ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

トモダチザイク

 
「……」
 計画実行を前にして、ラガーンは一枚の紙きれを見つめていた。
 無論只の紙ではない。これはラガーンがこの孤児院の嘘を暴くと決めた時から記録し続けた、院長リシャージの一日の行動表だ。これを元に動けば計画は成功する筈……だが。
 彼女は機械ではなく人間。ずっと記録していたとはいえ、必ずこういう行動をとるとは限らない為、不安は残ってしまう。その不安は無視するべきだと分かっていても、それでも尚最悪を考えてしまう。
 確実性など人間にはない。不確定要素などあって当たり前。それでも少ないに越したことは無いので、こちらは可能な限り全てを記録してもしもに備えてきた。それは分かっているのだが。
 『それでも』と宣う自分が居るのも事実。なので、この紙に記載されている事柄が間違っていないかどうか。孤児院の皆の行動も含めて振り返ってみよう。






 朝八時、皆の起床。いつかは嘘を暴くと決めたラガーンの前に睡魔は無力。朝四時に起きて時間を数えていたので、これはまず間違いない。その後は庭を掃除。十分ほどやっているとリシャージが部屋から出てくる。そして朝食の準備を始める。
 この辺りは本当に何の代り映えもしないくらい繰り返されているので、紙には当たり前のように記載されている。不確定要素は皆無と言っていい。誰が遅れようと誰が怪我をしていようとこの辺りに特筆するべき変化はなかった。
 朝十時。自由時間。と言っても大体は街の方へと行ったり、中で誰かと遊んでいたり。皆の行動についてはあまりにも多い分岐、あまりにも多分に含まれる不確定要素に付き調査は断念したが、リシャージの行動については記載されている。外出する子供達の姿を適当に見送った後、リシャージは、赤子の世話等をしながら何かを書いていた。その何かは残念ながら読めなかったし、入手も出来ていないが、いつもいつもそれだけは欠かせない。欠いた事が無い。たとえ天候の関係で皆が院内に居ても関係ない。決まって十時頃、リシャージはそれを行う。
 何を書いているかは分からないが、大方の察しはつく。この作戦が成功し、殺人鬼の嘘が暴けたならばあれの入手も考えたいところだが、今は置いておこう。
 十二時。昼食だ。この頃には皆は全て帰ってくる。昼食の種類についてはいくら何でもバラエティーに富み過ぎているので、記載されていない。リシャージの行動に影響はないので問題は無いと判断したまでだ。因みに今日は何かの肉だった。妙な臭いが気になってしまったが、味自体はそれほど悪くも無かった……気がする。
 さて、問題はここから。この後は毎日ここを訪れる男による紙芝居やらなんやらがあるのだが、ここから先は、はっきり言って前述までの確信は持てない。買い出しに行くときもあれば院長室に籠ってしまうときもある。街の教会に出向いている事もあれば、それこそ街の外に行っている時もある。調べはしてみたが、これと言った法則性は見られなかった。きっと何らかの状況に対して臨機応変に対応しているのだろうが、こちらからすればいい迷惑である。だが突破口はある。状況そのものを知ってしまえばいいのだ。
 例を挙げるならば、買い出しに行っている時は、『食材が尽きている』とか。街の教会に出向いている時は、『孤児院の経営に関して何かがあった』とか。法則は無いが、発生する状況に対するマニュアルならばあるのだ。それを頭に入れたうえで今日を振り返ってみると、リシャージは外に行っていた。不幸にも姿は見かけていない―――自分はその時、彼女と会っていた―――が、後でポッポに聞いてみると食材を持っていた訳ではなかったようなので、十中八九教会に出向いていたのだろう。だとすれば、次の行動は確か―――
 間違いない。夜食を済ませた後、院長室に籠った。そしてそれは紙にも記載されている。言い換えれば、この紙に書かれている事が起きたという事でもある。それはつまり……
 この行動表は、信用に値するという事だ。














 物理的な封じ込めと、そして囮。この二つを利用して院長を出し抜く。出し抜いて見せる。
「ポッポ。準備はいいか?」
「う、うん」
 結局、ポッポ以外の人物は参加しなかった。自分の事等信用できないという事だろうか。或いは、殺人鬼の存在を信じている? 死にたくないから参加したくない?
 それでもいい。殺人鬼など居ない事を証明するのは、そういう奴らを救うためでもある。そういう奴等には殺人鬼の嘘を証明してから信じてもらえればそれでいい。それで自分の事も信じてもらえれば、孤児院の嘘も一層暴きやすくなる。
「しかし、俺は信じて良いんだよな? その約束って奴を」
「『別に加担する訳じゃないから、それくらいは』って言ってたし、大丈夫だと思うよ?」
 協力しない、という言葉は何もラガーンだけに向けられた言葉ではない。リシャージも同様である。ポッポ曰く、孤児院の皆は飽くまで中立を維持するらしい。裏切ることも無いが協力しない。誰であろうと例外なく。
 それを聞けただけでも自分からすれば協力だ。リシャージに味方させなければこちらのもの。作戦は間違いなく成功する。
「じゃあ……行ってくる」
 時刻は十時。年の小さいモノは既に夢の中へと誘われている頃だ。リシャージは未だ院長室の中に籠っている。協力者がいない以上、先手は必ずこちらが取れる。
 ラガーンは音を極力殺しながら部屋を出る。この孤児院は大きな柵に囲われており、たとえ孤児院から出たところで柵の出入り口である門を通らなければ外へ出れないのだが……彼女が開けておいてくれた為、現在は鍵が掛かっていない。裏口に回ってみると……案の定鍵は掛かっている。問題ない。本命は鍵がかかっていた場合にのみ有効なのだから。
「開けよ……開けって!」
 ノブを掴んで力を込める。決して小さい音ではないが大きい音でもない。一度自分に鍵を壊された経験からか、鍵がもう壊れない事は既に調査済みだ。でもやる意味はある。
「開け……開けよ!」
 扉を蹴って殴って、それでも扉は壊れない。騒ぎ立てても喚きたててもそれでも扉は壊れない。程なくして院長室から慌てた様子のリシャージが飛び出してきた。
「何してるの! 早く部屋に戻りなさい!」
 十メートル以上の距離を、リシャージは一歩で詰め、ラガーンの両腕を拘束する。
「離せッ、離せってこの!」
「お黙りなさい! 夜に出歩いてはいけないという法を忘れたのですかッ?」
「殺人鬼なんていねえよ! 俺は今からそれを証明するんだッ」
「居る居ないはこの際問題じゃないの! 法を破るという事が問題なの!」
 扉は徐々に遠ざかっていく。
 物理的封じ込めも使わず、囮も使わない。その結果がこれだ。ああやっぱり、効かないと分かっていても、何かしらの策は―――
「行け、ポッポ!」
 直後、ラガーンの部屋から飛び出してきたのはポッポ……この作戦の唯一の参加者だ。
 そう、囮も物理的封じ込めも効かない。だがそれは単体で行った場合での話だ。両方を同時に行った場合は……御覧の通りである。自分を拘束している以上、リシャージはポッポを追えない。そして囮とは何かを犠牲に誘導し、行動を制限する事……この場合は自分の事である。
「貴方まで! 馬鹿な事はやめなさ―――」
「何処見てんだこの野郎!」
 そう、今まで囮が一つだったから失敗した。ならばお互いを囮としたうえで利用すればいい。そういう協調性が今まで無かったから、自分は失敗していたのだ。
 ポッポに気を取られた瞬間、リシャージの力は確かに緩んだ。その隙を見逃すはずがない。ラガーンは素早く拘束から逃れると、リシャージの足に軽く触れた後、勢いよく入口へと駆け出した。
「ま、待ちなさ……えッ!」
 驚くのも無理はない。リシャージに今まで使った策は物理的な、いわば物さえあれば誰でも出来るものばかりである。だが今回ばかりは違う。ラガーンが何のために今まで勉強してきたか。それは使おう使おうと思っていたモノの、明確に使い方を見出せず、今日まで使う事の無かった―――魔術を習得する為である。
 魔術の名は『侵生モルトレゲン』。数分の間だけ、触れた個所の魔力を暴走させて動きを止める魔術だ。無論それだけだが、侮ってはいけない。何の不自由もなく動けた人間が突然片足を封じられてしまうと、存外に動きにくいモノなのだから。
「何で鍵が……待ちなさい! 夜に外を出歩いては……!」
 背中に掛けられる忠告を無視して、ラガーンは一層足を早めた。ポッポの姿は既に見えないが、集合場所は決めてある。早い所自分も向かってしまおう。
 殺人鬼の嘘は、間もなくして破られる。






 そう、殺人鬼は――――――――――――――――








 街の広場を集合場所として二人は集まる予定だが、ラガーンは未だ来ない。一足先に広場へ着いてしまったとはいえ、妙に遅い気もする……夜だからだろうか。周りの闇は漂っているだけなのに、こう一人で佇んでいると、自分に迫ってきているようで怖い。
 『もうすぐラガーンが来る』。そう言い聞かせながら気持ちを抑えるが、それでも不安は消えない。一体何だろうこの……妙な寒気は。
「あら、こんな所で何してるんですか?」
 突然の声に驚いて振り返る。ラガーンに付いていく者はいなかったので、孤児院の人間ではない。振り返ると、そこに居たのは質素な服を着た少女だった。しっかりと目視しなければ見分けもつかない程景色に溶け込んでいる黒髪は、この辺りでは珍しい。
「え、えっと……人を待ってて」
「へえ―――夜に出歩いちゃいけないっていう法があるのに、ですか」
「……」
 自分でも分かっている。本当は出歩きたくなどない。でもラガーンが言うから仕方ない。胸に抱きしめた縫い包みに顔を埋めて、目を閉じる。
 怖い。もしも本当に殺人鬼が居たなら、自分は殺されてしまうのではないか。では一体どんな殺され方をされる?
 首を切られるだけならばまだ良心的だろう。吊るされて皮を剥がされてそのまま一生放置、なんて事にもなりかねない。
 怖い。記憶も何もない自分を拾ってくれたのはあの孤児院。そして院長は言ってくれた。いつの日か必ず記憶も何もかも取り戻して、また元の日に戻れると。ラガーンは信じていないようだが、自分はあの言葉だけを生きがいに日々を生きている。だからまだ、死ぬわけには行かない。何も知らないまま死にたくない。自分の両親の顔も思い出せないまま人生を追えるなんて、嫌だ。
―――待って?
「そういう貴方はどうして―――」
 再び少女の方を向こうとしたその時が、彼女の最後の記憶だった。これ以降は語るべきことも無いし、語られることも無い。死人に口なし、生者は語らず。
 命が一つ、消えてゆく。








 広場に着いたとき、ポッポの姿は無かった。







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