ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

殺戮機構 裏

 古傷や拭っていない血も相まって、ダークフォビアの顔つきはそれこそ鬼のように恐ろしい事になっているのだが、そんな顔からは想像もできないくらい間抜けな声が響いた。
「……は?」
 言っている内容が理解できなかったのではない。単純に、意味が分からないのだ。叶えられる範囲であることは間違いないが何というか……唐突過ぎる。
「……あれ、聞こえませんでした? 言うのは少し恥ずかしかったんですけど」
「発音に関しては問題ない。俺もこの耳でしっかりと聞き届けたつもりだ。つもりだが―――訳が分からん。どういう事だ」
 それが彼女にとって何の利益をもたらすのか、理解できない。パパになる事に抵抗がある訳ではないが、その意図が理解できないまま受ける訳にもいくまい。善行をしたと思ったら、気づけば悪事に加担していたようなモノだ。
 逆も然りだが、自分のしたい事とは全く別の事をさせられていたというだけで、相当不快である。
「……この帝国に昔からいる殺人鬼さんなら分かってると思うんですけど。私、別の世界から誘拐されちゃって」
「……事情は大体知っている。お前は子供教会から逃げてきたんだよな?」
「はい。それで……思ったんです。異世界から連れてこられた私は、もう元の世界に戻れない。もう本当のパパやママとも会えない。ここで知り合った人も、皆『機械』になっちゃって―――嫌になったんです。この世界」
 何も考えられなくなる事が、何もかもから切り離されてしまった彼女達にとってはどれ程幸せか。真実を知るのがどれ程辛い事か。それを考慮すれば、或いは『機械』になってしまった方が幸せかもしれない。
 彼女の瞳を見ていると、そう感じる。彼女の瞳に宿っているのは虚無でも絶望でもない。今彼女に宿っているのは―――
「だからもう、ぶっ壊しちゃえばいいかなって。何もかも、全部」
 殺意。この世界そのものに対する黒い殺意だ。自分の人生を壊した全てへと抱かれるそれは、既に救えない程に深く濃く。かつては平和主義の優しい少女だったのだろうが、今の彼女にその面影はない。壊したのは言うまでもなくこの世界、この国の政策だ。この国にとって都合が良い政策だったとしても、他の国ではそうとは限らない。
 全く知らない世界の者を使うから誰にも何も言われない? 向こうの世界がこちらに干渉出来るのなら殴り込みを掛けてくるに決まってる。干渉できない事を分かったうえでそういう発言をするのは、卑怯というものだ。
「一人の少女の人生を壊した報いを、世界に受けてもらうんです。勿論、一般的に考えて正しくない事は分かってますが……そんな一般論、どうでもいい。正論が正しかったことなんて一度もありませんから」
「成程、言いたい事は大体分かった。つまりお前は、俺に世界への復讐の道具となれと言ってるんだな?」
「はい、それまで貴方が死ぬことは許しません! 何があっても生かし続けます!」
 『闇衲』は少女の笑顔に人知れず冷や汗を浮かべた。無垢な笑顔の裏にあるのは底の無い憎悪。そして壊れた心を覆うように張り付いた殺意。殺人鬼と呼ばれる自分ではあるが、彼女の笑顔は、人をまだ殺していないというだけで既に―――『鬼』のそれであった。
「……随分と強引だな。まだ俺は何も言ってないぞ」
「答えは聞くまでもないと思って。だって殺しの依頼ですよ? 誰か一人じゃなくて、世界全ての。殺人鬼としては、この上ないお願いなんじゃないかと思いますが」
「悪行ばかりじゃ飽きるのはさっきも言っただろう」
「……いえいえ。私のお願いを聞いてくれるという事は、本当の意味で孤児の私を引き取る事でもあります。それって、十分な善行だと思いませんか?」
 あの孤児院に一度引き取られた彼女がそれを言うと、皮肉にしか聞こえない。とはいえ、確かにその通りだ。これまた度の過ぎた善行だと思うが、度の過ぎた悪行と見事に釣り合っている。
 無償で応えるのは範囲内まで。それより外になるようであれば対価を寄越す。交渉の基本をよくわかってる。
 断ろうにも断れない、か。
「―――分かったよ。そのお願いを聞いてやる。俺はこれからずっとお前の『パパ』だ。親になった以上は全力でお前を教育させてもらうが、異論はないよな?」
「はい! じゃあ改めて。私の名前はリア。名字は覚えてませんが、これから変わるんですし、関係ないですよね……これからずーっと一緒だよ、パーパッ?」
 リアの―――娘の中身のない笑みに、『闇衲』は諦めた様にため息を吐いて微笑んだ。
「……俺の名前は――――――だ。全く強引な娘を持つ事になって、『パパ』はこれからが心配ですよ」










 リアが『闇衲』の娘となってから一日が経過した。
 子供教会に存在がバレてしまっては元も子も無いからか、リアは人気の少ない時には家から出ようとはしなかった。
 しかし今は早朝。人気が多くなるまで暇を持て余してしまう事もあって、暇つぶしにリアは料理の勉強を始めた。どうやら孤児院で少しだけやっていたようで、上達は中々早い。
「……まだ捜索を諦めてないなんて、本当にしつこい人達ね。私はもうパパの娘になったんだから、諦めてくれても良いのに」
「その俺が存在しない人間と言われてるんだから、そりゃ無いだろう。それで、今日は一日お料理の練習か?」
 言いつつ『闇衲』は、埃だらけの本棚から本を無造作に引っ張り出して開く。トストリス大陸創世から現在に至るまでの歴史が記されている本で、暇つぶしには丁度いい。
 法を作る原因になった事もあって、当然自分の存在も記述されているが、気にしない。昔の話だ。
「いや、今日はまず計画を立てようかなって思うの。ほら、やっぱり自分達が何を相手に戦ってるか分からない方が、恐怖って凄いでしょ?」
 えげつない事をさらりと口にするリア。確かに、どんな脅威であれ人はまずその正体を確認したがる。自分が何と戦っているかを明確にして、それからようやく対策を立て始める。
 何と戦っているか分からない状態で戦うのは、『正体不明』と戦うのは、人間にとって一番の恐怖なのだ。
「計画と言っても、殺すのは俺だろう? 俺は別に計画なんて立てなくても殺せるが」
「……只殺すだけじゃ物足りないわ。日常を気づかれないようにゆっくりとぶっ壊して、考えられる限り全部の安寧を奪って。……そいつの人生をぶち壊してやるの、私と同じようにね。私を誘拐した報いなんだもの、それくらいしなくちゃすっきりしないわ」
 早口で淀みなく語るリアの表情は、狂気的な興奮に浸食されていた。恍惚の表情と言い換えてもいい。
「悪趣味だな。それで、手始めに何処から壊す? 孤児院か、子供教会か?」
 孤児院に関しては特別やりやすいが、彼女の動きを考えればまずは子供教会だろうと―――そう思って言ったのだが。
 『闇衲』は見誤っていた。リアの殺意を。
「そうね……じゃあ手始めにこの大陸と言いたいけど……まずはこの大帝国の人間を、皆殺しにしちゃいましょうか」



















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