ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

童話たる少女の所以

 さて。ニ十分で葬ると言った以上は実現させなくてはならない。相手を見る限りでは、十分に可能な事なので、『赤ずきん』はこの勝負に絶対の自信を抱いていた。未来視の能力は自分とは別の存在が保有しているが、それでも今の自分にはハッキリと見えている。無事ニ十分以内に『天運』を葬り、彼が自分だけのモノになってくれている光景が。そしてリアを無残に引き裂いて殺している光景が。それがもうすぐ現実のモノになると考えるとそれだけで笑いが抑えきれないし、もしここに人が居なかったのなら『赤ずきん』はきっと高笑いをしている事だろう。
 ……誰にも、渡さない。
 こんな気持ちになった事なんて初めてだ。自分の父は『人を好きになるという事は、そいつの子供を産みたくなるという事だ』と言っていたが、むしろこの想いはそれとは逆で、子供にすらも彼の存在は渡したくない。彼はこれからもずっと自分だけの『狼』で、自分はずっと『赤ずきん』。童話の中で二人仲良く、同じ事を永久に繰り返す。そんな関係で在りたい。
「今、こんなにも生きている事が楽しいのも、その原因について考える事が出来るのも、全部、ぜーんぶ『狼』さんのせいですからね……」
 独り言のようにそう呟いてから、赤ずきんは『天運』へと近づいていく。自分は戦士でも無ければ騎士でも無く、はたまた殺人鬼でも無ければ、そもそも戦いに属する者でもない。だから前口上も準備も要らないし、武器何て重いだけの代物は使うに値しない。この体一つあれば十分だ。
「……忠告しよう。主の娘と言えども、そこまで侮蔑されては少々痛い目に遭わせなければならない。見れば分かる通り、お前と俺では実力差があり過ぎる。だから大人しくそこを―――」
 爆発音にも等しい金属の引き千切れる音が聞こえた。音の方向にルーサーが首を向けると、そこにあったのは何十年も共にあった故に見慣れていた自らの片腕。気づいた時には既に、離れていた。
「……は」
 恐怖からか、ルーサーは騎士らしからぬ大袈裟な動作で後退し、腕の断面に触れる。傷口を掌が過ぎる頃には既に傷口は塞がって、鮮血も漏れ出る事は無い。
「少々痛い目……そっくりそのまま返してあげましょう。貴方と私では、あまりにも実力差があり過ぎる。大人しくその場で自害すれば楽に死ねるけど、どうでしょう」
 常識に対して非常識をぶつけて勝利してきた事は何度もある。相手を恐怖させ、憤怒させ、慟哭させた事においては数を数える事すら馬鹿らしい。しかし、どうしてだろう。この少女は……何だ? 常識とか非常識とか、それ以前に何だ? 我が主は何を作り出したのだ? 
 相対している時には感じなかった、あまりにも大きな恐怖がルーサーの背中を削る様に撫でる。少女だからと舐めていた。命令さえすれば簡単に従わせる事が出来たからと、正当な実力を全く知ろうともしなかったが、これが主の作り出した最高傑作だと言うのか。これが……この化け物が。
「貴方の『天運』たる所以は天稟のモノではない。貴方は魔力によって因果律の一部を操り、それをさも偶然起きた事のように演出しているだけに過ぎません。操れる因果律と言うのも、『勝負』という限定条件を満たさなければ使えないゴミ同然の範囲。貴方がシュタイン・クロイツの座に座って居られるのは、その事に気付かない者達が愚かにも貴方と同じ次元で戦ってしまうから」
 しかし、現在のこれは勝負では無い。何せたった一度の先制攻撃を貰っただけだ、こんなモノは勝負とは呼べない。その事をルーサー以上に分かっていたからこそ、『赤ずきん』は前口上も、戦闘準備も、武器も使わなかった。そもそも同じ次元で戦うつもりが無いから。彼女が目指しているのは飽くまでニ十分以内の殺害であり、勝利では無い。『天運』の特性は発動すれば厄介だが、その能力の強さと厄介さ故に、詳細を理解している者には決して通用しない。
「御父上から聞いているとは思いますが、私は三五八人目に作られた最高傑作の中の最高傑作。己の運命を操作して、高笑いを続けるだけのクズに負ける要素は一つたりとも存在しません。私は決して貴方と同じ次元では戦わないし、そもそも勝負にはしない。するとすれば今回の様に……」
 両者の距離はおよそ三歩。明らかに事象の発生しうる距離では無かったが、赤ずきんが左手を挙げると、ルーサーの顎が持ち上がった。
「な……ぐ―――うッ」
 傍から見れば彼は虚空を必死に掴んで、何かから逃げ出そうともがいているように見える。いや、実際そうだった。『赤ずきん』の左手の指が一本、二本と閉じてゆく度に、その不可視の圧力は徐々に力を強めていった。
「蹂躙するだけです」
 爪を立てようが体を捻ろうが、はたまたどうにかして足を掛けようとするが無いモノは無い。その力が強くなるのに反比例して、彼の動きからは徐々に激しさが無くなってきた。
「この指を全て閉じれば貴方は死にますが、ニ十分で葬ると言った手前、簡単に殺しては『狼』さんに約束を反故にされかねないので、きっちりニ十分で殺して差し上げます。お暇という事であれば秒数でも数えていたら直ぐですので、千二百秒の猶予を存分に楽しんでくださいね、ウフフ」
 もう一方の戦いももうすぐ終わる事が予測されるので、こちらは淡々とこの男を処刑していればいい。魔術を使って反撃されては『勝負』に持ち込まれるので、彼の指がこちらを向いたのに対応して、『赤ずきん』は躊躇いなく三本目の指を閉じて、その暇を封じる。
「ガアアアアアアアアア! ア、アアッア!」
「魔術何か使わせませんよ、これでも貴方の強さは理解しているつもりですから。あまり周囲には知られていませんが、貴方はどちらかと言えば剣術と言うより魔術の方が得意なんでしょう? ならば指の一つから視線の向きに至るまで、私には一切向けさせません。卑怯だと罵りますか、それもいいでしょうね。ええ、私は卑怯です。卑怯で浅ましくて、愚かで善悪の区別がついていない悪い子です。それでいいでしょう、それでいい筈です。だって私に必要なのは『狼』さんだけで、あの人は『悪い子』を求めている。だったら何であっても構いません。好きに言ってください、罵って下さい、貴方がそれをすればする程、私には『悪い子』としての価値が生まれる。『狼』さんにそれを見せつけた上で約束を守らせれば、『赤ずきん』は永遠になる!」
 痛みに喘ぐ声など今の彼女には聞こえていなかった。勝負を求める騎士の嘆きなど届く筈も無かった。今の彼女にはある音を除いたあらゆる音が雑音でしかなく、指を閉じるごとに強くなる喘ぎ声は、特に苛立ちを募らせる要因になっていたのだから。
「まだ五分ですけど、黙ってくれませんか? 貴方の声が凄く煩いモノだから、『狼』さんの心音が全然聞こえません。黙っててくれませんか、お願いします。黙っててくれませんか、後十五分だけでも良いんです。一分一秒でも『狼』さんの音が聞こえてないと気が済まないんです、黙っててくれませんか、どうして黙らないんですか? 首を絞めれば声は途切れますか? 喉を潰せば音は出ませんか? ニ十分後に貴方の死は確定しているのに、お願いの一つくらい聞いてくれたっていいじゃないですか。黙ってくれるだけでいいんです。黙ってくれればそれでいいんです。それとももっと丁寧に頼んだ方が良いですか。貴方と勝負をするつもりがこちらに無い以上、もう貴方に勝ち目はなく、足掻いた所で寿命が数秒伸びる訳でも無いので、取り敢えずその耳障りな声を出すのを止めてもらって良いですか」
「ア゛ア゛………………ア゛」
「舌を噛む気力も無いのは有難い事ですが、死なないでください。貴方にはまだ生きる義務があります。ニ十分生きる義務があります。『赤ずきん』と『狼』が永遠になるその時まで生きる義務があります。もっとやれる筈です。シュタイン・クロイツの貴方なら。ほら、さあ、もっと呼吸をして、空気を取り込んで、必死に命を取り繫いで! 後十三分!」










「…………やってくれたなあ」
 ヒースは額に手を当てて、夜空に乾いた笑いを響かせた。また痛みを移し替えられても困るので、今度は追い打ちをかける気はない。
「あっはははは、あっははははは、あっははははははははははは。まさかお嬢ちゃんなんかに俺の秘密を見破られちゃうとはね。いやーやっぱり、夫婦間で隠し事は出来ないって事かな。良い奥さんだよ、本当」
「……アンタ、いい加減やめなよ。一瞬でも何でも、アンタの本性は見えたんだからさ……だからさ、その気持ち悪い言い回しを、今すぐやめろよ!」
 再び口調が自分に寄ってきたリアは、このままだと先程の自分の様に策も無しに突っかかってしまう恐れがあったので、彼女の顔が前に寄った所で手を出して、それを止める。まさかこんな状況で感情による扇動をしようとは思っていないだろうが……彼が立ち上がるまで、リアは突っ込ませるべきではない。
「んー本性。本性ねえ、あーはいはいそうですねえ。俺は女性を大変舐め腐っておりましたね。だからついさっきお嬢ちゃんに破られた時は激昂して俺らしからぬ態度を出しちゃったけど、それについては謝ろうかな。お嬢ちゃんと……そして『闇衲』にね」
「俺に……だと」
 ヒースは出し抜けに足を持ち上げたかと思うと、流れるような動きで飛び起きて、見飽きた笑顔を作った。リアの見破った通り、『闇衲』が与えた傷は回復の兆しを見せていない。このまま同じように攻め続ければ、殺しきれそうだ。
「お嬢ちゃんにばかり目が行ってたが、お前との殺し合いも中々に好きだぞ、俺は。それに、武器を使おうとしないその姿勢、気に入った。この俺と素手で殺り合おうって事なんだろ」
「タネの割れた奇術師の奇術程滑稽なモノは無い。お前も同じだ」
「ああそうかい。まあ確かに、お嬢ちゃんに破られた力が無ければ、俺は只の人間も同然だ。でも……いや、だからこそ―――今はお前との殺し合いを楽しんでみたい」
 そう言ってから、ヒースは武器を投げ捨てて、徐に鎧を脱ぎ始めた。この時に仕掛ければこちらの勝利は確実のモノだったが……せっかくだから、彼の勝負に付き合ってやるとしよう。『天運』の喘ぎ声から察せる通り、何をしてもこちらの勝利はほぼ揺るがないのだから。
「思えばさ、俺は今まで死を感じた事が無かったんだよ。お嬢ちゃんに破られた力と、俺の強さがあれば、それを感じる時何て一つも無かった。でも今は違う。ルーサーは娘ちゃんにもうじき殺されるし、俺は壁を破られたもんだから無敵じゃなくなった。傷を負えば死ぬ、無茶をすれば死ぬ。その予感が、俺の頭の片隅で蠢いてんだ」
 鎧を脱ぎ終われば、次は中の服を脱ぐ。程なくしてヒースの状態は、『闇衲』と同じく上半身を裸にしていた。
「その予感ってさ、女を孕ませる時の興奮よりも、一方的な蹂躙をしている時よりも凄いんだ。何というか……ああ、興奮するんだ」
「腐れ勃起野郎という言葉がお前程似合う奴は居ないだろうな。準備は良いか?」
「ああ……来やがれよ『闇衲』。今だけはお互い細かい事は忘れて、闘り合おうぜ」
 リアを下がらせつつ、『闇衲』は距離を取って拳を構えた。一度言ったかもしれないが、『闇衲』は正面からの戦闘は得意ではない。しかし、毎回毎回不意を突いて殺すのではつまらないだろう。悪行ばかりしていたら、ふと善行もしたくなるのと同じ様に。
 こんな予定は無かったが、仕方ない。殺り合うのではなく、闘り合おう。





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