ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

希望か死神か 後編

 人の温かさに触れているだけで、寒気がする。自分には縁のない事だからか、はたまた冥府魔道に生きる自分にはあまりにも世界が違い過ぎるからか。何にしても気分は最悪だ。リアを見守る為にここに来たとはいえ、軽くその行いを後悔する。ついでに散策をしようと思ったのも最悪だ。こんな温かい空間に居て、無事で居られる殺人鬼が一体何処にいる。ましてその見返りが少女の楽しそうな顔? 全く割に合わない。そもそも同じ天秤で量る事すら愚かだ。自分は一体どうしてこんな愚かな行動を取ろうと思ったのか、一瞬でも何故思ったのかは永遠の謎である。
 今からでも遅くは無い。『闇衲』は今すぐに帰るべきだ。
「所で、リアは何処に居るんでしょうね……お父さん」
 町を散策すると言ったのに、何故かシルビアまでもがリアの事を気にし始めた。無理にお父さんと呼んでいるのは、うっかりいつもの呼び方をしないようにする為だと思われる。
「―――やり方は幾つかあるが、初心者という事であれば無人の家を漁るやり方を取るだろうな。その方がリスクも少ないし、家主が帰ってこない限りは自由に探索する事が出来る。只―――」
「只?」
「アイツにこの街の知識が無い事は確認済みだ。そうなると、アイツらが居るのはあのボロ家と結論付けたいが、どうも人の気配がしない」
 言いつつ扉を蹴っ飛ばして中を見る。思った通り、中は埃ばかり被っていて、人が居るような気配も痕跡も見られない。周囲の人間の視線が背中に刺さるが、大して不思議にも思われない辺り、だいぶ前からこの家は無人なのだろう。
 だとしたら納得だ。家に入ったような痕跡だけが残っているのも説明が付く。
「最悪だな。アイツら手柄欲しさにまだうろついてやがる。せっかく何も得られなくてもいいって言ってるのに、全く……」
「……きっと、何も成果を挙げられない所を見せたくないんじゃないでしょうか。お父さん」
 どうしても拭えぬ違和感に、『闇衲』はシルビアの方を一瞥する。この妙な気持ち悪さには、まだまだ慣れないようだ。
「……子育ては難しいモノだな。それも異性だからある意味当然かもしれないが、ああ―――」
 入れ違いになった、という線は捨てていい。十字に伸びた見通しの良いこの町で、あの美男美女のコンビを見つけられないという事はあり得ないからだ。それを考慮した上で改めて考えると、彼女達は……何処へ行く?
 人々は既にいつもの場所へと戻っている。無人の家に入るような奴がそれ以外の場所に入るとはとてもではないが考えにくい。もう一つのやり方に変更したのであれば、話は違ってくるのだが。
「取り敢えず、道の中心点に行くぞ。人の流れを見れば全て分かる筈だ」
 もう一つのやり方は―――むしろこちらの方が一般的なのだが―――隙を見て盗むやり方だ。見られていれば一巻の終わりだが、見られていないのであれば周りに人が居るので、仮に盗みに気付いたとしても疑う対象が分散されるので特定されにくい。あの二人にそれが出来るとは思えないが、まあ二人も居るのだし、やりようによっては不可能ではない。特に子供という属性は、リスクを全て回避できる可能性を秘めた最高の属性だ。それを十分に活かせば大成果を挙げる事が出来る。
 シルビアが離れていない事を確認しつつ、『闇衲』は人の流れを俯瞰して見渡す。明らかに流れのおかしい所は無いか。流れに隙のある場所は無いか。また人だかりが何処かで出来ているのではないか……
「どうですか?」
「……シルビア。お前、ここから一歩も動かない事を約束出来るか?」
「え、それは。まあ、はい」
 もとより断る理由も無かったが、彼の不安の混じった表情を見ていて、断れる訳が無かった。その言葉を聞いた『闇衲』の手が、シルビアの頭に触れたかと思うと―――音もなく、忽ちの内に姿が消えた。








「まだ己を嗤うには早いぞ、復讐者」
 血の臭いがしたものだから何事かと思えば……どうにか間に合ったので良しとするが、それにしても酷い有様だ。両腕を潰されている上に、足元の吐瀉物から、一発強い打撃を食らったらしい。両足が無事なのは幸いだが、もしあと一歩でも遅れていれば彼女の首はそこの男と同じ運命を辿っていただろう。
 少女の首と手刀の間には、僅か指二本分の隙しかない。故に手刀の先端を指二本で押さえる事が精一杯だった。幸いにもそれ程力は強くないので、老人の腕は簡単に押し返せる。
「情けないな、我が娘よ。こんな耄碌した爺相手に両腕を潰されるか」
「…………へ………………遅……………いわよ……」
「遅いと言われてもな。元々来るつもりは無かったし、今回も手を出す気は更々無かった。お前がこんな事になって居なければ、な」
 防御しようとする姿勢も見られない『闇衲』に、老人は攻撃しようとはしなかった。それ処かゆっくりと老人の腕に手を伸ばす『闇衲』を見て、素直にリアの手を離してしまった。
「賢明な判断だ」だらしなく落下するリアを抱えて、闇衲は身を翻す。周りの死体に言及するような事も、娘に重傷を負わせた男に怒りをぶつけるような事もしないまま。
「それは君の娘なのかい? とても羨ましいな」
「……だろう? 俺の自慢の娘だ、当然だな」
「もし良かったら、その子を僕にくれないかな? きっといい娘になると思うんだけど」
「断る。てめえなんぞに渡していい代物じゃない。少年一人いるならいいじゃねえか、それで我慢しやがれってんだ。俺は正義の味方でも何でもないからお前の行動を咎める気は無いが、こいつに手を出そうとしてみろ。今は俺が相手をしてやる。そうだな、お前は今日こいつの両腕を折ったから、俺はお前の両手足を折った後に指を一本ずつ刻んでいって、一生口を閉ざせない様に焼いた両目と棒を突っ込んで、川にでも流してやるよ」
 『闇衲』は笑みを交えて脅迫した後、再び歩き出した。隙だらけの背中に攻撃が放たれる事は、町を出てからも無かった。








 こんな状態であの集団に戻ればどんな面倒な事になるかは想像に難くないので、一旦秘密の場所で休息を取る事にする。彼等には心配されるかもしれないが、流石に両腕の潰れたリアを帰す訳にはいかない。
「…………ねえ」
「あんまり喋ると痛いんじゃないのか? それとももう痛みを超越してしまったのか? 何にしても喋るとそれに応対する分治療が遅くなる。黙ってろ」
 格下に持つから布切れやら薬草やらを取り出し、慣れた手つきで『闇衲』はリアの腕に巻き付けていく。使っている薬草は所謂『霊草』と呼ばれる類のモノで、調合比率を間違えなければどんな傷でも一日で完治させる優れモノだ。ただし、これは死体から剥ぎ取ったに過ぎない品物であり、『闇衲』は三回分しか所持していない。本当は自分の為に使いたかったが、流石に両腕を潰したままにしておく訳には行くまい。
「殺人鬼さん、リアは大丈夫なんですか」
「問題ないぞ。貴重なモンが失われたが、まあ必要経費って事で見逃してやる。ああ、そこにある黄土色の草を取ってくれ」
「ねえ…………あのジジイ、誰……………?」
 数分もすればリアの両腕には敗北の証とも言える量の包帯が巻き付いていて、何というかとても惨めだ。リアが美人であればある程、その惨めっぷりは他の追随を許さない。
「面識は無い、が。何となく分かった。アイツは誘拐魔で知られる暗誘キンダーヴォール。隣に居た少年は、恐らくその被害者だろうな」







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