ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

父と娘の仲良しこよし

「お父さんとこうして祭りを歩くのも、久しぶりですね!」

「ソウ…………ナ」

 『鬼』という魔人が人類種に近い事に感謝する。鎧兜一式を脱いで歩けば、何処からどう見たって只の人間だ。角は新月の時にしか出現しないので、今は大丈夫。祭りが終わる時に、突然新月にすり替わらない限り、安心である。

 ディナントは一人の女性と腕を組みながら、屋台の並ぶ道をのんびりと歩いていた。今宵が催事という事もあり、上には幾重にも提灯が吊り下げられている。これのお蔭で、自分達が灯りを持たずとも、安心して通行出来る。

 女性の名はウェローン。真に自分の子供という訳ではないが、自慢の一人娘である。カテドラル・ナイツの一角を担う自分がどうしてこんな所に居るのかというと、少しばかり厄介な事情がある。

 『狐』の国にて久しぶりに家へ帰ったディナントは、帰るなり娘に抱き付かれ、祭りに行こうと誘われた。幾らアルドが楽しんでもらいたいと『狐』に伝言の形で言い、好きに過ごして良いと許可が下りようと、腐っても自分は武人。主に尽くす事こそ真の休暇だと信じて疑わない存在である。出来る事なら『狐』の国で彼との合流をしておきたかったが、かといって娘の頼みを無碍には出来ない。それに娘が居る以上、アルドと会う事は出来ない。

 ジバルで、まだ彼と会ったばかりの頃の話だ。フェリーテ、アルド、ディナントの三人で暫く自分の家を拠点にしていた頃、自分が旅立つ事を認めなかったウェローンはアルドを起こして、一騎打ちを敢行。本来ならば彼女に勝つ道理はなかったが、自分の娘という事もあり、アルドが一切の抵抗をしなかった事で勝利。彼の首を刎ねた。

 今でこそ酷い状態だが、知っての通りエヌメラと戦うまでは首を斬り離されようと彼は死なない。林に捨てられたアルドは間もなく再生されて戻ってきた訳だが、ウェローンがその事を知ればまた面倒が起きるだろうと考えたアルドは、そのまま死んでいる事を計画。それ以降は彼女の居る時には絶対に姿を現さず、ジバルから出航する時でさえ、船室の中で眠っていた。

 現在、ディナントが娘に認識させている理由は、『アルドが死んだ事で統治者が居なくなったから、助けてもらった義理として五大陸を自分が統治している」という事にしてある。この嘘がいつまで続くかは分からないが、他でもないアルドが、

『ウェローンにとって私は父親を奪った悪だ。和解なんて、あちらから願い下げだろう。顔も見たくない筈だ。だから、これでいい』

 そう言っているので、和解しようにも出来ない。自分もフェリーテも彼に助けられたのに、ウェローンは彼の事を全く好意的に思っていない。どれだけ説明しても、誑かされたとか、そんな事を言い出してしまう。直にディナントも諦めた。それと同時に、この問題は発生してしまった訳だ。

 アルドと合流したいが、合流すれば娘のお願いを聞けない。何という二律背反。最終的に選んだ選択は御覧の通りだ。せっかく娘と再会できたのだから、楽しまなくては。

「お父さんは、いつまで滞在するんですか?」

「…………わから、イ」

「まだ、帰れないんですか? もう……アルドに対しての義理は、返したんじゃないんですか」

 仮に彼女の認識通り、アルドが死んでいたとしても、まだ義理は返せていない。明確にディナントが首を振った。彼は自分の好きな人を……つまりはフェリーテを殺さずに助けてくれたのだ。その恩義はどうやってこちらが返しきれるものではない。考えが読めるせいで全ての生物に対して不信状態に陥っていた彼女に、打算無しに動く存在も居るのだと教えてくれたのだ。すっかり心の冷めきった彼女に、恋という感情を教えてくれたのだ。その向く先が彼なのはわかり切った話。

 彼女を守り切れなかった自分よりも、四肢をちぎられようが、神経を生きたまま抜き取られようが、全ての骨をバラバラに組み替えられようが、頭を爆発されようが、全身をドロドロに溶かされようがそれでも彼女に手を伸ばした彼の方が、かっこいいに決まっている。嫉妬はしていない。むしろ彼女が今、幸せそうに笑う姿を見て、自分も幸せになれる。

 あの時の会話が、脳裏に浮かぶ。





『貴様如きが! ジバルに住んでもいない異邦人如きが、救える訳ないだろう!』

『確かにそうかもしれない。だけど、俺は英雄だ。英雄は万人を救わなくちゃいけない。それしか出来ない。誰かに愛されている女性一人守れなきゃ、俺という存在に価値はない』





 思えば、あの時から彼の思考には危ないものがあった。それのお蔭でカテドラル・ナイツは全員救われたのだろうが、お蔭で彼は自分達が気付かぬうちに修羅の道を進んでしまい、既にもう戻れなくなってしまった。自分達は救われた存在だというのに、彼に対して何も出来ていない事実が浮き彫りになった様で、凄く悔しい。

「アル、様への恩義、尽きる事……なシ。お……は、まだ、マダ」

「……そうですか。でも! 今日はずっと一緒に居られるんですよねっ!」

「…………ウン」

「やった!」

 ディナントとしては、彼と和解してもらいたい。彼の素晴らしさを押し付けようとか、そういうつもりはない。嫌いなら嫌いなのだろうし、それはそれでいいと思う。ただ、お互いに話し合いもないまま、こうして勝手に角が立った状態は、解決されるべきだ。嘘と真の間を彷徨しているみたいで、居心地が悪い。

「あ、お父さん! あれ買って下さい!」

 彼女が欲しがった物は、紙風船だった。お祭り価格とでもいうべきか、通常であれば詐欺を疑う値段の高さだが、ディナントは何も言わずに、それを購入してウェローンに手渡す。彼女はとても嬉しそうに微笑み、後生大事に抱えんとばかりに、両手の上に風船を転がした。

 …………難儀なものだ。

 どうやっても娘とアルドを和解させるいい方法が思い浮かばない。彼女は頑固な所があるから、一度助けられた程度では心を許さないだろう。手っ取り早い方法は無くもないが、前提としてアルドと二人を会わせない状態で彼に窮地を救ってもらうという無茶苦茶な条件が必要になるので却下。ここまでの思考から分かる通り、ディナントはまるで心から祭りを楽しめていなかった。むしろ、今もアルドが何処かで苦労していると思うと不安で仕方ない。

 娘の腕を一層握りしめて、相も変わらぬ不愛想を貫いたまま、ディナントは暫しの親子水入らずを楽しもうと努力する事にした。












 誰か。

「アルド! こっちこっち!」

 誰か助けてくれ。

 誰かに縋る事は許されない。それが地上最強の英雄たる自分の最低限の誇りなのだが、これは剣の実力や根性でどうにかなるものではない。だからどうか、助けて欲しい。アルドは非常に困っていた。

 チヒロと一緒に祭りに出たはいいが、ナイツとのデートと同じく、どうすれば楽しんでもらえるのか全く分からない。祭りだから適当に歩かせるだけで楽しいだろう……とは思ったが、そんないい加減で果たして本当に良いのだろうか。

 否、良い筈があるまい。自分は五大陸において魔人百万を殺した怪物にして、和の国ジバルを救った英雄だ。祭りなのだから適当に歩かせれば楽しんでくれるなどという妥協は許さない。こちらはこちらの最大限で以て、彼女を楽しませなければ。

「どうしたんだ?」

「射的射的! やろうよ、アルド!」

 自分と祭りに行けた事がそんなに嬉しいのか、チヒロの顔は以前見た時とはうって変わって、年相応に可愛らしく、輝いていた。そんな顔をされてしまっては期待に応えるしかあるまい。アルドは素早く駆け寄り、屋台の主人に声をかけた。

「主人。五回やらせてもらいたい」

「あいよ!」

 顔見知りではないものの、あちら側から一方的に自分を知っている様だ。それもあってか一回目は無料となり、アルドは銃に偽物の弾を込めて、景品目がけて構えた。

「が、頑張ってねッ」

 偽物とはいえ、銃の扱い方を知っている訳ではない。しかし、自分には居たではないか。歴史の浅い銃という武器に最も精通していた男を―――エイン・ランドを。彼が使っていた銃と比べると随分銃身が長いが、基本的には変わらない筈。彼の戦闘スタイルを思い出し、ゆっくりと狙いをつける。

 エイン・ランドは、元々剣の達人だった。自分が『煉剣』と呼ばれる頃には既に海賊となり銃を使っていたが、それでさえ達人的な技量を持っていた。エヌメラと戦う前に、何度も殺された事からもそれは分かるだろう。どうして生前勝てたのかさえ、分からない……いや、よくよく考えてみれば、彼はあの時点でこの世に嫌気が差していた。もしかすると、後輩である自分に手柄を与えてやるために、手加減をしたのかもしれない。そうでなければあの天才に、どうやっても勝つ未来が見えない。

―――一発。

 景品には当たったものの、倒れない。弾が軽すぎるらしい。ならばもっと近づくか? いいや―――それよりももっと良い方法がない事はない。

「主人、剣の心得は?」

「え? いや、特にねえが―――」

 アルドは腰の剣に手を掛けながら、銃を構えた。この身は死にゆく度に弱くなっていくが、それでも素人に見切られる程衰えたつもりはない。二発目を撃った瞬間、素早く抜刀し、風切音よりも早く弾を弾いて弾の速度を飛躍的に上昇。先程命中するだけで倒れそうも無かった景品が、勢いよく音を立てて落下した。

 因みに狙っていたのは、人形細工である。

「お―――大当たり…………!」

 主人は何度も景品とこちらを見ながら、事の真偽について自分の中で把握していた。実際、アルドがやった行為は正攻法とは言い難い。遅れて風切音が周囲に響くが、それも一瞬の事だった。納得するにしても多少風が強くなっただけとした方が自然だし、誰もアルドが弾を弾いて威力をあげたとは考えないだろう。見切れるのならば、話は別だが。

 こんな卑怯な真似は推奨されるものではないが、主人も主人なので、今回は致し方ない。見て分かる通り、この主人、通常の手段では絶対に景品が落ちない様に仕組んでいる。どんなタネがあるのかは分からないが、あちらがそういう手を使うならばこちらも同じ様にするまでだ。

 英雄は必ず勝利する。特に『勝利』は。

―――三発目。

「お、大当たり…………」

 後は同じ要領で全て落とせばいいだけである。チヒロが何を落として欲しいのかを言わなかったので、取り敢えず髪飾り、小刀、和菓子入りの箱を落とした。立て続けに落とされた事もあり主人はアルドを訝っていたが、結局こちらの策を見破る事は出来ず、景品を渡してくれた。

「凄い! アルドって射的上手なんだね!」

「ま、まあ得意な先輩が居たからな。まだやるか?」

「ううん、もう満足! 次に行こうッ」

 既にこの世には居ない先輩に助けられるとは。アルドは心の中で彼に頭を下げた。







―――礼には及ばねえぜ?








  頭の中に、そんな声が響いた気がした。 

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