ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

神にも譲れぬ捧げもの

 全力の踏み込みが不意を突いていたとは思えない。王剣を虚空から取り出したくらいだ。加減する気など更々無かった。この一撃を一度でも受ければ、ギルゾードは神の座から強制的に引きずりおろされる。引きずり降ろされれば権能は使えなくなり、幽世に行くにも特殊な手段を用いなければならない。あらゆる束縛から解放する能力は、人には一撃必殺の力として機能し、神にはその力を失わせる抑止力として機能する。これが『皇』の生きていた証であり、死ぬまで自分が所有し続けなければならない剣だ。この能力が通用しないのは執行者くらいであり、あのような存在と戦う事などそう何度もあってたまるか。

 彼は『皇』とも面識がある。この剣についても知っている(というか、この剣自体が異質なので、神ともなると知らなくともその能力には気付きそうである)ようだ。頭上高々と真上から振り下ろす。そこには今までの手加減は無い。踏み込んだ前足は、四方数尺に渡って深々と罅を入れた。

 これだけ重さの乗った剣戟を真正面から防御するのは馬鹿のする事である。ギルゾードは半身になって躱し、がら空きの脇腹に剣戟を叩き込まんとする。この剣戟は、今さっきまで虚空と同化していた一振りである。空像『心歪』。時廻の権能を持つ者が使える不可視の剣。その刃によって刻まれた傷は過去にまで逆行し、過去永劫に置いて残り続ける。傷は迅速な処置で以て対応してこそ素早く治るものだが、彼の権能によって傷つけられた個所は、傷つけられたその瞬間に古傷として記録される。言い換えれば、古傷として腐敗する。その傷の厄介さは、宮本武蔵之介の様に時間の逆行で傷を回避する者が一番分かるだろう。どれ程遡った所で、ギルゾードに付けられた傷は未来で直すしかない。

 太刀筋を強引に切り替えられる程加減して振り下ろした訳もなく。しかし彼の剣がアルドに届く事は無かった。

「……ッ!」 

 王剣の刃が振り抜かれた瞬間に周囲の地盤が崩壊。ギルゾードは体勢を崩した。この現象の起きたのは、何もアルドの保有する魔力が膨大だったからという理由ではない。保有しているという事は基本的に行使が可能という事だが、アルドは逆に保有する事しか出来ない。王剣を使えばこの限りではないが、達人を相手にその隙があるかと言われると存在しない。何より目の前の相手は時廻の神。刹那の隙が命取りになる。

 崩壊する地盤に足も気も取られている内に、アルドの方が追撃を掛ける。脇に王剣を構えたまま宙に身体を放り出したギルゾードへ接近。渾身の一振りで切り抜かんとするも、冷静に対応。ただし空中で発生した攻防の為か、物理法則に従ってギルゾードの方が吹き飛ばされる。ひび割れた大地に背中が叩きつけられた。

 体勢が整う前に決着をつけるべきと判断したアルドは、受け身を取って安全に着地。進行方向に前転して、再び立ち上がるやギルゾードへと斬りかかった。

「ぬうッ…………!」

 全身全霊の一撃。才能の無いアルドに唯一許された剣だった。技巧も劣れば、詐術も劣る。そんな輩が最強に立つ為には、圧倒的な力で全てを捻じ伏せるしか無かったのだ。神も悪魔も根源も、純粋な力一つで上回る事を要求された。

 だから上回ってみせた。それが、『勝利』と呼ばれた男の覚悟。鎬でアルドの斬撃が受け切れたとは言い難い。不可視の筈の剣に『可視の罅』が入った。

「全く……アルドよ。貴様も実に面倒事が好きな男だ。我に奴を渡したからと言って、貴様らの関係まで変わる訳でもあるまいに」

「確かにその通りだ。だけどお前には渡せない」

「それは貴様が好きだからか? 奴の事が」

「魚心あれば水心。自分の事を好きでいてくれるなら、こっちも同じ気持ちで返すのが道理ってものだ。それにな…………邪魔はしたくないんだよ」

「邪魔はしたくない?」

「あらゆる秩序に縛られないその存在―――何をしても、誰にも裁かれない、誰にも何も言ってもらえない寂しさからか、一時期のアイツは甚だ自罰的だった。まるで自分に親でも殺されたみたいに、無意味に枷を掛けて泣いてた。人間じゃないアイツに涙なんて無い。泣いていたってのも、冷酷に解釈すれば人間の真似をしただけだ。けれどな、アイツは自分が異常存在って事に気付くまで、ちゃんと人間として生きていたんだ。なら本当に人間かどうかはともかく、少なくともアイツは感情を持っている。女の子としての感情を持っている。子供としての感情を持っている。この世界に居て良い感情を持っている。アイツは今、自由のまま、己の特異性すら受け入れて生きているんだ。お前に結婚相手として渡す事は、それを邪魔する事に等しい。だから―――」

 可視の罅が目に見えて深くなる。ギルゾードは権能を行使し、時を巻き戻した。これ以上未来へ進めば確実に『心歪』が割れる。その予感に背を向けたかった。












 巻き戻って状況は変化する。地盤が崩れ、宙に身体が放り出された頃、アルドが追撃を掛けてきたが、ギルゾードは妖術を行使して後退。王剣を空振らせ、逆にアルドを追い詰めた。物理法則に従ってばかりの神など居ない。一度状況をひっくり返してしまえば、あちらの優勢である。

 ―――戻したか。

 体の半分が執行者であるお蔭で、直接攻撃を除けば、アルドには半分しか通用しない。時間逆行も、本来ならば知覚すら出来ない所を、抵抗までする事が出来る。ギルゾードがここまでしか戻せなかったのは、アルドが抵抗したからである。

 空中にて振り抜いた一撃が空ぶるも、全身を回転させて対応。大車輪の如く回転し、ギルゾードの半身を両断した。

 刃に掠りでもすれば特性は十二分に発揮される。これで二度と権能を使う事は出来ないと思っていたのだが、アルドの足が地面に着いた頃、両断されたはずの身体は雲散霧消していた。目を瞑って気配を索敵…………土中か!

「王剣発動」

 素早く王剣を突き刺して、能力を発動。奇々怪々な魔法陣が展開される。あの詠唱句を唱えるつもりはないが、これで驚いて出て来てくれると、この後の展開が運びやすくて助かる。

「甘い!」

 土中に感じた気配は偽りだった様だ。アルドの背中を苦も無く灼熱の槍が貫き、その全身が通過したかと思うと、彼の頭上から覆いかぶさる様に反転。一気に身体を焼き尽くした。あまりにも突然の出来事に、当のアルドは驚く暇もなく、焦土の一部へと変化してしまった。肉のカスすらも燃やしきった火が自立的に行動したのはそれから五分後。山なりに逃げたかと思えば、火は突如として肉体を形作り、ギルゾードへと変貌した。

「ドロシアを手に入れる為であれば、我はあらゆる権能の行使を厭わぬ。今からでも遅くない、ドロシアを差し出し、この下らぬ茶番を終わらせようではないか!」

 彼は徐に背後へ『心歪』を薙いだ。そこには燃え尽きた筈のアルドが立っており、狙いは丁度……こめかみを両断せんとしていた。

「………………なあ」

 『心歪』の刃がこめかみに接近する。まともな剣であれば頭蓋を一刀両断する事など出来ようもないが、これはまともな剣ではない。時を司る神の剣。頭蓋の両断など、甚だ行うに易しい芸である。

 その刃が正に直撃しようとした、瞬間。

「やっぱりお前には、アイツは渡せねえよ」

 ギルゾードの喉元を、アルドの剣が貫いた。神速と呼ぶに相応しい刺突は直ちに彼の首を弾き飛ばし、近くの幹に叩きつけられる。脳漿が弾けた。

「王剣の特性は束縛からの解放。そして命令の強制執行だ。不思議には思わなかったか? 一見して矛盾した特性を内包している。あらゆる束縛を解く癖、己の課す束縛には絶対を強いる……この剣の別名は禁界剣。世界の秩序すら禁ずる剣だ。つまり」

 ギルゾードは王剣の方を狙うべきだった。彼がその使用者であるアルドを狙ったがばかリに、全ての準備が整ってしまったのだ。




「お前の権能。縛らせてもらう」




 この身には何の格もない。あるのは気合いと根性と意地だけだ。それだけで実際に勝てた戦いはあの時の戦争だけであり、ナイツとの殺し合いにおいて、特にフェリーテやファーカなど、理の外に存在するモノと関わらなければならない状況では、それだけで勝利する事は難しかった。いや、不可能だった。それだけで勝てる程勝負は甘くない。

 そんな時に頼りになったのがこの剣。かつては『皇』の仕事だったのだが、今やアルド一人だけで行わなければならない仕事である。

「不可逆の円陣。王権を発動せずとも、この陣の中でお前の権能は意味をなさない。この陣の中で適用される法則は私を基準とする。もうお前は私が出来る芸当しか行えない」

 命令を下さずともこの程度の事が出来るから、これは禁界剣。即ち『法』の剣だ。この状態を脱するには王剣を抜くのが手っ取り早いが、あの剣は選定の剣の意味合いも持っている。執行者でもない限りは、アルド以外に抜く事は出来ない。

 そう。ギルゾードはアルドが出来ない芸当は行えないが、アルドはその点でのみ、ギルゾードの出来ない事を行えるのだ。公平な様でいて、実はアルドは最も理不尽な秩序を強いている。

 だがお互い様だ。

 我儘な神に対応するには、理不尽な秩序で対抗するしかないのである。

「どんなに私の太刀筋が鋭くても、強力でも、時間操作で避けられちゃあ面倒だからな。それだとシターナに迷惑を掛ける事になる」

 時廻の神の再生を待つ間、アルドは木陰に凭れている彼女を一瞥した。






「……第二ラウンドと行こう、ギルゾード。お互い不死の身だが、さて。どちらが先に死ぬかな」

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