ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

攻国戦 前編

「……ろ」
 睡眠薬の効果とは時間的調整を図っている。眠りに入る前の記憶は曖昧になるだろうし、今起こされる事には何の違和感も抱かないと思われる。完璧だ。
「起きろ、少年」
 薬の持続時間を脳内で計算する。……正確には後五分は切れないが、外部からの圧力があれば五分程度の誤差は簡単に誤魔化せる。
 心音……汗……筋肉の収縮……クリア。未来の想定……第三視点から見た状況……クリア。
 『闇衲』はさも慌てているかのように大声を上げた。
「起きろッ! 起きろと言っているだろうが!」
 少し唸りはするが、起きない。仕方ないので軽く蹴りを入れてやると、
「ガアッ……!」
 強すぎた。骨が一本折れた気がしなくもないが、少年は無事に目覚めたので無問題としよう。
「な、何だよ! いつの間に寝ちゃったんだか知らないけど、起こし方ってもんがあるだろ!」
「そんな事を言っている場合かッ。外に出ろ外に! ……いいから早く!」
 文句を言う暇など与えるつもりはない。雑に少年の首元を掴み、外へと放り出す。怪我をするかしないかは考えていないので、最悪気絶する可能性もあるが……少年は雑な受け身を取って、最悪を免れる。
「だから何すんだよ! 俺が何か悪い事をしたのかッ?」
「広場だ!」
「は?」
「広場だって言っているだろうが、刻むぞ!」
 考える暇は与えない。人を操る場合は、冷静な判断をさせてはいけない。とにかく急かし、急かし、急かす。そうする事で人は判断力を失い、従順になる。
 その思惑通り、少年は訳が分からないと言った表情を浮かべつつも、『闇衲』の表情を見て何かを感じたのか、何も言わずに広場の方へと走っていった。
「……ふう」
「あれ、パパ? あの子はもう行っちゃった?」
 パンを咥えながら階段を上ってきたのはリア。その両手は少々血に塗れており、パンを掴むことには適していない。
「行ったが。取りあえずお前はちゃんと席に着いて食べような」
「はーいぃッ……あ!」
 言わんこっちゃない。食べ物を咥えながら会話が成立するレベルではっきりと発音しているからそうなるのだ。床に落ちたモノを食べるなとは言わないが、食べる事と落とす事は全く別の事。最低限の行儀くらいは学んでほしいモノだ。
「この後からは殆どあの駒任せだから、する事もない。せっかくだから修行だ」
 好意のつもりだったのだが、リアは渋面を浮かべて、こちらを睨んでいた。
「修行ぉ……? その前に、私は犯人の処刑を見物しに行きたいんだけど!」
 見物……か。人の死にざまを見ておくという意味があるから無意味とは言わないが、仮にあの少年に存在を気づかれた場合、間違いなく絡まれる。故に今は待つ事が最上の選択であり、わざわざ自分からイレギュラーを作らなくてもいいのだが―――娘がそういうなら、仕方ない。
「分かった、見に行こう。殺し方のバリエーションも増えるしな。だがお前一人だと見つかる可能性が高いから、俺も行こう」
「えー? パパったら過保護ね、私一人でも大丈夫よ」
「人はそれを実力の過信という。過剰な自信を持っている奴を過剰に保護して何が悪いというんだ」
 人ごみが出来ているだろうから、リアの言い分も分からないではない。だがあの少年の他にも、一人だけ見つかってはいけない奴が居る。自分が居れば牽制になるだろう。
「そういえば、この国の処刑ってどんな方法なの? 孤児院に居る間は見なかったけど……」
「期待するようなモノは何もないと思ってくれていい。所詮は処刑、国を守る為の行為だ。拷問とは訳が違う……が、まあ喰らう側からすれば似たようなモノだろうな―――火刑は」






 彼女の父親が、自分を広場に急がせる理由が分かった。確かにそれは急ぐべき事案であり、もしも彼が起こしてくれなかったら、自分はまた……
 また? またとは何だ。自分は一体何を見逃したんだ? 自分は一体何を後悔したんだ? 頭が痛い、何か忘れている? でもどうしても思い出せない。思い出してはいけないと、本能が告げているかのようだ。
 いや、今はそんな事を考えている暇はない。目の前で起きている出来事を解決させなければ。
「彼女達が、いや、こいつらこそが! 城に火を放ち、我らが双王を何処かへと攫った人物である! この子供こそが、我々の国を滅ぼそうとした……悪! 誇り高きトストリスの市民よ、この者達を放っておいて良いのだろうか? 否、放っておく訳には行くまい! そもそもこの者達は数時間前に市民によって引き渡された。それはどういう事を意味するかは言うまでもない! 城に火を放った、悪しき子供を裁くべきであると。故にこそ、彼はこの子供を引き渡してくれた!」
「いや……嫌だ、私知らない! 知らない! 燃えたって何ッ? 関係ないよ!」
「いんちょー……怖いよお―――助けてよお……」
 ……誠に信じがたい事だが。犯人として捕らえられているのは、孤児院で寝ていた筈の彼女達だった……そう、彼女達は犯人ではない。彼女達が眠りに入っていた頃、既に王城は燃えていた。彼女達がずっと言っているように、何も知らない。知る筈がないのだ。
 だが証拠がない。同じ孤児院出身では嘘を言っていると思われるだろう。自分は捕らえられても、彼らの家に泊まっていた事実がある以上は処刑はされない。だが彼女達は? 
 何も知らず、何も感じないまま寝ただけなのに……目覚めた時、何故か棒に縛られ、やってもいない罪で処刑されそうになっている。あまりにも理不尽、あまりにも不幸。何故か人々に睨まれて、何故か火を持った人が居て、何故か自分達は王城を焼いた事になっていて……
 耐えられる訳が無い。彼女達は、自分と同じ―――子供なのだから。
「これより、処刑を執行する! 国に仇名すものはどうなるか、善良なる市民であっても、この光景はしっかりと目に焼き付けておくように!」
―――やめろ。
 火を持った男が、その言葉と共に、ゆっくりと少女たちに近づいていく。一歩。二歩。三歩。何でもない足取りは、彼女達にとっては死を告げる足音に他ならない。
「やめて、私達は何も知らない! ねえ教えてよ! 何なの教えてねえねえねえねえねえ―――教えてよぉ! お願い……だヵら…………」
 火は足元の薪へと投げ込まれる。投げ込まれた火は連鎖し、誘導され、徐々に彼女達の足元に近づいていく。
―――やめろ。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 間に合う。この距離なら―――そう思った直後。肩を掴まれる。
 鬼の形相で振り返るが、紙芝居の男はそんなラガーンを見て笑っていた。
「何処へ行くのかな、ラガーン君」
「……決まってるだろ。アイツらを助けるんだよ!」
「それは無理だ」
 身を翻し、再び走り出そうとするが、男の力は尋常なモノではなかった。指が肩に食い込んでいる。幾ら肩を捻ろうと、幾ら手を剥がそうとしても離れない。
「離せ、離せよ! 助けない……と!」
「駄目だ」
 紙芝居の男はラガーンの両肩に手を置いて、鼻先が触れ合う程に顔を近づけた。その眼は至って真剣。嫌がらせのつもりもなければ、手助けの様にも見えない。何かまた……別の事を伝えようとしているようだった。
「君は今、動いてはいけない。怒りに身を任せるな。その場限りの善心を信じるな。これは君の為でもある」
「俺の為って……何だよ! もったいぶらずにハッキリ言えよ! 早くしないとあいつ等が……!」
「大人になれ! あいつ等は死ぬ。犯人として。それは確かに理不尽な事だが、国に逆らっては駄目だ。国を憎んでは駄目だ。国を信じろ。そうしなければその果てにあるのは―――破滅だ。君だって自分の人生を壊したくは無いだろう?」


―――国を憎まず国を恨まず。すると何が起こる? 彼女達は死に、残されたのはラガーン一人。それなりな関係を保っている人……所謂友人は居るが、それがどうした。残るのは、ラガーンという少年は孤児院の悪行に気付きながらも誰も救えなかったという結果だけ。己の無力さを嘆き、絶望に暮れる日々が先にあるだけ。それだけ……それしかない。
 いつも通りの生活は保障される。彼等に頼み込めば、少なくともこの国での生涯は保障されるだろう。孤児院に戻るにしても、自分は男。今まで通りの生活は送る事が出来る筈。
 だが本当にそれでいいのか? 己の人生の未来なんかより、大切な事があるんじゃないのか?
 俺は――――――




「…………人生なんて、元々壊れてるよ。だって俺は―――攫われた子供なんだから!」
 彼らの家から盗んだナイフを、紙芝居の男の腕へと放った。男は完全に油断しきっていたこともあって、その腕には見事なまでに深々とナイフが突き刺さった―――だが。
「離さないよ。たとえナイフで刺されたとしてもね」
 男の握力は弱まる処か、むしろ強くなっていった。遂にはラガーンの肩に突き刺さり、出血するくらいには。
 そんな男の反応とは対照的に、ラガーンの体からは、完全に力が抜けていた。刺すつもりなど無かったと、己の罪を弁護する様に。
「あ…………ああ…………違……こんな、つもり、じゃ―――」
 きっとナイフを振れば腕が避けると思っていたのだろう。だが、男は退くわけには行かなかった。簡単に避けられたとしても、それでも。退くわけには行かなかった。
 一方でラガーンには覚悟が無かった。殺傷行為をする覚悟。人を傷つけてでも、己を貫く覚悟が無かった。
 紙芝居の男がゆっくりと手を離すと、ラガーンはその場に崩れ落ち、只只こちらを見据えていた。
「やだ、やだよ! 助け………や、や……いやああああああああああああああああああ!」
「いだいいぃぃぃぃいぃぃ! ああいだいいだいだいだいいいいいいい!」
 今ならば助けられる。だが彼は、動くことが出来なかった。意図的ではないとはいえ、己の起こした罪の重さを、ゆっくりと味わっているから。
 言葉では表せない程の悲鳴が国中に響き渡る。ある者からすれば心地よく、ある者からすれば不愉快なその声は……誰かに助けを求めているかのようなその声は。
 枯れ果てるまでの数十秒。誰の耳にも届くことは無かった。
















 

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