ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

戯れの一日

 トストリス大帝国という国があった。一部からは『神すら崇めるトストリス』と呼ばれていた国があった。『あった』というのは、もう既にそんな国は存在しないからだ。その理由を語れる者はいないが、強いて言うとするならば『報復』。国が実行したとある策が、国自身を崩壊へと導いた。なので『自壊』と言い換えてもいい。
 ……どうして、語れる筈のない理由を知っているか? その質問には答えられない。法など存在しないこのばしょに居る人間は、皆等しく『正体不明』。語れる筈のない理由を説明するには個人としての証明が必要になるが、この国に居る間は、その個人が存在しない。正確には、個人を証明したところで意味がない。
 しかしそれでも説明を求めるならば……こう言うしかあるまい。我こそは『闇衲』。この国を監視する正体不明の殺人鬼』である、と。




「ねえパパ!」
 騒々しい。頭を金槌で殴られたようだ。それはあまりにも大袈裟な例えだったが、それくらい耳障りだという事を理解してもらいたい。こう煩く喚かれると、希少価値も下がるだろうし。
「パーパ!」
 自分の事を『パパ』と呼んで慕っているのは、リアという少女である。とある理由から自分は彼女の道具となり、父親となった。しかしながら本当の父親ではない為、
「……お前は本当に疲れないな。こっちは大規模な殺しをして……凄く疲れているんだが」
「あれ、パパってもうそんな年だっけ? じゃあパパじゃなくて、おじいちゃんって言った方がいいのかな」
 疲れている時にこの煽りはきつい。期待通りの反応は返せそうにないし、何より実力行使に出られない。尤も、リアはそんな事情などお構いなしとばかりに、自分の体を揺らしてくるが。
「ねえねえ、遊ぼうよー。外は様子のおかしい人ばかりでつまらないし、王様は死んじゃったし……暇なのー!」
 体を揺らされる度に苛立ちは募る。終いにはリアの手を掴み、即座に関節を極めてしまっていた。殆ど無意識、それも反射的にである。関節を極められたリアは、一瞬何が起こったか理解できていないようだったが、腕に感じる痛みからようやく事態を理解する。
「お前な、一昨日も散々遊んだだろ? 王様が逃げる様も観察したし、命がけのカクレンボもやった。立体鬼ごっこもやったし、当然ながら修行もした。お前が今日も修行をしろと急かしてくるならば文句は言わなかったさ。一刻も早く一人前になりたい証拠だからな、俺も付き合っただろう。だが、遊びなら話は別だ。お前は無駄にすばしっこいし、狂気に頭をやられた野郎共はそんなお前を狙い、俺はそれを殺しながらお前を追いかける」
「何か問題でもあるの? ……公平にしてあるつもりだけど」
「公平なのは認めよう。俺とお前の間には実力差があるから、それくらいのハンデはあってもいい。だが、疲労度が圧倒的に不公平だ。どうして殺しとお前の追跡を両立させなきゃならない。俺はあれをやっている間、他の人間と手を組もうかと考えなかった事はないぞ」
 しかしながら、現実とは上手く噛み合わないものだ。仮に手を組んだとしても、彼らがリアを先に見つけた場合、リアは為す術なくレイプされてしまうだろう。一人二人はリアも殺せるだろうが、やはり数が違う。数とは暴力であり、暴力とは数。多勢に無勢という言葉が表すように、基本的に一人よりは二人の方が強いし、二人より十人の方が強い。
 決して他意はないが、リアはとても美人だ。孤児院によって攫われた子供をずっと見てきたが、彼女程の美人は……二、三人くらいしか居なかった。リアの場合はそれに加えて非常に妊娠しやすい―――通常、生物としての種類が違えば、仮に交わったとしても子供を孕む事は無いが、彼女はたとえ種類が違おうとも子供を孕むことが出来る―――体質なので、かつては『ゼロ番』と呼ばれる程優遇されていた。
 ここで問題だ。外には女と食べ物に飢えている男。そこにこんな……幼いとは言え、美人が通りがかったら、どうするだろうか。ただし、この国には法は存在していない為、何をやっても許されるものとする。
 ……答えは簡単だ。襲うだろう。穢れなき少女に己の情欲をぶつけ、その快楽に身を委ねて。これ程の上玉に、それもこの国で未だに出会えるなんて奇跡にも等しいので、そうなってしまった場合―――リアの生存は絶望的だ。ついでに死体も、綺麗であるとは言い難いだろう。
「何、もしかして私の事、心配してるの?」
「心配……まあ、そうだな。一人娘が他の男共に好き放題されてしまうのを喜ぶ父親なんか居ないだろう?」
 リアの細腕を解放した後、『闇衲』は顔を背けるように首を回した。あまり本音を言う事は好きではない。本音とはある種の弱み、握られてしまえば動きにくくなるからだ。それを察したのか、リアは意地の悪い笑みを浮かべながら、極められた片腕を揉んでいた。
「……ニヤニヤ笑って、気持ち悪いな。腕を極められたのがそんなに嬉しかったのか? だったらもう一度決めてやるが」
「―――別にい。只、パパにもそういう所があるんだなって」
「知ったような口を叩くな。刻むぞ」
 彼女が伸ばした両腕を見て、暫し硬直。やがてそれに応えるように屈んで、彼女の体を持ち上げた。ずっしりとした重みが両腕から伝わってくる。あれから一か月とちょっと経ったが。少しは筋肉も付いたようだ。女性である事を考慮しても、無駄な脂肪はまだまだあるが。
「何してるのパパ? そこは腕を戻して、私を抱き上げる形にまで持っていかなきゃ」
「……そうしようと思ったが、お前にそう言われた瞬間、やる気がなくなっ―――」
 言い終わるか言い終わらないかの内に、『闇衲』の手から力が抜けた。落とすにしてもあまりに突然の事だったので、彼女は見事に尻餅をついてしまった。ざまあない。
「……ったから、落としていいか?」
「遅い! 落とす前に言ってよ!」
 受け身すら取れない方が悪い。そう言ってやりたい気分だったが、流石にこれ以上はリアが可哀想……ではない。怒ってしまうので……やめておこう。
「はあ、やっぱりパパって娘の扱いが雑だね。普通の親はこういう事しないと思うけど」
「お前が普通の子供じゃないから仕方ないな。普通の扱いをして欲しかったら、もう少しお淑やかに、そして親を労われ。そうすれば多分扱いも……変わるとは思えないが、もしかしたら変わるかもしれない」
「何でパパも分かってないのよッ?」
 多分変わらない、というか変える気が無い。世界に復讐をしようなんて企むクソガキにはこれくらいの扱いが十分、むしろ優しくしている方である。これ以上の好待遇を求めるのは我儘というものだろう。
「娘は我儘なモノよ、パパ。そして父親なら、娘の言う事は聞かなくちゃ」
「殺害人数の競い合いに負けた訳でも無いのに何で俺が……待て。お前、俺の心を読みやがったな」
「こういう言葉を知ってる? 殺人鬼が人の心を覗く時、人もまた殺人鬼の心を覗いているのだ……っていう。だから私に心を読まれたくなかったら、パパも私の心を読む事をやめて……」
「ついでに私の言う事を聞くべきなのよ……とは、言わないよな?」
 両者は暫しの間硬直し、お互いの顔を見つめ合う。時間にしておよそ数分間、この家は完全なる静寂が支配していた。やがて『闇衲』が根負けしたように微笑み、リアの方へと背を向けると、しっかりとした重さが背中にのし掛かった。
 言葉も合図も必要ない。この重みが全ての答えだ。後ろの方へ手を回して、背中に掛かる重さを支えてやる。
「しっかりと首に手を回せよ。落ちても知らないからな」
「……はーい!」




―――さて、何処へ行こうか。


 

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