ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

語るも聞くも見えはせず

 近しいモノの死を飲み下すには、まだ少年は幼すぎた。リアが彼を運んできてから一時間。意識は一向に戻らない。外傷もないし心臓も動いているので、本人の精神の問題だろう。受け入れられなければいつまでたっても目覚めないだろうし、受け入れたら受け入れたで深い心の傷を負う事になる。本人の精神具合についてはどうでもいいのが本音だが、計画を変更した以上は目覚めてもらわないと困る。
「……」
 紅茶ももう二十数杯目。特に刺激もない、まったりとした時間を過ごしている。リアは寝転んで足をパタパタさせながら本を読んでいるし、いよいよ先程までの出来事が夢のようになりつつある。いつまでたっても気を失ってる少年がそこに居なければ、今どういう事が起きているのかすら忘れてしまっていただろう。
「ねえ、パパ」
「何だ?」
「やっぱり殺さない?」
「早いな……確かに時間は経っているが、自分の発言を変えるのはどうかと思うぞ。それが許されるとしたら、後一週間は彼に眠っていてもらわなくては」
 『闇衲』の言葉にリアは露骨に嫌そうな反応を見せた。短気であることは短い付き合いながら把握しているので、この反応は予想出来ていたりする。
「ねえパパ~気を失っている人を早く起こす方法はないの? 殺人鬼ならでは、みたいな」
「殺人鬼は職業か何かか? ……やれやれ、本当に短気だな。こういう時間は退屈で仕方がないってか。まあこういう時間の楽しみ方はその内分かるだろうから、今はお前の要望に応えて見せようじゃないか」
 ……とは言ったものの、これをするとこちらの優位性が揺らぐ可能性がある。これから自分が行おうとしているのは本能に働きかける非常に危ない方法だからだ。確かに意識は目覚めるだろう。だが無意識的にでも覚えていた場合、完全に恩を売れない可能性がある。
 リアの方を一瞥すると、やはりというべきか期待のこもった眼差しでこちらを見つめている。誰にでも出来る技ではないが、ここまでくると殺人鬼冥利に尽きるというか何と言うか。まあ見れるモノではないので、その眼差しに意味はないのだが―――
「『圏紅タウフェ』」
 未だ意識の奥底に引き籠る少年に、そっと囁きかける。甘く蕩けるような美しい声で。暗く狂った死の声を。








―――何、だ?
 背筋が凍る。言い様のない恐怖。形容できない狂気。許容できないおぞましさ。何だ、どうしてこんな所で……
 今の自分はまるで夢を夢と理解できるくらいには意識が明瞭だ。だからここが夢でもなければ現実でもない、恐らくはもっと深い場所であることは理解している。だから何も感じないし、何も見えない。それなのに……本能が語っている。ここに留まっていてはいけないと。
 何故と聞いても答えてはくれない。まるで答えは自分で見ろとでもいうようだ。目を開けて、耳を澄ませて、深呼吸をして……目覚めて。






「…………………ん」
 闇の底から上がった意識。明瞭ではあるが、気分は最悪だ。見慣れない天井が視界に映る。視線を巡らせると、見た事のない姿の男が本を開きながらこちらを見据えていた。その近くに居たのは計画を協力してくれた彼女。名前は聞くのを忘れていたので分からないが、彼女が居るという事は……自分が見たあの光景は―――
「……ポッポは、死んだのか?」
 男は再び本を読み始めた。足をバタバタさせていた彼女の動きが止まったので、男も彼女に話を振ったのだろう。
 少女は本を閉じて、こちらへと向き直った。「随分長い間眠ってましたね」
「……別に良いだろ。そんな事より教えてくれ。俺が見たあれは、ポッポか?」
 自分の安否などどうでもいい。今はポッポだけが心配だ。彼女は自分が強引に巻き込んだだけ、それだけだ。理不尽な目に遭っていい道理など存在しない。
 だが、少女の反応は芳しいモノとは言えなかった。
「私はそのポッポって子を知りませんから、何とも答えかねます……死体は確かに、ありましたけど」
「じゃあ生きてるのかッ?」
「分かりません。あの死体は首が無かったので、個人の特定をしようにも出来ないというか……」
「じゃあ死んでるんだろ! なんでハッキリ言わないんだよ!」
「さっきから分からないってハッキリ言ってるじゃないですか! 人の話を聞いてくださいよ!」
 少女の語調が荒くなって、そこで気が付いた。自分の頭に血が上っていたことに。ポッポの安否を気にするあまり、分からないという選択肢を潰していたことを。当たり前のように話を進めようとしていたが、彼女とポッポには何の接点も無い。自分もポッポについて言った覚えはないし、そもそも彼女は外部の人間。協力内容も、孤児院の入口の鍵を開けただけ。知っている訳が無かった。いや、知っていたらおかしかった。
「―――ごめん。頭に血が上ってた」
「いえ、謝る必要は。あの死体が誰であれ、普通は血が上るものですから」
 私も随分時間をおいてようやく落ち着きましたと付け加える。尤もらしい理由を言われたが、どうにも自分は彼女の落ち着きに違和感を覚えている。だが、今は追及するべきではないだろう。そんな余裕はない。
「お前がここまで運んできてくれたんだよな、有難う。でも何で孤児院に俺を返さなかった? 運んでくるのも介抱も、手間だっただろう」
「いえ、パ―――お父さんがやってくれたので、私は特に。それと孤児院に行くよりかは私の家の方が近かったので、他意はあり……ますけど」
「え?」
 気のせいかとも思ったのに、最後の発言で台無しである。ラガーンの訝るような表情を見て、少女は大した他意ではありませんよ、と言った後に。
「実は私……あの孤児院には何かあるんじゃないかなって思ってるんです。貴方の言う嘘、と似てるかもしれませんがもしかしたらあの孤児院……国を滅ぼそうとしてるんじゃないかって」
 少女は本棚から一冊の本を取り出し、ラガーンへと手渡す。トストリス大陸創世から現在に至るまでの歴史が記されている本だ。
「ここを見てください」
 第二十三章 八六八ページ。孤児院はない。設立以前はここには墓地があったのだ。
「ここの墓地はかつて国を侵略しようとした蛮族を埋葬する為に作り出されたものらしいです。その時の国の損害は……ほら、六割が機能停止。当然国民の不満も高まってくるわけで、蛮族を埋葬したのは、その墓石を不満の吐き場所……正確に言えば、やり場のない怒りの発散場所として使いたかったからとか何とか」
「それがどうかしたのか?」
「ここの墓地が壊されたのは、それはもう大変な事になっていたからだそうで。墓石は原型を留めていないし、遺骨は盗まれたりなんなりされて……もう埋葬場所として機能していなかったので、新たに孤児院が建てられた、と書いてあります。それで私、思うんですよ。もしかしたら遺骨を盗んだのは孤児院の院長で、いつの日か蛮族を蘇らせて、それでもう一度戦争を起こすつもりなんじゃないかって。今は平和の続く時代という事もあって、兵士の力も弱くなっている……幾ら『神すら崇めるトストリス』だとしても、そんな時にかつての絶望が襲い掛かってきたら」
 死とは停滞。一度それらが蘇れば死ぬ直前の強さを保持したまま蘇る。今のこの国がそれに太刀打ちできるとは、とても思わない。
「ま、待て待て。流石に飛躍しすぎてないか? 死者を蘇らせるなんて」
 そもそもあの孤児院が吐いている嘘とは、子供を誘拐しておきながら保護という名目で育てているという事である。保護された子供は育てられてやがて何処かへと行く。引き取り先とは言っているが、きっとそれも嘘だろう。嘘嘘嘘。あの孤児院は嘘ばかりだ。
 だが死者を蘇らせようとしているなんて、そんな馬鹿な話だけはない。あっていいはずがない。
「……居ないと思ってた殺人鬼が今も尚この街に潜んでいるという事を知っても尚、そんな事を言うんですか」
 それを言われると弱い。時代を考慮して『いない』と思っていたのに、死体は出てしまった。死者を蘇らせる事ほどありえないとは言わないが、こちらもこちらで馬鹿げた話である。尤も、死体を見てしまった以上は信じるしかないのだが。
「で、ここからが本題なんですが……外部の人間である以上、私は孤児院に入りづらい。そして貴方は孤児院の人間……私の目的に協力してくれませんか」
 彼女は酷い勘違いをしている。あの孤児院がやっているのはもっと現実的な非道だ。だが……よくよく考えてみれば、断る理由は無かった。彼女に協力しつつ、自分は自分で孤児院の嘘を暴き立てればいいし、それで彼女の勘違いが解ければよし、孤児院の嘘を暴き、孤児院の皆を救えれば最高に良し。それにこれに協力すれば自分の目的を全部話すという件も有耶無耶に出来るし、一体何をどうしたら断れるのか。
「分かった。助けてくれた恩もあるしな。協力するよ」

















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