ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

現人神



 一時的に時間という概念から外れた二人は、戦闘前の本堂まで遡り、それからまた、初対面を果たした。ただし今回はお互いに『戦闘』した未来を知っているので、次こそは何も起きない。

「一つ気になったんですけど、いい?」

「ん。何だ、答えてみよ。今の我は気分が良い。答えられる限りであれば答えてやろう」

「無償とはいかないって言ったよね。何が……願いなの」

 ギルゾードは「ああその話か」と言って、暫く沈黙する。何かこちらに言いたくない理由でもあるのか、それとも、ドロシアでは払いきれない代償だから黙しているのか。異界秩序を適用すれば見えない事はないが、無断で人の心を覗きみるなんてアルドにやっただけで食傷気味だ。神様がどんな過去を歩んできたのかなんて知りたくもない。

「貴様が知る必要はない。これは、奴に言うべき事だ」

「それは……私じゃ、叶えられないって事?」

「いいや、そういう訳ではない……これは貴様がどうこうというより、我と奴の男同士で語り合うべき事。まあ……」

 一度ギルゾードは足元から舐め回す様にドロシアを見て、淡白に頷いた。

「直に分かる事だ」

 分かり切った事を言わないで欲しい。万物にはいずれ結果が伴ってくる。難しい事を言っている様に聞こえるが、これだって要は、アルドと合流した際にいずれ聞かされるから分かる。そう言っているだけなのだから。

 少し気になるが、後のお楽しみという事にしておこう。これ以上追求しても悪戯に話が逸れるだけだ。

「改めて確認しておこう。我に対するお願いは、そのダルノアなる幼子の捜索だけで良いのだな? 奴に借りを作る事など滅多にないのだから、もっと頼んでくれても構わんのだぞ?」

「え……た、多分。大丈夫だと思う。先生、難にも言っていなかったし」

 文字通りの神頼み、とは言っていたが、やはり自分に頼んできたのは捜索を神様にお願いする事だけだ。それ以上……彼女を攫った宮本武蔵之介の殺害などは、頼まれていない。余計なお世話をする必要も無い。彼に頼まれた事をやればいい。何故かギルゾードは残念そうな顔になって、少々雑に長刀を戻した。

「そうか。ならばその頼み、確かに承った。もう行くがよい。貴様の顔を見るに、他の神共にも頼みに行くのだろう」

「そ、そうだけど」

「我以外の神に頼るなど好かぬが……宮本武蔵之介なる人物の捜索は、確かに我一人では厳しいだろう。これでは恩も分散して……我が…………」

「……何か、言いたい事でもあるの?」

「ん。いいや、特には。ああ、最後に一つ聞きたい事が」

「何?」

「貴様の名前、ドロシアで良いのだな?」

 ……突然、変な事を聞いてきた神様に、ドロシアは言い知れぬ恐怖を感じた。思わず一歩退いてしまったが、失礼と思い直し、進み直す。神威も敵意も無いのに、この得体の知れぬ重圧は何なのだろうか。理由は良く分からないが、退散した方が良さそうだ。本能が扉に向けて既に逃走準備を始めている。

「……そうだけど」

「うむ。それではドロシア、さらばだ。また近い内に会おう。良き旅路を」

 背中に絡みつく様な視線を受けながら、ドロシアはギルゾードの幽世を後にした。















「はあ…………はあ…………はあ!」

 ギリギリ間に合った。いや、間に合ったというか、間に合ったのだが。

 言語能力がおかしい。手近な茶屋で座り込むと、面識のある女性が出てきた。

「霧代さん。どうかしましたか?」

 面識と言っても、『徳長』の国に居る人間とは殆ど顔見知り……少なくとも数年前から存命しているのであれば間違いなく知られている。面識自体はあっても、この女性と知人という訳ではない。現にアルドは、彼女の名前を知らない。

「な、何でもない。只……今日、祭りだろ? だから…………はあ、急いで、戻ってきたんだ」

 久しぶりに獣道を全力走破した。木をバネに川を走り岩を飛び越え―――こんな無茶苦茶な動きをしたのはいつぶりだろうか。魔人との全面戦争の時以来かもしれない。執行者との戦いは何だかんだ周囲が開けていたから良かったが(被害を最小限にする為に場所を選定、剣の執行者とフェリーテの協力もあって、死の執行者と無理やりあそこで交戦したというのが正確だが)、こうも道が整っておらず、更には障害物まであると、やはり戦争以来だ。エヌメラから受け継いだ呪いのせいもあり、全身に掛かる疲労は通常の何億倍にもなっている。この疲労とも随分長い付き合いになって、すっかり慣れたと思っていたのだが、どうやら単に運動をしなかっただけらしい。ここまで走ると、流石に息が切れてくる。

「ま、まだ開催してないよな?」

「は、はい。只、もうすぐなので、参加するんだとしたらもう少し行かないと。御一人で参加するんですか?」

 アルドは直ぐに首を振ろうとしたが、こんな時にも頭は冴えるもの。祭りに参加した場合の事を考えると、ここの安易な返事は面倒を招く恐れがあった。

 恐れと言うのは他でもない。チヒロに対しての誤解だ。例えば、仮にここで『とある女性と行く約束をしている』と話した場合、彼女はその話を何処かに流すだろう。最初は悪意も無くまんまの内容が流れるが、何処かに悪意が生じる事で真実は歪められ、結果として人々に知れ渡る頃にはまるっきり嘘だらけの話になる。この場合一番考えられるのは、チヒロが自分にとって特別な存在である、という事。

 間違ってはいない。彼女は自分にとって他人とは言い難い存在だ。何せ彼女はアルドの師匠、ゲンジの娘。特別な存在というのも、決して間違っては無い存在だ。ジバルには三つの国があるが、銀城閣を魔人側の『帰る場所』と捉えるならば、天森白鏡流道場は、人間側の『帰る場所』。特別な存在だという話は何も間違っていない。むしろ、これを間違っているという方がどうかしている。

 だが、特別、という言葉はジバルでも五大陸でもとかく誤解されやすい。言葉単体を見れば限定している様で、実は漠然としているから、曲解された状態で広まると、あたかもそれが真実である様な錯覚が引き起こされるのである。

 例えば、この『特別』を、アルドが恋愛的感情を抱いている人物だと言い換えたとしよう。これも、別に間違ってはいない―――大変、情けない事に、アルドはある程度関わりがある女性は異性として認識してしまうのだ―――のだが、この認識が正しくなるには、まずは自分が博愛主義者という事を知っている必要がある。或いは、恋から愛ではなく、愛から恋に発展する人間だと知っていなければならない。そうでない限りこの認識は、間違っている事になる。

 自分が好き、という事は、自分の意識がその対象に向いているという事だ。この場合の対象とはチヒロの事だが、こうなると、悪意を持った誰かがアルドに対して害を働きたいが為に、彼女へ接触する可能性が高い。道場及び自宅内ではジバル最強を自称するゲンジがいるからいいものの、外出中などは防ぎようがない。そうなると、彼女に迷惑が掛かるのは自明の理。

 一番穏便な形で済む発言は、今思いつく限りこれしかない。

「ああ。いつもしなければならない事があって忙しいからな。たまには羽を伸ばすのも良いだろうと思って……君も、参加するのか?」

「勿論ですっ。私、子供の頃から参加してますから!」

「そうか。では、会場であったらその時は宜しく。何処かおススメの屋台でも聞かせてくれ」

「は、はい!」

 女性は笑顔を弾けさせて、嬉しそうに茶屋の中に戻っていった。父親を呼ぶ声がする。代わりにここの営業をして欲しい、とでもいうつもりだろうか。確かあの娘の父親は今年で還暦を迎えた筈なので、祭りを楽しむには足腰がきついだろう。

 厚意でくれたらしい団子を一本平らげてから、アルドは再び道場へと足を運ぶ。いい加減覚えろと言われたので、今回ばかりは忘れているなどという間抜けな事態はあってはならない。

 道場の扉を開けて、庭の方へ移動する―――前に、アルドは一度深呼吸をして落ち着いた。こんな疲労顔で彼女に出会ったら、如何にも全力疾走してきた感じじゃないか。可能な限り余裕を持たなければならず、身体に蓄積した疲労も無い事にしなければならない。

「俺は元気俺は元気俺は元気俺は元気俺は元気俺は元気俺は元気俺は元気」

 素が出ている事も気にせず、アルドは自己暗示をかけて精神を落ち着かせる。ダルノアの事も、ドロシアの事も、クルナの事も、今は忘れよう。今は、少なくともこの祭りが終わるまでは、チヒロだけの自分にならなければならない。

「―――良し、行こう」 

 アルドは庭に踊り出し、桜の木の下で自分を待つ女性に、落ち着いた声をかけた。





「待たせたな、チヒロ」







 それにしても、女性に対していつまでも免疫が生まれないのは何故なのだろうか。

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