ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

夜を這いずる怪物

 リア達の部屋に入ると『赤ずきん』辺りに気配を察知されかねないので、入る訳にはいかない。今までずっと彼女達と行動を共にしてきて、ようやく取れた一人の時間だ。有意義に使わずして何が『殺人鬼』か。今は娘の心配何ぞどうだっていい、どうせ『赤ずきん』が居るのだから心配は無いだろう。音を立てずに階段を降りると、一回には誰の姿も見えなかった。一人酔い潰れてしまったのか机を枕に眠っている者も居たが、その者がこちらに気付く様子はない。外に出た所で気付かれる事は無いと思われる。
 外はすっかり夜が支配しているようで、外に出た『闇衲』を迎えたのは僅かばかりの冷風と、何処かから感じる腐敗臭。これが活気ある都市の裏の姿か。法律が整っていると言えばいいのか、はたまた民衆の生活サイクルが良すぎると言えばいいのか。どっちにしても動きやすい事に変わりはなく、国殺しを始める際はトストリスのようにちょっとした工夫をしないと難しそうだが、一人の時間を過ごす分には問題なさそうだ。風邪の向くまま気の向くまま、腐敗臭に感覚を委ねて『闇衲』は歩き出す。
 リアと出会う前は、いつも過ごせていた夜だが、彼女と出会ってからは中々過ごせなくなってしまっていた。別に彼女を責めている訳では無い。国殺しという大義名分を貰えたのは嬉しいし、何より人の成長している様は中々見ていて飽きるモノじゃない。ちょっとウザいのは確かだが、それだけで見捨てるような理由にはならない。大体がして、子供というモノは総じてウザく鬱陶しいモノだし。それの例外は今の所シルビアだけであり、『赤ずきん』は個の確立において参考にした女性は三人いるが、内二人我が強すぎるので同じだ。リアよりはマシ、というだけで。
 しかしそんな三人も明日からは学校に。暫くの間だけとはいえ、それによって一人の時間が必然的に生まれてくる訳で、さてどうしようか。自分には趣味と言えるようなモノは無い。強いて言えば殺人だが、気軽に行えるようなモノでは無い。バレない為に仕込みや隠蔽工作が必要な上、たった一つの誤算が全てを無に帰す恐れがある。と、なれば、迂闊に行うべきではないという結論に至って、それではどうするべきかという話に回帰する。仕事をしている訳では無いので、それに注力する事も出来ない。
「…………ん」
 思考を展開しつつ、当ても無く『闇衲』がぶらぶら歩いていると、一際きつい臭いが彼の鼻孔を擽った。嫌な臭いじゃない、どちらかと言えば好きな方だ。しかし嗅いだ事が無い訳じゃない。これは……血の臭いだ。臭いの強い方向へ進路を変えると、前方に血だまりが見え、その上では一人の女性が這いつくばっているのが見えた。
「―――ギルドでお前の噂を聞いたと思えば、早速出会えるとはな。『吸血姫』」
 こちらの声に女性は体勢を維持したまま、自分に視線を向けた。
 アッシュブロンドでウェーブのかかった綺麗な髪を流れる鮮血が、やがて肌に達してその白い肌を赤く染める。それはまるで無垢なる者を穢す感覚を対象者に与え、並の者であればその背徳的な興奮と共に彼女に襲い掛かってしまうだろう。まるでそれを待ち受けているかのような双眸は、紅く、妖しく輝いている。
 伝説上にしか存在しないとされている吸血鬼を思わせる容貌を兼ね備えた蠱惑的な肢体といい、口を開けたら真っ先に見える八重歯といい、本当に吸血鬼のようである。
 その実体は血液を好んで啜る異常者……『吸血姫ブラッドクローネ』なのだが。
「…………あら、『闇衲』じゃない♪ 貴方、トストリス大帝国はどうしたの?」
「訳あって娘を持つ事になってな。そいつの頼みでぶっ壊した」
 『闇衲』が警戒心を持つ事なく彼女に歩み寄るのは、一時期ミコトを欺く為に彼女と共同生活をしていた時期があるからだ。その程度で信頼関係が出来るのか、疑いの深い人間はそう思うかもしれないが、裏切る理由が無いのならどんな人間だって信用していいと『闇衲』は思う。彼女は血が、自分は殺しが。その延長線上にあるのは殺しであり、要は馬が合った。
 なので同じ異常者として彼女の事は信頼している。ミコト程の便利性は無いが、彼女のこちらへの執着ぶりがその価値にマイナス補正を掛けているので、そういう意味では彼女の事が一番好ましい。
「あら、そう。貴方と別れてから私はとても寂しかったけど、もう一度会う事が出来てとても嬉しいわ♪ ねえ、ちょっと適当な場所でお話ししましょうか」
















 開けた場所は目撃される恐れがあったので、二人は貧民街の中の端にある廃屋に移動した。曰く、ここが自分の出現場所と噂されているので、誰も近づかないのだとか。
「どうして今日は外に? 娘さんがいるのなら、普通の親だったら心配してこんな風に外に出ないと思うんだけど」
「娘は明日から入学するんだよ。それで一人の時間が手に入ったとはいえ、そこで何をするべきかと考えていたら、お前と遭遇した訳だ」
「あら、じゃあもしかして出会ったのって偶然ッ? 運命の出会いってあるのね♪」
「勘違いするな。お前の噂は聞いていたと言っていただろうが。出会う意図が無かったと言えば嘘になる」
「って事は私を探してくれたのかしらッ♪ 『闇衲』ったら、とっても優しいのね♪」
 赤ずきんと何が違うのかと言われれば、話の分かりやすさが違う。それに自分と血液以外には何の興味も示さないのも評価できる点の一つだ。それ故、意外に思われるかもしれないが『闇衲』は一度も彼女に危害を加えた事は無い。防がれている訳でも何でもなく、本当に加えた事が無い。自分と馬が合っている時点で、その性格はお察しと言う奴だが。
「俺は優しくも何ともない。で、お前は何をしていたんだ」
「見れば分かったでしょ、血を吸ってたのよ。ほら見て、貴方と出会った時よりもずっと美しくなったでしょ?」
 誰も居ないから何処に座ったって同じという理由から、彼女は自分の隣に座っている。別にそこは問題じゃ無いのだが、問題はそこからの行動だ。『吸血姫』は『闇衲』の腕に身体を押し付けて、誘惑するかのように胸で挟んだ。
「そうだな。前会った時は中々貧相な体型だったが、今じゃ『吸血姫』なんて名前が付くようにもなって、本当に成長したと思うよ」
「でしょでしょッ♪ 『闇衲』の隣に似合うように私も頑張ったのよ。褒めてくれるかしらッ」
 余談だが、お互いに自分達の本名は知っている。どうして呼ばないかについては暗黙の了解のような何かであり、恐らく彼女はトストリスでの活躍を敬っている事から、そうであれば自分も随分と立派になった彼女に敬意を表しての事である。
「ああ褒めるとも。お前はもう立派な『吸血姫』だ。誰も馬鹿にはしないさ」
 この辺りの返事は適当だが、このまま話していたら、何時まで経っても本題が話せない気がする。いつ彼女に話を切り出そうかと考えて居ると、不意に『吸血姫』が綺麗な八重歯を見せて微笑んだ。
「ありがとッ。ねえ『闇衲』。もしも一人の時間にする事が無いんだったら、私と一緒に血を吸わない? さっきのは貧民街に居た奴だけど、貴族の血なんかとっても美味しいのよッ♪」
 意外も意外。自分が切り出そうと思っていた話題を、まさか彼女から切り出されるとは。願ったり叶ったりの話題だが、ここは少し様子を見る。
「誘ってくれるのは嬉しいが、またどうしてだ?」
「意図は無いわよッ。『闇衲』と一緒に何かをしたいだけだから気にしないで♪」
 嘘を吐いているようには見えなかった。というより、彼女は嘘を吐けない。それは彼女を数年前から知っている『闇衲』が、本人を除けば一番良く分かっている。それに、自分も断る理由は無い。彼女と一緒にまた馬鹿騒ぎ(これは文字通りの意味では無く、一緒に何かをやるという意味である)出来ると思うと、これからが楽しみである。
「……ああ、実は俺もそれを言いたかったんだ。どうやら馬が合うだけでなく、お互いの意思も一致したようだな」
「ほんとッ? やっぱり『闇衲』ってサイコーね♪ それじゃ早速だけど、今日から始めちゃうッ?」
 無邪気に喜ぶ『吸血姫』。見ていると、リアとはまた違った愛嬌がある―――が、
「それはいいんだが、早く体をどかせ。普通に重い。意図的にやってるのか何なのか知らんが、それ以上胸をこっちに押し付けると乳房を引き千切るぞ」
 昔と比べると少しだけ遠慮が無くなっている気がした。 






 

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