ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

虚偽的殺人者

 味など感じなかった。感じる訳が無かった。生きる為に仕方ないとは言え、食堂に足を運べば、あらゆる人間が軽蔑を込めて睨みつけてくる。憎悪を持って接してくる。自分が何かしたという事は無い。むしろ誰にも何もしない様に努めて静かに過ごしてきたつもりで、実際自分はこの数か月間、誰とも交流をせずに生きてきた。なのに、どうして環境が変化しないのか。或いはこれこそが、自分にとって最高の優遇なのだろうか。自分がどんなに頑張ったって、この程度の報いしか受けられないのだろうか。
 もう、どうでもいいや。そう思って過ごしていたのに、
「ねえねえ、貴方の名前はなあに?」
 この少女は一体どんな感情を持ってそんな笑顔を向けてきているのだろうか。全く向けられた事のない感情に、少年……ギリーク・ブライドスは困惑せざるを得なかった。人から嫌われる事は既に慣れてしまったが、ここまで笑顔で話しかけられる事なんて、初めてだった。少女の背後ではクラスメイトとも思わしき男女が少女の事を奇異の目で見ていた。それはこの少女だって気付いている筈なのに、自分とは違って、全然気にした様子を見せない。
「お前、俺と話してて良いのか? 孤立するぞ」
「孤立? 何のことか分からないけど、友達を差別しちゃいけないってパパが言ってたもの。それで、貴方の名前はなあに?」
「……ギリークだ。ギリーク・ブライドス」
「そっ。私はリアよ、宜しくね。ねえ、貴方って人殺しなのッ?」
 人殺しなの、か。そんな問いも、今では凄く懐かしいモノになってしまった。入学した瞬間くらいか、聞かれたのは。後は最早噂が独り歩きし続けて、こちらが何を言おうと虚言だと決めつけられるようになってしまった。そんな世界で自分に発言権がある訳も無く、当然この少女も、一時は信じたってやがて他の者と同じような眼を向けてくるのだろう。
 ならば最初からそうしてやればいい。自らの手で裏切られるような気分を演出する必要は何処にもないのだ。
「ああ、人殺しさ。とびっきりの奴を殺しちまったんだよッ」
 半ば自棄になってそう言うと、リアは尚も訝るような表情を浮かべて、警戒心も無くこちらに顔を近づけてきた。
「……な、何だよ。お前、人殺しに喉晒すっておかしいだろ」
「誰を殺したの?」
「親だよ! 俺は親殺しをしたんだ、分かったらさっさと消えろよ!」
 手元に置いてあったナイフを手に取って、ギリークは少女の喉元に刃を突き付ける。殺傷能力に特化したモノでは無いが、相手は素人だ。殺傷能力の違い何て些細なモノとしか感じ取れず、怯えだす事だろう―――
「…………? え、何?」
 現在進行形でナイフを突きつけられているとは思えないような発言が、リアの口から飛び出した。刃を向けられて全く動じない人間なんて……校長を除けば初めてだ。反応だけ見れば、周囲の人間の方が当事者のように恐慌している。それが当然の反応である。リアがするべき反応の筈である。
「おい! お前はナイフを向けられてるんだぞ、怖く……ないのか?」
「怖いって……何で? だってギリーク、全然殺す気無いじゃない。そんな人から何を向けられても、怖い訳ないじゃん」
 …………は?
「な、何を。おれ、お、俺は……お前を殺す気、で」
「あれ、そうなの? だったら駄目よ、ちゃんと殺す気があるんだったら―――」
 瞬間、ギリークの手首がリアに掴まれる。反射的に力を加えて脱出を試みようとしたが、どうにもこの少女、見た目と体格に反して力が尋常ではない。もしかしたら掴み方のコツでもあるのだろうが、どちらにしてもその拘束を抜け出る事は叶わず、ギリークの手……それに掴まれているナイフは、何がどうなってしまったのか、リアの口で咥えられていた。
これくらいしないとほへふはいひはいほ
「……!」
 覚えた感情は恐怖。その一言に尽きた。温度の感じない鋼鉄の刃を官能的に、じっくりと、ねっとと舐め回して、リアは妖しく微笑んだ。この段階まで来るとギリークは彼女の一挙手一投足全てに恐怖を感じだし、終いには食堂から逃げ出したくなったが、不意に現れた存在によって、どうにかその気持ちを抑え込んだ。
「こらこら、リア! 何学校のモンに口付けてんだか。さっさとそれを離しなさい」
 学校長フィーだ。彼の登場でこちらの様子を窺っていた大衆達の意識は全てフィーへと注がれて、リアのおこなった、傍から見れば不気味な行動がそう時間も経たずして皆の記憶から消え去ってしまった。
 それはあまりにも不自然な調和、有り得ない現実の変容。しかしそんな事には、誰も気づかない。フィーはリアの口からナイフを引き抜いて、持っていた布で涎を拭きとった。
「あんまりにも腹が減り過ぎてナイフを肉とでも間違えましたか? 気を付けてくださいよ、リア」
「―――はーい♪ 次から気を付けまーす!」
「やれやれ。ギリークも大丈夫ですか? ……何やら、おかしなスキンシップをされていたようですが」
「……平気だ」
 その言葉を聞いて簡単に納得したフィーは、もう満足したとばかりに食堂を去っていった。それに伴って、何人かの生徒がフィーの後を追って行った。リアの方を見ると、興醒めしたとばかりにクラスメイトの元へ戻って、そのまま適当な席へ。何事も無かったように食事を始めた。最初こそクラスメイト達は雰囲気に押されがちだったが、全く以て雰囲気に呑まれない少女に影響されたのか、やがて彼等もいつものように騒ぎ立て始めた。
 ……何だったんだ、アイツ。
 あまりにも衝撃的過ぎて、彼女の姿が脳裏に深く焼き付いてしまった。そのどうしようもない印象深さが、やがては興味に変わっていく事を彼が知るのはこれからの事である。




















 授業が終わった。全ての授業が終了すると学生たちは一時的に身分を解放されて、家に帰る事が出来る。それはギリークも例外では無く、鐘が終わると同時に、のしかかるような疲労が全身に襲い掛かった。しかし自分に帰る場所は無い。あるとすればそれは土に還るというシャレが効いているか、または何かしらを企てているだけである。彼は徐に教室を出て、自分に話しかけてきたあの少女の元へと赴いた。あのタイミングでクラスまで聞いたのかといえば、それは違う。単純に彼女の周りに居た面子がBクラスで見た事があると思っただけだ。その予想は果たして的中、クラスを覗くと、丁度あの少女が見た事の無い顔の少女と共に、帰ろうとしている処だった。
「じゃあまたね、バイバーイ!」
 おっと気付かれる。入れ違うように教室へ入ると、自分を異物であるとも認識をしていない少女はそのまま横を通り過ぎて校門へ。後を追うようにギリークも歩き出した。
「シルビア、どうだったッ? 学校。私はね、すっごく楽しかった! ねえ、シルビアは友達出来た?」
「え、友達? 友達って言うより……知り合いなら一人」
「へえどんな人ッ? 聞かせて聞かせて!」
 この二人は所謂親友と言う奴なのだろう。自分とは最も縁遠い関係で、そんな奴がこの世に存在するとは思っていない。やはり思い違いなのか……自分に恐れず話しかけてくるものだからてっきり真性の人殺しか異常者なのかと思ったのだが、どうやらそれは妄想のままで終わりそうである。
 それでもどうしてか止める気にならなくて、ギリークが二人を追って校門まで付いて行くと、校門前には大柄の男が立っていた。年齢は不惑を超えているくらいで、顔は特徴の無い醜い顔。非常に記憶が残りづらい顔をしている。それはリア達が校門を過ぎようとすると、ゆらりと蠢いた。
「あ、パパッ! 待っててくれたの?」
 パパッ? あれが?
「……送迎の必要も無いから悩んだがな。やはり娘がどのように学校で過ごしていたのか、一日くらい聞く機会があっても良いだろう」
「別に聞いてもた、楽しくないですよ。お父さん」
 お父さんッ? 一体どういう事だ。シルビアの父親であり、リアの父親でもあると? 困惑するギリークを尻目に、話はドンドンと進んでいく。
「俺が楽しいか楽しくないかは二の次だ。問題はお前達が真っ当に楽しめているかどうかであって、そこは気にしなくていい。そういう事だから存分に話してほしいな、お前達が見た世界というモノを」
「そこまでパパが言うんだったら仕方ないわねッ。話してあげる、私達の可憐なる学生生活の全容を!」
「……随分と偉そうな娘だことで」
 溜息を吐きながらも、パパと呼ばれる男はリア達と手を繋ぎながら、何処へ行くとも定まっていない様に歩き出した。少女達の端正な顔立ちに反して、男の容姿は中々醜い部類にあったが、そんな事はどうでも良くなるくらいの衝撃がギリークを襲った。リアと手を繋いでいて見えづらかったが、あの男の手には、血液と思わしき赤い液体がこびり付いていたのだ。











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