ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

色欲の渦巻く街

 風俗など死滅してしまえばいいと今ほど思った事は無いだろう。自分勝手な考えをどうか許してもらいたい。こんな考えに至ったのは偏に自分の交際経験の無さからくる、耐性の無さである。先程も言ったが、こんな状態のまま風俗に行くなんて、別の意味で自殺行為だ。

 何が自殺行為か、詳細に説明すると。

「いやあまさか英雄様がこんな街においでなさってくれるたあ、思っても見なかったよ! こりゃ紹介する店もうんと良い店にしなきゃなあ!」

「あの……私は」

「うーんうん。分かってる。アンタ、こういう街に来た事無いんだろ? 分かってらあそれくらい。なんせ、この国を救ってくれた人だしなあ。こういうお楽しみする場所よりも戦場の方が性に合うんだろ? でも安心してくれ! アンタには感謝してる。アンタが助けてくれなきゃ、俺達も、ここに来る人達も、みんなこの生活を続けられなかった。だからちょっと待ってろ! 今探してやるから!」

「あ……ちょっと。話をだな―――」

 まず押しが強い。尋常じゃない強さだ。話を割り込ませようと思っても全く割り込めない。言葉の圧に押し込まれて、そのまま殺される。ナイツを巻き込むつもりはない、なんて格好つけたが、フェリーテが居れば格段に違っただろう。この国の住人だから押しの強さには慣れているだろうし、『覚』のお蔭で割り込むタイミングもこちらに合わせて作ってくれる。

「んーんー英雄色を好むとも言うからなあ。英雄様の煩悩に耐えられる様な遊女が居たかどうか……」

「お、おい!」

 次に勘違いが酷い。英雄色を好む、は否定しない。言い方は悪いが、王様にしろ英雄にしろ、強い雄は複数の雌を孕ませている。歴史がそう示している以上、それを否定したって意味が無い。じゃあ何が酷いって、全ての英雄がそうだと思い込んでいる所だ。

 前述の押しの強さと合わさると、酷い勘違いがアルドの知らぬ内に生まれる。これが一番の問題だ。相手が不快になる事を覚悟した上で割り込まない自分も悪い。悪いが、それ以上に妄想を勝手に捗らせ、アルドという英雄を煩悩を溜めに溜めた絶倫だと思い込む案内所の管理人に問題がある。英雄の煩悩に耐えられる遊女、だと? 


 そんなの絞るまでもない。そもそも経験が無いのだから、誰だって相手出来る筈だ。


 というか分かっていたが、やはり肉体関係を結ばなければならないのか。酒を飲んで、話してどうにか……って違う。これでは単に『思い切って風俗に来たけど、途端に度胸が無くなっただけ』の人だ。アルドは何をしに来た。そう、八天とやらの作戦を止めに来たのだ。確実に行っている保証はないが、智慧の魔女が候補に出したくらいなのだから、警戒はする必要がある。

 無ければ無いで、それでよい。だがもしもあったら、致命的だ。

 それを防ぐ為にこうして勇気を振り絞っている訳で、しかしどうにも度胸が付かない。百万の敵よりも一人の女性に恐れおののくとは、何と情けない事よ。

「お、居た居たッ!」

「ッ!」

「英雄様、こういう店とかどうだい。この店は―――」

「ちょっと待った!」

「……お、どうかしたかい」

「お前の言う通り、確かに私はこういう場所にあまり縁が無い。作法も知らない。具体的にはどうなるかも……いや、知らなくはないが、確認しても良いだろうか」

「おお、何だい?」

「店に来て直ぐに性行為、という事は無いだろう。私の大陸ではそうだった。こちらでは?」

「同じだよ。やっぱ場の雰囲気ってのは大事だからなあ。それに遊女にも権利ってもんがある。あまりにも失礼だったり、遊女を不快にさせる様なら、叩き出すね」

「雑談や食事を交えながら、酒を飲んだりする。同じか?」

「ああ。こういう場所に興味がある人でも、やっぱ身体を重ねる事に抵抗がある男も居るんだよ。ごく少数だけどな。そういう人達が踏み切る為には、酒が必要だ。遊女の方も、酒が入れば抵抗が薄れる。飲むだけお互いに得をするってこったな」

「遊女が下戸の場合はどうするんだ?」

「そりゃ舞踊なんかを披露して、場の雰囲気を通常よりも一層盛り上げる必要があるわな。おっと、もしかしてアンタ、遊女に教養を求める様な人かい? だったら安心してくれ。この店にはそういう遊女しか居ない!」

 言わずとも分かるだろうが、ワドフと再会したあれは参考にならない。知り合いと遭遇するという時点で、もう話が拗れているからだ。なので、やはり話を聞いておいてよかった。

 流れを整理しよう。大した流れじゃないから直ぐに纏まる筈だ。



 指名する→雑談・食事→酒または舞踊などの芸→性行為。



 アルドは直ぐに思考を放棄した。やはり最後は駄目だ。それにこの流れから抜け出すというのも指南を極める。目的は買収が起こっていた場合にそれを食い止める事であり、食い止める為にはこの流れを何らかの方法で抜け出し、店内を巡らなければならない。そうでないと性行為に繋がってしまう。

 厳密に言えば、酒も駄目である。弱い訳ではないが、この風俗街に存在する全ての店を回るとなると、幾ら何でも酩酊状態に陥るのは必至。思考能力が低下した状態でもしも八天の内誰かが襲撃した場合、対応する自信がない。


―――ナイツに頼った方が良いだろうな。


 自分一人で全てをやろうとして、結果失敗した。国の存亡が懸かっているこの状況で同じミスはしない。極力慰安を目的に連れてきたナイツを巻き込みたくはないが、こればかりは、どうにも。ここで頼らなくては、後々に最悪の結果を呼び寄せる事になるかもしれないし。

 ……それにしても誰を呼び出す。

 女性は性別の問題で論外だが、当てになりそうな男性は……ルセルドラグ以外の全員。ここから更に絞り込みをかける。

 ディナントには娘との一時を過ごしてもらいたいから除外。それに娘が居る事を分かっていながら遊郭に行かせるというのは、どうも罪悪感が邪魔をして気が進まない。

 チロチンは切札的にも店内の探査は十分期待出来そうだが、きっと自分と同じ所でつまずく。加えてここは人間の風俗街だ。ディナントは人から派生した特異な魔人だからさておき、最初から魔人の彼を使う訳にはいかない。

 同じ理由でユーヴァンも………………しかし待て。彼の話の上手さなら、どうにか出来るのではないだろうか。問題は容姿だけ。ユーヴァン本人は『忍』にでも連れてきてもらえば良いか。

「有難う分かった。名前は…………紀ノ木屋か。じゃあ、そっちにお邪魔させてもらうよ」

 アルドは案内所から出ると、建物の隙間に入り、小さな声で呟いた。

「居るか、『忍』」

「はッ」

 声は上から聞こえている。連絡してきた時もそうだが、やはり『忍』達は何人かに分かれて行動している様だ。情報収集組と、それをアルドに連絡する係。常に付きまとわれるというのは決して良い気分ではないが、今回は居てくれないと話が始まらなかった。

「ユーヴァンを……『竜』の魔人をこっちに連れてきてくれ。可及的速やかに」

「それは、命令と受け取っても」

「ああ。国の存亡に関わる。大至急連れてきてくれ。あっちで何か揉め事があったら、加勢してやってくれ」

「御意に」

 元々気配が存在していなかったので、行ったかどうかも分からない。アルドは肺に溜まっていた空気を吐き出して、高鳴り続ける鼓動を抑え込んだ。

「大丈夫大丈夫風俗には行かない風俗には行かない風俗には行かない大丈夫風俗には行かないこれは決して逃げている訳じゃなく苦手な私が行けば最悪の事態を引き起こすからであって決して女性慣れする事自体に恐怖を覚えている訳ではない一人で全てを背負い込もうとすれば失敗するのは目に見えている私の取り柄は戦う事だけなのだから極論その他の事は全てナイツに任せればいい今回はそれを十分に理解した上での判断だそうきっとそうだそうに違いない―――」

 ナイツへの頼り方がズレている気がしてならないが、ユーヴァンはあれでも根は真面目だから、チロチン同様関わりたがっているのではないだろうか。どんな形であれ関わらせればきっと満足するだろう。

 もしチロチンの予測通り、それぞれの休暇を楽しんでいたのなら、本当に申し訳ない。虚空に向かって、アルドは項垂れた。 

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