殿方には特に感じなかったけれど、貴方とこうして面と向かって話していると―――何だか、お腹の奥底が疼いちゃう♪」
「……の、ノーヴィアッ!」
 話も程々に、『吸血姫』達の足音は次第に寝室へと近づいてきた。部屋越しでも聞こえる男の呼気の荒さと来たら、媚薬を使うまでも無く正気を失っているのではないかとすら思える。全く、何と下品な男だろうか。きっとこの男は、行為を全て終えた後の『吸血姫』の下半身から己が欲の塊が溢れ出るのを楽しみにしているのだろう。扉が開き、二人が足を踏み入れてきた。
「そこでお待ちになって? 寝間着に着替えたいの」
 そう言った『吸血姫』はこちらへと近づいてきて、躊躇なくタンスを開けた。隠れている側からすれば気が気でない勢いだが、ここまで大胆だと対象者は欠片も疑いを持たない。彼女は背中を向けながら―――『闇衲』にその体を向けながら、緩慢な動作で服を脱ぎ始めた。背後の男はそんな彼女の背中を劣情の籠もった眼差しでじっと見ている。こちらの存在には気付いていないようだ。
 それも当然、『吸血姫』は実に良い体つきをしている。あの男が『吸血姫』の身体をじっと見ているのも、背中の艶めかしさ故だろう。その気持ち自体は分からないでも無い。違いがあるとすれば、切り開きたくなるか、犯したくなるか。それくらいの違いくらいであり、彼女に人を駄目にする魅力がある事は純然たる事実。しかしながらそれくらいの違いと言えど違いは違いであり、客観的事実として自分はそんな彼女の裸体を前面から至近距離でじっと見つめている訳だが、特に動揺は興奮の類は持ち合わせていない。一方でこの状況は背後の男からしてみれば是非も無い筈。案外この程度の違いでも、人は変わるモノだ。
―――それじゃ、宜しくね。
 視線だけでそう言われたので、頷く。タンスを閉じた時(と言っても自分の為に少しだけ開けておいてくれた)、『吸血姫』は紫色のネグリジェに着替えていた。
「おほ……おほッ」
「これをお飲みになって♪ そして貴方がどれだけ私を愛していらっしゃるか、証明して頂きたいの―――」
 言い終わるよりも僅かに早く男は液体型の媚薬を奪うように受け取って、一気に飲み干した。その直後、男の目線が常軌を逸した方向に移動、ようやく焦点が定まった頃には、既に下半身をみなぎらせて今にも何かに噛みつきそうな表情で、『吸血姫』を見ていた。
 彼女の純潔の為にもそろそろ出た方が良いだろう。男が彼女へと飛びかかった瞬間、彼女の足が男の腰をしっかりと捕らえたのを見てから、『闇衲』は音も無くタンスから飛び出した。


 









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