ダークフォビア ~世界終焉奇譚
良い子悪い子何処の子だ
「………………ん」
差し込んだ朝日に眠気を妨害されつつも、身体を丸めてどうにか睡眠を継続しようとするが、身体を揺さぶるとても強い力の前では、そんな些細な抵抗は無意味に等しかった。
「…………何、よ」
まともな場所で眠れたのは孤児院と拠点で過ごしていた時以来だ。後二時間……一〇八〇〇秒……一四四〇〇秒……だけ―――
「起きろ。刺すぞ」
「そんなの出来る訳―――痛ッ!」
脇腹に感じた痛みは、まさに刃物で突き刺されたような鋭い痛みだった。リアは眠気など忘れて布団をひっくり返し、起き上がり様に掌底を叩き込むが、男は見もせずにそれを掴み、再びベッドの上に投げ飛ばした。
「何すんだよてめえッ! いてえじゃねえかッ」
それでも雑に投げてくれたおかげか、リアは即座に受け身を取って後退。眼前の男を力の限り睨みつけた。今までこの男は、やれ『刺す』だ、やれ『殴る』だ、やれ『殺す』だ言ってきたが、何だかんだ一度もそれを行おうとはしなかった。そういう意味では心の底から信用していたのに、その結果がこの仕打ちとは。
「落ち着け、リア。お前の脇腹をよく見てみろ」
「ああ? 脇腹はてめえに刺されたせいで……て、あれ?」
無い。確かに刺された痛みは感じた筈なのに、傷跡も出血も存在していない。不思議そうな表情で脇腹を触れてから視線を戻すと、『闇衲』は両手を挙げて愉快そうに微笑んでいた。
「人の思い込みとは恐ろしいモノだな。俺が似たような痛みを与えてやっただけで、本当に怒ってしまうんだから」
「へ? パパ刺してないのッ?」
「どうして俺が娘を刺さなくてはならないんだ。そのつもりだったらお前を起こす必要性なんか無いと思うが」
それもそうだ。殺す気だったら眠っている間に殺せばいい。痛がる様を愉しむにも、もう少し意識が覚醒している時にやればいい。どっちにしても、寝起きにやるべき行為とは言えない。しかしながら……痛みは布団越しに感じた。本当に刺されでもしない限り、そんな事は起こらないと思ったのだが。
「ほら見ろ。お前が馬鹿みたいに騒いだせいでシルビアまで起きてしまった」
両者の視線がこちらを見据えている少女へと注がれる。シルビアは自分に注目が向いている事に気付き、慌てて起き上がった。
「私は、リアに抱きしめられてたから暑くなっただけで……全然、騒いでたせいって事じゃ」
「らしいがリア。もしもこれでシルビアに何かあったらどうするんだ?」
「知らないわよ! 大体私を乱暴な手段で起こすパパが悪いんでしょッ」
「それもそうだな」
結果的に自分の責任である事を認めた『闇衲』は、反省の色など微塵も感じさせない表情でわざとらしい高笑いをする。彼のお蔭で眠っていた脳が覚醒し、意識も明瞭になったとも言い換えられるが、そうだとしてももう少し優しい手段を取って欲しかった所だ。こんな起こし方は全く父親らしくない。『赤ずきん』は見る限り優しく起こされたようだが、この差は一体何なのか。
「そいつは寝てないぞ」
「―――ねえ」
「すまない、また心を読んだな。だが勘違いしてほしくない。アイツは眠っていない」
まだまだ付き合いは浅いが、彼が冗談を言っている時と言っていない時の違いくらいは分かる。そもそも『闇衲』は性格的に冗談が苦手で、それを言う時は大体声の調子がおかしな事になっているが、今回はそれが見受けられなかった。
リアは『赤ずきん』へと近づいて、その頬をぺたぺたと触るが、至って普通な状態に思える。目に隈も無いし、そもそも疲労すら感じられない。訝る様に彼の方向へ振り返ると、『闇衲』は両手を広げて。
「良い子だからな。眠らないだろうよ、そりゃ」
そう言われて、何故か忘れていた記憶が突然蘇った。この少女は『良い子』だから、命令されない限りはどんな行動も取らないのだ。だから『闇衲』に買われてから今まで一言も喋っていないし、寝てもいない。命令されていないから。そんな理由で生理的な行動を制御する事が出来るとは信じがたい話だが、目の前に居る以上、信じるべきか。
「さて、シュタイン・クロイツが来るにはまだまだ日にちがある。その間にやるべき事があるのは言うまでも無いが、リア。勿論修行はするからな」
「とびっきりの大技を教えてね♪」
「善処する。シルビアに関しては、お前は普通である事がお前の価値だから、いつも通り過ごしてくれ。してほしい事があるならば、可能な限り聞いてやる」
「は、はい」
彼女の返事に応えるように一度頷いてから、『闇衲』は大きく伸びをして、厨房の方へと歩き出す。
「良し。それじゃまあ、朝食にするか。シルビア、少し手伝って―――」
「ストップ!」
それに待ったを掛けたのは、他でもない『娘』だった。
「……何だよ」
「せっかく『赤ずきん』が居るのに、どうして活用しようとしないのよ? 命令したら何でも聞くんだから、結構無茶な事にも使えるわよ?」
むしろ、自分は買ってしまった/買わざるを得なくなった以上、『命令に忠実である』部分を利用するのだとばかり思っていた。そういう使い方をしたいから、未加工品を欲したのだとばかり思っていた。
だが動きを止めている彼の顔を見る限り、違うようだ。
「それじゃつまらないだろ。良い子を良い子として使って何が面白いんだ? ん? お前は面白いのか?」
「ええ……つまるとかつまらないとかそういう問題じゃないでしょ」
「そういう問題だ。何事にも楽しさがあれば続くだろう。俺としては良い子を良い子のまま使うなんてつまらない事、出来ればしたくない。お前には勿論良い子になって欲しいが、あれは良い子過ぎてちょっと困る」
「……話が見えないんだけど」
闇衲は顎に手を当ててから、「要するに」と続けた。
「シュタイン・クロイツが来るまでにまだ時間はある。それまでに俺はソイツを悪い子にする」
………………は?
「ちょっと何言ってるか分からないんだけど」
「ソイツが最初から良い子だった訳が無いだろ。あんな感じになったのには理由がある筈だ。俺はこの数日の内にそれを解決し、ソイツを良い子から悪い子に調教し直す。そうすれば良い子だった時よりも俺に従順になってくれるだろう。そして俺達を助けてくれるだろう」
「……パパって実は、頭がお花畑?」
「言ってくれるな。しかし考えてみろよ。正義の味しか知らない者は、悪の底知れない魅力に憑りつかれるものさ。何、本人の目の前で言ってしまっているが、問題ない。俺はこの話を盗み聞きして覚えておけと言った覚えはないしな」
それだけ言うと、『闇衲』はシルビアと共に今度こそ厨房の方へと歩き出していった。声をもう一度掛けたが、今度は無視された。朝食が終わるまでは付き合ってくれそうにないだろう。リアは『赤ずきん』の方を振り返って、ポツリと呟いた。
「アンタ、どう思ってんの? 今の話」
答える声は無い。というか、目が一切動いていない。それもこれも、全て命令されていないからだろうか。ついさっきまでは全然分からなかったが、彼女が良い子過ぎるとはこういう事か。とことん従順というのも困りものである。シルビアでさえ、ここまで従順ではない。
「……まあ、聞いてなくても別に良いけど。自分の意見だけはしっかりと持ちなさいよ? いつか本当に困った時、頼れるのは自分と、パパだけなんだから」
差し込んだ朝日に眠気を妨害されつつも、身体を丸めてどうにか睡眠を継続しようとするが、身体を揺さぶるとても強い力の前では、そんな些細な抵抗は無意味に等しかった。
「…………何、よ」
まともな場所で眠れたのは孤児院と拠点で過ごしていた時以来だ。後二時間……一〇八〇〇秒……一四四〇〇秒……だけ―――
「起きろ。刺すぞ」
「そんなの出来る訳―――痛ッ!」
脇腹に感じた痛みは、まさに刃物で突き刺されたような鋭い痛みだった。リアは眠気など忘れて布団をひっくり返し、起き上がり様に掌底を叩き込むが、男は見もせずにそれを掴み、再びベッドの上に投げ飛ばした。
「何すんだよてめえッ! いてえじゃねえかッ」
それでも雑に投げてくれたおかげか、リアは即座に受け身を取って後退。眼前の男を力の限り睨みつけた。今までこの男は、やれ『刺す』だ、やれ『殴る』だ、やれ『殺す』だ言ってきたが、何だかんだ一度もそれを行おうとはしなかった。そういう意味では心の底から信用していたのに、その結果がこの仕打ちとは。
「落ち着け、リア。お前の脇腹をよく見てみろ」
「ああ? 脇腹はてめえに刺されたせいで……て、あれ?」
無い。確かに刺された痛みは感じた筈なのに、傷跡も出血も存在していない。不思議そうな表情で脇腹を触れてから視線を戻すと、『闇衲』は両手を挙げて愉快そうに微笑んでいた。
「人の思い込みとは恐ろしいモノだな。俺が似たような痛みを与えてやっただけで、本当に怒ってしまうんだから」
「へ? パパ刺してないのッ?」
「どうして俺が娘を刺さなくてはならないんだ。そのつもりだったらお前を起こす必要性なんか無いと思うが」
それもそうだ。殺す気だったら眠っている間に殺せばいい。痛がる様を愉しむにも、もう少し意識が覚醒している時にやればいい。どっちにしても、寝起きにやるべき行為とは言えない。しかしながら……痛みは布団越しに感じた。本当に刺されでもしない限り、そんな事は起こらないと思ったのだが。
「ほら見ろ。お前が馬鹿みたいに騒いだせいでシルビアまで起きてしまった」
両者の視線がこちらを見据えている少女へと注がれる。シルビアは自分に注目が向いている事に気付き、慌てて起き上がった。
「私は、リアに抱きしめられてたから暑くなっただけで……全然、騒いでたせいって事じゃ」
「らしいがリア。もしもこれでシルビアに何かあったらどうするんだ?」
「知らないわよ! 大体私を乱暴な手段で起こすパパが悪いんでしょッ」
「それもそうだな」
結果的に自分の責任である事を認めた『闇衲』は、反省の色など微塵も感じさせない表情でわざとらしい高笑いをする。彼のお蔭で眠っていた脳が覚醒し、意識も明瞭になったとも言い換えられるが、そうだとしてももう少し優しい手段を取って欲しかった所だ。こんな起こし方は全く父親らしくない。『赤ずきん』は見る限り優しく起こされたようだが、この差は一体何なのか。
「そいつは寝てないぞ」
「―――ねえ」
「すまない、また心を読んだな。だが勘違いしてほしくない。アイツは眠っていない」
まだまだ付き合いは浅いが、彼が冗談を言っている時と言っていない時の違いくらいは分かる。そもそも『闇衲』は性格的に冗談が苦手で、それを言う時は大体声の調子がおかしな事になっているが、今回はそれが見受けられなかった。
リアは『赤ずきん』へと近づいて、その頬をぺたぺたと触るが、至って普通な状態に思える。目に隈も無いし、そもそも疲労すら感じられない。訝る様に彼の方向へ振り返ると、『闇衲』は両手を広げて。
「良い子だからな。眠らないだろうよ、そりゃ」
そう言われて、何故か忘れていた記憶が突然蘇った。この少女は『良い子』だから、命令されない限りはどんな行動も取らないのだ。だから『闇衲』に買われてから今まで一言も喋っていないし、寝てもいない。命令されていないから。そんな理由で生理的な行動を制御する事が出来るとは信じがたい話だが、目の前に居る以上、信じるべきか。
「さて、シュタイン・クロイツが来るにはまだまだ日にちがある。その間にやるべき事があるのは言うまでも無いが、リア。勿論修行はするからな」
「とびっきりの大技を教えてね♪」
「善処する。シルビアに関しては、お前は普通である事がお前の価値だから、いつも通り過ごしてくれ。してほしい事があるならば、可能な限り聞いてやる」
「は、はい」
彼女の返事に応えるように一度頷いてから、『闇衲』は大きく伸びをして、厨房の方へと歩き出す。
「良し。それじゃまあ、朝食にするか。シルビア、少し手伝って―――」
「ストップ!」
それに待ったを掛けたのは、他でもない『娘』だった。
「……何だよ」
「せっかく『赤ずきん』が居るのに、どうして活用しようとしないのよ? 命令したら何でも聞くんだから、結構無茶な事にも使えるわよ?」
むしろ、自分は買ってしまった/買わざるを得なくなった以上、『命令に忠実である』部分を利用するのだとばかり思っていた。そういう使い方をしたいから、未加工品を欲したのだとばかり思っていた。
だが動きを止めている彼の顔を見る限り、違うようだ。
「それじゃつまらないだろ。良い子を良い子として使って何が面白いんだ? ん? お前は面白いのか?」
「ええ……つまるとかつまらないとかそういう問題じゃないでしょ」
「そういう問題だ。何事にも楽しさがあれば続くだろう。俺としては良い子を良い子のまま使うなんてつまらない事、出来ればしたくない。お前には勿論良い子になって欲しいが、あれは良い子過ぎてちょっと困る」
「……話が見えないんだけど」
闇衲は顎に手を当ててから、「要するに」と続けた。
「シュタイン・クロイツが来るまでにまだ時間はある。それまでに俺はソイツを悪い子にする」
………………は?
「ちょっと何言ってるか分からないんだけど」
「ソイツが最初から良い子だった訳が無いだろ。あんな感じになったのには理由がある筈だ。俺はこの数日の内にそれを解決し、ソイツを良い子から悪い子に調教し直す。そうすれば良い子だった時よりも俺に従順になってくれるだろう。そして俺達を助けてくれるだろう」
「……パパって実は、頭がお花畑?」
「言ってくれるな。しかし考えてみろよ。正義の味しか知らない者は、悪の底知れない魅力に憑りつかれるものさ。何、本人の目の前で言ってしまっているが、問題ない。俺はこの話を盗み聞きして覚えておけと言った覚えはないしな」
それだけ言うと、『闇衲』はシルビアと共に今度こそ厨房の方へと歩き出していった。声をもう一度掛けたが、今度は無視された。朝食が終わるまでは付き合ってくれそうにないだろう。リアは『赤ずきん』の方を振り返って、ポツリと呟いた。
「アンタ、どう思ってんの? 今の話」
答える声は無い。というか、目が一切動いていない。それもこれも、全て命令されていないからだろうか。ついさっきまでは全然分からなかったが、彼女が良い子過ぎるとはこういう事か。とことん従順というのも困りものである。シルビアでさえ、ここまで従順ではない。
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