ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

ヒンド・ウルバスという男

「は、え? …………え?」
「―――あれ?」
 シルビアが嘘を言っていたとは思えない。自分と似たような反応をした事からも、それは容易に窺える。その事を考慮するのであれば、ヒンドがここに来たのはシルビアが自分と話している間と言う事になるのだが。仮にそうだとするとヒンドは一体何処から来たのかという話が浮上してくる。
 リア達が会話していたのは宿場町ガルカの入り口……南側だ。そして『暗誘』とヒンドが対面した場所は町の東側だ。だから拠点に戻る為には十字に道の伸びたガルカを通らなければならないし、ガルカを通ったのであれば南側から出なければ拠点へと辿り着く事は出来ない。南側から出たのであれば、当然リア達と鉢合わせする事になるので、自分達が気付かない道理は無い。
「ん、どうかしたの? 俺の顔に血でも付いてる?」
 何やら物騒な事を言って、わざとらしく笑うヒンド。特に外傷を負っているような様子は見られず、そのお蔭で周りの人々の雰囲気は凄く穏やかなモノになっていた。自分達を非難する声も、責めるような姿勢も見受けられない。
「……ねえヒンド。私が貴方に言った言葉、覚えてる?」
「偽者かどうかの確認、って事で良いのかな。でも安心してほしい。俺はちゃんと『さようなら、ヒンド。貴方の事、大嫌いだった』という言葉を覚えている『本物』だからさ」
 発言の意図まで完璧に読まれた上で、しっかりと回答されてしまった。この時点で彼が偽者という事はまず無い。こちらとしてはむしろ偽者の方が、今の自分の光景に納得がいったのだが。
「ひ、ヒンドさんッ。いつの間に帰ってきたんですか?」
 本当に事情を知らないらしいシルビアが、騙されたと言わんばかりの表情で青年に尋ねる。本物かどうか、そもそも敵対心が無いのかも分からない相手に直球でそんな事を尋ねられるのは、シルビアだけだ。そこには人を信じるという純粋な気持ちが必要故に、自分にはとてもじゃないが出来る芸当では無い。
 ヒンドは少しだけ視線を上の方に放り出してから、勝手に納得したように頷いた。
「君達が話している時、かな。何処から入ったのかはちょっと教えられないけど、何はともあれここに帰って来たんだ。今はそれを喜ぼうよ」
 そう言ってシルビアの頭に手が乗せられる。気の弱いシルビアでは、明らかに彼が避けている話題に突っ込む事は出来そうも無い。
 適材適所という言葉に従って、ここは自分が尋ねよう。
「ねえ、待ってヒンド。じゃあ……スティンはどうしたの?」
 怪訝な表情を浮かべるリアに、彼が答えようとした、直後。


「死んだよ」


 響く重低音。言葉の節々に乗った殺気は、最早慣れてしまって感じ取れない。振り返ると、そこに立っていたのは、洞窟に入った筈の『闇衲』だった。
「パパッ? 何処に居たのよ!」
 そもそも『闇衲』と合流しようとしたせいでこんな訳の分からない事態に巻き込まれた訳で。しかし少女の声など『闇衲』は歯牙にも掛けない。
「ヒンド。少し話したい事がある。時間を貰えるか」
「―――」
 周りの者に聞こえては不味いのか、薄ら笑いを浮かべたヒンドはゆっくりと立ち上がって、『闇衲』の後を追っていった。
 所で、気のせいだろうか。自分の肩を過ぎる寸前、ヒンドの瞳が金色に変わった気がするのだが。










「この俺を以てしても見破れない何て恐れ入ったよ、ヒンド。いや、『暗誘』と言った方が良いのか?」
「……人の正体に言及する際はもう少し後にするべきだと思いますけどね」
 認めよう。今回は『闇衲』の敗北だ。まさか偽者なんぞに騙されるとは思ってもみなかった。というか、気づくべきだったのだ。自分がある程度の情報を語れるような誘拐魔が、あんなに弱い訳が無いと。
 眼前にある金色の瞳を見据えて、アルドは突き刺すような鋭い語調で尋ねる。
「お前が本物だとすると、アイツは誰なんだ? お前が操っていた訳でも無いんだろう?」
「……貴方ならお分かりになると思いますが、ある程度知名度の高い奴には信者が生まれるんですよ。あれはその類の人間です。俺を崇拝するあまり、自分でなってしまった精神異常者。まさか老人だとは思っていませんでしたけど」
 『闇衲』に成り替わろうとする愚か者は生憎と見た事が無いが、言っている事は分かる。それが好きすぎるあまりそれに成り替わろうとする心は、きっと誰しもが一度は持つ子供心。
 喩えを挙げるならば、英雄に憧れる少年は、それを拗らせると間違いなく英雄になろうとするだろう。そういう事だ。
「成程。お前は関わっていないというのか」
「当たり前じゃないですか。もしも俺が関わっているんだったら、リアに攻撃させるような真似はしませんよ」
 ヒンドはその場でくるりと一回転し、その場で指を鳴らした。
「―――俺、子供大好きですから」
「……そうか。俺の知っている情報だと、お前は自分好みの子供に調教する筈なんだが、それは危害を加えるとは言わないのか?」
 恐らくは突っ込んで欲しかったのだろうが、今回はその気ではない。拍子抜けしたヒンドはその場でずっこけてから、真面目な調子に戻った。
「ああ、そんな時期もありましたね。でも人は変わるんですよ。生憎と今は貴方の知る『暗誘』とは些か違います。俺は子供のありのままの姿を受け入れるようになったんですよ。やっぱり子供ってのは自然体が一番だなって、考え直してね」
「それじゃあどうしてスティンを見殺しにしたんだ? アイツは子供だろう」
「……これは俺のやり方に問題があったんですけどね。子供を攫うのはいいんですけど、やっぱり子供に悪影響を与える訳にはいかないから、子供と一緒に居る時は人助けなんかもしなくちゃいけないんですよ。俺としては子供だけで良かったんですけど、そんな事をしている内にどんどん人が集まってきちゃって。気づけば良く分からない集団が出来てましたとさ、お終い」
「答えになっていないが」
「……はいはい、答えればいいんですよね。スティンを見殺しにしたのは単純に死期が近かったからですよ―――『闇衲』さん」
 『闇衲』は目を伏せる。
「いつから気付いてた」
「最初から、ずっと。俺も子供教会狙ってましたから、リアがあそこの孤児院の子供だって事は直ぐに分かりましたよ。でもそんな子供が何の助けも借りずに外に出られる訳が無いから、借りるとしたら正体不明の殺人鬼が適任かなと思って。この考えに関しては、国が滅んだという事実の後押しを受けていますが」
 確かに見る人が見ればリアがこの世界の住人でない事は直ぐに分かる。髪の色とか服とか以前に、明らかに容姿が整い過ぎているから。まあ。子供教会がそういう子供ばかりを選りすぐっていた影響である。
「で、その二人がここに暫く滞在するって話を聞いた時は、それはもう驚きましたよ。同時に死期を悟りましたね。人が増えすぎたので丁度いい機会でもあるんですが、そういう事です。スティンは遅かれ早かれ死ぬ運命だった。そこに違いがあるとしたら美人な女の子に殺されるか、老人に調教された少年に殺されるかだけ。特には変わりません」
「俺から言わせれば、健全な男性諸君は恐らく、美人な女の子に殺される方が嬉しいと思うが」
「あ、そこは嫌がらせですよ。気にしないでください」
 瞳が入れ替わった時が本当のヒンド―――いや、『暗誘』なのか。正体に気付く前と比べると、大分言葉の調子が軽い。話していて実に苛立つし、話しにくい。
 しかしながらそれよりも何よりも、自分は『父親』として最も気にしなければいけない部分を尋ねなければならない。先程からあの言葉がずっと胸に引っかかっていた。あの言葉さえ無ければ、聞く事も無くなってスッキリした筈なのに、あの言葉だけが妙に心に絡みついてくる。
「……お前、さっきからリアに関する言葉がやけに強いんだが、どうしたんだ? 意図が分からなくて気持ち悪いんだが」
 相手を一切気遣わない言葉遣いに、ヒンドはやや口を尖らせる。
「…………人の恋心を気持ち悪いとか言わないで欲しいですね。俺は至極真面目な人間ですからね」
 誘拐魔を真面目な人間というと、その他大勢の善良な市民は何なのだろう。そんな些細な事、今の発言に比べたら全く気にもならないのだが。
「……今、何て言った?」
「人の恋心を気持ち悪いとか言わないでほしいですね」
「恋心? ……お前、まさか」
 こちらの思考を採点するように、ヒンドはニッコリと笑みを浮かべて。


「ええ。俺はリアの事を好きになってしまったんですよ。そりゃもう、あらゆる手段を尽くして守りたくなってしまうくらいにはね」







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