ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

無知を演じて

「俺は、絶対に信じねえからな!」
 孤児院内で少年は机に飛び乗って、高らかにそう叫んだ。その声の反響で赤子の目が覚め、周囲に赤子の鳴き声が木霊する。
「まあまあどうしたの!」
 直ぐに院長―――リシャージが駆け寄り、赤子を抱き上げる。そのまま数分以上子守唄を謳いながら揺れを加えると、段々と赤子は静かになった。
「誰、この子を起こしたのは」
 満場一致で、少年に視線が集中したのは言うまでもない。程なくしてリシャージの視線も少年へと注がれる。
 発言の真偽がどうあれ、赤子に罪はない。少年は机から飛び降りて、頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……大声を上げるのは元気で良いことだけど、場所を選んでね?」
 リシャージは優しい笑みを浮かべた後、院長室へと姿を消した。扉が完全に閉まるのを確認した後、少年は改めて切り出した。
「俺は絶対信じねえぞ! 殺人鬼の伝説何て嘘っぱちだ。皆俺達を子供だからって騙そうとしてるんだ!」
 昔から受け継がれてきたその言葉。夜は出歩いてはいけないというその言葉。そんなもの迷信に過ぎない。どう考えても時代的に存在する筈が無いのだ。
 嘘をついたら地獄で魔王様に舌を抜かれる? まず地獄と天国の存在が明らかではない。そして魔王とは、神話の中にしか登場しないモノだ。
 食べて直ぐ後に寝たら魔物になる? そんな人間を少年は見た事が無い。
 つまり、夜出歩けば殺人鬼に当たる。これは嘘である。
「なあポッポ。お前はどう思う?」
 いつもクマの縫い包みを抱えている傍らの少女、ポッポに話題を振ると、ポッポは露骨に慌てて首を振った。
「い、いやでもラガーン! 夜に出歩いちゃいけないのは法で決まってることだし……今度ばかりは危ない、かもよ? 殺人鬼が居るかどうかはともかくさ!」
 出会うのは殺人鬼ではなく衛兵かもしれない。しかし衛兵に出会えばその瞬間に投獄。死刑は免れないだろう。
「……夜に衛兵と出会う訳ないだろ? だってもし衛兵が出歩いてたら、それこそ殺人鬼なんていやしない証拠になっちまうからな。だから出会う筈がない。だよな?」
「それは……そうかもしれないけど」
「だったらやる事は一つだな! 俺は今日の夜、外に出る。そして大声で知らせてやるんだ。殺人鬼なんていないって。お前も来るよな? ポッポ」
 殺人鬼が仮にいなかったとして。衛兵が居なかったとしても。それは夜に出歩いていい理由にはならない。法に従うのは安全の為。強制力はあっても、決して強制的なモノではない。
 でも、逆らえない。ラガーンの周りに居れば誰かに虐められることも無いが、その代わりとして、ラガーンには振り回されなくてはならない。ラガーンは法。ポッポにとっての法なのだ。だから、従わなくては。
「う、うん……」
「よし、決まり! 他にも来たい奴が居たら声を掛けろ! 俺と一緒にこの国の嘘を暴こうぜ!」
 ラガーンはそう叫んだ後、「準備を整えて来る」と言って孤児院から飛び出ていった。元気いっぱいなのは良いことだが、それにしてもやんちゃが過ぎる気がする。
 ……この孤児院に、ラガーン以外の男子が居ない事も、原因かもしれないが。






 孤児院を出ても尚走り続けているのは、一刻も早くここから離れたい思いがあるからかもしれない。
 突然あんなことを言って、孤児院の皆は混乱した事だろう。リシャージはあの場に居なかったが、あれだけの大声で言ったのだから、きっと声だけは聞こえていた筈だ。
 しかしラガーンにはどうしても確かめたい事があった。それは殺人鬼の存在の真偽などではなく、もっと現実的で残酷な……
 ハッキリ言おう。あの孤児院を、ラガーンはこれっぽっちも信用していない。それは孤児院に来る前の記憶がすっぽり抜けているが故に、あそこを信用しきる事が出来ないというのもあるが……そもそも、ラガーンに両親は居ない。既に死んでいるのだ。そんな分かり切った事を改まったように伝える孤児院はおかしいし、何より自分がこの孤児院にきて数日は明らかに様子がおかしかった。話はよく聞こえなかったが、『召喚ミス』がどうこう言っているのだけは聞こえたので、ラガーンはその日から一生懸命勉強し、やがて確信した。
 ああ、自分は攫われたのだと。
 記憶が無くてもそう言える。あまりにも孤児院の行動が不自然だし、そもそも孤児院に来る前の記憶全てが抜けているというのも不自然すぎる。普通はぼんやりとしたものでも覚えていて然るべきものまで全部忘れているというのは、完璧すぎる故におかしすぎる。他の子供が気づいていないのは、きっと自分と環境が違うからだ。
 だから自分は暴いてみせる。この孤児院が吐いている嘘を。そして救って見せる。この孤児院の皆を。殺人鬼の存在の真偽などその為の土台に過ぎない。あの孤児院の裏を暴くための嘘に過ぎないのだ。
―――せめて、アイツだけは。
 孤児院でも窮屈な思いをしている彼女だけは命に代えてでも助けて見せる。あの孤児院が何を企んでいるかは知らないが、碌でもない事には違いないのだ。全員助けられなくても、彼女だけは逃がしてやらなければ―――!
「うわッ!」
「キャッ!」
 思案が過ぎて、目の前の人間とぶつかってしまう。どうやら自分と大して年も違わぬ少女を吹き飛ばしてしまったようだ。
「ご、ごめん! 怪我はない……か?」
「だ、大丈夫。怪我とかはしてないみたい……ですからッ」
 どうやら買い出しから帰る処だったらしい。地面には幾つもの食材が転がっている。流血はしていないようだが、上手く立てない所を見ると、軽い脳震盪でも起こしてるのだろうか。少女は壁を使ってどうにか立ち上がり、必死に食材を集め始める。
「俺も手伝うよ」
 大した数ではないが、今の彼女にはきっときつい筈だ。ラガーンは素早い動きで食材をかき集めて、少女の手元へと渡す。
「ありがとう。次は気を付けてくださいね?」
 少女の顔はよく見ると非常に整っており、こちらに向ける笑顔は太陽のように輝いていた。そのつもりがないのは分かっているが、何だかドキドキしてしまう。とてもではないが直視は出来そうにない。
「あそこの孤児院に住んでるんですか?」
「……え? ああ、そうだよ。両親が死んで身寄りのない俺を引き取ってくれたんだってな。記憶が無いから実感は湧かないが、感謝はしてる」
 その言葉に少女は何かを訝るような表情を浮かべたが、自分が不思議がっている事に気付き、直ぐに先程の笑顔に戻った。
 今のは……何だろうか?
「……こんな事聞くのはおかしいと思いますけど、もしかして女の子ですか?」
「ば、馬鹿言えよ! 何処から見たら俺が女の子に見えるんだよ」
「そ―――そうですよね! ごめんなさい、変な事聞いちゃって。あ、じゃあ私はそろそろ行かなきゃいけないので、これで失礼します」
 また会えるといいですね、と少女は笑って、何処かへと歩き出していった。家に帰るのだろう。
「……あ」
 そういえば名前を聞き忘れてしまった。また会えるといいのはこちらも同じだが、名前を知らないと、何だか絡みづらい気もする。
 そして今更ながらついて行かなかったことを後悔した。彼女と共に、この街の嘘を暴けたらどんなにか楽しいかと思ったのだが……次の縁に期待するとしよう。
 さて、何の装備も持たないで夜に出る自分ではない。彼女の事は一旦置いといて、早速準備をするとしよう。









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