ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

一芝居 後編

 この嗅ぐだけで嫌悪感を覚えるこれは、子供教会内部に充満していた、あの匂いと酷似している。というか、そのまんまだ。
 目の前の騎士の下卑た笑みも。
 自分を見るその視線も。
 何もかもが子供教会に居た頃と一致している。子供教会の頃といやそれ以上の何かがこの目の前の男からは感じ取れる。早くこの家から追い出さないとこの家にもこのクソみたいな臭いが充満してしまいかねないけどどうやって追い出せばいいか分からない。
 何で、どうして、身体が、言う事を、聞かない。あの時の光景が、視界に広がって―――
「あ…………あああ………………」
 最強の騎士団と舐め腐っていたのは、こちらと落ち度としか言いようがない。まさかこんな煩悩の権化みたいな奴が来るなんて思っていなかった。性質の悪い事に、この男は明らかに子供教会に居た男達よりも強い。今の自分が飛びかかった所で、軽く捻り潰されてしまうだろう。では『闇衲』であれば大丈夫なのかと言われると、そういう事ではない。彼は今何処にもいないし、何よりこの圧迫感。彼からは感じ取れなかったモノだ。
 恐らくだが、この男は『闇衲』より―――
「おぅ~ん…………へえ、お嬢ちゃん、何処の出身ッ? 俺は君みたいな子、初めて見たんだけどなあ。君みたいなお嬢ちゃん、見つけたら即刻俺の雌にしてると思うんだけどなー」
 悪態すら吐けない。言葉を発する事も、これ以上眼前の男を見続ける事も、出来ればしたくなかった。何もかもから逃亡してしまいたかった。『闇衲』の後ろに隠れて、蹲っていればよかった。だが今の自分には『赤ずきん』を守るという使命があるから、その我儘は許されない。自分はどうにかして、この男の手によって『赤ずきん』が連れ攫われる事を阻止しなければならない。この男の手に『赤ずきん』を渡すくらいであれば、今は亡き『暗誘』に彼女を引き渡した方がマシである。
「え…………えっと……あ、あ――――――」
 男の手がこちらに近づくにつれて、リアの全身を縛り付ける痺れはより一層強まり、その手が触れた時、その痺れは最高潮に達した。両足はその機能を忘れてしまったかのように柔軟性を失い、リアは無防備にも背中から倒れ込んだ。受け身を取らなかった事が幸いしたようで、痺れていたリアの意識は痛みによって無理やりその拘束を振りほどいた。
 だが既に遅い。軽く触れただけで倒れる少女の行動は、傍から見れば……語弊の無い様に言えば、男から見れば……誘っているようにしか見えなかった。
「お、もしかして……この俺と精力で競いたいって事かなあッ?」
 下卑た笑みはより一層深く、浮かび上がる。
「え、ちょ―――」
 男の体がリアを覆い隠したのは、それから間もなくの事だった。






 地下倉庫は入り口を完璧に閉じてしまえば、そこには完全なる暗闇が広がる。息を殺して待機すれば自分達の存在は無くなったも同然であり、余程の事が無ければ勘付かれる事は無い。命令をされていない『赤ずきん』はそれこそ物音一つ立てないので、後は自分がリアの命令を守っていれば、この家は元々廃屋だった関係上、非常に床板が不安定で、上からの物音が非常によく聞こえるという事だろうか。
「やっ……ん………っく……!」
 床板が激しく軋む。呻き声なのか喘ぎ声なのか分からないような声は、十中八九リアである。その激しい揺れ方から、彼女が何かに激しく抵抗している様子が見受けられるが、それも何かに激しく押さえつけられているのか、次第に声は弱まっていく。
「ん……らめへ………く……! さわら、なぅぅぅぅん!」
 リアにしては珍しい艶やかな声。男性という存在そのものに嫌悪感を抱いているリアが、そんな声を出すなんて―――まさか。
 あり得なくは無い。この暴れようは、自分もあの教会で見た事がある。あの時は拘束具がせわしなく動いていて煩かったが、リアの暴れっぷりにあの音を当てはめてみると―――驚くほどよく似ていた。
「ぅ…………はな…………し……ぁ」
 今すぐにでも飛び出して事の真偽を確かめたかったが、ここで飛び出してしまえば、リアの苦労がまるで報われない。地上で何が起きているのかは分からないが、少なくともここで飛び出しても事態は進展しない。それどころか、より最悪な方向へと導きかねない。
 所詮シルビアは一般人。ここで堪え切れずに飛び出した所でリアは助けられないし、シュタイン・クロイツは追い出せない。だから絶対に飛び出してはいけない。どんなにリアが辛そうな声を出しても、どんなにリアが苦しそうな声を出しても、飛び出さない事が、今の自分にできる最善手。そう思って息を潜めていたら、いつの間にかリアの声は聞こえなくなり、床板が二、三度軋んだかと思うと、それからは何の音も聞こえなくなった。
「……リア?」
 恐る恐る入り口を押し上げて地上の様子を窺ってみるが、リアの姿は何処にも見えなかった。彼女が居たと思われる場所には私物と思わしきナイフだけが残されていて、立て付けの悪い扉は風に晒されて揺れている。『赤ずきん』の手を引きながらそれを手に取ると、ナイフの根元が僅かに欠けている。リアの物と見て間違いは無いだろう。欠けているのは『闇衲』と戦闘したからで、ナイフを通常的に使用している上でこんな風に傷つく事はあり得ない……その直後。




「やっ……ん………っく……!」




 シルビアの目に映ったのは、一人の男に全身を弄られているリアの姿だった。
「り、リアッ?」
 反射的に手が伸びたが、自分の手はリアともう一人の体をすり抜けて、向こう側の空を掴んだ。どうやらこの二人は虚像であり、実体は無いらしい。
「ほらあ……どうしたんだあ? 俺の中の煩悩を空っぽにするんじゃないのかあ……?」
 男はリアの耳元で優しく囁きながら、しかしその声とは対照的に、リアの体を乱暴に弄った。胸、唇、下腹部、性器、太腿、脇、首。リアは何とか拘束から逃れんと滅茶苦茶に身体を動かすが、体格差の問題から、それは抵抗にすらなっていなかった。いや、本来の状態のリアであれば、逃れるくらいは出来たかもしれない。仮にも彼女は殺人鬼たる『闇衲』から技術を教わっている身。その技術をまともに発揮出来ていれば、出来てさえいればそれくらいは出来た筈だ。
 恐らくは過去の映像を見ている以上、彼女が何に取り乱しているのかは分からない。だが、この時の彼女は取り乱すばかりで、まるで的確な行動が取れていない。まるで子供教会で機械となってしまった子供の様に、無意味な抵抗を繰り返すだけだ。
「ん……らめへ………く……! さわら、なぅぅぅぅん!」
 男は懐から小瓶を取り出すと、リアの背中に馬乗りになってから、その首を強引に持ち上げて中身の液体を突っ込んだ。リアは途中でむせ返ったのか少しだけ抵抗を強めたが、時間が経つにつれてその動きは弱くなっていき、終いには涎を垂らしながら動かなくなってしまった。男はリアの瞳の光が無くなった事を確認すると立ち上がって、まるでお気に入りのモノでも見つけたかのように丁寧に彼女を持ち上げて……そこで虚像は姿を消した。
「…………」
 殆どレイプと言っても差し支えないような状況だった。抵抗している時に見たリアの涙は、紛れもなく本物であり、それでも彼女が逃げなかったのは、やはり『赤ずきん』の存在があったからだろう。
―――助けなくちゃ。
 何処に行ったのかは、今の自分であれば多分分かる。この身に何が出来るのかは分からないが、自分は彼女の道具。使い手を助けに行くのは当たり前の事で、それに関しては彼女からも何も言われていない。
 しかし『赤ずきん』を連れていく訳には行かないし……いや。要は『赤ずきん』を盗られなければいいのだ。それに彼女の存在を利用すれば、もしかしたらリアも取り返せるかもしれない。
 『闇衲』が居なかったとしても、それでも動かなければいけない時がある。彼は何も言わないが、いつまでもおんぶにだっこでは、シルビアの価値は下がる事はあっても上がる事は無い。もしもこれからも彼らの下で生きていたいのであれば、自分はここで行動するしかない。そう、やるしかない。
 力が無かったとしても、自分なりに。全力を尽くして。




























 

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