ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

ライフオアダイ

「やめて……下さい」
 少女は己の運命を嘆いていた。自分が少年の犠牲と引き換えに脱走してから一か月。特にこれと言った収穫は無かったし、ゼロ番を探している内に国は滅んでしまった。最初こそ生き残った人々は犯人を捜していたが、やがてそんな者が存在しない事を悟ると、とっとと死ぬか、別の街へと移動してしまった。おかげでこの国に滞在している者の民度は異常に低くなってしまったが、それでも分けるとするならば。この国にはどうしようもない貧乏人と、狂気の沙汰へと至ってしまった人間しか居ない。そのどちらかに傾く事でしか生きられなくなってしまった。
「へえ……珍しい髪型だな。お前さんみたいな髪の女子……俺は初めて見たよ!」
 自分の目の前に居る男は、涎を吹掛けながらそう喋る。涎が数滴肌に掛かったが、今はそんな些細な事を気にしていられる程余裕を持てる状況ではない。現在、自分は男性五人に囲まれている。背後は壁の為、勿論逃げ出す事は出来ない。いや、仮にここが壁でなかったとしても逃げ出す事は出来ないだろう。この男達の体つきを見る限り……元騎士だ。ずっと監禁されていた自分と働いていた騎士とでは、流石に運動の経験値が違い過ぎる。持って数秒、最高数分。何にしても追いつかれただろう。
 では追い払えるかという話だが、それも無理だ。そもそも自力で追い払えるのならここまで進退窮まった状況にはならない。武器があれば一人くらいはどうにか……なるかもしれないくらいで、多勢に無勢。仮に手元に伝説の剣があったとしても、自分の力量では彼らを追い払う事は出来ない。ありもしない希望に縋る事の無い様に補足しておくが、こんな場所で助けを求めても誰も助けには来てくれない。むしろこの男達の興奮度を高めてしまうだろう。だから今、自分が出来る精一杯の抵抗は、男達を極力興奮させないようにする事だ。
「ねえねえ、名前は何て言うんだい?」
「……名前は、ありません」
「君、将来美人になるよ。どう、俺の所に嫁に来ない?」
「……丁重にお断りさせていただきます」
 駄目だ。自分が何と答えようと男達の興奮度は上がるばかり。こちらでは制御できるモノではないし、そもそも本人ですらその興奮を制御しきれているか怪しい。
 いや、制御しきれていないから、自分にこんな事をするのか。あの少年が居れば、きっとまた助けてくれたのかもしれないが……生憎と、あの少年は処刑されてしまった。もう彼は居ない。自分をあの牢獄から解放してくれた彼は……その魂をも解放して、何処かへと行ってしまった。もう永遠に帰っては来ない。
 男の手が、少女の太腿を撫で回す。触れられる度に全身がしびれて、直後にとてつもない悪寒が走った。気持ち悪い。本能的にそう感じた。だが、男達からすればその反応がとても良いのだろう。その接触は一層過激になり、その瞳に宿る邪な心は燃え上がる。手はどうにか振り払えているが、誰かの手が服の内側に一瞬だけ滑り込んだ―――両手を押さえつけられてしまえば、それで詰みなのに、もしかして敢えて押さえていないのだろうか。だとしたら相当な悪趣味……もとい変態と言わざるを得ない。他人の抵抗する様を見て愉しむなんて。
「やめて、ください」
「んん~んぅぅぅぅゅん? 大きな声で言ってくれないと聞こえないなあ。何だって?」
「やめて、ください!」
「もっと触ってほしい?」
「やめて、くださ……ちょ、やめて―――」
 遂に我慢が効かなくなったのか、男達が一斉に襲い掛かってきた。ある男の手は口を塞ぎ、ある男の手は首を絞めて、ある男達の手は服の中に滑り込んで、一人の手は胸に、一人の手は下へ下へと潜り込んで。
「うッ…………くッ…………や……め……………めえ!」
 人間に腕は二つしかない。なので全ての腕に対応する事は出来ない。普通に考えれば自分の首を絞めるこの腕に対応するべきだが、それこそこの男達の狙いではないのか? かと言ってこの腕に対応しなければ、遅かれ早かれ絞殺されてしまうわけだが。
「め…………ぁ…………ぅ」
 意識が朦朧としてきた。感覚は麻痺して、何処を触られているかも分からない。快感も、不快感も、寒気も、何も感じない。只何処かを触られているという感覚が漠然と伝わってくるだけ。
―――ああ、もういっそこのまま。
「極上の獲物を前にして、さっさと行為に至る事もせず、さっさと殺す事もしない。確かに、殺しにおいても性行為においても前戯は重要だ。だがあまりにも長い―――」
 少女が諦めたように目をつむった瞬間、その声は聞こえた。昏き闇の底から這いずって出てきたような、人間とは思えない声。
 気づけば、男達の背後に、黒ずくめの男が立っていた。何故か自分の首を絞めている男の口元に手を突っ込んでいる。
「……素人か、お前ら。幾ら何でもその楽しみ方は無い。萎えるだろ」
 黒ずくめの男が、もう一方の手で顎を掴み、男の口を力ずくで引き裂いた。男は恐怖に顔を歪ませながら、そのまま倒れ込む。動く事は無かった。
「え…………」
 黒ずくめの男は引き千切った顎をその辺に放り投げて、少女の体に触れている男達をじろりと見つめた。
「さて、今すぐこの場から退散するというのであれば、俺は何も手出しはしない。どうする?」
「う…………おい、行くぞ!」


―――俺はな。


 聞こえる筈の無い声で呟いたのはわざとだろう。命惜しさに逃げていった男達が、悲鳴を上げる未来ビジョンが見える。この男が何をしようとしているのかまでは分からないが、あの男達が次の日を迎える事は無さそうだ。
「大丈夫か、お前……って、そんな訳ないか。全身の筋肉は硬直しているようだし、呼吸も早い。暑くもないのに汗を掻いて……ああ、それは唾液か。やっぱり全然大丈夫じゃないな」
「あの……貴方は?」
 少なくとも、先程までの男達とは明らかに違う。自分を助けてくれたから、とかそういう事ではなくて。男のコートは妙に血生臭いし、そういう外見を無視しても、単純に雰囲気がおかしい。今を生きている人間とはとても思えない。
「怪しいモノじゃないって言っても信じないよな? 目の前で人を殺したし、その発想は当然だが……暫し待て」
 黒ずくめの男は懐からナイフを取り出すと、徐に自身の掌に突き立てて、その柄部分をこちらに差し出してきた―――
「え、え? な、何やってるんですかッ?」
「そこ掴め。さっきみたいな事があったんだ、男の体何て触りたくないだろ」
「そんな事を言われて『はい分かりました』なんて……言えませんよ、普通」
 何より男が出血を気にしていない。痛みとは人間の危険信号、死を知らせる機能なのに、この男はまるでその機能が故障でもしているかのように振舞っている。
 ナイフを掌に突き刺して平気で人に差し出す。この行為はどう考えても異常であり、少女は付いていくべきではないと本能的に察知した。
 少女が断ろうと思って口を開いた時、黒ずくめの男が言った。
「……ああ、すまん。お前に聞き忘れていた事があった」
「……聞き忘れた事、ですか」
 差し出した手が戻される。




「お前は生きたいか、死にたいか?」



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