ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

激励を貴方へ

 孤児院へと送ってくれた少女の背中を見送った後、ラガーンは眼前に聳える……という程大きくもない孤児院を見据えて、深呼吸。途中で『闇衲』と遭遇しなかったのは偶然か必然か。あの少女が『大丈夫』と言っていた事がそれに関係しているかは分からないが、幸運である事には変わりない。あの死体が誰なのかはもう考えたくないので置いておくとして、自分にはやるべきことがある。こんな所で死ぬわけには行かない。
 そう。自分は孤児院の嘘を暴かなければならない。だから死ぬわけには行かないのだ……孤児院の皆を救うその日まで、絶対―――
―――そう決心を固めてみたものの……やはり何だろう、この罪悪感は。連れて行ったポッポは行方不明。当の自分は色々あったモノの、その結果は法を破っただけとしょうもない。院長には何を言われるやら。怒られるか、怒られるか、怒られるか……
「おやおや、夜に出歩くとは感心しないな、ラガーン君?」
 驚いて背後を振り返ると、そこに居たのは今日は来なかった紙芝居の男。今日は馬車を引いていないようで、手には見る限り何もない。
「……アンタこそ、夜に出歩いてていいのかよ。外に出るなって言ってるお前がさ」
 子供に教えている筈の事柄を当の本人が守れていないようでは本末転倒である。説得力も何もあったものではないし、今の自分が彼に教えられた事は、大人というものは口先では綺麗な事を言うが、その行動は全く一致していないという事である。
 そんな思いをくみ取ったのか、男は視線を外して苦笑いした。質問に質問で返す事で話を誤魔化した事には気づいていただろうが、何故か分からないが見逃してくれた。
「それを言われると弱いなあ。でも殺人鬼だって人間なんだから、同時に二人の人間は殺せないでしょ? そういう所を押さえていれば、夜出歩いていても安心ってね……まあ、出歩いちゃいけないって法は破ってるから、その辺りについては何とも言えないけどね」
「ふーん。じゃあ俺が騎士団に通報したらアンタは絞首刑か」
「そういう事になるね。まあそうなったら僕はこの国を出ていくだけだから、そうならない事を願うよ」
 死に恐怖を感じないのか、男は脅迫されても飄々とした態度を崩すことは無かった。まるでそんな事は日常であると言わんばかりに。その程度は脅しにもならないとばかりに。
「まあそれはそれとして……孤児院に入らないのかい?」
「……入るよ。入るけ……ど」
「入れない事情でもあるのかな?」
 心臓が飛び出しそうな程に高鳴った。手は僅かに震えて、自分でも理解できない汗が流れてきて。平静を装うつもりが、かえって動揺を強調してしまっている。『図星』だという事は言うまでもないし、聞くまでもない事だった。
「ふむ……事情は聞くまい。何か訳があるんだろう? いいよ、協力してあげる。その代わり、僕が夜出歩いている事は誰にも言わないでくれよ」
 ラガーン自身が法を犯している以上、実は通報する気などこれっぽっちもなかったのだが、これは都合が良い。こちらは実質何の損も無いままに孤児院に戻ることが出来る。
「分かった分かった。それで、俺に何かできる事はあるか?」
 その言葉に嬉しそうに頷いた男は、邪悪な笑みを浮かべて、ラガーンの額に指を置いた。
「何、難しい事は言わないさ。少しばかり―――」






 あの二人が出て行ってからもう何時間も経っているが、二人は一向に戻っては来なかった。殺人鬼の話は実は自分も―――いや、信じていない訳ではない。生存しているとは思っていないが。しかしながらここまで時間が経っても二人が帰ってこない所を見ると、もしかすると本当に……
 その直後、閉じた筈の玄関から男が入ってきた。
「院長、夜分遅くに訪れてしまって大変申し訳なく思うのですが……」
「あら、貴方は……って、その子―――!」
 紙芝居の男が連れてきたのは、孤児院を出て行ったはずのラガーンだった。目の焦点は合っていないし、重心も何処かずれていて、男が手を離したら直ぐにでも倒れてしまいそうだが……生きている。
「ラガーン!」
 その錆び付いた体を全力で駆動させ、リシャージは少年を抱き締めた。生きていた。もしかしたら死んでしまったのではないかと考えていたのに、生きていた。この体温、この感触。生きている。どんな状態であれ彼は生きている!
 それが嬉しくて、嬉しくて。リシャージは過剰なまでに力を入れて、少年を抱き締め続ける。それでも少年の目は虚ろで、まるで人形のように無反応。
 ……まあ、それはどうでもいい。生きてさえいれば何の問題も無い。
「いやあ殺人鬼に狙われなかったのは不幸中の幸いでしたね。もしも狙われていれば、私が持ってきたのは彼ではなく、彼の首になっていたでしょうから」
「―――不吉な事を言うのはやめていただけませんか」
 子を護ろうとする獣のような瞳で射貫かれた男は、苦笑いで誤魔化して視線を外す。
「まあ生きていたんですから、落ち着いてくださいよ……ああ、そうこれ。彼にプレゼントです」
 そう言って男が取り出したのは、割れ物なんかを納める中ぐらいの大きさの箱だった。手に持ってみると、何かが入っているようで、ゴトゴト音が鳴る。
「あんまり揺らすと大変な事になるので、出来れば揺らさずに彼に渡してあげてください。それでは、私はこれで」
「え、今は夜ですよ、何処に行くんですかッ?」
「城の方に行って、朝まで匿ってもらいます。元々そうするつもりで歩いていたら、彼を発見しただけですので」
 男は身を翻し、そのまま城の方向へと歩き去ってしまった。














 部屋に着いた後、ラガーンはその手をゆっくりと額に置いた。すると―――先程まで朦朧としていた意識が不自然なまでに鮮明に。先程まで感じていた死にたくなるほどの疲労が回復する。
 紙芝居の男がラガーンに掛けたのは、一種の催眠術だった。掛けられた側からでも解除ができる程度の簡単な催眠。見る人が見れば一発でバレてしまうらしいが、この世界では魔術なる万能技術が蔓延ってしまっているので、その心配はいらない。現に、リシャージも見破れなかった。
―――アンタの事、何も知らないけど、助かったよ。
 精神を害していると思われたので、リシャージからは特に何のお咎めもなかった。自分が気にしていたお小言とか、そういう厄介なモノを全て潜り抜けたのだ。この結果をもたらせてくれた彼に感謝以外の何を抱こうというのか。何も抱けない。
「じゃあまあ、後はアイツらとの約束通り、調査に乗り出すだけなんだが……」
 気になるのはこの箱である。リシャージを通して渡された箱。プレゼントだ何だと言っていたので有益なものだとは思うのだが―――この腐敗したような臭いは何だろうか。嫌な予感しかしないし、きっと開けない方が良いことも分かってる。それでも……
 ラガーンは覚悟を決めた様に深呼吸。ゆっくりと箱の蓋を持ち上げた……


「………………あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああ!」




 首が無いから個人の判別が出来ない? 馬鹿を言ってはいけない。首ならあるではないか、ここに。彼女の―――






 ポッポの首が。













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